☆桃兎の小説コーナー☆
(08.12.22更新)

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 ドラゴンマウンテン 第二部

  第二話  ここは死都アランカンクルス  

    1 ココは 死都アランカンクルス



 それは古い古い記憶だった。

 この二百年の間、思い出さなかった日など無い、滅びの記憶。
 石造りの家々と、鋼の山脈。家々の奥には石造りの神殿があった。
 だがその場所は、重く歪んだ空気に支配されていた。
 いや、その都市全体が重い<魔>の空気に支配されていたのだ。 
「私達はもう助かりません。でも、悲しい顔をなさらないで下さい。私達は貴方様にお仕
えすることが出来て、本当に幸せだったのです」
 都市の主である彼の目の前で震えているのは、皮膚を腐らせ、なす術もなく横たわった
人間だった。
「貴方様は私達民が居なくなっても、きっとここを護り続ける筈です。彼の人との約束、
どうか、果たして……」
 人間は苦しんでいた筈だった。
 だが、笑顔だった。
 まるでとても嬉しい事があった後のような笑みを浮かべて、人間は息を引き取ったのだ
った。

 無力だった。
 どんな魔物と戦えるだけの力があっても、病にはどうする事もできなかったのだ。

 病を振り撒いた憎い<魔>の生物。
 強大な力を持ったそれは、門を強引にこじ開け、都と門そのものを壊すべくこの都市に
に降り立った。都市の主である彼は持てる力の全てで<魔>の生き物に立ち向かった。だ
が、その<魔>の生物はいつも追い払うそれとは桁違いの力を持っていた。結果、壮絶な
戦いが繰り広げられ、双方無事ではすまなかった。彼は深く傷つき、<魔>の生物は門の
向こう側へと追い返された。
 彼は自分の持てる力の限界を持って、自分の都市を守り抜いたのだ。
 だが、<魔>の生物はただ引き下がった訳ではなかった。
 <魔>の生物が去り際に撒いて行った忌むべき厄災。
 それは、もう一つの護るべきもの、民の命を容赦なく奪っていったのだった。

 それはたった二日の間の惨事だった。
 民は次々に倒れ、大人子供の区別無く死んでいった。
 深く傷ついた彼には都市に広がる病をどうにかする力もなく、またそれを防ぐ手段も持
ってはいなかった。
 彼が幾つか知っている魔法も、敵に打ち勝つための魔法であって、民を救う力とはなら
なかった。

 なにも、出来る事がなかったのだ。出来なかったのだ。

「我の力は、一体何の為にあるのか。門を守り、民を護る為ではなかったのか? 誰一人
民を救えなんだ我を、何故皆、……幸せそうに、……笑って死んでいくのだ!」
 
 鋭い叫び声が住人の居なくなった都市に大きく響いた。
 それは悲しみだった。
 それは怒りだった。
 それは寂しさだった。
 だが、慟哭をかき消すように、新たな<魔>の生き物が強引に形の無い門の隙間から滑
り込み、この世界を目指し現れる。

 門がある限り、そこからは幾度も魔物が沸いてくるだろう。
 強力な<魔>の生き物はよほどでない限り門を抜ける事はできない。その為に作られた
門なのだ。だが、力の弱い魔物はその小ささ故に隙間を通り抜けてしまうのだ。
 門は決して開く事はない。異世界へと繋がる穴は硬く閉ざされているのだ。しかし、ど
れほど強固に鍵をかけたとしても、どうしても塞ぎきれない隙間が出来てしまう。そんな
わずかな隙間から奴らはやってくるのだ。

 魔界という異世界が存在し、<魔>が地上を狙う限り。
 この世界が、存在する限り。

 彼は再び立ち上がった。
 奴らを地上にのさばらせるわけにはいかない。この都市をこれ以上穢されてはならない。

 自らが果たすべき約束は、守るべきものはまだこの手にある。
 ならば。


「……ならば我は生きよう。残されたもう一つの約束を護る為に。この都市を、……いや、
この『死都』を護り続ける為に!」


 黒き体を震わせ、たった一人になってしまった竜は闇夜に吼えた。

 それから、彼はずっと一人でこの死都を護り続けた。
 日々繰り返される戦いの中、寂しさも忘れ、悲しみも忘れ、長い孤独な時間だけが彼に
残った。
 もうあれから何年たっただろうか。
 ふと思い出し、彼は思いを巡らせる。ざっと計算してもう二百年になるか。 

「……」
 ただただ繰り返される<魔>の生き物との孤独な戦い。
 誰の手も借りる気はなく、死都の主であるというその誇りだけが彼を動かしていた。

 長い夜が開け、暁光が死都に降る。
 廃墟と化した町を見下ろし、彼は血塗れた姿で後ろを振り返った。
 彼が立つのは死都の最も最奥にある聖域、冥哭(めいこく)の神殿。高台になっている
そこからは、死都の全景が見渡せた。
 手前に見えるのは石造りの家々だった墓標のごとき白い石の列。その奥にあるのは、か
つては空中庭園と謳われた広大な枯れ草の絨毯。
 その草の色が綺麗な若草色に変わっている事に気付き、彼はわずかに表情を緩めた。
「春が……きたのか」
 日差しを反射する鮮やかなその色に、心が僅かに揺れる。
 そして古い古い記憶が、忘れていた感情が、深い場所からじわりと蘇がえろうとする。
「……」
 忘れていた感情を思い出そうとしたその時、背後から滲む<魔>の気配を感じて彼は鋭
い金色の半眼を神殿へと向けた。
「……またか。このところやけに多いな。一体あいつらは何をしているのだ? ……ふん、
どうでもいいか。我に出来るのは、するべき事はここを護る事だ。絶対に神殿の外には出
さぬ。この死都に…………――触れさせてなるものか!」
 竜は怒りをあらわにし、神殿の奥へと向かう。


 ここは死都、アランカンクルス。

 歴史に忘れられた、竜の都。
 濃い<魔>の魔力に覆われた、孤独な竜の住む都。

 遅い春を告げる風が死都をよぎる。
 誇り高い孤独な主を想う様に、芽吹いた芝が風に揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     1 

 魔界。
  通常の世界、所謂地上とは異なる<魔>の生き物達の世界、それが魔界だ。
 強固な結界によって地上と隔てられたその世界に太陽は無く、無数の星達と淡く光る月
明かりだけが暗い大地を照らしていた。
 魔界は地上とは似て非なる世界だった。
 常に夜のその世界に存在する魔力は、八割方が<魔>の魔力だ。
 故に<魔>の加護を受ける魔物には住みやすく、人や他の属性の魔物のほとんどはこの
世界に順応する事ができない。魔界はまさしく、<魔>に満ちた世界なのだ。

 そんな魔界の西の外れに、豪奢な屋敷が存在していた。
 たった一人の魔物と、その下僕達が暮らす黒い屋敷。屋敷を囲む周囲の森からは魔物の
悲鳴とも雄たけびともつかぬ声が響いてくる。
 そんな広大な屋敷の庭の片隅に、屋敷の主がいた。
 黒いマントに身を包み、大きな揺れる椅子にちょこんと腰掛けて気だるげに頬杖をつい
ている。
 幼い少女だった。
 夜風に靡くさらさらとした水色の髪に、金色の瞳。人形のような愛らしい顔立ちも合わ
さって、その存在感は自然と周りの目を引くだけの力があった。
 だが、その少女の周りにいるのはただ目を伏せ従う異形の下僕達ばかりだ。
「――レオノーレ」
 庭の真ん中で赤い魔方陣が展開し、その中心から滑り落ちるように青白い塊がするりと
現れる。
「……、あら、クラウルじゃない。……怪我の方は良くって?」
 レオノーレと呼ばれた少女は、にこりと笑って突然の客人を迎えた。
「久しぶりに派手にやられたからね。時間がかかったよ」
 額から二本の角を生やした紫の瞳の男は、白い髪をかきあげると、すっと微笑み笑顔を
返した。美しい顔を持つ男だった。だが、見事なまでに整った顔立ちは、かえって違和感
があるほどだ。
「ふふふ。クラウルが戦っている様子、私、ずっと見ていたのよ。やっぱりあの二人面白
い……。呪いと結界さえ無ければ、あの世界でもっともっと遊べるのにね」
 少女は笑みを浮かべたまま、夜空を見上げた。
 濃い絵の具を溶かし込んだような夜空には、真円に近づく月が大きく輝いていた。魔界
で見る月は地上のそれの何倍も大きく見える。その分、<魔>の魔力が多く降り注ぎ、そ
の魔力は魔界全体をを覆っているのだ。
「そうそう。呪いといえば。貴方、呪いを掛け損なったみたいね? 人間のお嬢さんでは
無く、半人の方にかけちゃうなんて」
 どこか挑発するような少女の笑みを受け流し、男は涼しげに笑う。
「君はそう思うかい? いや、それは違う。あれでも十分なんだよ。きっとあの二人の心
は離れていく。焦り。不安。悲しみ。人間はそういった感情に弱い。人は難儀な生き物だ。
独りでは立ち上がる事すらできないのさ。あれは種だ。いずれ芽吹き、大きな木となる。
それからでもいいじゃないか。私達の時間は無限の様に長い」
 男も月を見上げると、紫色の瞳をすっと細める。
 男にとってあの戦いはほんのおまけに過ぎないものだった。だが、そのおまけは男の興
味をひいていた。興味を持っていたのはレオノーレも一緒だった。だが、その興味の持ち
方は少しクラウルとは違う方向を向いていた。
「……私は楽しければそれで。貴方達悪魔の様に、地上の覇権なんて、興味が無いもの」
 少女は頬杖をついたまま、すっと表情を無くす。
「ははははは。レオノーレ。私は君のそういう所が好きさ。大丈夫だよ。地上は乱れてき
ている。戦渦は拡大し、その乱れに比例して結界に揺らぎができる。馬鹿な人間達は、過
去を学ばず、また繰り返すのさ」
 悪魔は口の端を歪め、整った顔を崩してニヤリと笑う。
「どうかしらね。……竜がそろそろ動き出すのではなくて?」
 竜という単語を聞いて、悪魔がピクリと眉を動かす。
 笑いを浮かべていたその顔にもう笑顔は無い。
「……竜か。忌々しい。だが、もう手は打ってある。……上手くいけば、『門』が私達の
手に入るかもしれないんだ。どうだ、素敵だろう?」
「門? ……あの門がどうにもならないから、遠まわしなやり方で世界全体の結界を歪め
ようとしているのに? 手に入るですって?」
「竜は人と生きる道を選んだ魔物だ。だが、長く人と居すぎた故に魔物である事を忘れた
に等しい。長く人と居れば自然とそれに近くなるものだ。――特に、心がね」
 再び笑みを浮かべる悪魔に、少女は眉を寄せ笑った。
「……卑劣ねぇ。流石は悪魔、といった所かしら?」
「ありがとう。その言葉は私へのご褒美だよ」
 悪魔は大きく笑うと、赤い魔方陣を展開させる。
「あら、もう帰るの?」
「こっちは地上を揺らすのに手一杯なんだよ。君のようにただ道楽で人を壊せばいい訳じ
ゃないんだ。……まぁ、また気が向いたらまた少し協力してくれれば良い。……ね、『壊
れたお嬢さん』?」
「……なんですって?」
 奥歯をぎりりとならし立ち上がる少女から逃れるように、悪魔はするりと魔方陣に吸い
込まれる。
 広い庭の片隅で少女は立ち尽くし、宙を睨んだ。
「壊れた? ……なによ、貴方達悪魔が私の世界を壊したくせに、ねぇ?」
 怒りを帯びた表情が次第に緩み、変化していく。
 ふふふ、と少女は楽しそうに笑いチラリと白い牙を覗かせる。
「……あぁ、いいなぁ。楽しそう。私もまた遊びたい。マリン、マリンお姉ちゃん、私、
貴方が欲しいな。一緒に壊れた世界で遊びたい。……遊びたい!」
 少女は目を見開き大声で笑った。
 その姿に愛らしい美少女の面影は無く、狂気に身を沈めた、ただの吸血鬼の姿でしかな
かった。

 
     2

 緑の国、グランディオーソ。
 その国の北に聳える霊峰、ドラゴンマウンテンにはカヒュラという巨大な銀竜が住んで
いた。竜の四天王と謳われ、先の大戦より四百年もの間人々の記憶に残る偉大な竜は、ド
ラゴンマウンテンの上部に存在する洞窟を住処としていた。
 山の表側から裏側まで貫通する形のその洞窟は、巨大な竜が住むに相応しい規模の洞窟
だった。
 世界を憂う銀竜は、彼の元を訪れた二人のレンジャーにある提案を持ちかけた。

 二人の悩みに手を貸す代わりに、竜の使いとなってあるものを受け取り、別の竜にそれ
を届けて欲しい。

 彼らレンジャーは、冒険者などに山を案内する役目が主な仕事となっていたが、本来の
役目は山と竜を守る事だとされている。それ故、二人は迷い無く竜の提案を引き受けた。

 そして。
 
 今二人はカヒュラの洞窟から転移の魔法で飛ばされて、灰色の世界のど真ん中に居た。
 切り立った鋼の岩のみで構成されるそこは、『連なる山々』と呼ばれる人の踏み入る事
の出来ない未知の山だった。
 足元にあるのは転移の魔法の座標となる小さなモノリス(石版)。そこから一本、真っ
直ぐ平らな道が伸びていた。だが、その左右は切り立った岩の壁があるだけで、本当にそ
れ以外何もない場所だった。
 真上に見える空の青と灰色の岩だけが世界を構成する色となっていた。
「結構な規模の転移魔法だったね。えぇっと、この細い道を真っ直ぐ行けば良いんだった
っけ?」
 カヒュラの従者のエルガから貰った古い地図を見ながら、少女は周りを見渡した。
 頭を動かす度に頭の上で結い上げられた黒髪が左右に揺れ、ぱっちりと開いた茶色の瞳
がきょろきょろと動く。健康的で明るい雰囲気の少女は、切り立った岩だらけの無機質な
まわりの風景とは真反対の生き生きとした存在感をはなっていた。
 薄いピンク色の革の服に身を包み、その襟元にはレンジャーの証である金色のバッジが
光っている。厳しい山を行き来するレンジャーにしては、一見細くて頼りなく見えるかも
しれない。だが、彼女の足は険しい山を行き来できるだけの脚力を持っていたし、山の魔
物にも負けない体術だって身につけていたりする。まだまだ未熟なところはあるものの、
この少女はレンジャー暦三年目の立派なレンジャーなのであった。
『まぁ、道といっても、周りは鋼の岩があるだけで一本道だからな、迷う事も無いだろう』
 少女の直ぐ後ろで答えたのは、後ろ足で立ち上がれば少女と同じ位の背丈になるであろ
うの程の、大きな狼だった。
 銀色の毛並を持ち、鋭く光る紺色の眼差しが印象的な見事な体躯の狼は、前を往く少女
とは逆にその色故に周りの風景に溶け込んでしまいそうだ。
 常に少女を見守る立ち位置に居るその狼は、実は少女の先輩で恋人でもあるベテランの
レンジャーだ。悪魔の呪いを受け、人の姿から狼に変えられてしまい、今は狼の姿になっ
ているのだった。
 そんな狼の声を聞いて、少女は振り返りにこりと笑う。
「うん、一本道なら安心だよね。こんな何もない所で迷いたくないもん。大体、人間が本
来立ち入れない場所だよ? ……それにしても、圧迫感あるなぁ」
 道の左右を見上げて、少女は首を振る。
 決して登れそうも無い、軽く五メートルはある岩の壁が左右にそそり立っている。
 圧迫感だけではない。
 見えない圧力の様なものが、妙に心を不安にさせるのだ。
「……、ね、ガント、なんか変な感じなの。これが<魔>の魔力の……圧力?」
『あぁ、おそらくな』
 これから二人が向かう先は死都アランカンクルス。
 今は滅び、歴史に埋もれてしまったその都市は、何かしらの原因で強い<魔>の魔力に
覆われてしまっていると聞いた。
『マリン、大丈夫か?』
 不安げに眉を寄せる少女を気遣い、狼は顔を上げる。
「うん。まだ平気。私は平気だけど、精霊のテンションが高いかも」
 マリンは自分の背後にいる五匹の精霊の動きがせわしないのを感じていた。
 体術に優れ、その拳を武器とするマリンだったが、本来は魔法使いなのだ。魔法使いは
その魔法の発動源となる精霊の気配を他の人間より敏感に感じ取る事が出来る。そんなマ
リンの背後に居る精霊のうち一匹が、耳元で小さく話し出した。
「魔力が多ければ精霊が活発になる。どんな属性を帯びた魔力だろうが、精霊にとっては
味の違う馳走のような物だからな」
 声の主は<風>の精霊だった。
 この精霊はかなり上位の精霊で、魔力の無いマリンにも聞こえる声で話してくれる博識
な精霊だった。エーレと名づけられたこの精霊はマリンが気にいったらしく、こうやって
時々話かけてくれるのだった。
「ご馳走かぁ。ご馳走が周りに浮いてるなんて、いいなぁ」
 ほにゃりと表情を緩めて、マリンは笑顔になる。
『食い放題だな』
「だよね! <魔>の魔力って何味かなぁ、イメージ的になんだか不健康そうな味わいが
しそう。それか、危険なくらい美味しいイメージ!」
 狼と笑顔で会話しながら、マリンはにこやかに足をすすめる。
 周りは圧迫感のある殺風景な景色だが、仲間が居れば寂しくは無いものだ。会話も弾め
ば楽しくもある。
「まぁ、あまり魔力が強すぎればこいつのように酔ってしまう訳だが」
 エーレはへろへろと動き回る精霊を風で拘束しているらしく、やれやれとため息をつい
た。
「早速酔ってるのは……、<水>のラニャかな」
 弱い精霊程魔力の許容量が少ない。許容量を越える魔力を与えられると、弱い精霊は魔
力酔いしてしまうのだ。それを考えてマリンは一番酔いそうな精霊を思い出してふふっと
笑う。ラニャはカヒュラの洞窟で見つけた<水>精霊で、まだ幼いらしく何処か無邪気な
精霊だ。エーレ曰く、南方に居る熱帯魚の様な姿をしているのだとか。
「当たりだ。こいつは幼い精霊だからな。何の為についてきたのだか。これでは役立たず
だな」
 精霊としての誇りを持つエーレは、人間について行くからには役に立つべきだと思って
いるらしく、ついて来たもののぐでぐでになったラニャに若干怒っているようだった。
「あはは、そんなに酔ってるんだ、ラニャ」
 もしマリンに精霊を見るための魔眼があったなら、顔を真っ赤にしてくらんくらんと体
を揺らすラニャが見えたかもしれない。
 だがマリンには自前の魔力が一切無い為に、その光景が見えないのだった。
 魔力がないのは魔法使いとして致命的だが、マリンはそのハンデなど物ともしない。魔
法が好きだからの一念で難易度の高い魔法すら理解する、魔法使いとしては優秀な部類に
入る程の腕を持っていた。そして、真っ直ぐな性格は精霊に好かれていて、またマリンも
魔力を持たない自分について来てくれる精霊を大事に思っていた。
「まぁ、そう言わずに保護してあげててエーレ。誰かについていって外に行きたかったん
だよ。ラニャは。ね?」
 マリンの声に答える様に、湿気た空気がマリンの頬に触れる。おそらくマリンの問いに
イエスと言ってじゃれているのだろう。
「……随分と優しい魔法使いだな。普通の魔法使いは弱い精霊など見向きもしないものだ
がな。まぁ、かまわん。こいつの面倒は見ておこう」
「お願いねエーレ、頼むよ。そうだ、他の皆は大丈夫?」
 マリンの問いかけに三匹の精霊が同時に気配を強める。メリハリのある動きからおそら
くは大丈夫だと言っているのだろう。
『そういえば、話す精霊は初めて見るな。いや、精霊自体あまり縁の無い存在だが』
 ガントが不思議そうに声の聞こえる方向へ顔を向ける。魔法使いでないガントには精霊
は見えもしないし、ハッキリと存在を感じる事もない。何も無い空中から声が聞こえるの
は若干慣れないものがある。
「こんなに話してくれる精霊って、私も初めてなんだよ。話す精霊といえば……、そうだ
なぁ、師匠の連れてたアウルがおしゃべりだったなぁ」
 マリンは魔法の師匠であるアークを思い出し、うんうんと頷く。
 アークの所持している精霊の中でも一番自己主張のつよいのが彼女だった。
 常にアークの肩に乗っかりそこを定位置としていたアウルは、何が気に食わないのかア
ークと手を繋ぎ旅をするマリンに何かとちょっかいを出してくるのだった。そんなアウル
がマリンは少し苦手で、アークも困り顔だったのが思い出された。
(……あれ、肩に乗っかって……って、私精霊見えないのに)
 不意に思い出した記憶は妙に鮮明で、彼女の姿をしっかりと思い描く事が出来た。
 師匠と旅をしていた時のマリンは、魔法使いとしてはまだ未熟だったので、魔法はおろ
か、魔眼すら使えなかった筈なのに。
 いや、そもそも魔力がないから見える筈も無いのだ。
『師匠、アークか』
「あ、うん。そう!」
 ガントの問いかけに、慌ててマリンは返事を返した。
 カヒュラから聞かされて知ったのだが、どうやらアークは世界を維持する為に旅をして
いるらしかった。そんな大それたことをしてるなどと思いもしなかったマリンは、正直驚
いていた。そう言えばレンジャー仲間のメディもアークを大魔導師と言って尊敬の眼差し
を向けていた。一年だけとはいえ、一緒に旅していた筈なのに、その辺の事はすっかり記
憶から抜け落ちてしまっている。
 今まで思い出すこともあまりなかったので気にはならなかったのだが、一度思い出すと
どうも気になって仕方が無い。
「あーあ、師匠、今頃何処に居るんだろ。……一杯聞きたいことあるのになぁ」
 思いをめぐらせながらマリンは細い道を足早に進む。
 が、五分ほど進んだところでマリンはぴたりと足を止めた。
『……マリン?』
「熱い、の、何?」
 じわりと汗ばみ、マリンはその場にしゃがみ込む。
 魔力の圧力と共に、体の奥から沸いてくる熱い感覚。
 ガントの魔力を受けとった時と似たその感覚に、マリンの鼓動がわずかに早くなる。
「魔力が強くなってきたから、その影響が出たのだろう。<魔>は精神に働きかける属性
だからな」
『精神に……?』
 魔法の事が良く解らないガントは、エーレの言う事が理解できず首を傾げる。
「<魔>は人の心の闇の部分を示すものだ。それは鬱な気分だったり、憎しみや絶望。そ
ういった負の部分を引き出す。そのなかには所謂色欲もある。マリンが<魔>の魔力に対
して抱く一番強いイメージがそれなんだろう、よって体が熱い、と」
『……つまりなんだ、俺の魔力をずっと受けてたから……』
「マリンにとって一番近い<魔>の感覚がお前な訳だ。お前の魔力を受け取る感覚、つま
りお前を一番近くに感じる感覚とそれが繋がって、こうなっているのだろうな」
 淡々と解説するエーレの言葉に、マリンは顔を真っ赤にしてふるふると首を振る。
「ええええええ、やだああああ!! そ、そういうわけじゃ!」
『……』
 マリンは慌てて立ち上がると、ギクシャクと前へ足を進めた。
「まぁ、鬱になられるよりはよっぽどましだな。普通の人間ならば、そうだな。無様な事
になるぞ。心に悩みを持つものはそれに引きずられ、鬱が激しくなり自ら命を絶つ事だっ
てあるだろう。だがまだ普通に歩けているではないか。流石は耐性があるだけの事はある
な」 
『……そう、だな』
 ガントは目を伏せながらマリンの後を追いかける。狼でなく人の姿だったら、おそらく
赤面していたに違いない。
 ガントは狼の姿をしてはいるが心は人間のままだ。そして、マリンを愛する気持ちも変
わってはいないのだ。
「それにしても、この感覚。ガントから魔力を貰ってる時と似てるんだけど、……使えな
いんだろうなぁ、魔法は」
 魔力の受け皿のないマリンは、漂う魔力を受け取る事も出来ない。
 試しに簡単な<火>の魔法を発動させてみるが、うんともすんとも言わない。
 契約の指輪のようなアイテムの補助がないので、これだけ魔力が周りに溢れていても、
マリンには全くの無意味なのだった。マリンに触れる魔力は無常にも体を通りすぎるだけ
だ。
「紫竜の爪も回復するわけじゃないし……」
 ホムンクルスのシステムを応用してマリンが自ら作った紫竜の爪。<魔>の魔力を蓄積
する性質を持つアイテムだが、アイテム作成時に月から得た魔力を吸収するという前提で
構成した為に、昨晩補充した魔力以上は回復できてないようだった。
「魔法……ぐすん」
「ほら、気を強く持て。この濃度だ。いくら耐性があっても、<魔>に呑まれるぞ」
「そ、そうだよね」
 エーレに諭され、マリンは改めて背筋を伸ばす。
 体の芯は熱いままだったが、意識を負の方向に持っていかなければなんという事も無い。
 マリンは前向きな少女だ。だからいつものように前を向いて普通に歩き出す。
「お前も気をつけろよ。……と、お前は半分<魔>の眷属だったか」
 姿無きエーレの言葉に、狼はピクリを耳を立てる。
『そうだ。……俺の半分は……魔物だからな』
 ガントは人とワーウルフの間に生まれた、半獣人だった。
 父であるワーウルフは、月の魔力で変身するタイプの獣人だったらしく、そのお陰でガ
ントも変身しない限りは見た目は人間そのものだ。
 だが、体に流れる血の半分は確実に魔物の物だ。
 姿を狼にされて以来、その事はよくガントの心にちらつくようになっていた。
 それは本人が思うよりも、大きな影となっているのだった。
 だが、今はその魔物としての力がプラスに働いて、<魔>の魔力の負の影響を何一つ受
けずにすんでいた。それどころか調子が良いと感じる程に体は軽い。
『気分は、悪くは無いな』
 悪魔に斬られ無くなった右腕の変わりに、深紅の手甲が岩の道を掴む。
 カヒュラから受けたドラゴンガントレットを腕の変わりに使用する事は、精神的に疲れ
るものだった。だが、今はその疲れを感じる事も無く、特別意識しなくてもそれが手とし
て機能している。
「……気をつけるがいい」
 エーレは一言ガントに言葉を残すと、すっと気配を消していく。
『消えた、のか?』
 エーレのその言葉を心で反芻しながら、ガントはマリンに問いかける。
「精霊は声だして話すだけで相当しんどいらしいから、休んでるんじゃないかな。それに
してもエーレは結構喋ってくれて嬉しいなぁ。精霊との意思の疎通は話さなくても何とな
くで出来るけど、話せるっていいよね。やっぱり仲間にして良かった!」
 マリンは満面の笑みでガントに振り返る。
『そうか。よかったな』
 喜ぶマリンを見ると、ガントも明るい気分になる。
 その笑顔は何よりもガントを安心させるものだった。
 不便極まりない呪われた狼の体も、この笑顔を守り抜いた結果のものだと考えればこそ
耐える事が出来る。
 それ程にガントはマリンの事を強く思っているのだった。
「さ、いそご。カヒュラは敵が出ないって言ってたけど、なんせ未知の山だし」
『そうだな。こんな細い道でイエティにでも会おうものならひとたまりもないからな』
 肌に伝わる程に徐々に濃くなる<魔>の魔力を感じながらも二人は足を速め、延々と続
く岩の道を進んで行くのだった。

 岩壁の道をしばらく進むと、道は岩壁に突き当たり行き止まりになっていた。
 目の前を塞ぐ岩壁には、大きく竜の文様と魔法文字が記されていた。
「ココの奥が死都なんだね。魔法で入る入り口がここ、と」
 早速マリンは壁の文様と文字の解読に移る。あまり難易度が高くなかったのか、あっと
いう間にマリンは解読を終え、だがその表情がひくついている事に気がつき、ガントは眉
を寄せる。
『……どうした? 魔力でも足りないのか?』
 マリンから爪の魔力が十分でないという話を聞いていたので、ガントはそこを案じてい
た。そうなるとマリンは宝物というべき魔石を使って魔法を唱えるしか方法が無くなるの
だ。魔石は宝石と同意義でもちろん高価だ。それ以上にマリンは魔石が大好きで、よほど
でない限り使いたがらないのだ。
 だが、ガントの予想は外れていた。
 マリンはふるふると首を振ると、困惑した表情でうなだれた。
「どうしよう、この魔法、<魔>の精霊で発動させる呪文みたい。……<魔>の精霊なん
て所持した事ないよ。っていうかこの国じゃご法度だし!」
 <魔>の魔法は術者を負の方向に導くだけでなく、性質上たちが悪い為、ご法度として
それを禁じている国がほとんどだ。<魔>の魔法を使いこなすには、よほどの耐性を持っ
ているか、術者が<魔>の生物であるか、もしくはよほど精神力が強い者でないといけな
いと言われている。生半可な気持ちで使えば、<魔>に心が食われ、魔物の様になってし
まうというわけだ。
『入れない、という事か?』
「えええ、どうしよう!! カヒュラ、大丈夫だって言ってたよね!?」
『確かに「お前なら問題なく入れる筈だ」と言ってはいたな』
「ちょ、ええええええ!?」
 必死に文様を読み返しても唱える呪文しか記されておらず、どうしたらいいものかとマ
リンはうろたえる。
「えぇと、他に何か……!」
 岩壁の文字に触れて、マリンは何かヒントが無いか必死で探す。文字を指で伝い、竜の
文様に触れたとき、ブゥンと何かが揺らいだ。それは魔法の発動と良く似た魔力の振動だ
った。
「え、何もして無いのに、魔法が発動!?」
『マリン、左手だ!』
 ガントに言われてマリンは左手を見てみる。すると左手の甲にある竜の紋章が、淡く光
っているのが手袋越しに見えた。
「あ、カヒュラから貰った紋章……、これが鍵って事?」
『そういう事だろうな。なるほど、お前なら問題ないとはそういう事か』
「んもう、カヒュラは謎かけのつもりだったんだろうけど、意地悪だなぁ。焦っちゃった
よ」
 左手の手袋を外し、そっと竜の文様に重ねる。すると壁が部分的に半透明になり、僅か
に壁の向こう側が透けて現れた。手を奥に突き出すと岩の中をすり抜けるように向こう側
に沈みこんでいった。竜の紋章の効果でフリーパスという事なのか。ともかく、これで死
都へ入る事が出来るはずだ。
「……この先が、死都」
『マリン、気をつけろ……何があるかわからん』
「うん、了解」
 マリンは慎重に一歩を踏み出すと、ガントと共に岩の中へと潜っていった。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 

 

 

 

 

 

 

 





 

 





















     3

 壁の向こうは予想したよりも広大な空間だった。
 先ほどの道と同じく周囲は高い岩壁で囲まれている。だが、その広さはチークの町より
も広いのではないかと感じる程の奥行きを持っていた。
 そして、目の前に広がるのは瑞々しく太陽の光を弾く若草の絨毯だった。その所々には
白い岩で出来た柱や崩壊しかけた机のようなものが点在している事から、元は庭園か何か
だったのだろうと予想が出来る。
 だが、その穏やかな景色と相反して、空気は極端に重いものだった。漂う<魔>の魔力
は道中の何倍の濃度にも達していて、マリンの背後に居る精霊達はその濃度に警戒してぴ
たりと動きを止める。魔力に耐性のあるマリンもあまりの濃さにグラリとよろめいた。
「ガント、凄い魔力濃い……! ここが、死都?」
 気のせいか、空気もよどんでいる様に感じる。岩壁の向こうから風が吹き下りてきてい
るが、それも<魔>に跳ね返されるように弱い風だった。
『マリン、歩けるか?』
「ん、うん、なんとか。でも、くらくらする」
 まるで酒に酔っているかのように、体中が熱くふらついている。
 だが、そうも言ってられない。これから死都の奥に居るであろう都の主に会いに行かね
ばならないのだ。
 竜玉を受け取る為に。
 そして、ガントを元に戻す方法を知る為に。
「きっとここ、庭園みたいな所……だったんだね。ここを抜けて奥に行けば、きっと……」
 そう言って顔を上げた瞬間、歪んだ気配を感じてマリンはビクリと身を震わせた。
「ガント、これ……何? 見られてる気がする……!」
『視線、だな。なんだ……これは……!?』
 二人を貫くのは無数の視線だった。
 姿の無いその視線は、朽ちた庭園に次々と集まってきているかのようだった。
「ガント、これ、魔物? ……やだ、気持ち悪い」
 弱く漂っていた風も止み、妙な静寂が周りを漂う。
『竜ではなさそう……だな』
 ガントはマリンの前に立つと、神経を集中させその正体を探った。

『……て、たすけ、て』

 身も凍るような冷たい声がマリンの耳元で漏れた。
 滅びた都市、死んでしまった住民。姿亡き悲しい声。
 それらの情報が、マリンの頭に一つの結論を瞬間的に導き出した。

「お、お化け……ゴーストおおおおおおおおおお!?」

 顔面蒼白になり、マリンは思わずガントにしがみ付き叫んだ。マリンはこういうのがど
うも苦手なのだ。半泣き顔でしがみ付くマリンをかばいつつも、ガントは冷静に気配を探
る。
 無数の視線の中、妙にはっきりとした気配を一つだけ感じる。それはさっきマリンに囁
いた声の主だろうと想像できた。だが、その気配が放つ意思は、敵意でも殺意でもない。
声は『助けて』と言っていた。だが、それは恨みでも後悔でもなく、何か別の事を訴えて
いる様にガントは感じたのだった。
 濃度の濃い<魔>の魔力はガントの神経をより鋭くする。
 上空を流れる風が雲を運び太陽を隠すと、死都は一気に暗くなった。
 翳った草原に立つ二人の前に、何かの影がぼんやりと姿を現す。
 それは黒い聖衣を纏った長髪の女だった。
 半透明のゴーストは悲しみに満ちた瞳で二人を見つめていた。だが、その瞳は焦る様に
何かを必死で訴えかけてきている。
「あ、あうあ……!」
『落ち着けマリン。おそらく……こいつは敵ではない』
「こ、こいつは……?」
 マリンは恐る恐る目を開けて、目の前に浮かぶゴーストを視界に入れる。
 悲しい目をしたゴーストの瞳は、魂を吸い込みそうなほど暗く深い。
「だだだ、駄目! 怖い! み、見れないようううう!」
 がたがたと震えながら、マリンはガントの鬣にしがみ付き首を振る。
 そんなおびえるマリンを、ゴーストはじっと見つめていた。
「なな、何? 何……なの??」
『……』
 
 ゴーストは透き通る体をマリンに寄せると、その手をマリンの頬に当てた。
「〜〜〜〜〜〜〜! っ!! っ!!!!」
 何かが当たった感触は無い。ただひたすら冷たい何かが頬に触れたのだ。
 恐怖が頂点に達したマリンの口は大きく開いていたが、最早声も出てこない。 
「っ! っ!!」
 足が急激に力を失い、マリンはその場にへたり込んだ。
 もう限界だった。
 そんな時、ゴーストは妙にハッキリした言葉で、マリンに向かって囁いた。 


『……ころして、ひらいて、もう、しんでいるから。あなたしか、たのめない』


「が!! がん!」
『どういう事だ……!? ん、……何だッ?』
 ゴーストが言い終えたと同時に、圧倒的な存在感を感じてガントは死都の奥へと視線を
向けた。
 その気配が現れると同時にゴーストは消え去り、無数の視線も蜘蛛の子を散らすように
一気に消えていく。
「が、が。何……、もう……!?」
 すっかり涙声のマリンも、その存在に気付き、庭園の向こうへと目を向ける。

 何かが歩いて来ていた。
 それは死都に漂う<魔>の魔力よりも、一層濃い<魔>の気配を纏っていた。
 だが、そこには恐怖はない。
 それに対してマリンが感じたのは、マリンにとって意外な感覚だった。

(え、……ガント?)
 
 一瞬、自分の愛する男の姿がかぶって見えた気がして、マリンは慌てて涙で潤んだ目を
擦る。改めて見たそれは、さっき見た姿とは別のものだった。だが、ガントと似た雰囲気
を持っているのは間違いないようだった。
 それは迷うことなく真っ直ぐ二人に近づくと、二人のすぐ前で足を止めた。
 

「何故この死都に人間が居るのだ? 我以外に生きているものは誰も居ない筈だが」


 少し低い、高貴な雰囲気を持つ自信に満ちた声。
 二人の前に立っていたのは、長身の男だった。
 印象的な金色の長い髪に日に焼けた肌。鋭い切れ長の瞳は半眼。金色の瞳は太陽の光の
様に美しく輝き、穏やかにマリン達を見下ろしていた。素肌の上に一枚だけ黒いベストを
羽織り、薄いラベンダー色のズボンには所々血が滲んでいる。
 見た感じ、歳はガントと同じくらいだろうか。
 男は堂々とした態度で腕を組み、鋭く射抜くような瞳で静かにマリンを見下ろしていた。
「人間よ、答えろ。何者だ」
「人間って……、あなたも人間……ですよね? お化けじゃ、ないでしょ?」
 目の前の男は透けても居ないし、ちゃんと二本の足で立っている。
 だがそんなマリンの問いかけに男は失笑しただけだった。
「お化け? そんなもの、この死都に居る筈があるまい。ここは我が護る都だ。どんな魔
物であろうが、この地に入ることは我が許さんからな」
(ん、もしかしてこの人……)
 傲岸不遜な物言いは、まるで一国の王の様な口ぶりだ。
 だがそれも嫌なイメージではなく、妙に嵌っていてしっくりくる感じだ。
 年季が入っているというか、なんというか。
『マリン、この男、おそらくは……』
「もしかして……」
『この都は滅んだ都と聞いた。人間はもう居ない筈だ。つまり……』
「ほう、この都市の事を知っているのだな」
「え、ガントの声、解るの!?」
 まるでガントの声無き声に答えるような男の口調に、マリンは声をあげる。
 ガントは狼で、直接会話が出来るわけではないのだ。マジックアイテムの効果でその意
思が直接声となってマリンの頭に届いているだけで、傍から聞いていれば狼ががうがう言
ってる様にしかみえないのだ。
「解らぬわけがあるまい。その狼は元は人間、いや半人。お前は魔法使い……ふん、大体
お前達の事が読めてきた。……ならば人間。こうすれば納得するか?」
 男が緩やかに笑顔を浮かべると、ゆっくりと両手を広げた。
 周りの空気がさざめき、男の姿がじわりと変わっていく。 

「う……あ……!」

 男の顔が伸び、同時に体が劇的に変化していく。
 指からは鋭い爪が伸び、服は魔法の光に包まれ消えていき、その下から硬い皮膚が現れ
る。

 
「良く来たな人間。我は死都アランカンクルスの主、ホーラだ」


 背に蝙蝠のような翼を背負った二メートル弱はあろう大きな体。
 長く揺れる金色の鬣。
 闇を溶かし込んだ様な漆黒の皮膚。
 金色の半眼には縦に伸びた黒い瞳孔。
 

 それは紛れも無く、カヒュラの話に聞いたとおりの一匹の漆黒のドラゴンだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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