崇神天皇04

2025年4月

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04/01/月
4月になった。1週間に満たない短い滞在だったが、浜松の仕事場を出発。早起きしたのだが、朝から雨が降っていた。雨雲レーダーを見ると30分ほどでやむというので、待機してから、車に荷物を積み込む。静岡県内は曇り空。御殿場のあたりで少し降ったが、神奈川県も曇り。清水と海老名で休憩したのだがどちらも傘は必要なかった。ただものすごく寒い。一週間前、東京から浜松に向かった時は、半袖シャツの陽気だった。仕事場にあった長袖のシャツを来たのだが、うすいジャケットをはおっただけなので、寒さが身にしみた。都内に入ると雨。冷めたい雨で、どんどん冷えていく感じ。何とか集合住宅に到着。10時出発の3時半着。パソコンをセットし、郵便物の整理。ようやく落ち着いた。今年の初めから始めた『崇神天皇』(タイトル未定)の作業は、既存の3巻の入力作業と、プリントのチェックを終えて、20年前の作品をリライトして完成原稿にした上で、新たに第4巻を書くという、壮大な計画だが、ようやく2巻目の入力があと数日で終わることになる。引き続き3巻目の入力に取りかかる。なるべく早く、4巻目に取りかかりたいと思っている。並行して、日本歴史時代作家協会のホームページのリニューアルに合わせて、『女が築いた日本国』という古代史の案内のようなものを書こうと思っている。できれば毎週更新としたいのだが、せめて月2回の更新が可能なように、少し書き貯めをしておきたい。その構想についても、ここに記していくつもりだ。

04/02/水
本日は公用はない。作業は順調に進んでいる。20年前の作品では、登場人物はすべてカタカナで表記した。『日本書紀』と『古事記』では漢字の表記が異なっているし、そのままでは読めないので、フリガナを付けることになるが、それも煩雑だろうと思い、すべてカタカナにした。神の名も、地名も、カタカナだったのだが、あまりにカタカナが多いとかえって読みづらくなる。それで今回のリライトでは人名のみをカタカナとし、章の初出のおりにカッコをつけて漢字を入れることにした。ただ原典のカタカナの人物がどんな漢字で表記されるのか、一つ一つ『古事記』などで確認しなければならず、けっこう面倒な作業だ。これが第3巻と、半分まで書いてある第4巻にも及ぶことになる。ところで本日はべつのことを書く。数学とは何だろうか。唐突だが、そんなことを考えている。「算術」ならばわかる。ツルとカメの合計の数と、足の合計の数から、ツル、およびカメの数を割り出す。ツルカメ算というのは、一種の思考実験で、全部ツルだと考えるか、全部カメだと考えれば、正しい答えに論理的に到達する。算術というのは思考実験によって、問題の解答を求めるための演算のごときものだ。数学は違う。数とは何か。そこから話が始まる。幾何学も同様だ。点とは何か。直線とは何か。並行線とは何か。概念を一つ一つ定義していく。その定義によって、数学や幾何学の世界が構築される。これは現実の世界とは無縁の、一種の写像の世界のようなもので、数というものは、本来は存在しない。一本の鉛筆。一個のリンゴ。一台の車。そういう個別に具体的に存在しているものに、符合としての「1」という概念をあてはめていく。1があり、2がある。どのような数にも「1を加える」ということができるので、1は2になり、3,4、5……。これが自然数といわれるものだ。数直線という概念がある。一本の直線の上に、1、2、3と、等間隔に点を打って、それを1、2、3と名づけていく。すると1と2の間に、隙間ができる。そこに2分の1とか、3分の1とか、分数を加えていく。ぎっしりと分数を並べていけば、1と2の間、あるいは2と3の間はすべて埋め尽くされてしまうかというと、そうではない。けっして分数では表記できない切断面のようなものがある。ルート2、ルート3、あるいはπ。これを無理数と呼ぶ。この数直線はゼロから始まっている。右側がプラスの数だとすると、左側にも数直線がある。ゼロから始まる数直線を、180度回転させたところに、マイナスの数直線ができる。さて、まだ数の世界は広がっていく。この数直線を90度回転させたところに、実数の数直線と直交する新たな数直線ができる。これを座標として新たな世界がひらけていく。ガウスの複素数による平面だ。ガウスはこの複素平面を用いて、正十七角形が作図できることを発見した。ガウスの墓は十七角形になっているそうだ。高校で習った数学で一番感動したのはこの複素平面だったのだが、大学の教員になってから学生にこの話をしても通じなかった。ガウスの複素平面を高校では教えないようになったらしい。これを知らなければ、マンデンブロ集合というものすごいものがあることの驚きと喜びも伝わらないのだろう。ぼくはそういう数学というものの、出発点が好きだ。数学者がやっている計算みたいなものには、おもしろさを感じない。単に無知なだけなのだが。ぼくがドストエフスキーのおもしろさを語っても、読んだことのない人にはわからないのと同じで、ぼくは数学者たちがおもしろい思っていることを理解するだけの知識はない。まあ、世の中というのはそういうものなのだと思う。突然だが、『文芸思潮』の最新号が届いた。ここに五十嵐勉さんが、ぼくの『デーヴァ』の書評を書いてくれた。ありがたいことだ。わかってくれる人が何人かいる。そのことが嬉しい。

04/03/木
文藝家協会の常務理事会、理事会。必要な報告をする。岳真也さんと短い打ち合わせをしたあと、弁当をもって帰る。ぼくが文藝家協会の理事会に出るようになったのは、30年ほど前のことだが、会議が終わったあとは、ウナギ弁当と缶ビールが出た。ぼくが副理事長になったころに、隣の文春ビルの西館にあった会議室が使えなくなって、会議室のスペースを確保するために広い部屋に引っ越すことになった。家主の文春は格安の賃料を設定してくれているのだが、それでも経費がかかるので、ぼくはウナギ弁当の廃止を提案した。いまの林真理子理事長になって、ウナギ弁当の復活ということになった。ぼくはもちろん賛成したのだけれど、実はぼくは、ウナギというものが好きではない。浜松に仕事場があって、行く度に一度はウナギを食べることになるのだが、また、ウナギか、と思ってしまう。魚そのものが嫌いだったということもあるし、子どものころ、母親と外出した時など、当時住んでいた玉造駅の近くのウナギ屋に行くことが多かった。大阪ではウナギのことを、「まむし」という。その語感がいやだったこともある。名古屋には「ひつまぶし」というものがあるが、これは細かく刻んだウナギが、ご飯でまぶされているのだ。大阪の「まむし」は、東京のウナギと同じ姿をしているのだが、ご飯のなかにも、大きなうなぎが「まぶされて」いる。ぼくはウナギのたれのかかったご飯は好きだったので、表面のウナギを苦しみながら食べ終え、やっとご飯だけになったと思ったら、ご飯のなかにもウナギがひそんでいた。そのショックがいまだに残っていて、どうもウナギが苦手なのだ。そこで最近は、会議室で食べるのをやめて、弁当を持って帰ることにしている。妻はウナギが好きなので、ぼくは帰りがけに自分の弁当を買う。それで楽しい夕食になる。ぼくは弁当というもの(ウナギ以外の)が好きなので、毎日弁当でもいいと思っている。

04/04/金
朝10時半からのSARTRASの共通目的委員会。この委員会では発言しないといけないことがあるので、体調を調えるために朝9時に起きる。いつもは10時に起きるのだが、それでは体調が調わない。朝起きると妻が作ってくれたカボチャのスープを飲み、コーヒーを飲みながら朝刊を読む。それで1時間くらいを費やす。起きた時にパソコンを起動させておくので、それでパソコンがいい状態になる。10年以上前のパソコンを使っているので、起動の直後は作動が不安定になるので、そういう対応をしている。ZOOMでの会議はiPadを使うので問題はないのだが、メールで送られてきた資料をパソコンで開くので、パソコンが安定していないと困る。そんなことで、9時に起きる。会議が長びいて終わったのは午後1時。午後3時に旺文社の人と打ち合わせ。住んでいる集合住宅は20階にロビーがある(その下はオフィスビルになっている)。このロビーは広大で、ほとんど人がいないので、打ち合わせはいつもここでする。ただ会いたいという話だったので、何か難しいことを頼まれるのではと警戒していたのだが、自分で対応できることだったのでよかった。それで一日が終わってしまった。昨日、文藝家協会に出かける前に、『垂仁天皇』(活目大王というタイトルにしている)の入力が終わった。既刊3巻のうちの第2巻までが終わった。あと1つの入力が終われば、新しく書く第4巻に取りかかれる。しかしこの第3巻が問題で、これが評判がわるくて、出版が打ち止めになり、第4巻を書き始めたところで作業がストップしていしまった。3巻までを書き直して、4部作を完成させるというのが、今年の大きなテーマだが、3巻目の書き直しが最大の課題になっている。いよいよその難題に取り組むことになる。今日は、10章ある章のタイトルの調整をした。ある時期から、章のタイトルの文字数を揃えるのが慣例になった。目次の見映えがよくなる。だが既刊の3巻は20年以上前の作品なので、章のタイトルの長さが不揃いになっている。これの調整がとりあえずの出発点ということになる。

04/05/土
毎日、新聞を読む。新聞のいいところは、自分の興味のない記事はたくさんあることで、もちろん興味のある領域の記事もあって、アトランダムに情報が入ってくる。今日は、二酸化炭素がなぜ温暖化を招くか、ということが書いてあった。迂闊にもぼくはその理由を知らなかった。簡単に言うと、二酸化炭素の固有の振動数が、赤外線領域にあるということだ。分子というものはそれぞれに固有の振動数をもっている。よく知られているのは水分子だ。水分子は中央の酸素の両側に水素原子が共有結合でつながっている。全体がVの字をしているので、酸素側がマイナス、水素側がプラスに帯電している。そこに交流電流のようにプラスとマイナスが高速で入れ替わる条件を与えると(電波や光などの電磁波はそういう性質をもっている)、分子は振動する。その振動に固有の振動数があるので、その振動数と同じ電波を照射すると、水分子は激しく振動する。常温の水が、たちまち沸騰したりする。これが「電子レンジ」という装置で、あの箱のなかに電子が飛び交っているわけではない(蛍光灯やネオンサインのなかには電子が飛んでいる)。マイクロウェーブという高周波の電波を照射しているだけなのだ。「電子レンジ」というのは日本だけのインチキな名称で、英語圏では単に「マイクロウェーブ」と呼んでいる。ここまでがぼくの知識だった。振動するのは水分子のような、プラスとマイナスの極性をもったものだけかと思っていたのだが、二酸化炭素のような極性のない分子にも、固有の振動数があるらしい。二酸化炭素はその名のとおり、2個の酸素と1個の炭素の共有結合だ。その点では水分子と似ているのだが、水分子がVの字の形をしているのに対し、二酸化炭素はO−C−Oが一直線に並んでいる。これでは極性は生じない。しかしさらに高周波の電磁波を照射すると、振動を始める。振動するということは、エネルギーを吸収して振動を持続させるということだが、その周波数が、赤外線の領域なのだ。赤外線は地球の岩石などが放出する。「焼け石に水」などというけれども、太陽光を浴びた岩石は、赤外線を放出する。これは人間にとってはぽかぽかと温かい光線で、ストーブが温かいのもそのためだし、岩盤浴などという気持のよいものもある。地球は太陽光を吸収して、赤外線を放出している。植物には葉緑素という装置が大量にあって、可視光線を吸収して炭水化物を合成する。人間はこの炭水化物を体内で分解して運動エネルギーに変えている。その運動エネルギーの余りものを体温として放出している。要するに可視光線は役に立つ電磁波で、赤外線は使い終わって役に立たなくなった電磁波だ。地球全体は役に立つ可視光線を吸収して、使い終わった赤外線を放出して、一定の温度になっている。ところが空気層のなかにはごくわずかな二酸化炭素があって、これを使って植物は炭水化物を合成しているわけだが、この二酸化炭層は赤外線を吸収する。赤外線を吸収するとどうなるかというと、単に振動が激しくなるということだけなのだが、ここに窒素や酸素がぶつかると、二酸化炭素の振動を受けて、スピードが上がる。運動エネルギーが大きくなる。すると空気の全体の温度が上がる。二酸化炭素の量が増えると、空気の温度が上がる。これが温暖化の原理だ。二酸化炭素がまったくないと、光合成ができないから、植物も動物も死滅する。それだけでなく、温暖化の逆で、地球は氷点下の氷の星のになってしまう。二酸化炭素が適量あるということが重要なのだ。二酸化炭素はこれまでの植物の活動で、樹木となっているだけでなく、石炭として地下に所蔵されている。植物性プランクトンがためこんだ二酸化探査は、石油として埋蔵されている。さらに珊瑚などの生物が二酸化炭素を炭酸カルシウムに合成し、これが地中の石灰岩や大理石として埋蔵されている。石炭や石油を燃やしたことと、森林を伐採したことで、空気中の二酸化炭素の量が増えている。メタンガスも同様の性質をもっているので、北極圏のツンドラの地中にある凍りついたメタンガスが、温暖化で気化するのも、温暖化を加速することになるし、牛や羊のゲップやおならからもメタンガスが発生する。結論として、温暖化は止まらないとぼくは思っている。電気自動車に替えたくらいでは、温暖化は止まらない。とくにいまは、誰もテスラを買わなくなった。戦争というものも、温暖化に拍車をかけている。困ったことだが、これもどうしようもないことだとぼくは諦めている。まあ、地球はいつか滅びるのだが、それは明日、明後日ではない。自分が静かに死んでいければ、それ以上のことでくよくよしても仕方がないと思っている。

04/06/日
週末の2日間は、のんびりできる。リライトによる入力作業は3巻目に入った。正月からずっとこの作業をやっているので、何のためにやっているのか、忘れそうになる。結局のところ、今年はこの作業で終わってしまいそうだ。「新アスカ伝説」シリーズと称する新書版スタイルの作品を20年前に書いた。新書版の小説を書くのは初めての体験だった。カッパブックスに代表される新書版の大衆小説は一世を風靡していた時期があったのだが、カドカワ文庫など、文庫版で大衆小説が出るようになって、徐々に衰退していく。ぼくが書いたのもそういう時期だったのかもしれない。第1巻は2万部くらいでスタートしたのだと思う。エンターテインメントを意識して書いたのだが、神話の世界を自分なりに再構築するという意図があって、理屈っぽさが抜けなかった。それでも、1巻、2巻と順調に出版されたのだが、3巻目の「倭建」というのが売れなかった。タイトルもよくなかった。これは古事記の表記で、日本書紀では「日本武尊」だ。こちらの方が親しまれている。ただこの3巻目は、イエスキリストの「生贄の小羊」のイメージを盛り込んだ。実際の日本武尊も、伊吹山の神に負けて三重県で死んでしまう。この死を逆転で意味づけるのが「生贄の小羊」で、神に供え物を捧げて「契約」を結ぶ。この「契約」という考え方は日本神話にもあって、「ウケヒ」と呼ばれている。日本武尊は神々と「契約」を結ぶために自らを犠牲として捧げる。そういう話だったのだが、読者にも編集者にも理解してもらえなかった。そこで本来は4部作を書くつもりだったのだが、3巻目で出版が打ち切りになった。20年前のことなので詳細は忘れてしまったのだが、そういう経緯だったと思う。その4巻目が半分まで書いたところで、パソコンに残っていた。3巻目までのデータは消えている。空き巣に入られてパソコンを盗まれるという事件があった。この4巻目は、新しいパソコンで書き始めて、それ以後、少しずつ書き進めていったもののようだ。『デーヴァ』を完成させて、これが最後の作品だと「あとがき」で宣言したのだが、この半分まで書いた4巻目(仮題は「卑弥呼戦記」)が気になっていた。1巻から3巻までの内容も忘れてしまっていたし、古いデータもないので、どうしようもないと思っていたのだが、倉庫に紙の本があったので、読み返してみたら、4巻目を書きたくなった。ただ20年前の作品なので、読み返すと不備なところが目立った。それで意を決して、全部書き直すことにした。そういうわけで、3ヵ月ほどかけて2巻までの入力を終えた。プリントのチェックは1巻が終わったところだ。ただ全体が完成してからもう一度、通しで読み返す必要があると思っている。ただ半分だけできている4巻目をちらっと見ると、早く続きが書きたいという気がしてきたので、作業を急ぎたいとは思っている。

04/07/月
文藝家協会で知財委員会。およそ30年近い昔のことだ。まだ50歳にもなっていないころに、文藝家協会の理事に任じられた。しばらく理事会に出席するうちに、当時の理事長だった江藤淳さんから、知的所有権委員長に任じられた。同時に、常務理事にもなった。何のことかわからなかったのだが、当時は学習教材会社が国語のドリルなどで、無断で作品を使用しているということが、ある業者が裁判を起こして、多額の賠償金をとることに成功した。裁判を起こした限られた著作者が恩恵を受けたわけだが、同等の権利は他の著作者にもある。しかし、すべての著作者が訴えを起こして、同様の賠償金を受けるとなると、教材出版社は軒並みにつぶれてしまう。これをどうするかだけではなく、今後のことを考えると、著作権管理ということが大事になる。当時は、文藝家協会の事務所のなかに、著作権保護同盟という別組織があったのだが、ここはテレビ番組の原作者などの管理をするのが主な業務で、教材などについては対応できないということになっていた。では、どうするのか、ということを、三田が一人で考えて一人で対応するように、というのが、江藤さんの指令だった。細かいことは忘れたが、児童文学二団体の代表者とともに、中小の教材出版社の団体と交渉をするうちに、出版社をつぶさないぎりぎりの落としどころが見えてきたので、それで手を打った。同じ条件で大手出版社と交渉し、さらに予備校大手とも談合して、裁判を起こさずにある程度の賠償金を受けるということになった。保護同盟からの申し出で、これを文藝家協会が吸収合併することになった。というようなことを、早稲田大学の専任扱いの客員教授をやりながら仕事をしたので、当時は超多忙だった。その間に、父が創業して兄が継いだ会社が倒産して、その残務整理などもあって、頭が混乱したのだが、昨日書いた新書シリーズは、そういう超多忙のなかで書いたものだった。超多忙になると、頭の回転数が上がりっぱなしになっているのだ。残夢整理も終わり、吸収合併した協会内の著作権管理の業務も順調に進み始めたのだが、著作権保護期間の延長を求める運動を、創作者団体協議会の議長という立場で推進するなど、超多忙はずっと続いていて、そういう仕事が現在のSARTRASまで続いている。で、文藝家協会ではずっと知的所有権委員長という立場ではあったのだが、この知的所有権(インテレクチュアル・プロパティー)という言葉がいまは使われなくなり「知財(知的財産権)」という言葉が世間に流通しているので、委員会の名所も2年ほど前に変更した。今回は「生成AI」をテーマに、諸問題に詳しい人々に集まってもらって、議論を重ねた。いい話ができたが、結論といったものは出ない。とりあえず著作権法の一部変更を求めている書協などの団体に協力することとし、あとは今後の展開を見守るということになったが、世の中が恐ろしいことになりつつあるということは、われわれの共通認識となった。簡単に言うと、ホワイトカラーの仕事が大幅に削減されるということで、そういう現象はいま起こりつつある。いまのホワイトカラーはオーバーワークの傾向があるので、AIの導入で、仕事が楽になる、という良い方向に進んでいるのだが、そのうちに人員削減という方向に進んでいくだろう。削減された人員がどこに行くかというと、足で駆け回る営業などは必要だろうが、オフィスでの事務作業は小人数で対応できる。とくに大企業の場合は人を減らすことになるので、あぶれた新卒者は、飲食業などのサービス産業に回ることになるだろう。ただこの業界はアルバイトなどで回転させているので、正規労働者が減少し、ほとんどの労働者が非正規となる。そんな未来が予想される。短歌や俳句などの趣味の世界は残るだろうと、小説家という仕事は最後まで残る知的労働者となるだろうし、紙の本は最後まで残る、ということで意見は一致したのだが、ほんまかいな、という気もしないでもない。

04/08/火
今日と明日は公用がない。と思っていたら、朝、ズボンをはく時に腰を痛めた。まあ、何とか歩けるので、近くの床屋へ行く。去年の年末に行って以来。3ヵ月半も行かなかった。老人の理容師ばかりの店。この前の時は何か病気の人みたいで、時々手が止まって、呼吸を整えている感じがして、スリルがあった。今日の人は腰の曲がった人だったが、苅り方は丁寧で、支障はなかった。2000円。

04/09/水
まだ腰が痛いが、9のつく日は薬屋が1割引なので、眼の洗浄液を買いにいく。杉花粉のピークはすぎたようだが、まだ桧が舞っている。ぼくはホコリにも反応するので、季節はないのだが、やはり春は危険だ。いまのところ眼は洗浄液でもちこたえている。鼻は寝る前に噴霧する薬を医者からもらっている。これは安眠のため。外出する時は鼻の穴にワセリンを少し塗ると、そこに花粉がつくらしい。これはイギリスで常用されているとのことで、少しは効果がある。ワセリンがなくなったのでメンソレタームで代用したらこちらの方がスッキリして気持がいい。これでマスクをする必要がなくなった。まだコロナやインフルエンザがあるので、電車のなかではマスクをするのだが、散歩の時はマスクをしない。それで何とか、この季節をやりすごすことができた。

04/10/木
このところ花粉を恐れて、散歩を短めにきりあげることが多かった。腰を痛めたのは運動不足が原因だろう。ということで今日は少し長めの散歩をした。神田川沿いの桜が風で舞って花吹雪になっている。春めいた風で、昨日から半袖シャツを着ているのに、寒くはない。NET会議の分配委員会。分配のシステムを少しだけ変えるという話が出てからずいぶん時間が経っているのだが、まだ話がまとまらない。こちらはもう諒承しているので、議論に参加することはないのだが、とにかく話のやりとりを聞いていた。本日の仕事はそれだけ。あとは名人戦。

04/11/金
SARTRAS役員会。何事もなし。近くの本屋に行って、『ドラフト名鑑』を購入。いよいよドラフトの季節だ。ぼくはアメリカンFootballというゲームのシステムとしてのおもしろさに着目している(日本将棋もおもしろい)。スカパーと契約していて、中継はビデオに録ってスロー再生しながらじっくりと見る。スカパーでも時々、大学の試合を放送しているのだが、そこまでは見ていない。なのでこの『ドラフト名鑑』が頼りだ。Footballの中心はQBだ。野球の場合はピッチャーだ。野球は毎日、試合がある。ピッチャーの連投できないので、先発6人と、リリーフ投手を5人くらいは用意しないといけない。Footballは週に1度の試合だし、QBがボールを投げるといっても、野球の投手のような投げまくるわけではない。そこで、各チームに先発QBが1人ずついればいいということになる。今年も、すでに先発QBを期待させる中堅、ベテラン選手のトレードが頻繁に行われている。去年のビリ、ビリから2番目、3番目のチームは、先発QBがいなかったから、そんな成績になっている。ドラフトはビリから順番に指名権があるので、今年も上位3人くらいは、QBが指名されるのではないか。ただ攻撃のワイドレシーバーと守備のコーナーバックを兼務する、という大谷みたいなすごい二刀流の選手がいるので、そちらの方に注目が集まっている。確かに高校には、そういう選手がいる。日本の高校野球でも、エース投手が4番バッターを兼ねるというのは、ふつうにある。しかし大学のFootballとなると、そういうことはまれなケースだ。今年はそなにリアな選手が話題となっている。昨年のドラフトでは、コマンダーズのダニエルズと、ブロンコスのボーの2選手が、先発QBとして、プレーオフに進出した。今年も2人くらいはそういう選手が出てくるだろう。さて、ぼくはチーフスのファンなので、QBを採る必要はない。スーパーボウルには大敗したものの、31番目というひどい順番なので、ドラフトはあまり期待できないのだが、去年の新人のワイドレシーバーのワーシーが活躍したし、一昨年のライスも活躍したので、今年はレシーバーも要らない。スーパーボウルで大敗したのは、オフェンスラインがマホームズを守れなかったからだ。ラインは5人で構成する。2人くらいはオフェンスラインを採りたい。センターはまずまずなので、両サイドのタックル、内側のガード、各1名がほしい。ドラフトの上の方の順番では、QB、次にエッジと呼ばれるディフェンスラインの両端、さらに守りの要となるコーナーバックが指名されることが多いので、オフェンスラインにいい選手が残っていることもある。それでも31番目だからなあ。ただ無理をして早い順番にトレードアップする必要はない。残っている選手を採れば充分だ。チーフスはスカウト陣がしっかりしていて、4巡、5巡で掘り出し物を拾うことがある。ランニングバックのパチェコと、コーナーバックのワトソンは、いずれも一昨年の5巡目以下の選手だった。去年は、1巡目のワーシーはよかったが、2巡目のオフェンスガードが、使い物にならなかった。それでも鍛えれば、今年は伸びるかもしれない。4巡、5巡でもオフェンスラインを確保して、鍛え上げてほしい。

04/12/土
週末は何もない。ぼくは晩年というか、当時は60歳から年金が貰えたので、年金生活に入ってから、大学の専任になって70歳まで勤めたので、その間はけっこう忙しかった。70歳で定年になったので、ひまになるはずだったが、SARTRASというものがスタートして、副理事長になったので、会議の連続という事態になっている。小説の執筆そのものも、昨年出した『デーヴァ』でいちおうの区切りをつけたので、もう執筆という仕事もないのだが、いまは古い作品を書き直すということで、いわば頭の回転のアイドリングは続けている。会議の方も、SARTRASがある程度、軌道に乗った状態になっているので、なるべく口を挟まないようにしているのだが、とにかくすべての会議を傍聴するということは続けている。で、週末になると、ほっとする。一日を、すべて自分のために使うことができる。とくに花見に出かけるということもない。録りためたドラマを妻といっしょに見る、というようなことをしている。Footballを見るためにスカパーと契約したのだが、基本契約というものがあって、多くのチャンネルを見ることができる。封切り直後の映画を放送しているチャンネルは割り増し料金が必要だが、古い映画を流しているところは基本契約で見られるので、頭の隅に残っている、タイトルだけは知っている映画を録画したり、ミステリーチャンネルで放送しているポアロやマープルのシリーズを録画して見ていたのだが、このシリーズとバーナビー警部のシリーズはたぶんすべて見たと思っている。いま気になっているのは、『主任警部モース』のシリーズで、これは主役のモースが何となく気に入らないので、とびとびにしか見ていなかった。NHKの衛星放送で、『刑事モース』というシリーズをやっていて、これは『主任警部モース』のシリーズが終了したあと、別の俳優で若き日のモースというコンセプトでシリーズ化したものだ。設定されている時代が古く、ひどく暗い内容なのだが、ゆったりとしたテンポでなかなかよかった。NHKのシリーズは途中で打ち切りになっていたのだが、基本料金で見られるチャンネルで新たに放送が始まったので、すべてを録画して、おりにふれて何度も見ている。それから、『主任警部モース』のシリーズで、モースの部下になっていた俳優を主役に据えた『ルイス警部』というシリーズの最後の方を見て、なかなかおもしろいと思った。そのシリーズを第1回から再放送しているので、これも全部録画している。主任警部モースや刑事モースの主役のモースは、知性が勝ちすぎて周囲から浮いているというのがコンセプトで、そこがよかった。若きモースの場合は上司の警部補が暴力的で短絡的で、かみあわないところがあるのだが、何となくコンビを組んでいるというところがよかったのだが、主任警部モースの部下のルイスは、短絡的で知性に欠けた人物だ。この人物を主役に据えた『ルイス警部』の場合は、部下のハサウェイという人物が、知性が勝ちすぎていつも悩んでいるという設定になっている。いまはこのハサウェイがぼくのイチオシの人物像で、同じ回を何度もくりかえし見るほどにはまっている。ローレンス・フォックスという役者なのだが、他のイギリス映画などでは見たことがない。このシリーズだけに集中しているのが、演劇界の役者なのか、よくわからない。ここまで書いてウィキペディアで調べたら、音楽活動もしているらしい。父親が俳優だということも知った。その父親が福音派の宣教活動をしていたこともわかった。『ルイス警部』では、ハサウェイは神学校中退という設定になっていて、宗教、哲学、文学にやたらと詳しいということになっている。父親が俳優業を中断して宗教活動にのめりこんだ時期があり、そのことで息子の設定を宗教に深入りした人物に設定したのかとも思う。そのキャラクター設定は成功していて、とても魅力的な人物になっている。そう思っているのはぼくだけかもしれないが。

04/13/日
大阪で万博が始まった。花博という小さな万博が大阪で開かれて、地下鉄が鶴見まで開通したのも、ずいぶん昔のことだ。1970年の大きな万博では、地下鉄御堂筋線が千里まで延長され、動物園前から出ている地下鉄が阪急千里線に乗り入れて、西口に達するといった、交通網の発展があった。今回も地下鉄中央線が会場まで延長されたということだ。大阪では、阪神と近鉄でつなげるといった、交通網の発展がつねに続いていて、JR梅田駅の北側の貨物の巨大なヤードが地下駅になっていて、いずれはそこに、南北をつなぐ路線が通ることになっている。阪急と南海がつながるという話も聞く。東京の場合は、新しい路線の建設がストップしている。東海道線と埼京線がつながったのはずいぶん前で、地下鉄の新路線もしばらくはできていない。大阪の方が発展している感じがする。1970年の時、ぼくは大学生だったので、大阪を離れていた。それでも夏休みには実家に帰っていたので、2度ほど、万博を見にいった。フランス館に入ると、ド・ブローイの電子が波動であるという仮説の説明があって、波動の干渉を示す展示があった。顕微鏡のようなものを覗く装置だったので、ひとりひとりが覗くのに時間がかかり、長蛇の列ができていたが、高校時代から物理学の歴史を愛好していたぼくとしては、これは見なければと、列に並んだ。ようやく列の2番目まで進んだ時、すぐ前で装置をのぞきこんでいたオジサンが、装置から目を離して「きれいな虹が見えた」とつぶやいた。まさにそういう装置だったのだが、この言葉がいまも忘れられない。その昔の万博で一番人気だったのが、アメリカ館で、アポロが月面に到達した直後の時代だったので、月の石というのが展示の目玉だった。これは列があまりに長く、ぼくは見るのを諦めた。息子たちが小学生の時に、筑波万博というものがあった。これは科学博と銘打った小規模なものだったが、アメリカ館は人気がなく、入口でオジサンが、「並ばずに入れるよ」と呼び込みをやっていた。郵便局で15年後の自分に出すハガキという催しをやっていた。当時は八王子めじろ台に住んでいたのだが、三宿に引っ越すことが決まっていて、住所もわかっていたのでその住所を書き、裏面に家族4人で15年後の自分にコメントを書いた。15年後の正月に、そのハガキは三宿の自宅に届いたのだが、ぼくと妻は浜松の仕事場にいた。長男はブリュッセルにいて、就職していた次男だけが、自宅に帰っていた。次男はハガキのことは忘れていたようで、驚いてぼくのところにメールを送ってきた。驚いたのも無理はない。小学生だった次男は、大学院を卒業して就職していたのだが、その当時勤務していたのが、筑波万博の跡地に整備された企業の研究施設を集めた団地のなかにある研究所で、ちょうど万博の郵便局があったあたりに、毎日通っていたのだ。そういう未来は、まったく予想不可能であったので、本人も驚いただろうが、ぼくも妻も驚いた。今回の万博には、何の興味もない。実家もなくなっていて、大阪とは縁が切れた。70年の万博は、堺屋太一さんがゼロから企画して実現したものだが、オープンした時には担当から外され、地下資源開発の部署に回された。一介の役人だったので、華々しいオープニングの場所から外された。いわば冷遇されていたわけだ。準備の段階では、堺屋さんは来場者があるか不安だったので、中学生の卒業旅行をすべて大阪にすることを考え、宿の手配ができるかと調べてみたところ、当時の中学生の人数の多さに驚き、宿の手配は不可能だと落胆したのだが、担当した文部省の人が、いまの中学生は異様に人数の多い世代で、万博開幕の時には大学生になっいる。その後の世代は急速に人数が少なくなるので、宿の手配は可能だと説明してくれた。その時に堺屋さんは、そこに世代の大きなカタマリがあって、その世代が高齢者になった時に大きなパニックが起こると心配になった。当時は資源開発の仕事をしていたので、海の底に埋蔵されている「マンガン団塊」などという言葉が頭の隅にあり、「人間の団塊」というものがパニックをもたらすという懸念にとりつかれた。堺屋さんは資源開発の仕事をしていたので、もし石油が輸入できなくなったら、大変なパニックになることを懸念して、ペンネームで『油断』というパニック小説を発表したのだが、その途端に中東戦争で実際に石油パニックが起こり、一躍、ベストセラー作家になった。編集部から第二弾を求められて書いたのが、『団塊の世代』という作品だ。ここでは、入試難、就職難を乗り越えて企業の従業員になったカタマリの世代が、中高年になると役職不足になり、そこで退職を迫られるというパニックを描いている。そこで解決作の一つとして、企業がコンビニエンスストアを作って、退職者に退職金の代わりに店を支給して、それで独立してやっていきなさい、というような話だったと思う。コンビニエンスストアという言葉を誰も知らない時期だった。ぼくは玩具業界の業界誌の記者をしていたので、新聞の片隅に、イギリスにコンビニエンスストアという、小さなスーパーマーケットがあって、日用品を売っているという記事があったので、これが日本にも広まって、そこで玩具を売るようになるとオモチャ屋さんが倒産する、というような記事を書いた記憶がある。実際のコンビにでは、玩具は売られていないけれども、食玩と呼ばれる、駄菓子屋で売られているようなチープなお菓子が売られていたりする。だがそれよりも前に、スーパーやショッピングモールが増えて、地元商店街などにあるオモチャ屋さんはほとんど見られなくなった。とにかく堺屋さんという人は、先見の明があって、やがては大河ドラマの原作を書くようになった。ぼくは『堺屋太一の青春と大阪万博』という本を書いたことがあって、堺屋さんに合計10時間ほどインタビューしたことがあった。『空海』『日蓮』『親鸞』という三部作の二つ目まで書いて、『親鸞』が書けずに困っていた時期だったので、この仕事をさせてもらった。「空海と日蓮の次が堺屋太一になります」と話したら笑っておられた。

04/14/月
歴史時代作家協会のホームページに連載をすることになって、原稿を書き溜めている。『女が築いた日本国』というタイトルで、天照大神から始まって、神功皇后、飯豊青皇女、手白香皇女、推古女帝以後の女帝……どこまで続くのかわからないが、30回くらいの連載にしたい。これはこの協会の代表代行になったので、ホームページを週に一度は更新して、新たな情報を提供したというコンセプトで始めるもの。いまその始めのところを書いている。最初の10回くらいが総論で、そこから各論に入っていく。各論になれば、そのつど書いていけばいいのだが、総論はまとまったものを書いてから、一回ごとの切れ目を入れていきたい。ということで、『日本武尊』の入力作業は中断している。

04/15/火
三田和代さんの朗読会だが、その前に車を車検に出すので、幡ヶ谷の自動車工場まで車で行くことにした。いつもは妻が一人で行くのだが、行く前に地図で経路を教える。今回はぼくがついているので、ぼくがスマホの地図を見ながら指示を出すことにした。この工場は、妻の従弟が教えてくれたところ。従弟は外資系の会社に勤めていてベンツに乗っている。資産家ではあるのだが、無駄遣いはしない人で、ベンツのディーラーに頼むとどうせ下請けに出す、ということで、その下請けの工場を調べて、自分で持っていくことにしたのだという。そこは確かにとても親切なところで、タクシーなども扱っている。ただその工場に行くまでの道がとても細い。地図で確認しても、こんなところに車が入れるのか、というところだ。ぼくは妻に指示を出すために、詳細な経路を調べていたのだが、実際にその道に入る時は、ほんまかいなと思ってしまった。幸い、対向車が来ることもなく、無事に工場にたどりついた。工場そのものは広い敷地で、大きな車が何台も並んで、修理点検を受けていた。車をそこに置いて、近くのバス停から中野に向かう。朗読会のあと、同じバス路線で新宿に出て、京王デパートで弁当を買って帰る。

04/16/水
今日は快晴。気温もほどほどに涼しい。明日は暑くなるらしい。わが住居は南西向きなので、快晴の日は強い日射しにさらされる。カーテンを閉めて暗がりのなかで生活している。まあ、仕事をするにはその方がいいのだが。そろそろFootballのドラフトのことが気になってきた。今年はQBは不作だと言われている。ドラフト候補名鑑に掲載されている有馬隼人さんによると、マイアミ大のキャメロン・ウォード、ミシシッピ大のジャクソン・ダート、コロラド大のシュドア・サンダース。まあ、この3人は、即戦力で人気者になりそうだということだ。3人いる。3人しかいないというべきか。去年は6人いた。そのうち2人は大活躍、2人は低迷、2人は出番がなかったのだが、今年は6人が揃って活躍しそうだ。それに比べれば、3人は少ないが、スティーラーズに入ったピケットが15番目で、そのピケットも低迷した、という不作の年もあったので、3人いるということはまずまずの年だというべきだろう。で、ドラフトの順番は、昨シーズンのチーム成績の逆。スーパーボウル制覇のイーグルスがビリの32番目で、負けたチーフスが31番目。とにかく成績上位のチームは、去年の先発QBがそのまま、というわけでもないのが、今年のおもしろいところで、プレーオフにも進出して上位から9番目、ドラフト順位では24番目のバイキングスは、先発のダーノルドを放出して、去年のドラフトで採用したマッカーシーを先発させる。ドラフト21番目で、昨年のプレーオフ進出に貢献したラッセル・ウィルソンを放出、そのウィルソンがシーズン前の怪我で出られなかった開幕から連勝したジャスティン・フィールズも放出。QBがいない状態になっている。老雄アーロン・ロジャースを迎え入れるという噂がある。このプランがぽしゃれば、QBがいなくなる。どうするんだ。バイキングスから追い出されたダーノルドは、シーホークスに迎えられた。代わりに放出されたスミスはレイダーズに移籍。ファルコンズは大金を積んで引き抜いたカズンズを控えに回して、去年のドラフトで獲得したベニックスで勝負する。コルツは一昨年の新人で活躍したものの怪我が多いリチャードソンの代役として、ジャイアンツで先発を続けていたダニエル・ジョーンズを採った。そのジャイアンツが今年のドラフトの焦点に位置している。ドラフト順は3位。1番のタイタンズも、2番のブラウンズも、先発QBが不在だから、3人の候補者のうち2人は取られる。残り福に期待して3番手を採るか。しかしジャイアンツは、スティーラーズから放出されたラッセル・ウィルソンを獲得している。今年はこれで行くと決めたようだ。それでも新人を来年以降に備えて採っておくか。ドラフト4位のペイトリオッツは、去年の新人メイが活躍できなかった。ジャイアンツがQBを採らなければ、QBが欲しい。ただジャイアンツがQB不要と判断すれば、この3番目のドラフト権を、トレードに出すことも考えられる。1巡の順番をとっかえる見返りに、2巡目から3巡目の権利もオマケでつけてもらう。そういう3番目の権利を欲しがっているのが、先発のカーが不詳して開幕に間に合わない9番目のセインツ。9番目ではQBは残っていない。それと21番目のスティーラーズが、ロジャース獲得に失敗した場合、オマケをいっぱいつけて、3番目のドラフト権をジャイアンツと交換するかもしれない。このあたりは、ロジャースの動向にもかかわってくる。これから数日、ドラマチックな動きがあるはずだ。

04/17/木
SARTRAS理事会。何事もなし。今日から暑くなるという予報。明日はもっと暑くなる。土曜はさらに暑くなる。それでも猛暑日に比べればまだ凌げる。日本の大臣が渡米して、下っ端の実務者同士の話し合いかと思ったら、相手はトランプがでてきた。前座対真打ちではどうしようもない。アメリカはいま、病んでいる。世界の支配者、世界の警察、世界の調停役といった立場を捨てて、ずるい小国になった。日本は戦争に負けて以来、ずるいことはできなくなったが、耐えていればいい方向に行くということでいままでやってきた。終戦から何年も経過しているのに、米軍が出ていかない。これは屈辱的な状況だったが、耐えていると、国防費のぶんをインフラ整備に回せて、戦前を遙かに上回る工業国になった。アメリカとしては、米軍を置いて日本を守る必要ないということだが、台湾の問題があるので引けなかった。トランプはウクライナを見捨てたのと同じように、台湾も見捨てていいと思っている。だから沖縄に米軍を置く必要はない。さっさと引き上げてくれればすっきりする。日本の国防は、玩具会社にドローン爆弾を大量に発注して、いざとなれば敵の首都まで飛ばせる体制を作ればいい。ドローンを敵陣まで運ぶのはたいへんだが、少し大きめのドローンに大量の小型爆弾を乗せて飛ばせばいいのだ。「核の傘」という言い方があって、何となくアメリカの陰に隠れていれば安心というような楽観的な人がいるけれども、アメリカが核をもっているからといって、日本のために使うとは限らない。日本が中国に攻められてアメリカが守ったら世界戦争になる。だからウクライナのように日本も見捨てられるだろう。玩具メーカーにガンダムを作ってもらった方がまだ頼りになる。

04/18/金
文藝家協会で文化庁と打ち合わせ。文化庁もがんばっていろいろな企画を立ててくれている。ネットなどでさまざまなコンテンツが飛び交っている昨今、そうした文字情報を二次利用したいという要望はあるはずで、たとえば誰かの詩に曲をつけてYouTubeにアップしたいとか、朗読しながらダンスのパフォーマンスを見せるとか、誰もが実演家になれる時代で、詩や散文を利用したいというニーズはあるはずだが、文藝家協会に登録している人は、教材利用に限っても30%程度で、他の利用となると、許諾を求めるのが至難になる。それを何とかしたいというのが文化庁の構想で、できる限り協力したいと約束した。誰もが実演家になれるのと同様、誰もが創作者になれるので、その全体を把握するのは難しいのだが、できる限りのことはするというスタンスは崩したくない。

04/19/土
週末は何もない。パソコンに向かって作業。車検に出した車を妻がとりにいったので、帰ってきそうな時間に地下の駐車場に出向く。回転式のゴンドラの上にバックで進入するのが難しいので、ナビをする。今日の最大の仕事はそれだった。あとは何事もなし。もうすぐ10万キロになる車は元気に戻ってきた。

04/20/日
御茶ノ水の集合住宅に引っ越して12年になる。目の前のはるか下方に、ニコライ堂がある。日曜日の10時に鐘の乱打がある。ぼくはいつも10時に起きるので、10時に鐘が鳴るのは目覚まし時計のかわりになる。一年に一度、復活祭の前夜に、真夜中に鐘の乱打がある。最初の年は驚いたが、毎年のことなので慣れてきた。長男の一家がスペインにいて、カトリックの復活祭のころはお休みがあるし、町のお祭りなどもあるので、ラインで写真を送ってくれる。ただロシア正教は何やら数え方が違うようで、一週間ずれることもある。今年は同じタイミングで、本日が復活祭。ということで、昨夜は夜中に突然、鐘の乱打が始まった。このあたりは病院が多いので、患者の皆さんもびっくりしたことだろう。われわれは住民なので慣れているが、一時的に入院している人は、突然の鐘に家事でも起きたかと思うのではないか。まあ、とにかく、復活祭だ。キリストが復活する。そんなインチキくさい話を、地球の半分くらいの人々が信じているらしい。阿弥陀さまが説く極楽浄土の話は、死後の世界なので、あるかないかは検証不能だ。キリストの復活は、具体的なエビデンスなので、ほんまかいなと思ってしまう。十二使徒のなかにも疑りぶかい人(双児のトマスという人物)がいて、復活したイエスに、ほんとにあなたはイエスなのかと尋ねる。顔が別人に見えたからだ。するとイエスは黙って手を差し出す。そこには釘で打たれたあとがあった。それがエビデンスだというわけだ。ぼくはこのところ、オクスフォードミステリーを毎日見ている。『主任刑事モース』というシリーズがあり、モースが亡くなったあとは、部下の刑事を主人公にした『ルイス警部』のシリーズが続き、さらに若き日のモースを描いた『刑事モース』はまだ時々新作が出る。で、場所がオクスフォードなので、大学教授が被害者だったり犯人だったりするのだが、大学関係者の次によく出てくるのが、教会の司祭や神父だ。日曜礼拝や、葬儀の場面がよく出てくる。日曜礼拝には行かない人々も、葬儀では深刻な顔をしている。われわれが正月に初詣に出かけたり、葬式で数珠をもって焼香するのと同じことなのだが、司祭の説教はかなり理屈っぽいし、信仰というものが、人間関係のもつれにつながることもある。そこで感じるのは、イギリス人の大半が、キリスト教を信仰しているか、信仰していないまでも信仰しているふりをしているか、あるいは自分は信仰していないと語っていても信仰している人を尊重しているということだ。これは日本とは大きく違う。イギリスはヘンリー八世のころ(日本では戦国末期)にカトリックから脱退して、イギリス国教会というものになったのだが、やっていることはカトリックと同じだ。その点ではプロテスタントの多いアメリカとは違っている。長男のいるスペインはこてこてのカトリックで、そこでは神を信じないということは許されない。信仰って何なのかな、とぼくは時に考える。ぼくも葬式には数珠をもっていく。というか、勤めていた大学が仏教系なので、数珠はで話せなかった。浄土真宗では「念珠」というのだけれども、入学式や卒業式では、文学部長のぼくが先頭きって会場の団の上に昇っていく。その時に必ず念珠をもって念仏を唱えないといけない。念仏は声を出さなくてもいいと親鸞が言っているので、声を出すことはなかった。指揮の中ほどで、「南無阿弥陀仏の歌」というのを斉唱する。これは大声で歌った。南無阿弥陀仏と一回でも唱えておけば必ず極楽浄土に行けると釈迦も親鸞も言っている。極楽があるかどうか、エビデンスはないものの、そんなところはないというエビデンスもないので、あれば行きたいと思っている。ただ積極的に行きたいとは思わない。そこには苦しみはないのだが、男と女の愛の高まり、といったものもない。退屈すると思う。とにかく今日は復活祭だ。大谷さんのところには女の子が生まれたそうで、足の写真がテレビに映っていた。可愛い!

04/21/月
このところは温かい日が続き、花粉も飛んでいないようなので、毎日、散歩に出る。今日はどこかに行こうというようなプランもわいてこないので、いつも同じコースをたどる。水道橋まで歩いて、崖下の道を戻ってくる。これだと信号がほとんどない。だいたい明治大学の敷地をぐるっと回る感じだ。ぼくが住んでいる御茶ノ水は、明治と日大がせめぎあっている感じだ。日大が昔の主婦の友社に侵出し、明治は山の上ホテルを買収した。学生街ではあるが、楽器屋がひしめいていて、その先にはスポーツ用品店が並んでいる。カレーと中華が多い街でもある。べつにこの街に住みたいと思ったわけではないが、この集合住宅の新聞広告が目にとまった。すでに武蔵野大学の専任になっていた時期で、御茶ノ水駅直結という宣伝文句につられてモデルルームに出向き、即決で申し込みをした。住んでいる一戸建ての上を売れば充分に買える金額だったが、売るタイミングが難しいので、ローンを申し込んだら、OKだった。すでに60歳を過ぎた高齢者だったが、持ち家があることが確認されたのだろう。大学が三鷹の方なので、一本で通えるし、通常の通勤とは逆方向なので混んでいないだろうと思った。まあ、どの時間帯でも、老人席なら座れたので、その点はありがたかった。大学を定年退職してもう数年になるのだが、そのままここに住んでいる。会議がほとんどZOOMになり、出かける仕事も少ないのだが、それでもどこに行くにも便利。とくに東京駅に近いのはありがたい。書協のビルや、学士会館、如水会館など、歩いていける場所で仕事があることもあり、そういう時は嬉しい。

04/22/火
今日も散歩に行く。いつもと同じコース。コンビニに寄ってウイスキーの小瓶を買う。明後日、いつものように沼津で一泊する。今回は2週間ほど仕事場にいられる。庭に雑草が生えていそうで怖い。白アリも怖い。去年は『デーヴァ』という大作に取り組んでいたので、頭がいっぱいだったが、小説の仕事もリタイアしたので、のんびりしていいはずだが、ひまつぶしに始めた旧作のリライトと、並行して始めた『女が築いた日本国』という解説書みたいなものが動き始めたので、とりあえずワープロに向かって作業をするつもりだ。浜松祭に行くつもりはないが、どこか人の少ないところで自然に接したいという気持はある。まあ、妻の指示に従って動けばいいと思っている。

04/23/水
朝から一日中の雨。散歩にも行かず。明日、沼津に出発。とりあえず第二巻の『活目大王』をプリントする。200ページ、600枚。大作だ。4部作が完成すると、2400枚の作品になる。大丈夫か、とも思うのだが、4巻目の半分まではできているので、とにかく3巻目までのリライトを終えて、4巻目の未知の領域に進みたい。歴時協会のホームページに連載する予定の『女が築いた日本国』は、10回ぶんくらいを書き溜めておきたい。そう思って書いているうちに、十回目まで来たのだが、まだ序論が終わらない。横道に逸れたりしているのがよくないのだが、ストレートな筆致ではおもしろさが出ない。気軽な読み物を会員の方に提供したいというコンセプトで書いているので、脱線しながら先に進むつもりだ。

04/24/木
沼津へ行く予定の日。緊急でネット会議が入ったが、もともと午後出発の予定なので問題はない。そのネット会議だが、さまざまな意見が飛び交う会議だった。出席できてよかった。さて、午後2時に御茶ノ水を出発。前回の3月末に移動した時は渋滞したのだが、本日はトラックが多かったものの、渋滞はなく、無事に沼津に到着。早めに寝る。

04/25/金
8時に沼津を出発。三ヶ日のスーパーに寄って、仕事場に到着。さて、本日はドラフト。中継は見なかったので、ネットで結果を確認。注目はQBの3人。誰もが認めるキャム・ワード、人気のあるシェドゥー・サンダース、実力の評価が高いジャクソン・ダート。それにFootball界の大谷と評判の二刀流トラビス・ハンター。レシーバーもコーナーバックもできるというので、一人で二人ぶんの活躍が期待できる。守備の選手は出ずっぱりが多いので、レシーバーでの出場は限られているが、いざという時の切り札として起用されれば大活躍する可能性がある。去年のビリのタイタンズから指名開始。当然のごとくQBのキャム・ワード。タイタンズは2年前に2巡でレビスを拾ったのだが、やはり2巡の選手には限界があった(ビリで採用された49ナーズのパーディーは奇蹟)。これでタイタンズは地区優勝の可能性が出てきた。2番目はブラウンズのはずが、トレードでジャガーズ。二刀流のハンターを指名。ジャガーズは数年前に1位のQBローレンスを指名していまも健在。いざという時のレシーバーの切り札を獲得して、これでジャガーズも地区優勝候補。一昨年と去年の地区優勝のテキサンズも含めて、Aカンファ南は混戦になる。あと1チームのコルツは、2年前のルーキーQBリチャードソンが怪我がちなのが懸念されていたが、ジャイアンツからダニエル・ジョーンズをとったので控えができた。4チーム混戦になるとおもしろい。さて、3番目はジャイアンツ。スティーラーズをクビになったラッセル・ウィルソンをとったものの、ここ数年、先発をつとめたダニエル・ジョーンズをコルツに放出したので、当然QBかと思いきや、エッジのカーターをとった。ジャイアンツのーにはティボドーというすごいエッジがいるので、左右に最強のエッジをもつことになる。これは怖いことになった。ジャイアンツがQBを採らなかったので、このところQBの不振で成績があがらなかったレイダースにチャンスが回ってきたのだが、シーホークスからスミスを採ったので、何とランニングバックをとった。この順位でランニングバックを採るのは珍しい。やはりスーパーボウルでのバークリーの活躍が、ランニングバックを見直す傾向を生んだのか。ジェッツはオフェンスタックル、パンサーズはワイドレシーバー、9番目のセインツは先発QBカーが怪我で開幕に間に合わないと噂されていたのだが、QBを採らずにエッジ。そのあとは先発QBがいるチームなので、21番目のスティーラーズにチャンスが出てきた。ここはラッセル・ウィルソンとジャスティン・フィールズを放出して、大ベテランのロジャースと交渉中だが、ここまで新人QBが残っていれば指名もありというところだが、ディフェンスのインナーという渋い選択。これくらいの順位になると、去年の上位チームなので、いずれも先発チームが活躍してその成績を挙げている。だが、25番目のファルコンズに到って、しびれをきらしたのがジャイアンツが名乗りを挙げた。ファルコンズはベテランのカズンズがいるし、去年採った新人もいる。ジャイアンツは今年の2巡(34番)、3巡(99番)、さらに来年の3巡と、大盤振る舞いで新人QBジャクソン・ダートをゲットした。去年、スティーラーズをプレーオフに導いたラッセル・ウィルソンがいるといっても、かなりのベテランなので、今年はベンチで勉強させて来年は先発という計画もできる。しかし3番でエッジをとったので、今年から新人QBで行きたい気もする。スティーラーズがロジャースの獲得に失敗した場合に、ラッセル・ウィルソンを戻すというのはどうか。代わりにオフェンスラインを貰い受けたいところだ。何しろ今年の2巡と3巡を渡してしまったので、オフェンスラインの強化ができない。31番のチーフスは、なぜか直前のイーグルスと順番を交換した。何か貰ったはずだが不明。明日、明後日になればわかるだろう。4巡か5巡の権利を貰ったのではないか。イーグルスは順位を一つ上げてラインバックをとった。ジハード・キャンベル。これはラインバックではナンバーワンといってもいい選手で、ここまで残っていたのが奇蹟。チーフスに意地悪されて採られるのを恐れたのだろう。チーフスはもともとオフェンスラインの強化した狙っていなかったので、最終32番目にオフェンスタックルのジョシュ・シモンズをゲット。去年のシーズン途中で怪我でリタイアしたので評価を下げていたが、怪我が完全に回復するなら、トップクラスの選手だ。スカウトが調査して、病院などを調べて完全回復の可能性ありと見たのだろう。例年、レシーバー不足で悩んでいたのだが、去年のトレードで入ったものの怪我で出遅れたブラウン、一昨年の新人のライス、去年の新人のワーシーと、3人が揃っていれば問題はない。ランニングバックもパチェコとハントの2人がいる。2巡、3巡でもオフェンスラインを採っておきたい。スーパーボウルでのマホームズは、サックされまくっていた。ケルシーとクリス・ジョーンズが残っているので、あとはコーナーバックとセイフティーの控えを採っておけば、今年のドラフトは充分だろう。

04/26/土
仕事場のリビングルームの前には雑草が伸びた庭があって、その先の降り斜面の下は、別荘地に入る誘導路になっている。かなりの段差があって車が見えるわけではないし、めったに車が通るわけでもない。その急な斜面に夏ミカンの木があって、たわわに実っているのだが、足腰の弱った老人にはこの収穫が難しい。それでも何とか50個くらいは採れたのではないか。一年ぶんくらいの肉体労働をした。さて、本日はドラフト2日目。初日の1巡目の1番目に、ナンバーワンQBのウォードが指名され、2番はジャガーズがジャンプアップして二刀流のハンターをとった。あとはQBの指名はなく、ようやく25番目にナンバーツーのQBダートをジャイアンツが大盤振る舞いのトレードでゲットした。本日は2巡と3巡。昨日とりあえずオフェンスラインを1人指名したチーフスは、ディフェンスラインの内側とコーナーバックを指名。順当な補強だ。1年目から役に立つだろう。あとの注目はQBの行方だが、ナンバー2か3だと予想されていたQBシェドゥーア・サンダースが指名されなかった。ディオン・サンダースの息子ということで人気が先行しているところを敬遠されたのか。これほどの有名選手だと4巡、5巡ではとりにくいかもしれない。QBは昨日のウォード、ダートに続いて、2巡40位でセインツがタイラー・ショーを指名。下馬評にまったく挙がらなかった大学在学7年という、一昨年の新人より年上かというような選手だ。セインツは先発のベテランQBカーが、怪我の治療が長びいて、シーズン開始に間に合わないと噂されている。大学7年在学といえば、大学間を渡り合ったベテランQBともいえるので、即戦力を期待したのだろう。3巡92位でシーホークスがアラバマ大のミルロウを指名。これはダークホースに挙げられていた選手だ。シーホークスはスミスを放出して、去年はバイキングスで大活躍したダーノルドを採っているので、控えとして育てていくつもりだろう。同じく3巡94位でブラウンズがオレゴン大のガブリエルを指名。ブラウンズは鳴り物入りでトレードで獲得したワトソンが3年間、使い物にならなかった。マホームズと同期だから老け込む年ではないが、どこか致命的な怪我をしているのか、精神的に憔悴しているのか、今年もダメだろう。大ベテランのフラッコを入れたので何とか格好はついているが、控えとして新人に期待しているのだろう。心配していたジャイアンツ、セインツ、ブラウンズがとりあえずQBを補強できたので何となく安心した。QBのいないチームなど見たくもない。問題はラッセル・ウィルソンとジャスティン・フィールズを放出したスティーラーズだ。これでロジャースを獲得できなかければ、QBがいなくなる。万年控えのルドルフで行くつもりか。明日は4巡以下の指名がある。チーフスはオフェンスラインをもう1人くらいほしい。あとはセイフティーか。チーフスは例年、5巡とかドラフト外でもいい選手を見つけてくる。ランニングバックのパチェコや、コーナーバックのワトソンなどはほぼビリの7巡くらいの選手だった。明日はサンダースの動向だけに注目したい。スティーラーズがとりあえず指名するかもしれない。

04/27/日
昨日は夏ミカンを収穫したが、今日は草刈り。連日の肉体労働。いい天気で風が爽やかだ。夜は寒いくらい。さてドラフト3日目。チーフスは前日までにオフェンスラインのタックル、コーナーバック、エッジを獲得したが、最終日にはランニングバックを追加。パチェコとハントがいるのだが、もう1人いれば万全ということだろう。リターナーもできる選手なのですぐに役に立つ。他にラインバックとワイドレシーバーをゲット。ワイドレシーバーは足の速そうな選手で、去年のワーシーと両翼を担い、短距離はライスとブラウンという万全の体制になった。ケルシーに衰えがあってもワイドレシーバーが走り回れば得点力はアップする。欲を言えばラインをもう1人欲しかったがこれはトレードなどに期待したい。話題になっていたQBサンダースは何と5巡目でブラウンズが指名。ブラウンズは昨日もガブリエルというQBを採ったばかり。新人2人にフラッコがいれば、ワトソンの出番はない。トレードに出しても誰も欲しがらないだろうが。他にQBは49ナーズがインディアナ大のローク、ドルフィンズがテキサス大のユーワーズを指名。これで7人くらいQBが指名されたので、今年は意外とQB豊作の年だったようだ。

04/28/月
お昼過ぎから雨。夜中まで雨が降り続く。ふだんは集合住宅に住んでいるので、雨の音などはほとんど聞こえないのだが、この築40年の木造住宅では、雨が降ると鬱陶しい音がずっと続いている。飛び石連休だとかで、世の中は動いているようでもあるが、メールがほとんど来ないので、世の中も連休モードに入っているのだろう。妻がiPadで、サキソフォンの演奏を見ている。例年、この季節になると、アンゴラでサキソフォンのコンクールがある。サキソフォンに特化した世界的なコンクールだ。サキソフォンはベートーヴェンのころにはなかった楽器で、近代の産物だが、金管楽器でありながら演奏の技術が容易、どんな音楽でも奏でることができる。そこで近代の作曲家が好んで作品を作っている。長男は10年以上前から、このコンクールの伴奏ピアノの仕事を引き受けている。ネットで同時中継されるので、息子の元気な姿を確認できる。

04/29/火
よい天気になった。祝日なのでどこも混雑しているだろうと思ったが、浜名湖ガーデンパークに行ってみた。ここは以前、花博というものが開かれたところで、博覧会が終わっても、花の整備は続いていて、いつ行っても花が咲き乱れている。舘山寺にはフラワーパークというところもあるのだが、こちらは動物園とつながっていて混んでいる。今日行ったガーデンパークは駐車場が広大なので、駐めるのも楽だし、園内も広大で、混雑している感じはしなかった。スペインで大停電という、パニック状態が起こっている。長男はいまはアンドラなので影響を受けたかったようだが、家族のいるサラゴサは、まだ停電が続いているようだ。暖房のいる時期でなくてよかった。暖炉はあるが、各部屋はスチーム暖房で、電気がないとお湯が送れない。何より電気がなければ、部屋がまっ暗だし、いろいろな機械が動かず、充電もできない。冷蔵庫が止まったら、冷蔵、冷凍の物流が大打撃を受けるだろう。地球の裏側なので心配していても始まらない。スペインはフランスから電気を貰っているようだが、一方で、太陽光線による発電や、風力発電も盛んだ。こういう自然を活かした発電は、電力供給が不安定になりがちで、そこで想定外のことが起こって、安全装置が働いたようだ。そういうことは日本でも起こり得る。とにかく毎時のニュースを見て、経過を見守っている。

04/30/水
4月も今日で終わりだ。いまはアンドラにいる長男から電話がかかってきて、妻と話しているのを聞いていた。アンドラはスペインとフランスの国境にあるピレネー山のなかにある小国で、電力はスペインとフランスの双方から供給されている。アンドラでも瞬間的に電気が消えたそうだ。ちょうどコンクールの最中で、長男は舞台で伴奏していた。会場がまっ暗になっても演奏者がサキソフォンを吹き続けていたので、長男も伴奏を続けた。長男はiPadのような端末に楽譜を収納しているで、舞台の照明が消えても、楽譜を見ることができたので幸いだった。その演奏が終わる前にすぐに電力は復帰したとのこと。スペインからの供給が途絶えて、瞬間的に不安定になったものの、すぐにフランスから供給一本に切り替わったので、その後はまったく師匠がなかったとのこと。ただスペインのサラゴサにいる家族は、大学、高校、小学校にいたので、それぞれたいへんだったようだ。長女は医学部の5年生ですでに病院でのインターンを始めている。次女は大学の法学部。三女は高校、末っ子の男児は小学校だ。スペインの小学校は親が送り迎えをする。スペインの子どもは日本のように野放しにはされない。日本が安全だということだけでなく、日本の子どもは幼稚圓から北朝鮮なみのマスゲームをやるなど、全体主義の教育が施されているので、ちゃんと自宅に帰ってくる。彼らはサラゴサの郊外に近いところに住んでいる。郊外に近いところというのは周辺のヘリに近いということで、スペインの街の郊外は砂漠だから人は住めない。街の大きさも限られているので、信号機が消えて交通が大混乱になっても、歩いて自宅まで帰ってくることができる。そういえばぼくも東日本の震災の時は、文藝家協会のある永田町から、当時住んでいた世田谷区の三宿まで歩いて帰った。いざとなれば人間は歩けばいいのだ。とにかく電力は復活したようなので安心できる。さて、本日で4月が終わったので、ページを改める。月に一度のこの作業がけっこうたいへんなのだ。とにかくここどページを変えることにする。


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