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05/02
熱を出して入院中の義父を見舞うために妻が大阪に向かった。義母が車の運転ができず、病院は交通の便がよくない。妻の妹も連休中でやることがあるだろうということで、妻が出向くことになった。うちには子供もいないし犬もいない。わたしは一人きりにしてもらった方が仕事がはかどるくらいで、妻がいなくても問題はない。妻を鷲津(東海道線)の駅まで送っていく。車の運転は久しぶり。このあたりののどかな道なら問題はない。仕事場に戻ってひたすら仕事。謹操との対話。ここで難しい仏教についての議論になるところだが、読者の負担にならないように、わかりやすく展開したつもりだ。夕方、湖岸を散歩。徒歩30分のコンビニまで行く。今夜の夜と明日の昼のぶんの食べ物を買う。仕事場でビールを飲んでいると、妻から電話。明後日くらいに退院になるとのこと。あの尼崎の事故は、テレビで見ているだけだったが、妻が実家に戻るとなると影響が出る。当分の間、普通になっている。動いていれば新大阪で電車に乗れば、宝塚行きの直通で、あっという間に川西池田に到着である。直通でなく神戸方面の電車に乗っても、尼崎では必ず、同志社前から来た電車が反対のホームで待っている。実に便利なシステムになっていたのだ。これが動いていないと、まず大阪まで行って、阪急に乗り換えということになる。阪急は時間がかかり、しかもいまは混んでいる。幸い、阪急の川西能勢口の方が、バス乗り場に近い。わたしは昔、川西池田から歩いたことがあるが、実家まで30分くらいで歩いていけた。川西能勢口からなら20分くらいだろう。それでも妻はバスに乗るだろう。夜、一人でビールを飲んでいると、いくらでも飲んでしまう。三宿にいれば、三宿の日常があるので、飲み過ぎることはないのだが、三ヶ日にいるとリゾートだという気分なので、つい飲み過ぎてしまう。
05/03
一人きりなので寝過ごした。この仕事場は窓にカーテンがついていないので、明るくて目が覚めるのだが、また寝てしまう。リュウがいた頃は、空がほんのり白んだ時点で起こされてしまい、早朝に散歩に出かけたものだ。謹操との対話が終わり、槙尾山での得度の場面。また夕方に散歩。昨日も今日もよく晴れていて真夏のように暑い。一人きりなのでひたすら仕事。謹操との対話はテンポよく進んだ。第一章では何を書いていいのかわからなかったが、第二章で奈良に出てきてからは、歴史的事実に従って記述していくだけだから、テンポはいい。テンポのよさに流されていないかという心配もあるが、押さえるべきところは押さえている。高野山にいつ行くか。これから考える。パソコンの使い方が少しずつわかってきて、デスクトップの下部のバー(トレイ)に怪しい表示が出なくなった。一つだけ、マイクみたいなものが出ているのだが、これは何か。文章をしゃべるとワープロを打ってくれるのかもしれないが、それで小説は書けないだろう。マイクのスイッチを切りたいのだが。庭に出てぼんやりしていると、わたしの書斎の雨戸の戸袋から鳥が出てきた。小鳥である。その雨戸は開けにくかったので閉めたままにしていた。鳥が巣を作ったので開けにくかったのだ。湖の側ではなく隣の家が見えるだけなのでそのままにしてあった。無理に開けなくてよかった。
05/04
鷲津まで妻を迎えに行く。義父は退院ではなく外泊許可が出ただけだが、とにかく実家まで戻ってきたとのこと。一人だと仕事がずいぶん進んだが、やはり妻がいると生活にハリがあって落ち着く。謹操と槙尾に行く前に、如宝に会わせておく必要があることに気づいた。如宝は鑑真の弟子で、唐招提寺の別当。一般にはあまり言及されていないが、如宝はこの時代の重要人物である。施薬、仏像制作、法華経解釈、書道、唐音など、のちの空海に重要な影響を与えているはずだ。空海の大天才は、天恵のものもあるだろうが、当時の最先端の知識をもつ人物を次から次へと訪ねて知識を吸収したところにあるのだと思う。その出会いの場面を小説で表現するのがこの作品の意義だ。
05/05
妻の運転で四日市へ行く。三ヶ日から多米峠を越えて豊橋へ。そこから23号線で伊勢湾を半周。なぜ四日市かというと、次男が転勤で四日市の社宅に住んでいる。本人は嫁さんと東北旅行の後、嫁さんのいる前の社宅(つくば市)にいるようだ。社宅を2つ借りられる期限がもうすぐ終わるので嫁さんも四日市に移る。四日市の社宅が古びているのでこちらも引き払い、民間のアパートを借りることになっている。で、その社宅と、新しいアパートを探索する。カーナビにセットするとすぐにわかった。社宅は山全体が一つの企業の社宅群になっている。これでは朝から晩まで会社の中にいるみたいで息がつまるだろう。しかし山の緑が豊富でいいところだと思ったが、まあ、本人が自分で決めることだ。新しいアパートは新築みたいできれいな建物だった。帰りは高速で一気に帰る。途中から運転を交代する。如宝との対話、進んでいる。唐招提寺には天台智の天台典籍があるはずで、最澄はこれを読んだのだろうが、そうすると空海も読んだはずだと思われる。空海が天台典籍を読めば、何か反応があるはずで、それを書いておきたい。
05/06
スペインの長男から、バッハのピアノピースがほしいと言ってきたので、浜松のヤマハまで行って、すぐ近くにある郵便局から発送した。浜松はヤマハの本拠だから、店も充実しているが、ふつうの地方都市ではそうはいかない。まあ、わたしも妻もヒマだったので、のんびりと浜松までドライブした。如宝の口から最澄の名が出る。これは武蔵と小次郎が、お互いの噂を聞いてライバルを意識するような展開に似ている。もっとも最澄の方は空海をまったく意識していなかったはずだが。
05/07
早朝、次男が来る。嫁さんがまだつくばにいるので、連休の後半はつくばで過ごしたようだ。夜中に東名を走るのは3割引になるから。今日は仮眠のあと、のんびりして、また深夜に四日市に向かうという。雨が上がったので庭の松を切る。仕事場は浜名湖を見下ろせるのだが、前の道に向かって斜面があり、そこに松か生えている。背が伸びると見晴らしがわるくなるので、先端をカットする必要がある。仮眠していた次男は結局、夕方まで寝ていた。熟睡できるというのは若さの特権である。妻はタイメシに焼き肉、アサリ汁と、次男の好物ばかり作って大サービスである。深夜、次男は四日市に去っていった。あとで電話がかかってきた。一時間半で着いたようだ。
05/08
日曜日。連休の最後の日。都田のカインズホームへ行く。往復とも運転したので楽しかった。空海は得度して私度僧となった。久米寺で大日経を読む。ここから先は未知の領域である。歴史には記されていない空白期間である。作家の想像力が試されるところだが、第一章はほとんど全体がフィクションだったので恐れることはない。かえって資料があるところの方が、辻褄合わせが難しい。全部フィクションでいいのなら自由に書ける。この連休、かなり仕事が進んだ。妻が実家に戻っていたので、その間に調子が出た。三宿に戻ってこのペースが維持できるか。明日は移動日だが、帰ってから夜型に切り替えるためにしっかり仕事をしたい。
05/09
三宿に戻る。何事もなし。
05/10
大学。というかエクステンションセンターの講義。こちらは年配の人が多いのだが、皆、熱心に聞いてくれる。ありがたいことである。一度自宅に帰って一時間だけワープロを叩く。友人の会社設立のパーティーに出席。家族ぐるみでつかあっている人であるが、どういう会社なのかはよくわからなかった。ロボットを普及させるというのが会社の趣旨のようで、理科系の客が多かった。名刺交換をしたので大量の名刺を消費した。なかなか面白かった。
05/11
大学。昨日語ったのとほぼ同じ内容なので問題なし。「空海」は未知の領域に入った。第二章のここまでは、奈良に状況してから、大学に入り、出家するまでを、ほぼ史実に合わせて書いてきた。ここから遣唐船に乗るまでは、史実がない。何もないので想像で書くしかないが、十年くらいの年月が流れるので大変である。しかし本筋とはあまり関係のない部分でもあるのでなるべく短くしたい。唐に渡ってからは書くこともたくさんある。それでも蝦夷に行く必要はあるし、噴火している富士山を空海に見せたい。
05/12
本日は夜の講義。やや疲れ気味。
05/13
友人夫婦と京都でスキヤキを食べる。妻は先方の夫人と先に出発。こちらは仕事をしてから夕方、ぎりぎりで京都に到着。京都で降りるのは久しぶり。数年前に大津で講演して以来か。京都でスキヤキを食べるのいうのもヘンだが、友人の提案で鴨川踊りとセットということで、とにかくスキヤキなのである。わたしは大阪出身だから関西ふうのスキヤキ(ワリシタを使用しない)は子供の頃から食べているのだが、京都のスキヤキはザラメを使用し、白菜など水分の多い野菜を使わないので、本当に「焼く」という感じのスキヤキである。近江牛を使用しているとのことだが、近江牛にもいろいろあるだろう。要するに値段であるが、この店はビールの値段からすると割安の店だ。鴨川につきだしたデッキもあるのだが寒いので部屋の中で食べた。ごく親しい友人なので、楽しかった。
05/14
文芸春秋の今月号に出ていた古い建物めぐりの記事に従って朝の散歩。錦の妻の友人の八百屋を訪ね、南座の先の黒胡椒の店に寄ってから鴨川踊り(正しくは「をどり」)。実に楽しかった。もう一度、八百屋に引き返してランチを食べる。野菜ばかりのランチ。これは実に美味である。八百屋の二階という店である。京都駅で時間調整のため駅ビルのエスカレーターに乗ったら、友人が高所恐怖症であることが判明。引き返せなくなったので最上階まで行ってからデパートに入る。喫茶店でビールを飲み、新幹線に乗る。夜中は仕事。
05/15
日曜日。京都へ行った疲れが残っているが、いい天気みたいなので妻と散歩。目黒川沿いに中目黒まで行く。途中のヤムチャの店でビール2杯飲む。ものすごい夕立で店を出られなかったので、ビールが2杯になったのである。ようやくやんだので外に出ると、目黒川が濁流になっていた。こんな光景を見たのは初めてだ。
05/16
月曜日。今週も週に3日、早稲田に行くことになるが、本日は休み。「空海」は歴史の空白のゾーンに入っているが、蝦夷人を出すことで少し動き始めた。蝦夷へ行くことにする。坂上田村麻呂にも出会わせたい。快晴。三軒茶屋まで散歩。
05/17
早稲田エクステンションセンター。90分の講義を終えると受講者が拍手してくれる。下関から来ている受講者がいるというので驚いた。一度、自宅に帰ってから初台の第二国立へ。姉の三田和代が出ている芝居。韓国のスタッフ、キャストとの合同の舞台で、3年前の初演。今回は舞台が寝れている感じがして、楽しめた。わが妻は3年前の時は韓国公演まで見に行ったのだが、楽日がサッカーの3位決定戦と重なって、客は関係者の知り合いだけだったそうだ。韓国が3位決定戦に出るとは誰も思わなかったのだろう。
05/18
大学に出かける前に、平岡篤頼先生の訃報が届く。昨年末の早稲田文学の忘年会でお目にかかって以来だが、その時はお元気そうだった。昨日も早稲田文学のスタッフと会っておられたというので、思いがけないことであるが、すでに大学は定年退職されて、悠々自適の生活であったので、長く患われることがなかったことを、寿ぐべきかもしれない。
05/19
第二文学部。夜はいつも妻が車で迎えにきてくれる。それで何とかもっている。
05/20
文藝家協会の総会と懇親会。総会は今回は決議事項もないので、報告だけ。懇親会は毎年、いつもお世話になっている人々に頭を下げ続けることになる。年ごとに関係者が増えていくので、2時間の懇親会の間、ひっきりなしに誰かと話をしていることになる。それでもすべての人に挨拶することはできなかったのではないかと悔いが残る。
05/21
自治労の選考。笹倉明氏と。いつもは選考会の後、軽く一杯、ということになるのだが、平岡先生のお通夜に直行。笹倉は文芸専修で平岡先生の教え子であるが、明日の葬儀に参列するとのこと。妻に車で迎えに来てもらい、車の中で喪服に着替える。五反田の桐ヶ谷斎場。わたしの育ての親、元「文藝」編集長のK氏が亡くなった時、葬儀は中目黒の寺だったが、この斎場で関係者だけでお見送りをした。親しい編集者だけで、作家はわたしだけだった。もう8年前のことになる。今回はお通夜だし、平岡先生は大学教授であり、翻訳者で評論家で小説家で、しかも30年にわたって「早稲田文学」を主宰してこられた。さらに奥様はお医者さまで、その奥様のお父ぎみが書道家で、平岡先生は書道の流派の後継者にもなっていたので、関係者が多岐にわたっていた。作品社の担当者がいたので2章が終わったことを告げた。仕事をしたいので早めに妻の車で帰ってきた。途中、学芸大学前で食事。第三章に突入している。空海が蝦夷地に赴く。そんなことは歴史に記されていないが、空白の期間を埋めるためのフィクションである。第一章もほとんどフィクションだったので、恐れることはない。
05/22
日曜日。先週は土曜まで公用があってハードだった。久しぶりの休み。妻の運転でビールを買いにいく。なぜスーパーブルーは突出して安いのか。安さに負けてこれを2ケース、あと2ケースはダイエットを買った。このあっさりした味にはまっている。帰りにドコモショップに寄ってケータイを買った。これまでPHSを使っていた。これは自宅の内線電話の受けに使っているもので、外出の時にたまに持って出ることもあるが、室内ではアンテナ表示が出ないし、車の中でも使えない。しかも何年か後にはPHSが使えなくなるとのことで、ドコモが割引券をくれた。機種は何だかよくわからないが、字が大きく見えるものを買った。画面が大きく、サイズもやや大きめだが、操作の説明が表示されるので、わたしのようにたまにしか使わない者にはわかりやすい。テレビ電話の機能もついているが、そんなもので話す相手もいない。使うのは、車で迎えに来る妻に連絡する時くらいだ。結局、割引券を使うとタダでケータイを貰えた。それでもPHSに比べれば基本料金が少し高くなったので電話会社は儲かることになる。そもそも内線電話の端末としての使用が多かったわたしとしては損をしたような気分だが、鞄に入れたままPHSを戻すのを忘れて内線電話がとれないことがあるので、まあ、多少は便利になる。PHSの機能を失った端末は内線電話の子機専用として使われることになる。何だか可哀想みたい。
05/23
月曜日。今週もハードだが、今日は何もない。渋谷まで散歩。駅の自動販売機で切符を買う。この手の機械は苦手だが、新幹線の切符くらいは買える。渋谷までの徒歩の往復は疲れるが、帰りに20歳くらいの頃に3年間暮らした神泉のあたりを通ったので懐かしかった。店などはすっかり変わっているが、道筋は変わらない。昨日買ったケータイの待ち受け画面に亡きリュウノスケの写真を入れた。インターネットの自分のホームページから取り込もうと思ったのだが、なぜかうまくいかないので困っていると、妻がパソコンからメールを送ればいいと教えてくれた。するとすぐに届いた。メールの着信音を「ビール」というのにしてあったのだが、栓を抜いてグラスに注ぐ音が聞こえると、ビールが飲みたくなってしまうことがわかったので、別の音に変更した。ということで、待ち受け画面にリュウノスケの凛々しい姿がある。
05/24
早稲田エクステンションセンターの講義。4回の講義の最終回。大学なら20回で話す内容を4回で伝えたので、ものすごいスピードでしゃべったが、受講者が熱心に聞いてくれた。話していても気分がよかった。帰りに永田町の議員会館へ寄って、某議員の部屋で打ち合わせ。著作権関係の雑用であるが、必要な手を打っておかないと事が先に進まない。雨が降る前に自宅に帰り着いた。最近、東京では熱帯のスコールのような夕立が降る。昨日も夕方にすごい夕立があった。地球温暖化で日本は熱帯化しているのではないか。
05/25
大学。帰りに急行に乗ってしまったので三軒茶屋を散歩。
05/26
大学。木曜日の授業が終わると、夜の9時10分である。かなり疲れている。自分の授業は少しトーンが高いと思う。もう少しパワーをセーブした方が、学生も聴きやすいのかもしれないが、つい熱が入ってしまう。夜中はNPO文藝著作権センターの原稿。やや難渋。「空海」もストップしている。3章のアタマの部分だが、緊張感が足りない。早く唐に行きたい気もするが、空海を蝦夷地に向かわせるというプランを生かしたい。しかしなぜ蝦夷なのか。まあ、自分探しみたいなものだろうと思う。想像力をフル回転しないといけない。
05/27
文藝家協会で打ち合わせ。その後、NPO職員と打ち合わせ。打ち合わせの延長で近所の飲み屋で軽く飲む。この職員はわたしの担当編集者でもあるので、久しぶりに新宿まで足を伸ばす。深夜に及びタクシーで帰る。三宿に引っ越してからは、近所で飲むことが多いので、新宿で飲むのは久しぶり。
05/28
宿酔はないが、何となく集中力なし。「空海」の3章冒頭、少し書き直す。大幅な書き直しは難しいので、できるだけ削ってテンポよく展開することにした。空海が東北地方を歩いているのだが、早く唐へ行きたい。
05/29
日曜日。甥の引っ越し。野辺山の電波望遠鏡にはりついている東大博士課程の若者である。本郷のアパートを引き払うので荷物を預かることになった。研究者は無職の時代が長いので親は大変である。そのぶん定年は遅いのだが。うちの次男は私立大学の修士で卒業して民間企業に就職して自立してくれた。健全な考え方である。長男はピアニスト志望でどうなることかと思ったが、スペインの州立高等音楽院に就職できたので、完全に親の手を離れた。親が貧乏な小説家なので、息子たちは健全に自立の道を歩んでくれた。電波望遠鏡にはりついている甥が、どうもツブシがきかないようだ。
05/30
昨夜、明け方、坂上田村麻呂について考えていて、この人物は神と崇められているので、空海との出会いはもっと劇的であるべきだと思いついた。これで一挙に盛り上がるだろう。元気が出てきた。
本日は点字図書館。一つだけ意見を述べた。CDの貸し出し期間を伸ばせないかということ。ネット配信だと点字図書館の資料を全部自分のものにできるのに、郵便による貸し出しはすぐに返さなければならないというのは不合理である。一般の図書館の場合は、貸出期間を伸ばしたり、複本を増やすと、著作者に損害が出る場合があるが、視覚障害者の場合はそういう可能性がない。ほとんど譲渡に近い貸与というあり方があってもいいと思う。わたしたち健常者も、長生きすれば白内障などになるのだから、これは自分の問題でもある。なお、視覚障害者用のCDはデイジーという特別のシステムなので、ふつうのウォークマンやラジカセなどでは再生できない。従って、コピーが流出するおそれはない。極端にいえば、障害者がお亡くなりになるまでずっと貸してあげて、あとで返却してもらってもいいのではないか。もっとも、そこに至るまでには法律の解釈などさまざまな問題が出てくると思うが、自分が障害者になったら、という想像力を働かせれば、ベストの状態を目指して関係者のすべてが協力できるはずだと思う。
05/31
某国会議員(友人)と会食。その後、別の友人が近所で飲んでいることがわかり、そちらへ移動。この友人はわたしが高校の水泳部で最も遅いスイマーであった当時、最も早いスイマーであって、いまだにそのことを指摘するので面白くない人物である。帰って仕事。空海が東北の金鉱に赴く。もちろんフィクションである。空海には空白の数年間がある。ちょうどその頃、坂上田村麻呂の東征があった。それで空海も東北に行くことにした。合理的な解釈である。ということで5月も終わった。ノートは10冊目に移動することになる。
