「青春小説」創作ノート4

2005年12月

12月 9月 10月 11月 年始年末 06年1月
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12/01
文藝家協会で私大連盟の関係者と打ち合わせ。これで3回目。人が変わる度に同じ話をするというカフカ的状況だが、こうやって持続的に努力を重ねていくと、必ず目標が達成されるということが、体験的にわかっている。これは通常の人生ではありえないことだろうと思う。著作権の問題というのは、話せばわかってもらえることをこちらは伝えているので、時間はかかるが、かならず理解していただける。とはいえ、この仕事をするようになって、わたしも人間ができてきた。「空海」を書くのに、こういう体験は役に立ったと思う。空海も、途方もない夢を実現するために、こつこつと歩み続けた。目の前の問題に誠実に対処するのが、実は最短距離なのだということが、読者にも伝わると思う。
夜間の授業。7年前の教え子が教室に来ていたので、タイムスリップした気分。彼とはその後もつきあっているので、べつに懐かしくはないが、時間の経過を感じずにはいられない。こちらは年老いた。老人性結膜出血で眼鏡をかけて授業しているし、浜田で歩いている時に傷めたふくらはぎがまだ痛んでいる。文藝家協会と夜間の授業の間に2時間ほど空き時間があったので、研究室で仕事をした。そのため、パソコンを持ち歩いたので疲れた。

12/02
NHKラジオの収録。来年の1月3日(火)午後9時から。「新春・朗読への招待」という番組。3回の番組の最終回の「夢・冒険・青春の文学」の回で、青春文学の作家として紹介された。いま現に青春小説を書いているので、よいタイミングだ。山田敦子アナウンサーとのやりとりだが、テレビでおなじみの可愛い人で、楽しかった。アナウンサーが構成、制作、編集を1人でやるのだという。NHKも人手不足なのかなと思った。このところ、講演、インタビューの類が、老人問題か著作権問題に限られていたので、青春文学について語るのは楽しかった。

12/03
土曜日。土日がちゃんと休めるのはありがたい。「お父さんの算数」はまだ編集者とは話していないが、メールのやりとりで、若干の修正をして入稿という段取りになっているが、内容からして春の新学期のあとがいいと思われるので、いますぎ入稿する必要はない。ということで、しばらく寝かせてから、改めて読み返して最終チェックをすることにする。ということで、とりあえず青春小説の草稿ができるまでは、この仕事に集中できることになった。かなり書き進んでいるのだが、まだ前史の少年時代だ。ようやく大学に入るところまで来てはいるけれども、まだ物語が始まっていない。いま60枚くらいのところか。全体が300枚とすると、2割くらいのところまで来ているが、まあ、それでいいだろう。ここまでが前史で、いよいよ本格的に物語が始まる。ここまででもけっこう緊張感をもって語れたと思う。主人公は暗い少年である。かなり暗い。でもクセのない人物なので、シンパシーはもってもらえると思う。暗いけれどもいじけていない。それが大切だ。孤独だけれども、暴力には向かわない、やさしい人物。それが純愛小説には欠かせない。いい感じで書けている。月曜日に悪化した老人性結膜出血は木曜日くらいがピークだったが、ようやく退潮のきざしを見せている。まだびっくりするくらい赤いが、ピークの時は夕陽のよって真っ赤っかだったから、それに比べれば回復していることは確かだ。しかし初めて見た人は、どうしたの、というくらいにまだ赤い。というか、赤いところと白いところがむらむらになっているので、余計に気持ちがわるい。自分では見えないのが救いである。

12/04
日曜日。昨日の深夜、大学のサイトにつないで、講義要項の入力をした。前に客員教授をしていた当時(4年前)はこういうシステムはなかったので、便利になったものだ。前年の講義要項に書き加えたのだが、完成して、確認のために読み返していたら、いきなり送信を途絶えた。大学のシステムが整備に入ってしまったためで、そういう話を聞いていなかったのでびっくりした。作業の途中だったら書いたものが消えてしまうところだった。そういえば、注意書きみたいなところに、頻繁に上書きするようにとは書いてあったのだが。本日も休み。ただし学生の宿題がドッと出ているので、ほぼ一日つぶれてしまった。これはボランティアではなく、給料を貰っている仕事なので、黙々とこなすしかない。

12/05
文藝家協会理事会。その前に目医者に行く。赤目状態はようやく快方に向かっているのだが、今後のこともあるので、大丈夫か確認に行った。結膜出血は問題ないのだが、斜視の傾向があるといわれた。そういえば昔から、時々ものが二重に見えることがあった。最近急になったものではないので大丈夫だろうということだが、念のために検査したらどうかといわれた。病院へ行くのは気が進まないが、妻がそばについていたので、強制収容されそうだ。

12/06
大学で卒論仮指導。朝10時に学校に行くのはつらい。指導を終えて、研究室で仕事。2時から内幸町プレスセンターの新聞協会で講演。終わるとすぐに研究室に引き返してまた仕事。夜間部の指導を終えて、帰宅。長い一日。しかし研究室に5時間滞在したので、たっぷり仕事ができた。

12/07
大学。昨日は卒論仮指導という特別行事だった。今週は3日連続で大学へ行くことになる。まるで本当の大学の先生になったような気分(給料を貰っているので本当の先生なのだけれど、気分的には仕事をしているという実感はない)。目はかなりよくなったが、このところ酒を控えているので、生きている気がしない(大げさだが)。

12/08
午前中に目医者。結膜下出血はほとんど治っているのだが、月曜に行った目医者に、あなたは斜視だといわれて、精密検査。右目が上がり気味で、そのために首を左に傾けて見るクセがあるといわれた。確かにそのとおりで、それでは肩がこるでしょうともいわれた。長年の肩こりはそのせいだったのか。簡単な手術で治るといわれたが、無理をして見るクセがついているので、手術をするとしばらくはかえって見にくくなるかもしれないと言われた。うーん、どうすればいいんだ。
高田馬場の目医者なのでそのまま大学に行く。夜間の授業まで、6時間も研究室で仕事をした。ここはテレビがないので集中できる。

12/09
金曜だが、本日は休み。床屋に行く。久しぶりだ。あとはひたすら仕事。明け方、サッカーの抽選の中継を見る。アルゼンチン、オランダ、コートジボアールのいるC組と、イタリア、ガーナ、チェコのいるE組は最悪だと思ったが、そこではなくてよかった。C組にはセルビアモンテネグロ(予選ではスペインより上位)、E組にはアメリカが入ったので、この2つは、いわゆる「死のリーグ」だ。日本の入ったF組は、ブラジルがいるけれども、オーストリアは未知のアフリカ勢よりはましだし(監督が不気味だが)、クロアチアはヨーロッパではスイスと並んで一番弱そうなチームだ。問題は気まぐれなブラジルが他の2チームのどちらかにまさかの敗戦というケースがあることで、すると3戦目の日本戦に本気になる。2連勝で日本戦ということになると、メンバーを落としてくるから、引き分けの可能性はある。まあ、オーストラリアとクロアチアには勝たないといけないが、バーレーンよりは強いチームだから、頑張らないといけない。欲をいえば韓国の入ったG(フランス、トーゴ、スイス)か、H(スイス、チュニジア、ウクライナ)がよかったのだが。しかしスペインは親戚のいる国だし、ウクライナはシェフチェンコがいるので、まあ、Fでよかったと思う。未練だが、韓国は絶対に有利だ。予選通過が一番遅かったスイスに、誰も知らないトーゴ、それと衰えたジダンが入ってようやく予選を突破したフランスだから、韓国がトップになるだろう。しかしまあ、オランヂ、チェコ、スウェーデン、ポルトガルと当たらなかったので、ラッキーな組み合わせである。
三田誠広の予選予想。
A、ドイツ、ポーランド(エクアドルは高地のキトーでないと勝てない)
B、イギリス、スウェーデン
C、アルゼンチン、オランダ(コートジボアールが不気味)
D、メキシコ、ポルトガル
E、イタリア、チェコ(ガーナ、アメリカにもチャンスあり)
F、ブラジル、日本
G、スイス、韓国(ジダンが衰えたフランスは難しい)
F、スペイン、ウクライナ
どう考えても韓国はラッキーだよなあ。親戚のいるスペインは、チュニジアとサウジアラビアには楽勝だろう。しかしスペインには「国家」という概念が希薄なので(カスティリア、アラゴン、カタルーニャという州単位が「わが国」で、隣の州はアルゼンチンやメキシコなど、スペイン語圏と同等の扱い。国歌もメロディーだけでも歌詞がない)ワールドカップではなかなか本気になれないところがある。
ところで冬はアメリカンフットボールのシーズンだ。今年はシンシナティ・ベンガルズが強い。20年前を思い出す。スーパーボールで終了1分前まで勝っていた。モンタナからジェリー・ライスへの逆転パスで信じがたい負け方をした。あのショックで20年もの低迷が続いた。その20年の年月の重みを、シンシナティに行ったこともないわたしもひしひしと感じる。シンシナティの動物園にいたベンガル虎はまだ生きているのだろうか。

12/10
次男のプログを見ると、早起きしてサッカーの抽選を見ていたことを、嫁さんがレポートしていた。親子で同じことをしているのがおかしい。男声コーラスの忘年会。今月は青春小説に集中したいので、忘年会はこれだけ。

12/11
日曜日。終日、学生の宿題を読む。

12/12
学生の宿題、ようやく終わる。夜はちゃんと自分の仕事をしている。全体の3分の1くらいのところまで来た。中心となる年上のカップルと主人公が出会って、いよいよ三角関係が発展していく段階であるが、ここに主人公の中学時代の三角関係の頂点にいる女の子がからんでくることになる。男、男、女の三角関係が二組出てくるのだが、実はここから女、女、男の三角関係ができるというのが、この作品の骨格である。いま書いている段階では、読者にそのことを気づかせてはいけない(この創作ノートを読んでいる人はしようがないけど)。ちょうど全体の半分くらいで、そのことがわかるようにしたいと思っている。そこで話の仕掛けがわかってしまうので、そこからはスピードを上げて、一気にエンディングになだれこんでいく。半分までは、どういう状況になっているかわからないまま、手探りで読者を引っ張っていくことになるので、謎をなるべく小出しにしていく。前半と後半のスピードの切り替えを意図的にギアチェンジしなければいけない。

12/13
散歩にも出ずにひたすら仕事。「空海」の見本できたと担当編集者からメール。嬉しい。郵送したとのことで、まだ実物を見ていない。これが今年の仕事のメインである。

12/14
大学。今年最後の授業なので総括。いい話ができた。徒歩で神楽坂の新潮社へ。新潮新書用に渡してあった原稿について、修正点を確認。入稿は少し先なので、青春小説を完成させてから取り組むことにする。学生の宿題がドッと出たので荷物が重かった。

12/15
大学。第二文学部(夜間)の今年最後の授業。その前に、毎日日記みたいなものを連載しているスロウネットというサイトの担当者の取材。10月から毎日、わたしのブログを掲載している。原稿料をもらって書く仕事で、この自分のホームページと違って、ギャラを貰って日記を書くというのは初めての体験。このタダのページもあるので、こちらには文学的な話題、有料の方は、高齢者や団塊の世代向けのサイトなので、高齢者問題についての感想を書くようにしている。団塊世代はこれからのこの国に中枢をリードしていくはずで、そのためのオピニオンリーダーとして、的確な提言ができればと思っている。授業は心を込めて話した。第二文学部の方が、授業料を自分で払っている人の割合が大きいので、聞き手の熱意も高く、話す方もそれなりに、いつもより熱意を込めて話しております、という感じて話している。ただ2コマ目はこちらの都合で早めに切り上げさせていただいた。ペンクラブの会合。訪中団の打ち上げ。上海で成田へ帰る人と、関西空港に向かう人に別れてしましったので、エンディングが盛り上がらなかったので、改めて解団式をやった。ペンクラブ専務理事の阿刀田さんも参加して、今回の訪中団の意義について、何か話があるかと思ったのだが、そういうことはなく、ひたすら楽しい会合であった。こちらは授業で少し遅れて参加したので、わたしが到着するまでの間、わたしの話題で盛り上がっていたようだ。こういうのは遅れて参加するのはヤバイのである。改めて思うのだが、今回の訪中団は、同世代の作家ばかりで楽しく旅ができた。通訳をしていただいた神戸学院大学の中山先生とも再会できて、ハッピーな一日であった。

12/16
「空海」の版元、作品社の担当編集者と「空海」発刊を祝って宴会。小川町の伊勢源でアンコウ鍋。次の作品について、日蓮はどうかという提案。日蓮の攻撃性は面白いし、法華経について語るのは楽しいので、いちおう試みるつもりではあるが、かなり難しいところがある。そのうちやる気になるだろう。とりあえずは青春小説2本に集中する。

12/17
土曜日。何事もなし。学生の宿題と青春小説。

12/18
日曜日。役者をやっている姉と自宅で忘年会。クエ鍋を食べる。これで忘年会はすべて終わり。あとは年賀状を書くだけで年が越せる。

12/19
ウィークデーだが、さすがにヒマになった。明日、会議が一件あるだけで、大学ももう休み。年賀状。パソコンでプリントするのだが、住所録の整理が大変で一日仕事になる。青春小説も順調に進んでいる。

12/20
昨夜は年賀状のプリントで忙殺された。やっと終わったと思って確認していたら、百枚ごとに挟んであるピンク色の紙に、見事に両面印刷されたのが出てきた。あわてて一枚だけ刷り直したのだが、一枚だけするというのも変な気分だ。
本日はまず大学に行って卒論を受け取る。それから教育NPOとの定期協議。これで今年の公用がすべて終わった。学生の宿題を見る。もう今年の授業は終わったのだが、来年まで持ち越したくない。

12/21
さまざまな雑用をすべて片付ける。さて、これで年が越せる。わたしは大学の先生をやっているし、著作権関係の公用があるので、サラリーマンの人と同じくらい多忙であるが、ようやくオフになった。しかしここからが、小説家としての仕事に集中できる時期である。
さて、明日からはスペインに行くので、このノートはここでおしまいとす。続きは「年始年末/スペインの孫2006」を経て06年1月のノートへ。


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