駒城

概説別名、駒館(こまのだて)、駒楯(こまのたて)城。南北朝時代にあった城跡。東西約120m、南北約180mの城跡の北西部に「駒城跡」の碑がある。駒城は小田城(つくば市)、関城(関城町)、大宝城とともに常陸国における南朝方の戦略的拠点として重要な存在であった。在地の武将の名は確定できないが、中御門少将実寛を擁して奮戦し、興国1(暦応3)年(1340)5月27日、北朝方の将高師冬の猛攻により実寛は生け捕りにされ、やがて落城したといわれる。[下妻市の文化財(下妻市教育委員会)より]
道路脇にわずかに残る土塁
    その他の写真
  1. 城址碑
  2. 城址碑裏の土塁と空堀
訪問記[2002/1/8]道ばたにかろうじて土塁の一部が残っている
所在地下妻市黒駒。鬼怒川に掛かる駒城橋の北東300mほどのところ。
参考書下妻市の文化財(下妻市教育委員会)