その意味で、生前にもよく演奏されたこの交響曲第二番は、彼のもう一つの自信作「ピアノと管弦楽のための交響協奏曲」と共に代表作として、記憶されるべき作品でありましょう。
そして、その作品がスイスのクララン(チャイコフスキーがヴァイオリン協奏曲を作り、ラベルがいくつかの歌を書き、ストラヴィンスキーが住んだモントルー近郊のレマン湖畔の町)で生まれたのです。
曲は、作られた時代を考えたら、大変古典的であると言えます。すでに調性は崩壊し、シェーンベルク等の新ウィーン楽派の音楽もベルク、ウェーベルンという立派な実を結び、更にメシアン、ブーレーズといった次の世代へとその技法が発展していく中で、ストラヴィンスキーですらその作風をドデカフォニー(十二音音楽)へと傾斜を強めて行った時代で、ブラームスに近い音楽を書いたのですから、大変なことであったのではないでしょうか?
それを、専門の作曲家でないが為の、問題意識の欠如と言うのは、あまりに軽率であると思います。ではラフマニノフはどうなるのか?ガーシュインはいいのか?
前衛だけが音楽を作っているのではないのです。時代様式ということを、あまりに軽率に振り回して批判することは間違いのもとてなることをせめて知っておいた上で、フルトヴェングラーの作品を虚心坦懐に聞いて、判断をしてほしいと思います。
そうすると、指揮者フルトヴェングラーの音楽のもう一つの作曲という面から聞く魅力に気がつくことができるかも知れませんよ。
この第二交響曲は、大変長い作品で、オーケストレーション(さすが指揮者、オケを扱い慣れていると思います)の見事さで際だっていると思います。
ちょっとブルックナーのような和声進行を持ち、更にブラームスのようなはっきりとしたソナタ形式をはじめとする古典形式で書かれていること、スケルツォ楽章が二拍子であること、等が特徴としてあげられますが、とても叙情的な美しいテーマを持っていると思いますが、基本的にとても地味で暗く、思い作品であると思います。ブラームスの語法で書かれたブルックナーという雰囲気と言えばいいのでしょうか。
この重さ、暗さを当時のフルトヴェングラーの置かれた四面楚歌の環境(当時はナチスの協力者としての疑惑を持たれていた)での、もう一度指揮台に立てるのだろうかなどの将来に対する不安などが、その根底にあるのかも知れません。
いや、そんなことではなく、もっと深いもの、ナチスの戦禍をくぐり抜け、ドイツの音楽文化がどうなっていくのかというもっと深いところでの、不安、悩みがこの音楽のモティーフとなっているように私には思えます。
この作品の作曲から二年、彼は不遇の時間をスイスのクラランで過ごすのです。しかし、こんな素晴らしい音楽を作ってくれたのですから、私たちは彼、フルトヴェングラーに感謝しなくてはなりません。
そして、もう二度とこのような悲劇を生み出してはならないと思います。
上の写真はクラランの病院の前のテラスです。ここからの眺めの素晴らしさ!!そしてこの風景をフルトヴェングラーは毎日見ていたのです。
聞かれたことのないフルトヴェングラー・ファンの方は、ぜひ一度耳にしていただきたい音楽です。もちろん彼の指揮による録音で。
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