日本列島・全国郷土玩具の旅

----高知県篇・第1回----

----KOUCHI (1)----


高知県の郷土玩具ガイド(掲載されていないもの、廃絶品を含みます)
 高知   坊さんかんざし。帆傘船。鯨車。鰹船。
      木彫りの闘犬。つればり人形。
 香我美町 土佐凧。
 安芸   安芸土鈴。

施設
 懐徳館: 高知市丸ノ内1-2-1 高知城内 ..TEL:0888-72-2776
      (天守閣内に、高知県の古玩が分類展示されています)

(民間)土佐民芸社:岡内秀一:高知市南はりまや町1-15-7..TEL: 0888-82-0171
    とさ民芸店(土佐民芸社の売店)
               高知市はりまや町1-5-14..TEL: 0888-82-5466

(民間)名産センター名店街:高知市はりまや町 ..TEL: 0888-21-2980  

参考情報リンク
 高知県ホームページ
 よさこいネット(高知県観光連盟)



高知の諸玩具
 「坊さんかんざし」をはじめ、いろいろな張り子の玩具を、岡林延子さんが作っています。岡林さんは、御主人の藤吉さんが昭和50年に亡くなられ後、わずかながら市内の前里町で製作されていますが、ご高齢のうえ体も丈夫でないので、作品は「とさ民芸店」で求めることになります。
坊さんかんざし
 この人形は「相合傘。よさこい人形。はりまや人形」などとも呼ばれ、名所はりまや橋と共に高知観光の目玉商品です。
 民謡の「よさこい節」にも唄われた、五台山竹林寺の僧純信と鋳掛屋(いかけや)の娘お馬との悲恋物語をテーマにした人形です。
 この人形も、太平洋戦争の激化と戦災により廃絶していました。昭和23、4年頃、高知土産物組合の岡林藤吉氏がこの人形の廃絶を惜しみ、郷土玩具研究家の城田政治氏の協力もあって、復元されました。
 (この人形のなりたち)この張り子を土佐で最初に作ったのは市内若松町に住んでいた岡本楠次郎で、本職は人形芝居の頭(かしら)を作る木偶師で、また芝居の大道具も作っていました。
 戊辰(ぼしん)戦争(1868)のとき会津討伐軍に加わり、その後一時、江戸に住んだ岡本は、その頃に芝の神明通りで見た「坊さんかんざしの張り子」が脳裏にやきつき、大道具仕事のかたわらこの人形を作り出しました。また、これは芝神明ではなくて亀戸天神の境内で売っていた「相合傘人形」が原形ではないかともいわれています。
◇帆傘船◇
 船の帆柱に番傘が開いて差しかけられ、その下で魚釣りをしています。この地方でしか見られない風俗人形です。

販売:「とさ民芸店」:高知市はりまや町1-5-14...TEL: 0888-82-5466

◆中段下段の掲載玩具は、「土佐民芸社」が、戦前戦後の作者の作品を引き継いで製作、または復元したものです。◆

よさこい人形。鰹車。闘犬■これらは、高知にちなんだテーマの作品です。

鯨車。鯨船■(木製)
 高知は昔は捕鯨の盛んな土地でもありました。高知の伝統玩具としては、坊さんかんざしよりも古くから作られていた、土地柄を反映した玩具です。  鯨車・鯨船の玩具はいつ頃から作り始められたかは定かではありません。室戸岬の漁夫たちの間では漁を待つ間の手すさびに、折れた櫓(ろ)や銛(もり)の木片を削り、父の帰りを待つ子供たちへの土産にしたということです。  その中の一人に松下駒弥太がいました。大正9年頃、70余才で亡くなったのですが、捕鯨の刃刺(はざし)として活躍した人でした。その頃の刃刺は捕鯨の中で一番偉く、町では武士も道をよけたというくらいでした。  この刃刺の駒弥太は、鯨車や船を盛んに作り、商品として各地に送りました。作品には「駒弥太」と名前を入れていて、郷土玩具としてはこれが始まりではないかと思われます。

土佐の姉様
 姉様は昔から家庭内でも作られていましたが(いまは廃絶)、ここに掲載した「土佐の姉様」は、初代・香泉の作品をモデルにして、「土佐民芸社」が復元したものです。
◇初代・山本香泉:土佐出身の女流日本画家。大阪で画家として活躍。戦災で焼け出され、ご主人も亡くされて、子供2人と共に土佐に戻る。もともと好きであった郷土玩具作り(主に土人形)を始め多くの秀作を製作。昭和38年、72才で没。
次回にその作品3点を収録。
長女の2代目・香泉さんは昭和47年に、滋賀県(陶器の里)信楽へ転居。信楽の香泉人形も2代目没後、現在は廃絶しています。
(参照:滋賀県編(2)・信楽の香泉人形)

制作・販売:岡内秀一「土佐民芸社」:高知市南はりまや町1-15-7...TEL: 0888-82-0171


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(1999.4.25掲載)