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04/02
早稲田大学の新規採用の教員職員の集まりに参加。客員は二度目だが、この前にこんな会合に参加した記憶がない。たぶんこの前は非常勤からそのまま移行したので、この種の儀式には参加しなかったのだろう。本日の儀式で、実に懐かしい人にあった。25年くらい前に、デビューしたばかりの若手の評論家や作家が集まって、研究会を開いていたのだが、そのメンバー2名と会った。2人とも高名な評論家だが、早稲田で教えるということに、意欲もって参加したのだろうと思う。ありがたいことだと思う。さて、その後、八王子まで、コーラスの練習に参加。このメンバーは職種が異なる人々なので、何となく安心できるし、つきあいが長いので、お互いの家庭の事情まで知っていて、その意味では家族のような集団である。結局のところ、こういう仲間をもっているかどうかで、人生の充実度が決まるような気がする。
04/03
日曜日。下北沢まで散歩。アンコ屋公園に一本だけ毎年フライングする桜がある。それのみ満開だが、他の桜は固くツボミを閉ざしている。しかし人々は宴会ムードになっている。気象庁の開花予想を信じて親戚などを招いてしまったのだろう。先週、上野でも感じたことだが、日本人は桜など見なくても、桜の季節というものだけで酔えるようだ。
04/04
三軒茶屋まで散歩。それだけ。廃棄した草稿と同じ内容を拡大し深めながら再構築しているのだが、分量はすでに草稿を上回っているのに、まだ山場に到達していなかった。本日、ようやく山場を通過。山場というのは、初恋のシーンだ。草稿の第1章は約80枚だったが、これから悟りのシーンまで書くので120枚くらいになるだろう。すると全体の4分の1くらいになる。第2章では奈良が中心、第3章は唐への留学ということになるので、帰国してからの分量が短くなってしまう。まあ、それでもいいかな、という気がしている。偉くなってからの空海を書いても面白くない。むしろ、「空海の青春」といった感じでまとめた方がいいだろう。入滅の直前から回想するという設定にしているので、エンディングで一気に出発点に戻ってしまえばいい。
04/05
何事もなし。今週は公用はまったくない。来週から大学がスタートするので忙しくなるので、いまのうちに集中して仕事をしたい。
04/06
北沢川緑道を散歩。五分咲きくらいか。しかし人々は盛り上がっている。代沢小学校の脇は人工の川がない部分があり、そこが宴会スポットになっている。しかもそのあたりの桜は八分咲きだ。去年は、火を使わないでくださいと、近所のおばさんがうるさく注意して回っていたのだが、今年は諦めたのか、鉄板焼きや鍋がにぎわっている。コンビニでアイスモナカを買って桜を見ながら食べる。
04/07
ついに満開。「空海」も第一章の山場を越えた。草稿を書き直したので予定より一ヶ月以上の遅れとなったが、確実によいものに仕上がりつつある。
04/08
昨日から妻が実家に帰っているので一人きり。リュウがいた頃は、一人になっても寂しくはなかったが、リュウをベランダに出したり、散歩に行かないといけないので、のんびり寝ていることもできなかった。いまはプレッシャーがまったくない。コンビニで好きなものを買ってきて、好きな時に飲んだり食べたりするという夢のような生活をしている。早速キリンの新しいビールもどきを買ってきて試したが、思いっきりまずい。6つのパックを買ってしまったことを後悔する。
04/09
何事もなし。温かい日が続いている。自宅のリビングから、斜め向かいの家の庭の桜が見える。満開である。リビングルームから花見ができる。その家の亡くなったご主人はサツキの盆栽が趣味で、シーズンになると道路に面した作業場(大工さんだった)に鉢を並べたので、われわれも楽しむことができた。ふだんは桜の木の下に鉢を並べていたのだろう。狭い庭なので、枝を伸ばした桜の木が一本あるだけで庭は埋まっていたことと思う。三軒茶屋の近辺にも、そういう感じの家が少なくない。それくらいに桜を愛している人が多いのだ。第一章、もうすぐ終わりそうだ。
04/10
日曜日。妻はまだ実家。いつ帰ってくるのか知らないが、一人でいると仕事がはかどるのはなぜだろうか。今日は久しぶりに吉野屋へ行った。牛丼はないけれども、とても懐かしくて、幸福であった。「空海」はこの作品の最大の山場に来ている。室戸岬で明星が口に飛び込むシーンだ。思い起こせば、昨年の春に、室戸岬に取材に行った。めったに取材に行かないわたしとしては異例のことであったが、行ってよかったと思った。空海が修行をしたと伝えられる洞窟がそのまま残っている。このシーンで1章が終わる。1章で最大の山場が終わってしまっていいのかとも思うが、まあ、3章の長安青龍寺のシーンもあるから、山はいくつもあるのだ。
突然、妻が帰ってきた。これで日常が戻る。
04/11
雨。著作権情報センターの総会議事録の署名人になっていて、書類を簡易書留で出す必要があり、郵便局まで行く。しばらく妻がいなかったので、ついクセになってコンビニに入ってしまう。夜食用の食べ物を買ってしまう。もう少しで夕食の弁当も買ってしまいそうになる。空海が明星をのみこむシーン。あっさりと書いた。ここはリアリズムでは書けないのだが、シンプルに書くことで読者が一気に読めるようにした。描写を増やすとかえって嘘くさくなる。
04/12
また雨。文化庁から電話があって、送ったはずの文書が届いていないとのこと。人事異動でメールアドレスが機能していないらしい。勝手に人事異動するな、と言いたいところだが、とにかく再送付する。空海の山場を書いているのに、著作権について考えたくないので、とにかく前に送ったファイルをそのまま送る。もう一度見直せば、もっとよいアイデアが出るかもしれないが、そこまで関わっていられない。明日は大学の初講義。何を話すかは、おりおりに考えているのだが、水曜と木曜で、合計4コマあるので、4種類の話が必要だ。小説とは何か、という話に入るのは共通しているのだが、クラスの構成が微妙に違うので、話のマクラを4とおり用意しないといけないし、第二文学部は前後期制なので、すぐに本題に入らないといけない。今月はエクステンションの講座も入っているので、社会人用にもう1つマクラを用意しないといけない。とにかく今日、第一章が終わるので、しばらく「空海」は休みたい。
04/13
大学。早稲田で講義するのは4年ぶりである。単発のものなら去年は上智と昭和女子大でやったから、この種の講義のカンはなくなっていないはずだが、2コマ連続でやると、とても疲れた。2年生以上のクラスと1年生のクラスをやったのだが、先にやった方が乗りがよかったと思う。後半は少し疲れていた。研究室に戻って、パソコンを届けてもらった。もらったといっても大学がリースしたのを貸与されるだけで、退任の時は返さないといけないから、付属品などを確認する。で、コンセントにワイヤーをつないで、インターネットにアクセスしようとしたが、つながらない。どうもコンセントが生きていないようだ。このノートパソコンは、執筆用に使うだけで、インターネットにつなぐ必要はないのだが。しかし原因をはっきりさせる必要があるということで、明日、技術者が来て点検することになった。「空海」は第一章が終わって、すでに二章にとりかかっているのだが、今日はパソコンをもってかえって、ソフトを入れて設定するつもりでいたのだが、パソコンを研究室に置いてきたので、デスクトップで仕事を続けることになる。しかし久々の連続2コマで、疲れているので、仕事をする気になるか。明日も2コマあるので、先が思いやられる。まあ、そのうち慣れるだろうが。
04/14
今日は第二文学部。早めに研究室に行って、技術者を待つ。昨日つながらなかったパソコンの接続、本来、研究室の端末は大学のサーバーに直結しているはずなのだが、昨日はつながらなかった。結局、直結がうまくいかないので、IDとパスワードを入れてログインする方式にするとつながった。手間はかかるが、とにかくつながることがわかったのでそれでいい。ヤフーなどにつないで、大学の外部に出ていけることも確認した。大学のシステムは、自宅からも入れるので、とくに研究室でつなぐ必要はないのだが、ソフトのバージョンアップなどの可能性もあるので、つながることがわかって嬉しい。それから講義2コマ。昨日と合わせて4つの講座を受け持っているのだが、その4つの違いがよくわかっていないので、同じような話になってしまう。昨日の水曜日は、2年生以上と1年生という違いがあるので、上級者と初心者という違いがあるはずだが、4年のブランクがあると、わたしの授業を受けた学生がいるわけではないので、最初から話をしないといけない。上級生も1年生も同じ話になってしまう。本日の第二文学部は、ふつうの創作指導が、前期、後期に分かれているので、後期が上級者向けということになる。だから前期は、結局同じ話になる。もう1つのクラスは、最初から上級者を意識して、前期を歴史小説、後記を宗教小説ということにした。しかしまず小説とは何かという話をしないといけないので、同じような話になる。問題は、どのクラスで何を話したかが、老人ボケ気味のこの頭の中で整理できるかどうか。まあ、老人にありがちなことだが、同じ話を何回もすることになるだろう。学生の方も、皆勤で出席するわけではないから、同じ話をくりかえしてもいいのだが、たまに出席した学生が、偶然、その時に同じ話に遭遇すると、あの先生はいつも同じ話をしているという印象をもつかもしれない。老人だから仕方がない。
貸与のパソコンの接続が終わったので、家にもって帰った。わたしは一太郎のエイトックで、ワードで原稿を書くという、変則的な書き方をしている。前に客員教授をしていた時に貸与されたパソコンがまさにそれだった。最初にパソコンを始めた時、一太郎だったし、専用ワープロのキー配置に近くなるように修正して打っていた。いまもそれを使っている。ということで、エイトックを入れた上で、キー配置と変換辞書をコピーするという作業をしなければいけないが、どうすればいいか、老人は忘れてしまっているので、いろいろと試行錯誤することになるだろう。
04/15
昨夜はパソコンの設定だけで疲れ果ててしまった。懸念したとおり、キー配置や変換辞書のコピーのやり方をすっかり忘れてしまって、一時はどうなるかと思ったが、ようやく成功した。あとは百科事典を入れた。書きかけの「空海」を入れて続きを書こうとしたが、どうも調子がよくない。マウスのかわりに指でポインターを動かす装置が2種類ついているのだが、そこに指が触れて勝手にポイントターが動いてしまう。マウスをつけることにしたが、テレビの方に向かうと机がないのでマウスの置き場がない。壊れた置き時計が手頃だったので、これを右手の先に置き、その上にマウスパッドを載せることにした。これは快適である。明け方、重大なことに気づいた。このパソコンには「ゲーム」が入っていない。この前、客員教授をやった時に貸与されたパソコンは、ウィンドウズ3.5という怖ろしく古いものであったが、ソリティアとか、フリーセルとか、マインスイーパーなんかは入っていた。まあ、考えてみれば、会社で使うパソコンにこんなものが入っていては仕事にならないだろう。業務用のリースのパソコンは、あらかじめゲームを削除してあるのだろう。しかし、仕事の前にゲームをするというのは、頭の準備体操みたいなものなので、何とかしたい。
光文社の編集者と三宿で飲む。彼は大学の教え子である。次男の中学高校の一年先輩でもあり、共通の話題が多い。仕事の話も少しする。
04/16
高田馬場の日本点字図書館で、音訳図書等の一般向け配信についての会議。障害者や高齢者の読書環境を守るために何ができるかといった話。視覚障害者については権利制限などで保証されている部分があるが、弱視者、高齢者、学習障害などさまざまな利用者の要望に答えるネット配信が実現できないかといった話をする。利用者の拡大を図ると、一般の図書との競合が生じるので、出版社の理解と協力が必要である。音読を聞くというのは、健常者にとっても便利である場合がある。揺れる電車の中などはもとより、車の中で朗読を聞くということもあるだろう。ベッドでイヤホーンで朗読を聞くといったことも考えられる。福祉ととらえるのではなく、新たな利用法と考えないといけない。
老眼が進んだため、パソコンの文字を大きくするような設定にした。昔のパソコンは解像度の関係から文字が大きかった。いまのパソコンは初期の設定では文字が小さすぎる。で、大きくしてみたいのだが、そうするといまこの原稿を打っているメモ帳の文字も大きくなって、読みやすくはなったが、何となく間延びのした文章に感じられてしまう。
04/17
日曜日。ビールを買いにいく。雑文3件。なぜか漢字変換が作動しなくなった。原因がわからない。
04/18
PHPの編集者と打ち合わせ。今日は編集長が参加。わたしより一世代下の人だが、「僕って何」をリアルタイムで読んだというから、文学青年である。歴史ものをやりたいというこちらの意向を伝え、企画を出してもらえることになった。ところで、大学から貸与されたパソコンに入れたATOKの挙動が安定しない。時々消えてしまう。インターネットで使っている、いまこの文章を打っているパソコンでは何の問題もないので、ウィンドウズXPの問題ではない。ハードがIBMなので、そこが問題なのか。とにかくこれでは使いものにならないので、一太郎の最新バージョンをインターネットで注文した。漢字変換のシステムが2種あるのは役に立つので、最新バージョンは必要なのだが、同じウィンドウズXPなのに、このパソコンで何の問題もないものが、貸与のパソコンで問題が出るというのは不可解だ。しかしまあ、わずかな投資なので、とにかく注文した。
04/19
教育NPOとの協議。とくに問題はない。夜中は仕事。今年の後半の仕事が固まってきたので、「空海」は6月いっぱいで仕上げたいが、無理かもしれない。とにかくやれるだけやって、あとは長期戦で持続するしかない。
04/20
水曜日の担当は、1時から始まる3限とその次の4限だが、問題は4限の教室では音響施設を使うのにカギが必要だということで、カギを借りるとそのカギを教員室の受付に返さないといけない。これが面倒なので、カギを借りないことにした。要するにマイクなしでしゃべればいいのだ。
04/21
木曜日は第2文学部。2年後には募集停止になるらしいが、夜間の授業がなくなるわけではない。新しい総合的な学部に組み込まれることになる。ただ、純粋の文学部(文芸などの入らない昔ながらの文学部)は昼間だけになるようだが、いまの第2文学部の魅力は、さまざまなメニューがあるところで、そのよいところは、新しい学部に引き継がれるものと期待している。講義も2回目なので、やや慣れてきた。先週ほどの疲れはない。ただ「歴史小説」に特化した今日の最後の講義は、学生の反応が鈍かった。もう少し幅の広いテーマで語るべきだろう。
04/22
一太郎の最新バージョンは昨日届いたのだが、辞書の移動はできるがキー配置はできないという説明で、やや逡巡した。とりあえず再起動すると、とくに壊れなかったので、ますます迷いが出た。ところが本日、文藝家協会の理事会に出かける前に一仕事してから再起動すると、変換バーが消えてしまった。復元ポイントを設定してあるので戻すと直ったが、再起動の度に復元するのは不便なので、理事会からの帰りに導入を決意した。ATOKだけの導入なのですぐにできた。辞書も移動できた。キー配置はスペースキーの左右の変換キーだけの移動なので、何とかできた。まったく新しいシステムになっていて、しばらく呆然としていたが、とにかくやってみたら何とかなった。変換ツールバーも何だか見慣れないものになっていたが、修正することができたので、どうにか使えそうだ。そして、再起動させてみたが、問題はなかった。一回だけでは油断できない。しばらく使い込んで、試してみないといけない。
04/23
土曜日。妻と下北沢まで散歩。いい季節になった。妻はヒノキの花粉で急に症状がひどくなった。こちらはスギが終わったみたいで急に元気になった。元気だ、気持ちいい、と叫びたいのだが、妻の手前、押さえ気味にしている。パソコンはまだ壊れていないので、このまま行けそうだが、このネットにつないだパソコンの方は妻も使うので、しばらくこのままにしておこう。変換バーなど、見慣れない感じなので勝手が違う。漢字を変換しようとすると、何やら詳しい説明が出てくるところは、便利といえば便利だが、わずらわしい感じもする。何か妙なマークも出てくるので最初は無視しているが、気になるので指定されたキーを押すと、同義語が出てくるのであった。学生などにとっては勉強になるアドバイスだが、プロの作家にとっては、うるさい、というしかない。
04/24
日曜日。いい日和。三軒茶屋まで散歩。日曜日だから歩行者天国。安売り店でリュックサックを買う。4年ぶりで大学に戻ったので、学生の宿題がドッと出た日のためにリュックが必要である。690円。日本のデフレはここまで来たかと思う。昨日、雑文を片付けたので、「空海」に集中できる。主人公が奈良に出てきて、さまざまな人物に会うシーンを書いている。伊予親王、佐伯今毛人、右大臣藤原是公、といった人物が次々に出てくる。登場人物のキャラクターを描きながら、状況を語らせて、主人公のいる時代を明確にしていきたい。こういうものはただ説明するだけではイメージがわかないので、なるべく会話で語らせたい。大学で授業をする時は、会話で説明してはいけないと指摘するのだが、歴史小説の場合はある程度はこの禁じ手をやるしかない。
04/25
月曜日。本日は公用がない。今週は早稲田大学のエクステンションセンターの講義が火曜日に入っているので、明日から3連続で講義がある。その後は連休だが、この3日はハードだ。で、今日はのんびり三軒茶屋まで散歩。「空海」は調子が出ているが、状況の説明をしているだけ。勤操という僧が出てくるまでは大きな対決は起こらないが、その前に和気清麻呂を出しておきたい。是公もそうだが、「桓武天皇」の登場人物が次々と出てくる。和気清麻呂は「天翔ける女帝/孝謙天皇」にも出てきたから3回目だ。なじみのある人物が出てくると旧友に会った気がする。
04/26
本日はエクステンションセンターでの講義。要するに大学が経営するカルチャーセンターである。中高年の受講者が多い。学生は大卒資格の単位を主たる目的だから、休校になると喜んだりするのだが、カルチャーセンターの受講者はお金を払って話を聴きにきているので、こちらもそれに見合う情報を提供しないといけない。だから真剣である。まあ、初日は必要な情報を提供できたと思う。ふだんあまり行かない本部校舎を散歩していると、突然の豪雨。正門前のバス停の屋根で雨宿りしているとバスが来たので乗ってしまう。いまから35年ほど前、初めてこのバスに乗って驚いた。ものすごく複雑な経路を通り、えらい時間がかかる。わかってはいるが、バスに乗ってぼんやりするのも楽しいので、渋谷まで乗った。
昨日、尼崎で鉄道事故があった。宝塚線(福知山線)には妻の実家があるので、わたしもこの電車に時々乗る。宝塚方面から大阪、京都方面に行く電車と、尼崎で分かれて京橋、同志社前に向かう電車が交互に来るのだが、尼崎で神戸の方から来る電車が必ず反対側のホームで待っているから、来た電車に乗れば、どちらへも行ける。たいへんに便利なシステムだと思っていたが、宝塚線の電車に遅れが出ると東海道線のダイヤにも影響が出るので、わずかな遅れも許されないシステムだということに気づかされた。便利なシステムの裏には、危険があるということだ。
04/27
大学のあと、メンデルスゾーン協会の定期演奏会。わたしはこの協会の理事をしている。ライプチヒからチェリストを招いてチェロソナタ2曲。メンデルスゾーンのチェロ曲を聴く機会はめったにないが、2番は名曲だと思った。チェロのクリスティアン・ギガー氏はゲバントハウス交響楽団の第一主席チェロ奏者。でも若い。37歳。ピアニストの小林由佳さんは、奥さんのようで、見事な演奏だった。国際結婚のカップルを見ると、わが長男のことを考えてしまう。
04/28
第二文学部の日。連休直前だというのに学生諸君はみんな出席している。ありがたいことである。まあ、自分で学資を出している学生もいるので当然かもしれない。歴史小説の時間は歴史に特化しないことにしたので、先週のようなトーンダウンはなかったが、何を話したかを憶えていられるかが問題。明日から連休なので、このページの更新もしばらくお休みにします。
04/29
妻の運転で三宿を出発。ヤフーの交通情報では、大和トンネル20キロ、宇利トンネルでも20キロの渋滞という表示。宇利トンネルは三ヶ日の先だが、20キロの渋滞だと三ヶ日インターの手前まで渋滞が延びている。1時間ほど出発を遅らせて家を出ることにした。結局、青葉インター付近でオートバイの取り締まりをしていた箇所で渋滞があった他は、スムーズに流れていた。夕方に三ヶ日到着。多忙でなかなか仕事場に来られなかった。正月以来である。真夏のように暑い。風を通すと、ちょうどいい爽やかな感じになった。空海は和気清麻呂と対話を終えた。重要人物との最初の遭遇である。清麻呂の神秘性を少し出しておいた。空海だけに超能力があるわけではなく、清麻呂程度の人物でも霊能がある。昔の人は秘められたパワーを発揮していたのだ。リアリズムを損なわない程度に、超能力を描いておきたい。
04/30
妻の誕生日である。6年前の今日、交通事故で肩を負傷した。いまでも骨は折れたままだが、何とか生きている。この6年間、頑張って生きてきた。長男、次男とも結婚して、仕事をしている。事故の時いっしょにいた犬もいまはいない。妻と二人きりの楽しく充実した生活をしている。妻の運転でイトーヨーカドーとイオンをはしごする。三ヶ日にいると行動半径が広がる。道路がすいているからだ。空海は謹操と会う。ここで難しい仏教議論が始まりそうなので、少し迷っている。龍樹の中論をめぐって哲学論争になりそうだが、それでは読者が置いてきぼりになる。中論の原典をもってきていないので、引用することもできない。ここは少し考えた方がいい。
