……創作ノート1(9月)
……創作ノート2(10月)
……創作ノート「新アスカ伝説A」(12月)
11/04
三宿に戻る。日曜なので午前中に三ヶ日を出たので、道路はすいていた。三ヶ日ではミカン狩りをしたので(やったのは妻と両親で、わたしは仕事場で仕事をしていた)、大量の荷物があった。荷物を運び込んでいると、リビングルームの長椅子からむっくり起き上がる人影があったのでびっくりした。次男であった。前日、友だちの結婚式のあとで、徹夜でスキーをして、朝帰りのあと長椅子で仮眠していたらしい。
10月半ばに長男がスペインから帰国し、それにあわせて次男が休暇をとったので、久しぶりに家族4人の暮らしが戻ったが、子供たちがいなくなると、急に寂しくなって、虚脱状態になっていた。それでも仕事があるし、妻と2人だけの生活もそれなりに楽しいので、これから2人でがんばって楽しく生きていこう、などという気分でいたのだが、考えてみれば次男は土浦にいるのだから、時々は帰ってくるのだ。
三ヶ日の仕事場には、入口の手すり(階段を昇ったところに玄関がある)の中にミツバチが巣をつくっていて、家を建てた大工さんが撤去してくれた。すると大量の蜂蜜がとれた。前日は蜂蜜をしぼる作業に半日を費やしていた。というような話を次男にして、蜂蜜をわけてやった。次男は夕食を食べてから深夜に土浦に帰っていった。
さて、それから仕事である。三ヶ日では昼間、仕事をする。早朝と夕方に犬の散歩をするので、朝、犬に起こされる。三宿では、早朝に寝る。犬の散歩は妻の担当である。昔はわたしの担当だったのだが、2年前に散歩の途中でバイクにぶつかって鎖骨を折ってから、妻の担当になった。朝、妻が起きる直前に、こちらは寝る。ヨーロッパ時間で生活していることになるので、ヨーロッパへ行っても時差ボケはないが、三ヶ日から帰ってきた時は、時差ボケになる。3日後に、朝10時半からの文化庁の会議があるので、あまり深夜型にしてもいけないので早めに寝る。時差ボケでかなり早い時間に目が覚めてしまう。
8章が終わった。全体を10章と考えていたのだが、あと一つしか山場がないので、9章で終わってしまうかもしれない。少し短いが、それでもいい。8章では、大国主と主人公との奥深い対話を書いた。スペクタクルではないが、謎が解き明かされる面白さはあると思う。ただし謎がすべて解き明かされるわけではない。神とは何か、というのは、永遠の謎だ。
11/07
昨日は世田谷文学館の選考会と、文芸家協会の理事会というダブルヘッダーだった。本日は文化庁著作権分科会と21世紀文学の合評会があった。連日、2つずつ用があると、さすがに仕事は進まないが、それでも文化庁の会議の席で、9章の展開をメモにとったりした。
世田谷文学館の選考会というのは、世田谷区が主催している文芸コンクールで、短歌、俳句、川柳などたくさんの部門があるうち、わたしが担当しているのはもちろん小説。去年までは田久保英夫さんと二人で選考していたが、思いがけず今年のはじめに亡くなられたので、今回からは青山光二さんと選考する。青山さんは文芸著作権保護同盟の会長なので、これまで何度か、著作権問題についての交渉で同席したことがある。現役最長老の作家であり、文学史の中の人であるが、驚くほどお元気で読みも深い。このコンクールは、世田谷在住か、世田谷に職場、学校がある人に限られている。驚くのは選考委員も世田谷区民に限られていること。それでもすごい人材が集まっているところが世田谷区のすごいところだ。
21世紀文学というのは、岳真也さんが主宰する同人誌。岳さんとは古いつきあいである。作家になった直後に、知り合いになった。確か、高橋三千綱と対談したあと、突然、岳さんの自宅に押し掛けたのが最初の出会いだったように思う。岳さんは昔はコテコテの私小説を書いていた(その前は前衛文学を書いていた)のだが、いまは歴史小説を書いている。こちらもいまは歴史小説が主な仕事になっているが、扱っている時代が全然違う。岳さんは、同人誌が好きみたいで、21世紀文学の前は「えん」という同人誌をやっていた。その頃から、合評会に呼ばれて、同人の人々と酒を飲んだりしていた。従って、現在の同人の人々とも長いつきあいである。
さて、「角王」の方は現在、9章の半ば。ここまで、細かいストーリーは考えずに、自分でもどうなるか、という興味をもって書き進めてきた。もちろん、「日本書紀」の記述がベースになっているので、崇神天皇が四道将軍を派遣する、というような基本路線は崩せないが、細部はまったくのフィクションで進行させてきた。細部についてあまり先まで考えすぎると書く楽しみがないので、これまでは細部のストーリーは決めずに書いてきた。
ゴール直前まで来ると、頭の片隅にあるアイデアを整理して並べる必要が出てくる。考えたアイデアとかイメージとかを、ゴールインするまでにもれなく書かないといけないし、エンディングまでの段取りを考えないといけない。これがないと、作品は永遠に終わらない。終わり方は、書く前から考えていた。カラ諸国からケヒの浜に主人公が流れ着くところがオープニングなので、エンディングでは再び主人公が船で去っていく、ということになっている。これは物語の基本構造だ。
その去っていくまでのプロセスに説得力がないといけない。されから最後のスペクタクルとして、ミワ山のオオモノヌシと、モモソ姫のウケヒのシーンがある。オオモノヌシとは何ものなのかというのが、この作品の基本の謎となっているのだが、これは8章の大国主と主人公の対話で明らかになった。ミワ山にまつられているのはオオモノヌシということになっているのだが、オオモノヌシと大国主はどう違うのかということが、この作品のテーマになっている。これは作品を離れて、日本神道の根幹にも関わる大きなテーマだ。
モモソ姫はヤマト最大のハシハカ古墳の主で、卑弥呼そのものではないかといわれている人物だが、わたしの作品ではヒムカにいた卑弥呼の弟子で、魏志倭人伝には2代目卑弥呼、トヨ、と呼ばれる女性ということになっている。トヨが東征して、新たなヤマトを築くというのが、今回の作品の基本設定になっている。ここにカラからやってきた主人公ミマキ王子がからんで物語が展開する。巫女と王という二極の権力機構が、モモソ姫の死によって一極に収斂していく。これが作品のエンディングになるわけだが、ここにオオモノヌシが出てくることになる。
オオモノヌシのイメージについては、当初は、「魔物」と考えていたのだが、それでは虚仮威しなので、美少年ということにした。数日前に突然、思いついたのだが、この方がかえって怖い感じがするのではないか。で、文化庁の会議のすきまにメモをしていると、書くべき細部がまだかなり残っていることが判明した。最後のスペクタクルが始まる前に、分量的には9章が終わってしまう。すると9章にはまったくスペクタクルがないことになってしまうが、嵐の前の静けさということで、読者には我慢してもらうことにしょう。やや退屈すもしれないが、ここまで読んできた読者は、最後まで読まないわけにはいかないだろう。
全然、話は変わるが、文芸家協会の著作権関係のプロジェクトで、吉目木さん、川西蘭さん、中沢けいさんたちと、新しい電子ブックの実験に参加することにしていた。他の人々は、実験のためのテキストをすでに入力しているらしい。要するに、電子ブックで読むサンプルとして、文学作品を数点、用意するというもので、こちらも責任上、何か作品を出さないといけないということになった。わたしは最近、短篇をまったく書いていないので、単行本未収録の短篇、といったものがないので、どうしようかと考えていたら、「少女エクレール」という作品があったことを思いついた。で、とりあえずこれをメールに張り付けて送っておいた。
この作品は前のパソコンで書いた。大学に務めていた時、大学から支給されたパソコンで、ウィンドウズ3・1などという古めかしいものだったが、4年間、これで仕事をしていた。ハード自体もかなり古いもので、大学ではすでに新機種との交換が進んでいたのだが、こちらは任期制の客員なので、古いままのものを使っていた。使いものにならないほど古いものなので、廃棄処分になるのは明らかなのだが、税金の処理か何かで、確実に廃棄しないといけないらしく、退職の時に返還を命じられた。というわけで、大学に返してしまった。
で、打ち込んだ作品が残っているかどうか心配したのだが、いま使っているパソコンにバックアップが残っていた。前のパソコンを大学に返す前に、いちおう、すべてのファイルを新しいパソコンにコピーしておいたようだ。よかった。一度、活字になった作品のファイルは、とくに保存するという意識はないのだが、念のために保存しておいたのが役に立った。
11/10
メンデルスゾーン協会の定期演奏会。なぜか、理事をしている。ピアノの連弾とバイオリン、チェロだけでシンフォニーをやるというもので、けっこう面白かった。なぜ理事をしているかというと、知り合いから頼まれたという、それだけ。9章のゴール直前。だが、この作品の最大の山場の、モモソ姫とオオモノヌシのウケヒ(というか死闘)のシーンには突入できないことがわかった。嵐の前の静けさが延々と続くことになるが、エンディングに必要な情報を先に出しておく必要がある。山場が終わったあとでエピローグが長く続くと、だれたエンディングになる。モモソ姫が死んだあとはテンポを一気に速めて、シンプルに完結させたい。そこで、エピローグ的なものは先に出しておく。やや退屈になるだろうが、ここまで読んできた読者は、最後まで読んでくれるだろう。
11/11
9章完了。ひきつづき10章に入る。ここは「終章」としてもいい。これまでの章と同じくらいの長さになればいいが、短めだと「終章」になる。天皇が詔を出すところからこの章を始めたがやや迷いがある。9章の最後で、神が姿を現す。そのあとで、ストーリーが途切れることになる。ところで、ここに出てくる神の姿は、自分でも秀逸だと思う。この作品にはたくさん神さまが出てくるが、オオモノヌシは神々の王である。すごいイメージがほしかった。うまくいったと思う。ところでオオモノヌシというのは、大国主のミタマなのだが、ミタマとは何なのか、書いている本人もわからない。まあ、それでいいのだと思う。神とは何なのか、というのは永遠の謎である。キリスト教の神さまは一人しかいないからシンプルだが、それでは天使とは何かという謎が残る。日本の神々は、山や川が天使として人の姿をとったものと考えることもできる。つまり「使い」にすぎないのだ。では本体は何かというと、まずオオモノヌシがあり、その背後に、形のない神がいる。これはヨハネ伝の「言葉(ロゴス)」みたいなものだろうと思う。以上はわたしの勝手な解釈だが、この新アスカ伝説というシリーズは、主役は誰かといえば、実は、作者の世界観、ということになるだろう。その出発点であるから、この「角王」という作品は、シリーズ中のベストの作品でなければならない。
11/12
文化庁。先週も文化庁の会議があった。先週は情報小委員会。今日のは著作権分科会。それから、先月まで何回も開かれていたのは、二種のワーキンググループの会議。パソコンの内部にあるディレクトリーのように、階層構造になっていて、一番上が文化審議会(これにはわたしは出ない)、その次に分科会があり、次に小委員会があり、その下にワーキンググループがある。下で決まったことが上で承認され、さらにその上に昇っていく。わたしは3段階に参加しているため、3回、同じ話を聞くことになる。で、今日も、会議中に、書きかけの作品のことを考えていた。そして、弁当を食べて帰ってきた。午前中の会議なので、いつもは寝ている時間だ。だから仕事の時間が減るわけではない。少し眠い、というだけだ。
11/13
ペンクラブ言論表現委員会。毎日会議がある。10のあたまに天皇の詔をおくのは、やはりストーリーの流れが途切れる。ずっとあとに回すことにした。こういう時、ワープロは便利だと思う。段落全体を選択して、ドラッグする時、快感とスリルがある。これと、読めない漢字を国語辞典に入力して読み方がわかる時にも快感がある。これ、紙の国語辞典ではできないことだ。わたしが愛用しているのは、小学館の百科事典ニッポニカにおまけでついている国語大辞典だ。歴史小説を書いていると、つねにこれのお世話になる。ニッポニカも役に立つが、起動に時間がかかる。
ウケヒによって何が起こるのか、実はよく考えてなかったが、子供が生まれることになるだろう。それと、モモソ姫の死に方。日本書紀では陰部に箸が刺さって死ぬことになっている。これ、すごい話だけど、何で陰部に箸が刺さるかがわからない。箸墓古墳(ヤマトで最大の墓)というものが実際にあるので、「箸」で死ぬという設定は崩せない。どうやったら箸に死ぬんだ、とずっと考えてきたが、ぎりぎりになるとアイデアは出るもので、何とかなりそうだ。モモソ姫が産む子供については、これもすごいアイデアを思いついた。これは誰も考えつかないような恐ろしいアイデアで、ぎりぎりでこういうアイデアが出てくる自分の才能に驚く。実は古い民話に出てくるアイデアを少し変形したものだが、これは頭の中に情報がたくさんつまっているので、追い詰められた時にこういうものが役に立つのだ。
これらのアイデアの中には、この作品だけでは解決しないものもある。主人公ツヌノオオキミの子息のイクメノオオキミの時代になって、初めて意味が出てくるものもある。ツヌノオオキミの二人の子息、イクメノオオキミとマワカノオオキミが、次の作品「活目王……イクメノオオキミ」の主人公となるわけだが、シリーズものの鉄則として、続きを読みたくなる、という仕掛けが必要だ。その意味でも、いくつかの謎は謎のままで残しておかなければならない。
11/15
集英社の宴会。帝国ホテル。昨年に続いて教え子が「すばる新人賞」を受賞した。昨年、大久くんが受賞した時、実は今回受賞した大泉さんの作品は、ぎりぎりまで受賞を争っていたのだ。残念ながら大泉さんは受賞を逃したのだが、今回は満場一致で受賞が決まった。今回の作品が前回より格段に上達したかというと、そういうわけではなく、同じくらいのレベルだと思う。今回はライバルのレベルが低かったということもあるが、当選圏に到るレベルの作品を、二年連続で書くというのはすごいことだ。会場には、教え子の先輩の清水博子さんも来ていた。清水さんは野間新人賞の受賞が決まったばかり。野間新人賞は、芥川賞、三島賞と並ぶ、上級新人賞。次のステージに進んだことになる。
今年の3月まで、13年間、大学で教えていた。教え子は千数百人になる。その中で、すばる新人賞が4人も出たのは、先生としても喜ばしいことだ。大学に行ったことで、多くの人との出会いがあった。もっとも、死屍累々という感じで、作家を目指しながら、挫折を続けている教え子も多い。もちろん、文壇などには目もくれずに、ひっそりと書き続けている教え子もいるのではないかと思う。書くというのは、自分を見つめる作業だ。べつに文芸ジャーナリズムと関わる必要はない。
わたしの仕事も、結局は、自分を見つめる作業を続けていることになる。「ウェスカの結婚式」のような、身辺雑記的な作品は、まさに自分を見つめることになるが、いま書いている「角王」のようなファンタジーでも、自分の世界観、人間観、想像力が試されることになるから、自分というものとつねに向き合うことになる。わたしの場合はいちおうプロの作家だから、本が出ないことには仕事にならない。だから自分だけ見つめていればいいというわけにはいかない。読者にアピールして、本が売れる、という状態にならないと、プロとしての仕事が続けていけないわけだが、でも、「ウェスカの結婚式」を読んでくれる読者もいるようなので、わたしが勝手に自分を見つめている作業は、読者にとって一種のエンターテインメントになっているはずなのだ。
さて、「角王」は10章に入っている。作品の最大の山場、モモソ姫とオオモノヌシのウケヒ(交わり)の場面の直前まで来た。本日は宴会で少し飲み過ぎたので、執筆をストップする。明日、みそぎをしてから、ワープロに向かいたい。この最大のスペクタクルが終わると、作品は一挙に終結する。日曜日くらいには草稿が完成するかとも思うが、細かい詰めが必要なので、急ぐ必要はない。
この作品は、「地に火を放つ者」「碧玉の女帝」に匹敵するものになったと思う。この二つが、自分ではベストの作品だと思っている。前者はイエスキリスト、後者は聖徳太子が主人公で、まあ、他人の褌(フンドシと読みます)で相撲をとっているみたいなものだが、偉大な人物を描くことによって、書き手として少しでもレベルアップしたいという願望は、ある程度は達成されたと思う。今回は崇神天皇だが、これは歴史上の人物ではない。まったく作者の独創によるキャラクターなので、その点では、自分にとってのベストの作品になるのではないかと思う。
なお、「碧玉の女帝」はいま、学研M文庫に収録する作業が進行中。来年には本屋の店頭に出ると思う。わたしのベストの作品なので、ぜひ読んでいただきたい。「地に火を放つ者」は、版元が倒産したので、現在絶版中。千枚を越す大作なので、文庫化が難しいのだが、上下2巻にすれば可能だ。この「角王」(ノベルズにする予定)や、文庫の「碧玉の女帝」がある程度売れたら、文庫化ができるのではないかと期待している。読者の支援を求む。
先日、読者から、「地に火を放つ者」を読んだ、というメールをいただいた。図書館にはあるようだ。ありがたいことだ。これまでにも、読者のメールによって、「地に火を放つ者」が三田誠広のベストの作品だという評価は確立されているように思う。もちろん、いちばん反響が大きいのは「いちご同盟」だが、「いちご同盟」に感動してメールをくれる読者は、「いちご同盟」とか読んでいない読者が多い。図書館で「地に火を放つ者」を捜してきた読者は、かなり三田誠広に深入りしている読者で、そういう意味では、やはり「地に火を放つ者」がベストだと思う。
でも、くりかえしになるが、「地に火を放つ者」の主人公の台詞の半分くらいは、聖書からそのままとったものだから、どこまでが自分の作品なのかよくわからない。そこへいくと、いま書いている「角王」の台詞は、百パーセント、オリジナルなものだ。いま、ふと思いついたが、「天神/菅原道真」(学研M文庫)も、なかなかのものではないかと思う。
11/16
この作品の最大の山場、ウケヒのシーンが終わった。モモソ姫とオオモノヌシの交合である。ものすごいシーンだが、意外と短く終わってしまった。こちらの想像力が不足しているのかもしれないが、あまりくどく書くと嘘っぽくなる。これでゴール直前だが、エンディングまでに書き落としてはならない項目がいくつかある。短いシーンだが、どのようにつないでいくかが難しい。オープニングと同じような感じでテンポよく進んでいきたい。
この作品の重要なキャラクターとして、ニギハヤヒという存在がある。実際の古代史の中でも、幻の神というべき不思議な存在だ。日本書紀にもほとんど登場しないのだが、ニギハヤヒを祀った神社が、各地の重要なところに位置しているので、ほんとうはメジャーなキャラクターなのだ。この神は、今回の作品では、主人公の背後霊みたいなものとして、つねにつきまとっている。このニギハヤヒと対決するシーンが、エンディングの山場となるはずだが、ここもシンプルにきりぬけた。読者に考えるひまを与えてはいけない。考え込むと、つじつまが合わなくなる。神さまというのは、不合理な存在だから、合理では説明できないし、よーく考えると矛盾だらけだ。
10もあと15枚程度を残すのみとなった。この章だけでぴったり終わってしまえるかもしれないし、また終わるべきだろう。ちょうどいい長さになった。最初から読み返すのが、少し怖い。
11/18
どうやら草稿のゴールにたどりついたようだ。まだピタッと終わったわけではないが、最後の着地は冒頭部分に呼応しているので、最初から読み返して冒頭部分が確定したところで書くことにする。ということで、とりあえず、草稿は暫定的に完了してものとして、最初から読み返す作業に入ろうと思う。ここまで書いてきた感想を素直にいえば、すごいものを書いたな、ということに尽きる。ラストシーンは、主人公が冒頭の、自らがケヒの浜に流れ着いたことを想起することで、一種の円環を造ることになるのだが、読者とともに、作者(わたし自身)も、冒頭の部分を振り返り、そこから出発して、ずいぶん長い旅をしてきたな、という感慨を覚えずにはいられなかった。わずか四百数十枚の作品だが、長大なストーリーがつまっている。数多くのスペクタクルがある。神さまが次々に出てくる作品だが、怪物みたいな神さまも多いので、読む人はかなり疲れるだろうと思う。だがそれは、本を読むことの喜びにつながるだろう。
シリーズの2作目は、一転して、悲しいロマンスになる。マワカノオオキミとイクメノオオキミという二人の王子が、錯綜した恋愛関係の中で思い悩むことになる。これにヤマト姫という巫女的な存在をからませて、神秘的なロマンスにしたい。このノートは引き続き、「新アスカ伝説」のままで続行する。ただし、途中で、他の作品を手がけることもあるだろう。七月にいちおう草稿が完成した「頼朝」は、来年の刊行となったので、まだ入稿されていない。アスカ伝説を書き始めてからも、おりにふれて「頼朝」のことは考えていた。入稿されていたら、ゲラで手を入れるということになるが、入稿前なので、最初から読み返してワープロで手入れをすることになるだろう。あるいは大幅な手直しということになるのかもしれない。まあ、半月ほどで作業は終了するだろうが。
ともあれ、「角王」を最初から読み返して、完成原稿を作成する。そのまま第二部の「活目王イクメノオオキミ」に突入したい。すでにイクメ王子も、マワカ王子も、「角王ツヌノオオキミ」に登場しているから、そのままのキャラクターで、新たな物語が展開されることになる。少し休みたい気もするが、いろいろと仕事があるので、そういうわけにもいかない。
ところでどうでもいいことだが、またパソコンがおかしくなった。というか、おかしくなったのワードなのだが。「角王」の原稿は150ページくらいになっているのだが、その最初にタイトルを書いた部分がある。そのタイトルの書体と大きさをちょっといじって上書き保存したら、文書のサイズが倍になってしまった。あれ、と思って書体を元に戻したら、今度は3倍になった。こうなるとフロッピーにコピーできなくなった。
わたしはラップトップで仕事をして、これをフロッピーでデスクトップに移し替えてプリントしたりメールで送ったりしている。書き下ろしの場合はフロッピーを添付して編集者に渡しているので、フロッピーに入らないと困る。で、いろいろと考えてみたのだが、これは上書き保存の時に、コンピュータが暫定的に既存の文書を修正した結果、情報が重複してコピーされているのだろうと気づいた。上書き保存ではなく、べつの名前にして新たに保存したら、もとのサイズに戻った。やれやれ。パソコンというものは、何が起こるかわからない。
11/19
夕方、冒頭部分のチェックをした。冒頭に出てくるケヒの浜の風景描写と、イササワケの神という気比神宮の主神を、ラストシーンにも登場させる。で、冒頭の部分を修正した上で、ラストシーンを描いた。始めと終わりが重なって、円環構造が完成する。で、これで草稿が完成した、という手応えが得られた。よって本日、この日を、草稿完成の日とする。これからもう一度、最初から読み返して、矛盾点をチェックしていくことになるが、書いている途中でもパソコンの検索機能を使って随時修正してきたので、大きな直しはないはずだ。
テンポのよいファンタジーを書く、という当初の構想からすると、少し重くなったかなと思う。重くなった理由は、重くしないと恰好がつかないということに尽きる。神さまがいっぱい出てくるので、重みがないといけない。神とは何か、という根底的な問題をずっと引きずっていた。いまだに全面的にクリアー担ったわけではないが、自分なりの世界観が確立できたように思う。この世界観は今後もずっと影響をもつものだけに、じっくりと時間をかけてよかった。
一カ月くらいで書けるかと思っていたのだが、三カ月近くかかることになった。しかしそれだけの価値のある作品に仕上がった。この間、世界貿易センタービルが破壊され、アフガニスタンで戦争が起こるなど、世界情勢は変化したけれども、こちらはひたすらこの作品を書き続けてきた。実は夏に仕上げた「頼朝」と「ビッグバンの謎」がまだ入稿されていない。時間がたったので、少し手直しをしてから入稿しようと考えている。年末まで、次の「活目王イクメノオオキミ」の構想を練りながら、手直しをするという作業になりそうだ。
深夜、本日の作業はこれで終わる。2章まではをチェックした。ここまではうまくいっている。一日フルに使えれば3章ずつチェックすることができるが、明日も明後日も雑用があるので、一日に2章くらいになるだろう。今週中に完成することは間違いない。
11/22
一昨日は矯正協会、昨日は文芸家協会で仕事があって、「角王」のチェックは一章ずつしかできなかった。矯正協会というのは、受刑者の矯正をめざす法務省関係の協会で、わたしは受刑者の創作と随筆のコンクールの選者をやっている。今年から担当したのだが、よい作品が多かった。胸の痛みを知っている書き手たちだし、何とか前向きに生きたいという意欲をもっている人々だ。去年まで担当していた大学の創作教室には、何の意欲もない学生が半分くらいいた。そのことを思えば、受刑者の方がレベルが高いのはあたりまえだ。
文芸家協会の方は、知的所有権委員長としての業務。教科書準拠ドリルの団体の人々との話し合いと、協会の顧問弁護士と、新しい著作権管理のための組織づくりの相談。故江藤淳氏の遺言(?)によってこの仕事を引き受けて以来、なすべきことがたくさんあって、時間をとられていることは事実だが、まあ、役に立つ仕事をしているという実感があるので、がんばっている。バルザックだって、著作権確立のために奔走したのだ。
4章まで読み返した。3章まではうまくいっている。テンポがよく、次々にスペクタクルな事件が起こる。こんなに面白い作品はないと思う。4章は、少し、だれているかもしれない。理屈っぽくなっている。しかし、話の展開部なので、このままいくしかない。エンディングさえうまくいっていれば、作品は成功といっていいだろう。長いシリーズにしたいと思っているので、どんどん先に進んでいきたい。最後まで読み返してみないとわからないが、8章のあたりからエンディングに向けて、ぐぐっと盛り上がっていく感じがあればいいのだが。
11/23
「角王ツヌノオオキミ」の「あとがき」の下書き。
この作品は「古事記」や「日本書紀」に記されている崇神天皇の物語を、作者の想像力によって一編のファンタジーとして描いたものです。神話の時代の物語なので、歴史とはいいがたいのですが、わたしたち日本人にとってはなじみの深い、日本の神々の起源をたどる大切な物語だとわたしは考えています。主人公はいちおう崇神天皇(ミマキ王子)なのですが、ツヌガアラシトと呼ばれた角のある渡来人のエピソードや、これに併記されているアメノヒボコの物語、さらに各地に伝えられている伝説をまじえて、テンポの速い冒険物語として描きました。
神話も歴史も、長大な物語群の集大成です。一つの物語の前後にも周囲にも、たくさんのべつの物語が関わっています。個人の歴史の前にも後にも、父母や子孫の物語があるはずですし、同時代のべつの個人にも、それなりの物語があるでしょう。わたしが描いたミマキ王子の物語にも、前史としての神話がありますし、これに続く物語群が用意されています。
前史については、作品の中に、大国主やヒミコの物語として、ある程度は書き込みました。ただし、いくらかの謎は残っています。この物語の隠れたヒーローといえるニギハヤヒの姿は、最後まで、はっきりとは見えないようになっています。何しろ神話の時代の物語ですから、すべての謎を解明してしまっては、ありがたみがないと考えました。
これに引き続く物語については、「新アスカ伝説」と題するシリーズとして、今後も書き続けるつもりです。この作品ではまだ幼児にすぎない太子イクメノオオキミと、角のある皇子マワカノオオキミが、次の作品の主人公となることでしょう。ちらっと名前だけが出てくるサホ姫とヒバス姫は、悲劇のヒロインとなります。さらに、予言の中に出てくるヤマトタケルは、その次の作品のヒーローです。そんなふうに、物語は果てもないほどに連続して展開されます。
わたしはすでに「碧玉の女帝」(学研M文庫)という、推古天皇と聖徳太子が活躍する物語を書いていますが、その本の冒頭には、武烈天皇という、神話の時代の最後を飾る半ば狂った英雄が登場します。わたしが書こうとしている長大な物語が、どこまでたどりつけるかわかりませんが、読者の支援があれば、命のある限り書き続けていきたいと思っています。
ともあれ、最初のヒーロー、ミマキ王子の活躍を、楽しんでいただけたと思います。次の作品は、ややセンタメンタルなラブストーリーになりそうな気がしているのですが、神秘的で奥の深い物語になるはずです。ご期待ください。
11/24
前日、9章までのチェックを終えた。8章の大国主との対話は、最高レベルになっている。これ以上レベルの高い文学作品はないだろう。これよりレベルを上げると、誰にも理解できない、ここからさらにレベルを上げると難解な新興宗教の教義のようなものになってしまうだろう。8章の主人公と大国主の対話は、書き手として、生涯でこんなシーンを書けたらいいな、というようなものだ。先日、読者からのメールで、こんなシーンを書けたら死んでもいい、というような部分があったと誉めてもらったが(誉めてもらったのは「地に火を放つ者」という作品)、今回の作品にも、自分でも、死んでもいいと思えた部分がいくつかあった。
だがもちろん、わたしは死なずに、作品を書き続ける。自分の能力に比べて、世界があまりにも広いということを自覚しているからだ。
11/25
昨日は姉が来て、ワインなどを飲んだ。姉といっしょに飲むと酔ってしまうので、来る前に最終章のチェックを終えた。フロッピーも作り、プリントも終えたので、作業はすべて完了。書き下ろしの作品の場合、とくに締切というものもないので、明日渡すというわけではないが、わたしの内部ではこの作品はもう、姿を消してしまった。次に進まないといけない。とりあえず、健康雑誌のエッセー、ビートルズ論、世田谷文学館の選評、という短文が三つ、締切が迫っているので片づける。
明日から何をするのか、何も考えていない。7、8月に完成した「頼朝」と「ビッグバンの謎を解く」が、発売時期の関係でまだ入稿されていないのだが、そろそろ入稿になるようなので、その前にもう一度、読み返して手を入れる必要があるだろう。それで12月はつぶれてしまうか。並行して、新アスカ伝説第二弾の構想を練りたい。
創作ノート1(9月)
創作ノート2(10月)
創作ノート「新アスカ伝説A」(12月)