日本列島・全国郷土玩具の旅

----愛媛県篇・第1回----

----EHIME (1)----


愛媛県の郷土玩具ガイド(掲載されていないもの、廃絶品を含みます)
 松山  武者人形。姫だるま。金天だるま。野田天神。
     一閑張り張り子。坊ちゃん人形。
 宇和島 牛鬼。鹿面。
 五十崎町 文字凧。
 (廃絶: 松山みこし。松山姉様。)

施設
 五十崎(いかざき)凧博物館: 喜多郡五十崎町古田甲1437..TEL:0893-44-5200
 町立・歴史民俗資料館: 温泉郡重信町見奈良509-3..TEL:0899-64-3414
 愛媛県物産会館(1階に展示即売場):松山市一番町4-1-2..TEL:0899-41-7584

(参考:郷土玩具の揃っている店)
    「狸のれん」:松山市道後湯之町13-18...TEL:0899-21-5272  

参考情報リンク
 CPH【全国郷土玩具マップ】(リンク)「愛媛県」には、
  よしを民芸店:宇都宮計介 ( 牛鬼,鹿面)。五十崎凧博物館 ( 内外の凧多数 展示)。
  重信町立歴史民俗資料館 ( 雛天神 ほか展示)。の紹介情報が載っています。

 愛媛県庁ホームページ
 愛媛県産業情報ネットワーク



松山の玩具
武者人形: 藩祖の久松(松平)定勝の嫡男松平定吉が武術にすぐれながら早死したのをしのび、定吉がまつられている豊阪神社(松山城内)に、この武者人形を作り奉納すると、子供が健康に育つといういい伝えから、それぞれの家で作って神社に持ち寄ったのが始まりとされています。
 また、この人形は、明治から昭和初期にかけて作られていた廃絶玩具を、戦後、両村巧さんが復元したものです。
 松山の武者人形は「松山の鎧人形、道後でこ」ともよばれ、竹串の先に土製の首人形ついていて、顔が差し替えられます。着物の両袖の手にも竹串がついています。首と両手の竹串で操って人形芝居をまねて遊んだもののようです。約20センチの人形です。
◇姫だるま: このだるまは松山の民芸品としていつでも売られていますが、本来は市内の伊予豆比古命(いよずひこのみこと)神社で「椿さんの春祭り」1月7〜9日に、露店で縁起物として売られていたものです。
 この神社は舟人の神として信仰されてきました。昔は露店では藁の宝舟などもいっしょに売られ、姫だるまの胴にも宝舟が描かれていました。
 【由来】「神功(じんぐう)皇后が伊佐爾波(いさにわ)神社へお参りになったとき、筑前蚊田の浜で巻物と干珠満珠の宝を供え、応神天皇を産ませたまうた」と伝えられています。
◇金天だるま: 高さ6センチくらいの小さなだるまで、頭頂部は一文字に平らになっていて金紙が張られているので「金天」と云っていますが、また、「一文字だるま」とも呼んでいます。
制作者( 武者人形・姫だるま・金天だるま):
   両村サカエ(両村家4代目):松山市鴨川町
3-2-30...TEL:0899-22-3534



一閑張りの張り子
 松山市内に一閑張り(いっかんばり)の手法で、張り子の「だるま」をはじめ「干支(えと)の張り子」「面」などを作っている泉王子(せんおうじ)治さんがいられます。製作をはじめてから25年余になります。
 掲載の作品のように、すべて泉王子流のデザインで作られています。
 昭和47年頃に、高知県の人から「坊さんかんざし」の張り子の原形復元を依頼され、半年かかりで完成し好評を得ました。それがもとで郷土玩具を作るようになりました。
 松山に住んでいるのだから、高知のものでなく「松山のもの」を作ろうと、「だるま」を作り始め、また、松山に昭和初期まで「面」があったことを知り、年寄りの話しを聞いて「お多福、ひょっとこ、カッパ」などの面を復元しました。(面は未掲載)
 いまのところ作品は、泉王子さんのお宅へ直接訪ねないと手に入りません。
【一閑張り】 江戸初期に明の帰化人・飛来(ひらい)一閑が創始の、漆塗りの技法。和紙を張り重ねた上から漆を塗った細工物で、丈夫で一味ちがった趣があります。
【作者の紹介】 大正15年生まれ。愛知県出身。幼くして父と死別。10才にして近所の一閑張り職人の泉王子家に弟子入りしました。
24才のとき、全国の寺社の彫刻を見てまわり、放浪の旅を続け、40才のとき松山い腰を落ちつけて、それを機に、山田姓の本命から、13代目の泉王子(飛来一閑正伝13世)の名前を継ぎ、この地で一閑張りの仕事を続けています。
制作者:泉王子 治:松山市平和通5-1-15...TEL:0899-43-0027

野田天神
 松山市をはじめ中予地方では、男子の初節供に(雛)天神の段飾りをする風習がありました。(島根県の松江や、岡山県の津山などと同様の風習です。)
かっては、松山、上村、野田で土人形が作られ、なかでも天神が盛んに作られていました。戦後まで作られていた「野田天神」は、作者の明賀鶴太郎さんが昭和46年に亡くなり、中予地方の天神は廃絶したかのように伝えられていました。
 ところが、鶴太郎の息子の明賀利保さんが、農閑期を利用してわずかながら作っていられました。道後温泉本館前の「狸のれん」という店で売っています。
 この土人形は、乾燥後に焼き上げ、差し込み式の首には磨きを掛けてあります。膝には「市松模様」が描かれていますが、この模様の入っているのが中予地方の天神の特徴です。
 その他に、上村土人形、松山天神が作られていましたが、いずれも廃絶しています。
  制作者:明賀利保(人形作りは3代目):温泉郡重信町南野田254-2..TEL:0899-64-0551

   
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(1999.4.11掲載)