日本列島・全国郷土玩具の旅

----徳島県篇(2)----

----TOKUSHIMA (2)----






阿波首人形
(右)後藤人形館製。
(左)脇坂古峰、作。撫養町で作られているので「撫養の首人形」とも呼ばれています。
  首人形はすべて阿波人形芝居に登場する人物の首です。本物は木偶(でこ)、木製ですが、玩具の方は、粘土で手捻りにより作られています。
 型は使わず指先の手加減により捻り出されますが、これは初代の古峰から受け継いだ手法で、型で抜くと微妙な顔の表情が出ないということです。
 やはり有名な芝居の外題(げだい)のものがよく売れるということです。:「傾城阿波鳴門の、お弓。十朗兵衛。おつる」「太閤記の光秀」「勧進帳の弁慶」千本桜のすしやの権太」その他。種類は100趣ほどあります。
「製法」:この首人形は、乾燥させた生土のままで胡粉で下塗り、つづいて彩色されています。
「首人形の歴史」は、作り始められたのは、江戸末期と思われますが、初期の製作者もまだはっきりとはわかっていません。
 阿波人形芝居の最盛期は江戸末期で、この頃、この地方には農村舞台が200棟余も数えられ、職業とした座だけでも70余、その他に素人の座もかなりありました。
 そんな座にいた一人が、芝居に使う木偶に似せて粘土で首を作り、子供達に与えたのが始まりといわれ、子供達はそれで人形芝居のまねごとをして遊びました。
 その後、これが途絶えることを惜しんだ、初代・古峰の脇坂虎太郎が製法を習得し、人形の頭の研究に「清光座」の道具掛りに入るなどして、昭和7、8年頃より首人形の製作を始めました。現在の古峰さんは2代目です。
制作者:脇坂博茂(古峰・2代目):鳴門市撫養町立岩内田20...TEL:0886-86-4777

わんわん凧
 いいつたえによると、元禄5年(1692)に、撫養(むや)岡崎の蓮華寺本堂の再建上棟の祝いに、棟梁又右衛門が余興として宇陀紙50枚張りの丸凧を作って揚げ、喝采を博したのが始まりとされています。そのとき、檀家の人達に丹塗り(にぬり)の椀に盛った餅がふるまわれました。
「わんわん」とは椀のことで、丹塗りの椀に盛った餅の様を表わしたのがこの凧の赤丸の模様です。
 わんわん凧は保存会の橋本進さん、四宮照義さんなどが作っています。土産店「つくし」の四宮照義さんでは、小型化した大、中、小の土産用のわんわん凧も作られいます。  橋本進さんは、3代続く凧作り師ですが、本業は建築関係なので、注文により製作されていて、市販はされていません。 制作者:四宮照義「つくし」:鳴門市撫養町斎田大堤16-3...TEL:0886-85-6677
制作者:橋本進:鳴門市撫養町立岩内田100...TEL:0886-86-7155

徳島の角凧■(作品は未収録)
 徳島の角凧はかなり古くから作られていたようですが、一時途絶えていたものを「阿波の凧の会」の人達により、昭和58年頃より復活されました。絵柄の多くは屋号などの文字の一字を、赤地に白抜き、または朱赤の一色で描かれえいます。  この凧は凧合戦用で、徳島地方では「のぼりの掛け合い」といっています。凧合戦は徳島市の北部を流れる吉野川の河川敷で8月に開催されています。 制作者:「阿波の凧の会」の方々
代表的な制作者:泰 昭能:徳島市南二軒屋町
2-4-41...TEL:0886-25-7781


--- 徳島県篇 終 ---

 
 
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(1999.4.4掲載)