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※無断転載を一切禁じます 陸上 高橋尚子ら「あきたワールドゲームス記念会」事業に出席 11月16日の東京国際女子マラソン(国立競技場)で、2時間27分21秒で日本人2位となった高橋尚子(31=スカイネットアジア航空)が、2001年に行われた秋田ワールドゲームスの記念事業の一環として行われた「アテネへダッシュ」と題された講演会に出席。レース後、初めて公の場で今後について話した。 高橋の話(抜粋) ──東京の後、大変だったが秋田に来たのは ──イベントに参加してみて ──アテネへ、という思いはどういうものか ──秋田について 小出監督(抜粋) いくらでも休んでいい、どうぞ気のむくまま、嫌になるくらい休んでいいぞ、と高橋には言っている。6月にボルダーに行って以降、高橋は本当に1日も休みがなかった。本当に1回も休んでいないんだ。アテネのことはまずはそれが終わってからということになる。東京では高橋も5キロで20分もかかってしまったが、ああいう状況ではとても普通なら完走はできなかっただろう。(悪条件で)よく帰ってきたと思う。公平に考えて、高橋の力はひとつ抜けている。ラドクリフ(英国)、ヌデレバ(ケニア)、オカヨ(ケニア)たちと並んでいる。名古屋、ということも言われるが、でも、名古屋を走れば、アテネまで9か月で3レースを走ることになる。高橋もこれはやったことがないし、1年に3本も走ることはできないし、2本が常識的だろう。そんなに体力を消耗してはアテネは走れない。シドニーの年は、3月の名古屋からマラソン(9月)まで半年あった。今回は、女子マラソンが8月だから5か月を切ってしまうことになる。今は(選考の行方の)様子をみるしかない。
「生身の人間がやることなんだ」 秋田県庁で行われた会見で、16日、あるいはレース翌日、少し青ざめ、ホホがこけていた高橋の表情には、「ゆとり」があった。椅子に浅く座り、背筋を伸ばして、相変わらず、笑顔を絶やさなかったが、レースの日のような痛々しい「つくり」は消え、夜の部のトークショーでは、千葉とともに会場に大きな笑いを振りまいていた。その様子には、どこか「腹の据わった」、何か覚悟を決めたような雰囲気が漂っていたように思う。 そんなことは今に始まったことではなく、もちろん彼女に限ったことでもない。女子マラソンという競技においては、腹を決めてかからなければ、車でさえ走れないような月間1200キロの距離など到底走破できるものではない。後悔や恨みなど1200キロに一度でも思ったら、やっていられないはずだ。まして高橋は「毎日が42.195キロ、全力でゴールする」と、これをモットーにするというのだ。 彼女たちのようなトップランナーはレース当日、おそらく体脂肪は5〜6%、3か月、4か月を費やしてまさに身を削って、体を絞り上げてくる。最後は足の甲からも肉がそぎ落ち、ひじからさえもたるみがなくなる。足はかえって弱くなるし、無駄がないから風邪や病気にもなりやすくもなる。一般的に見れば十分に病的な体を、さらに酷使してやっと目標が完結する。こういう過程を一度でも見ると、本人がそれを熱望しない限り、「3か月後にもう1本走るべき」などとは思いも浮かばない。
(秋田県庁、秋田ビューホテルにて講演、トークショー)
高橋、小出監督とも「今は期限を決めずに休養をすることが最優先」とし、選考レース出場についても「様子を見るしかない」(小出監督)と、残る1月の大阪を静観する方向性を改めて強調した。高橋は、レース後には「まだ何も考えられない」と話していたが、この10日は、周囲が心配するような落ち込みや脱力感はまったくなく、軽い練習はすでに再開している。今後のことについて明言はしなかったが、「(アテネ代表になるために)大阪を走る、名古屋を走る、もう走らない、どれも同じパーセンテージだと思っています」と、3つの選択肢をあげた。高橋は今後、12月中旬にチームとともに徳之島合宿に参加、12月一杯は休養を優先させることになっている。
高橋 このお話は4、5月、アメリカに行く前からいただいていて、東京(国際女子)が終わったら秋田へ行くと思っていました。1、2人でも待っている人がいてくれるなら(キャンセルで)悲しませたくない。(このイベントで)もう一度原点に戻って走る楽しさを(みなさんに)もらえるかなと思いました。
次に何を走るというのは、考えていないし、監督からも考えなくていいと言われています。東京の後、走らない日が続いたのですが、走らないと、まるでお風呂に入らないのと同じように気持ちが悪かった。陸上は、私の生活の一部になっていると実感した1週間でもありました。
高橋 昨日はある高校にお邪魔させてもらって、みなさんが元気で目が輝いているのがとても励まされた。東京が終わって、みなさんが心配するように、それほど気持ちが落ち込んだことはありませんでした。いろいろな方に、どんな結果であっても応援するから、と言っていただいたり、そういう優しさや、陸上を好きだという方々の気持ちに触れることができました。それから、やはり自分たちを目標にがんばっている子どもたちの、いい手本でありたいと思いました。今は、次がどのレースという考えはありませんが、走るだけではなく、生きていくうえでも夢や目標をしっかり持って、ハリのある生活を送りたいと思っています。
高橋 シドニーが終わってから、またアテネに出られたらいいな、と思ってずっとやってきたことはもちろんで、アテネへ出られたら、という気持ちはずっと持っていました。でも、だからといって、具体的にどのレースに出て、どうする、といった考えにはなりません。大阪に出るのか、名古屋に出るのか、どれも出ないのか、私の中ではどれもパーセンテージは同じです。
高橋 温泉はお肌がすべすべになるって実感できました。きりたんぽも美味しかったですが、お米とかお水とかおしんこうとか、普段何気なく食べているものがこんなにおいしいかな、と思いました。
「27分で2位ですが、私はレースまでも、レースでも全力でやった結果ですから、悔いなんてまったくなくて爽快な気持ちですから」
トークショーでもそう話し、残念だ、とする雰囲気を一蹴した。
高橋が今回のレースで見せた「肉体」は、彼女の明るさとは違い、どこか悲壮であったのは、そこに「賭けた」ものの大きさ、難しさを表していたのだろう。だからこそ、覚悟も諦めもできるのではないか。
もちろんアテネを諦めたという意味ではなく、今後残る2レースでの選考について、自分ができるのは待つことだけだ、という諦めである。
「大阪に出る、名古屋に出る、どちらも出ない、どれも同じパーセンテージです」
これまでで唯一、今後についてしたコメントはどうにでも解釈できるが、おそらくどれかが40%ということになるだろう。小出監督は、大阪での結果についてはすでに分析済みで、「例年天候に恵まれ、無風の大阪でなら、2時間20分30秒は出る」と、超ハイレベルを想定している。それでもなお、選考レースを2度走る無謀を誰より理解しているだけに、「9か月で3本は無理。生身の人間がやることだ」と、明るいトークショーの合間にも、ふと現実にかえり苦悩をうかがわせた。高橋が1年で2度レースを走ったのは過去2度、しかし前後は故障で1年以上の時間があいており、もちろん3レースは過去一度も経験していない。
金メダリストの威厳と、世界で初めて2時間20分の壁を破った女性としてのプライドと、全力で使い切った体にちょっぴりの脂肪と、これらを背負って、今は休む以外にやることはないだろう。まだ行われていない2レースの予想や、走っていないライバルたちの結果や、まして選考プロセスなど考えたところでどうしようもない。当たり前の、しかしもっともシンプルで強い支えというものを、高橋はレース後2週間で手にしていたのかもしれない。
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