2024.09.14

中島みゆきと吉本隆明の対談の中で、本人が影響を受けていると答えた、谷川俊太郎ねじめ正一辻仁成の内、知らなかった後二者と、タイトルがちょっと気になった藤井貞和の本を借りてきて読んだ。とは言っても流し読みである。

ねじめ正一は、僕は知らなかったが、詩人らしい。YouTube に谷川俊太郎との「詩のボクシング」があって、面白い。借りてきた『輝け!ご近所の星』(角川文庫、1991年)は随想集である。一読して中島みゆきの随想と似ていて、サービス精神旺盛で楽しめる。確かに、中島みゆきも読んでいてこの文体に影響されたんだろうと思う。

    中島みゆきについては、一つ「中島みゆきの”詩” と ”詞” 」というのがあった。現代詩の業界は読者が非常に少なくて、詩人は自活できていないのだが、中島みゆきを見習ってもう少し受けの良い作品を作ってはどうだろうか?という。ちょうど、彼女の歌詞集『愛が好きです』が出版されてかなり売れていたころである。

    『蕎麦屋』を例にして、”詞” と ”詩” の違いを説明している。前者は意味が書いてある通りなのだが、後者は暗喩となっていて、しかも自立している。この ”自立” というのが詩人でないとなかなか理解できないのだが、僕が想像するには、多分、十分推敲されていて、これ以外の言い方では駄目だ、という、まあ純度のようなものなのだろう。中島みゆきの歌は ”詩” が特徴なのだが、その中に ”詞” がうまく混ぜられていて、ぎりぎり ”詞” の側に留まって読者に寄り添っている、という。

    ”詩” と ”詞”  の両刀使いは結構難しい。ポップスとして歌うという制約があって、”詩” が ”詞” になってしまう、ということがあるのかもしれないし、その逆もまたあるのだろう。思うに、もともと和歌とか俳句とかいうものも状況説明の中で生き残ってきて、その状況全体を思いながら詠われているのだから、むしろ現代詩の方がちょっと異常なんだろうと思う。仲間内での評価だけで鍛えられていると、いつの間にか独りよがりの世界に嵌ってしまう、ということなんだろうけど。

辻仁成(ひとなり)も僕は知らない。元々はロックシンガーで、詩人・小説家ということらしい。中山美穂と結婚していて、子供も居たらしいが、離婚して南果歩と結婚している。YouTube でギター弾き語りのロックを聴くことができる。何とも自意識過剰のロックである。詩や小説はまだ読んでいない。『僕のヒコーキ雲』(集英社、1997年)は雑誌に連載された1994-1997年の日記である。1994年・夏、知床で立松和平の家に招待されたときの記録が面白い。この旅行中、南果歩との付き合いが写真週刊誌に撮られてちょっと怒っている。東京で、ねじめ正一と会っている。彼の世代は考え抜く世代だが、辻の世代は考える前に行動する世代だ、という。

    幸いなことに中島みゆきの話は早く出てきた。1994年・秋、夜会Vol.5の紹介ビデオ(NHK)のナレーション役として、尊敬する中島みゆきから指名されたのである。当日彼は1時間も早く着いてしまったのに、中島みゆきは1時間以上遅刻してきて、「どうも」と言うだけで、謝りもしない。全身からオーラが出ていたという。例の調子でテキパキと指示をして、3時間程で収録してしまった、というだけの話。

藤井貞和という詩人も知らなかった。『口誦(くちず)さむべき一遍の詩とは何か』(思潮社、1988年)は、彼の詩論集である。表題の詩評では鮎川信夫を取り上げている。「(バングラデッシュへのパキスタンの侵攻、ポルポトによる大量虐殺、)これらは、文化大革命の輸出でもあり、更に遡れば1940年台ソ連東欧での数百万人単位の同胞殺しのあわれな縮小コピーであった。石原吉郎と鮎川信夫とはすれちがったところもあるが、ともにそんな20世紀の悪を見るだけ見たことを根拠に、石原(吉郎)は日常からの強制ならぬ日常への強制を言い、鮎川は疑似現実への批判を平易なコラムや時評に吐き続けた。」(下記は鮎川の詩の一部)

    ところで 日本の社会の日陰を歩む
    われわれのコーネリアスは、いまどこにいるのだろう?
    制度の春を病むこともなく 不確実性の時代を生きて
    自殺もせず 狂気にも陥らずに
    われわれのコーネリアスはどこまで歩いていけるだろう?

    口誦さむ一遍の詩がなくて!

    コーネリアスって何だろうと思って調べると、環境音楽の作曲家しか出てこない中で、当の鮎川信夫の紹介記事が見つかった。無名の詩人ということであるから、見つからないのは当たり前だが、鮎川自身はなぜ知っているのだろうか?「ヨーロッパの詩は伝統の中で生きているが、日本には詩の伝統が無いから伝統に還れない」ということらしい。伝統が無いというよりは、あの戦争が伝統を切り離してしまった、というべきだろう。つまり、敗戦とその後の反省によって、これらの詩人達は拠り所を見失ったのである。まあ、だから ”現代詩” は難解なのだろうし、その難解さは単に詩人達の視野の狭さのせいかもしれない、と感じさせたのが中島みゆきだった、ということなんだろう。

    「月の山とは何か」で、阿部岩夫という詩人を論じて、なかなかいいことを言っている。「それにしても一般に詩人なるものが存在するわけではないとつくづく考えさせられる。個々の書き手がいるだけだ。個々の書き手の書くことだけが個人を越えたところへ突きささるのだ、と言いたい。だから、作品論者には信じられないことかもしれないが、詩の成立にとって体験や履歴はたいせつな、もしかしたら詩そのものであり、書かれた詩作品はただその詩を夢のようになぞるというだけのものではなかろうか、という気がする。」

    その後最後まで目を通したが、中島みゆきは何回か引用されてはいても、直接語られてはいない。現代詩文庫に収められた詩論集もチェックしてみようと思う。
    
●  あまり収穫は無かったが、中島みゆきが現代詩のサークルの内部でも多少は注目されていたことが判った。

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