『グリームニルの言葉』18節に見られる猪。ヴァルホッルにて毎晩、調理師アンドフリームニルによって大釜エルドフリームニルの中で調理され、供される(「ギルヴィの惑わし」37章):「しかしながら、猪サイフリームニルの肉を食べて空腹でいるほど大勢の者がヴァルホッルにいた試しはなかった。サイフリームニルは毎日調理されるが、毎晩元に戻るのである。(中略)調理師はアンドフリームニルと呼ばれる。大釜はエルドフリームニルと言う。」-->画像へクリック
永久に元に戻る獣のモチーフは、ソールの山羊たちにも見られます。おそらく、憑霊の儀式での犠牲祭儀に関わる言及のことと思われます。しかしながら、スノッリの粉飾に満ちた描写 は、中世の天国についての性格をより一層印象づけてくれます。
最初の9巻は、デンマークのはじまりからハラルド青歯王(936)の支配までのデンマークの伝説的時代を扱っています。10-16巻は、デンマークの歴史時代である936-1202を扱っている。学者たちにはこの最初の部分のみが遙かに関心を集めてるもので、多くのエディションや翻訳もここに集中していました。
サクソの作品が高い価値を持つのは、単に彼が伝説や神話を詳細に再話しているからだけではなく、彼がアイスランド人から聞いたことや、アイスランドの資料を用いているからなのです。それによって、私たちは今日では他に知りようがないかなりの古ノルド神話を読むことができるのです。確かに彼の資料がラテン語に訳された際、かなり自由に扱われたため、その元の形のほとんどを失われはしました。彼は12、3世紀のアイスランドの学者達の間で優勢的であったゲルマン神話解釈の方法に固執したのです。その方法はエウヘメロス主義の色がはっきりと現れたものでした。
サクソの作品は早くからハムレットの素材(アムレズス)の最古の資料として、文学史家達に認められてきました。また、彼のデーン人の歴史は、ハディングス、スタルカズル、フロジ、グズムンドゥル、ラグナル・ロズブロークやその他多くのスカンディナヴィアの神話的英雄列伝として、珠玉 のコレクションでもあります。また、『エッダ詩篇』やゲルマン神話の最重要資料の一つであるスノッリの著作に次ぐ、伝説的歴史の最も貴重な資料の一つとして彼も認められているのです。
シェアフはイングランド王の家系の中で、ウォーデン(=オゥジン)の多くの神話的先祖の一人として名を記されていますが、中世の歴史家達は彼についてより詳細な記述をも残してくれています。
エセルウェアルド(年代記、3,3;10世紀)は、シェアフが幼少の時に奇跡的にスコーネ(スコニア)の島の海岸に、武器に満たされた小舟に乗せられて漂着したことを記しています。後にシェアフはスコーネの王となり、オゥジンの王朝の高祖になるのでした。マームズベリのウィリアムは(『イングランド王達の事跡』2,116)、櫂もない小舟に眠っていた男が流れ着いたことを語っています。シェアフの名は、その小舟の中で麦の穂の上に眠っていたことからつけられたと説明しています。
古英語叙事詩『ベーオウルフ』の中で(4-13行)シュルド・シェーヴィング(シェフ(=シェアフ)の息子)は同じ様なエピソードを持った英雄として登場します。おそらくシェアフという名こそ、元の名であったと思われます。
ウィリアムの名前の由来についての説明は、家系や『ベーオウルフ』のなかでもう一人の先祖としてベオウ、ベアウ(Beow, Beav=大麦の意)という名前が見られることから、中世の名前の解釈が付け加えられたものと単純に理解することもできます。事実、そのようにして、シェアフという名は「穀物の精」「豊饒神崇拝の穀物の霊」として理解できるという学者もおります。けれどもその証明をするには資料が不足しすぎています。むしろ、シェアフというのは農耕をもたらした「カルチャー・ヒーロー=文化を興した英雄的祖先」として理解する方が妥当と思われます。
[追記(17/May/2003)] シギンの名前の意味については主に二つの説があります。『アイスランド語語源辞典』(レイキャヴィーク、1989年)によれば「戦いの友」という意味と定義されています。Sigynの接尾辞 -yn は、*-vin (「友」を意味する;アイスランド語 'vinur (=friend)' と同語源)からの派生したものと解釈されました。一方、詩の『エッダ』校訂者でもあるジーモンスとゲーリングの註釈によれば、古北欧語 síga「漏る、滲出する」からの派生語であると解釈されております。現代ノルウェー語ではsigaは「外に漏れた液体」を意味するとしています。ジーモンスとゲーリングは、シギンをスウェーデン語方言にみられるsägen(「雨雲」)と同語源とみなしているようで、シギンの意味を「雨を多く含んだ雷雲」か(?)と記しています。
[追記(17/May/2003)] シグルドリーヴァの名前の意味について:「シグルドリーヴァ」が固有名詞ではなく、呼び名(ヘイティ)であることはすでにジーモンスによって主張され、正しい解釈と認められています。それについてはジーモンスとゲーリング自身により、さらに以下のように説明されています。「『エッダ』詩写本編纂者はこの言葉を誤って固有名詞だと理解してしまったが。この言葉はブリュンヒルドゥルの、ヴァルキュリアとしての性質を表している。とはいえ、ジーモンスの解釈である「勝利をまき散らすもの」という定義が正しいかどうかは疑わしい。ジーモンスは男性のケニングであるhringdrife、またbaugdrigrを参照せよと言っている。両者とも「黄金の輪をまき散らす者」という意味ではもちろんあるのだが、デッターとハインツェルがその校訂本の註釈で述べているように、勝利は「まき散らす」ことができるようなものではないであろう。もちろんデッターとハインツェルの解釈である「シグルドリーヴァ=戦場の嵐(この場合は吹雪か)、或いは戦場を疾駆する者」という説を受け入れるには慎重を期せねばならない。確かに女性名詞のsigは「戦い」の意味ではあるが、中性名詞のsigrは「戦い」ではなく「勝利」を意味する。一方、自動詞drifaは「向こうへ走り去る、勢いよく突進する」を意味するとも考えられ、その意見を正しいとするならば、この複合語全体の意味は「勝利を持って勢いよく進軍する者」ということになろう。」
比較的若いエッダ詩やスカルド詩に頻繁に言及されるにも拘わらず、彼女は特にはっきりとした役割を持ってはいないように見えます。もっともありえそうな解釈は、ソゥルが豊饒神としての重要性を増すにあたって、その補助者としての女神の地位 を求められ、シフが考え出されたというものです。彼女の名前の意味が、まずこの解釈を支えています。Sif とは、「婚姻による関係」以外のなにものも意味しないので、単なる「(ソゥルの)妻」という意味だったと思われます。
ニールセン(1976年)は、この考え方を支持せず、シフはもともとはニョルズルの妻だったのではないかと考え、ソゥルの妻となったのは、ヴァン神族との闘いの後のことだと言います。これはウッルル=フレイルというまったくもって推測にしか過ぎない仮説に基づいているだけで、つまりは非常にいい加減な節と言うことになります。
スノッリは我々が知る唯一の神話的逸話について語っていますが、これは「シフの髪」=「金」というケニングの説明をしているところになります。このケニングは現存するどのスカルド詩にも見られないのですが、「ビャルキの言葉」という詩の5節中に見られる「金」を表すケニングにシフの名が見られることから、このスノッリの言及するケニングも実在しただろうと考えられます。
スノッリの物語では(「詩語法」33章)次のように語られます:「フォイフェイルの息子ロキは、昔、まったくの悪意からシフの髪をすべて切り取ってしまった。ソゥルがことの次第を知ったとき、彼はロキを連れてきて、黒エルフに、黄金で出来た、自然の髪のように生えてくる髪の毛を作らせると誓わないと、ロキの全ての骨をこなごなにくだいてやるぞ、と言った」ロキはそこでドワーフのもとに行き、イヴァルドルの息子たちブロックルとシンドリは、シフの髪ばかりでなく、オゥジンの槍グングニル、スキーズブラズニルという船、フレイルの金のイノシシ「グッリンボルスティ」、指輪ドレイプニル、そしてソゥルのハンマー「ミョッルニル」を造った。
ウーランド(1836年)がほのめかしたように、シフの黄金の髪は、穀物畑の柔らかな波をイメージさせてきた神話です。つまり、穀物は毎年刈られますが、翌年にはまた成長してきますね。しかし、かのグリムでさえ、この解釈には懐疑的です。ある種の苔(学名polytrichum aurem)が古北欧語でhaddr Sifjar「シフの髪」と呼ばれたことも、この仮説の反証となっています。シフの黄金の髪との関連から、ヤン・ド=フリース(1970年)をはじめ、フォルケ・ストレム(1975年)なども、シフについての穀物礼賛崇拝があったように論じたいという意志を表してはいるのですが、以上のことを考えると、神々の所持品がどのようにして造られたかについての神話に、スノッリが単におとぎ話的な「黄金の髪」についての逸話を挿入しただけなのに、なんとかして意味あるものだと解釈したい学者が頭をひねって考え出したにすぎないものと思われます。以上のことから、シフ崇拝が本当に行われたと考える必然性はなにもないのです(以上ジメックの学説)。
シャーマンのイニシエーション儀式のもう一つの側面は、死、すなわち「異界」への旅とそこからの生還、すなわち蘇生することで、これはバルドル神話の中に受け継がれているかも知れません。もっともバルドルがよみがえらなかったことは、シャーマニズムの伝統からは逸脱しているのですが。
もっと重要なことは、オゥジンの宗教に拘わる多くの部分が、シャーマニズムの中で、シャーマンが恍惚状態となり、その中で治癒と予言にをするに至ることです。トランス状態にあるときに、痛みや炎の熱さなどを感じないことは、オゥジンの戦士たち(ベルセルクルやウルフヘズナル)の特徴の一つであります。さらにオゥジンの名前自体、また彼が「ワイルド・ハント」において果 たす役割も、意識の異常状態とオゥジンの密接な関係を物語っています。オゥジンは魔術の詳細な言及ともつながりをみせています。これは、ゲルマン人の宗教におけるシャーマニズムなレヴェルにまで時代をさかのぼることができるでしょう。ミーミルの首が語る神秘的真理をオゥジンは利用しています。また彼の座るフリズスキャゥルフも、シャーマンが幻視を観るために座った塔や台座の名残なのです。このようなものは、ゲルマン人の巫女たちも用いていて、セイズヒャッルルと呼ばれたのです。
ゲルマン人の宗教におけるシャーマニズムの源流は、歴史上様々な時代に様々な民族に現れた古代宗教にまで時代を遡ると思われます。そして、その古代宗教は、スカンジナヴィアの魔術「セイズル」の実践にもっとも明らかに受け継がれ、魔術の神であるオゥジンに密接に繋がりがあるように思われています。
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アイスランド人。学者及び政治家。アイスランドに於いて13世紀初頭最も権勢のあったストゥルルング一族の一人。13世紀末にかけて書かれた『ストゥルルンガ・サガ』により、彼の一生を知ることができます。1215年から1219年にかけてスノッリは「法の宣言者」を務めます。すなわち当時の最有力者の一人だったことがわかります。この任務を務めている期間に、彼はノルウェーを訪れます。(1220年頃)ノルウェー王ハーコンと交渉し、平和裡にアイスランドをノルウェーに併合することを計画していました。そのため彼は国内で多くの敵を作ることになります。そしてそれが失敗に終わると、ハーコンの寵を失うことにもなります。それでも、スノッリは1222年から1231年にかけて再び法の宣言者に選ばれます。そして1237年にノルウェーに二度目の旅に出掛けるのでした。彼の一生は1241年9月23日突然に終わりを迎えます。彼の義理の息子であるギスルに政治的な理由から殺されてしまうのです。
今日スノッリの名が覚えられているのは、彼の政治家としての側面ではなく、文人としての側面 のためです。彼は多くの著作を生み、『ヘイムスクリングラ』(ノルウェー王たちの事跡)、オーラフ王のサガ、そしておそらく『エギルのサガ』を書きました。けれども彼の最も有名な作品は『エッダ』です。スカルド詩人のための教本であり『スノッリのエッダ』として知られています。この書の「詩語法」や「韻律論」の部では、彼はスカルド詩のさまざまな規則について述べています。『ギルヴィの惑わし』では、学究的な態度で古北欧神話を描ききりました。それは大変キリスト教学問の影響を受けているのです。とはいえ、私たちにとって最も重要な北ゲルマン民族の神話の資料となっています。
詩のエッダの「スリームルの歌」は彼の名前をとって付けられている。その詩に依れば、ソールのハンマー、ミョルニッルはスリームルによって盗まれ、ソールはそれを取り返したという。この詩を除いて、スリームルの名前が古北欧の詩編の中に見出すことはない。スノッリや他のスカルド詩人たちも、スリームルに言及することはない。ただ、スールルの中で、巨人の一人として名前がでてくることはある。
スルトルの概念は疑いなく古いものです。というのも、すでに10世紀のスカルド詩人(エイヴィンドル、ハルフレズル)によって言及されているからです。エッダ詩にも同様に言及は見られます(『『巫女の予言』』47, 52, 53節;「ヴァフスルーズニルの言葉」18, 50, 51節;「ファフニールの言葉」14節)。また、アイスランド西部の火口スルツヘッリル(Surtshellir)の名前の中にもスルトルへの言及がありますが、この名前はすでに『植民の書』にも記録されているのです。
エッダ詩の中ではスルトルは特にラグナロクにおける神々の敵として現れます。スルトルとフレイルは共に戦い、フレイルは剣なしで戦わねばならないのですが、同士討ちという結果になります。
巨人たちは東に住むのに、スルトルは南に住んでいる、という記述(『巫女の予言』52節)は明らかに彼の火と熱とに関連づけられているが故の言説でしょう。ラグナロクに於いて全ての物を焼き尽くす世界の大火災(!)は、surta(r)logi 「スルトルの炎」と呼ばれているのです(「ヴァフスルーズニルの言葉」50, 51節)。
スノッリはムスペッルの息子たちと結びつけるばかりでなく、その息子たちを守護するムスペッル自身とみなしてもいます:「彼は燃える剣を持ち、終末に彼はやって来て、戦を起こし、全ての神々を征服し、炎によって世界全てを滅ぼすのである」(『ギルヴィの惑わし』4章)。スルトルが騎馬の先頭に立ってやって来る。彼の前方にも後方にも燃えさかる炎が取り巻いている。彼の剣は優れて、太陽よりも明るく輝いている」(『ギルヴィの惑わし』51章)。アイスランドではスルトルでは明らかに地の底の(火山の)炎を司ることのできる偉大な巨人と考えられていたようです。しかしながら、神々の敵としてのスルトルという考えが生まれたのはアイスランドではないでしょう。スカルド詩の中では巨人としてスルトルが言及され、「スルトルの岩屋(に隠された蜜酒)」を「詩」のケニングとして用いることもありました。
同義語や名前のリストを次世代に口承で伝えるためのもの。記憶を助けるために頭韻や脚韻、また事象の連想などを多分に用いています。『アルヴィースの言葉』や『リーグの歌』のようなエッダ詩もこのようなスールルが元になっていますし、『巫女の予言』や『グリームルの言葉』の中には同様の憶え歌の節が出てきますが、スノッリの『エッダ』の写本に残された同義語や名前のリストは、このスールルという語を狭い意味で使ったものです。
12世紀末のアイスランドで、スカールド詩への興味が増していく中で、スールルも生まれ、スカルド自身たちにとっても記憶を助けるものとして認められたものが、狭い意味のスールルです。スールルは詩語を広い範囲で含み、神々やドワーフ、巨人、ヴァルキュリア、海王たちの名前、また男や女、武器や戦い、海や船と言ったものの同義語に至ります。スールルは、もっと昔の詩の中に現れた名前からできているので、いまでは失われてしまい、他では再現不可能な古語や言葉の使い方の多くを今に伝えています。
もっと広い意味でのスールルとしては、エッダ詩の幾つかに名前が列挙されていることなどが含まれます。ですから、神話の知識を伝えるものとしてのスールルを考えると、スールルのはじまりは、儀式を執り行う者が、後継者の教育に使った儀礼的な文句なのではないかとも考えられます。
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各櫂ごとに多くの座席がある船。セッスルムニルはスールルの中で唯一言及されている船です。しかし、スノッリはセッスルムニルを、フレイヤの天の住まいフォゥルクヴァングルの中にある広間あるいは館の名前として用いています。(「ギルヴィの惑わし」24章)。二つの解釈のうちいずれかが、この名前「多くの/広い 座席の 空間/場」という意味から誤解したものと思われます。
古スカンディナヴィアの儀式に用いられたイノシシのこと。「ヒョルヴァルズルの息子ヘルギの歌」4節と『ヘルヴァルのサガ』十章には、ユールの夜に、このイノシシの背中に刃物を入れることが記されています。生贄を殺す間、誓いが誓われ、「ソーナルゴェルトル」がそのとき「ソーナルブロート(宥めの生贄)」の儀式に、良い収穫を保証するために屠られる。「イングリンガ・サガ」の中では(18章)ソーナルブロートは神託と捉えられている。
以前は「ソーナルゴェトル」は「宥めのイノシシ、宥めの生贄」の意味で解釈されていたが、ズィーフェルス(Sievers)は「群を率いるイノシシ、イノシシのボス」の意味に過ぎないことを提唱し、現在ではこの説が一般的に認められている。一方、ソーナルブロート(すなわち生贄のイノシシ)はもともと、疑いなく、豊饒神フレイルに捧げられた。というのもフレイルの飼う動物がイノシシ、グッリンボルスティ、だったからである。
ソゥル (ソール、またはトールとも。以下「ソール」とします。南のゲルマン語ではDonar。)ゲルマンの雷神。アース神族の最強の神とされ、巨人退治の神とされます。
1. 文献中のソール。
(a) 古北欧語文献を通じて、ソールはオージンの息子とされる(『詩語法』4;「スリームルの歌」21、32節。「ヒーミルの歌」2、35節;その他スカルド詩には頻繁に見られる)。また、同様の意味として、バルドルの兄弟(兄?)とも呼ばれる(フヴィーンのショーゾールヴル「ホィストロング」16節)。『詩語法』において、スノッリはソールの近親者について次のように述べている。ソールは女巨人のヨルズ(「大地」)の息子(「ロキの口論」58節;「スリームルの歌」1節)。ヨルズはまた「フロージン」「フョルギン」とも呼ばれる(『巫女の予言』56節)。ソールが大地母神である「大地」の人格神の息子であるということは、疑いなく古い伝承に基づくと思われる。
ソールの子どもたちは、彼の力の人格化である。息子たちはモージ(「怒り」、マグニ(「強さ」)(「ヒーミルの歌」34節;「ハルバルズルの歌」53節)。また彼の娘はスルーズル(「力強さ」)である。
ソールの妻は女神シフである。また彼はウッルルの義父であるとも呼ばれる。スノッリによるこのような知識は、スカルド詩に用いられるケニングよっても裏付けられる。しかしながら、ソールのことを「ヴィングニル」とか「フローラの養い子」と呼ぶのはスノッリだけであり、これがスノッリのオリジナルな創作であることもありうる。。恐らくはソールの別名「ヴィングソール」や「フロールリジ」から創られたのではないだろうか。
ソールが巨人の国に旅をする時の同行者は、大概ロキである。「ヒーミルの歌」では、しかし、同行者はティールである。彼の召使いは農夫の子供シャルヴィとロスクヴァである。二人はソールの山羊の足を傷つけた罰としてソールに仕えているのである(「ギルヴィの惑わし」43章;「ヒーミルの歌」38節)。
(b) ソールの住まいはスルーズヘイムル、またはスルーズヴァングルと呼ばれる(「グリームニルの歌」4節;「ギルヴィの惑わし」20章;「詩語法」17章)。そのどちらもソールの力強さを表す名前を持っている。彼の館はビルスキールニルという(グリームニルの歌」24節;「ギルヴィの惑わし」20章;「詩語法」4節)。彼は二頭の山羊タングリースニルとタングニョーストゥルに引かせる車を持っている(「ヒーミルの歌」;「ギルヴィの惑わし」43章)。それで彼は「山羊たちの主人」と呼ばれるのである(「ヒーミルの歌」20、31節)また「車の神」とも呼ばれる(「詩語法」1章)。ソールは力を与えてくれるベルトと鉄でできている小手、そして女巨人のグリーズルがくれた杖グリーザルヴォールルがある。このような持ち物はソールの力強さは魔法のような力によって備わっているという民間伝承に基づくものである。
しかしながら、ソールの最大の持ち物はハンマー「ミョルニル」である。これは巨人と闘う時は恐ろしい武器となる一方で、異教時代の最後の数十年ではゲルマン人の異教を現すシンボルともなるとともに、新しくキリスト教に改宗したばかりの異教徒たちのシンボルともなった。この仮説を裏付ける考古学的資料として、ソールのハンマーと十字架の両方の形を隣り合わせに持つ一つの鋳型がある。同じ鋳型から両方の形をしたお守りを造ることができるのである。
以下続きますが、とりあえずこちらへどうぞ