横浜赤レンガ倉庫 GROUND ANGEL 開催記念

石井竜也スペシャルトーク

PART 2


【女の子の持っていたオルゴール時計の話】

石井:久方ぶりですよね。
広河:そうですね。
石井:広河さんはチェルノブイリやサラエボ、世界中の一番危険な場所そのほかの本当に危険な国を尋ねてらっしゃるわけですけど。30年間も、相当危険な場所にいらっしゃってる、それっていったい、なんでなんですかね。
広河:ずっと続けていた行ってたわけではないんですね。一時期遊園地の職員をやってたこともありました。ヒッピーなんかもやってたこともありました(客:笑い)。
 でもその度に中東とかチェルノブイリに引き戻されましてね。その度に大きな事件が起こったんです。たとえば1982年にレバノン戦争が起こって難民キャンプが封鎖されて、そこに一人で入っていったとき、子供がたくさん殺されていて。
 フォトジャーナリストとしては生きている人の写真を撮るのはいいんですが、屍だけを撮るというのはものすごく悔しいんですよ。そのくやしさで何回もこのままでおくわけにはいかないということで、その場所に引き戻されて。
 チェルノブイリでは白血病の子供をなんとか助けようと思っても、なすすべもなく死んでゆく。そこでシャッターは押せないし写真は撮れない。それはジャーナリストとして敗北なんですね。だから何とかしたいと思ってまたそこを訪れる、そんな感じなんです。
石井:今日オルゴールをひとつ持ってきてらっしゃると聞いたんですが。
広河:(ポケットから目覚まし時計の形をした緑色のかわいいオルゴール取り出す)出がけにどうしようかと思ったんですけど…持ってきました。
石井:(受け取って)これはどういうオルゴールなんでしょう。
広河:これはある女の子の持ち物なんですけども、その子は爆撃で親を殺され、自分もやけどを負ったんですね。その女の子が、虐殺も終わったある日、ベランダでひなたぼっこをしていたんですよ。それで外に出たとたんに100mももっと先から狙撃兵に頭を打ち抜かれたんですね、ベイルートだったんですけど。僕が行ったときはまだその子の頭蓋骨が白く散らばっていました。それでこの遺品(オルゴール)とそのときの写真を一緒に写真展に飾っておいたんですね。
石井:(オルゴールのねじを巻いている。ちっちゃな音が流れ出す)
広河:そしたらそれをあるお母さんがご覧になって「日本製ですか」とたずねられたんですね。僕が「そうです」と答えましたら、それをスケッチして帰られまして。そのあと(その方の)ご主人から電話がありまして、その方がこのオルゴールをデザインされたんだそうです。で、ご自分は子供たちが楽しく遊べるようにということでこのおもちゃを作ったのだけど、それがこの子たちの最後の瞬間に耳にしていた音だったということを聞いて自分の人生を考えましたとおっしゃっていました。
石井:なんか…(絶句)…。

【戦場の現実】

石井: 僕が昔ACRIという映画を撮っていたときに岩井俊二と一緒に話していて、彼はサラエボに行ったことがあるんですけど。「戦場の子供たちは明日生きるか死ぬか50%50%で生きてるんだよね」って言ったんです。日本人は「明日も多分生きてるだろう」って思いながら生きてる、明日生きるか死ぬか半々で生きてる子供たちの切迫感は想像もつかないよね、って話してたんですね。
 それから、僕が個人的に応援しているエクトル・シエラというアーティストなんですけど、世界中の子供たちに絵を描かせて、それを交換することで(心の)傷を癒していこうという運動をしている人なんですけど。その彼が戦場に行ったときに、いきなり銃を突きつけられて「おまえは敵か味方か」って言われたそうなんですよ。「俺は中立だ」と言えば「それじゃ敵だ」ということになって殺される。だからその人がどちらの側かを瞬時に見極めて「俺は味方だ」と言わないと生き延びられないと言うんですね。
 中立がない、というのはすごいショックだったんですよね。敵か味方かの2方しかあり得ない、っていうのは…戦争って…。
広河:残虐そのものですよね。皆さんはテレビゲームとかしか知らないけど、向こうの子供たちは本当に子供時代が短いんですよ。早く大人にならないと殺されてしまうから。彼らの戦争とは親や兄弟が殺されることが戦争なんですよ。それもきれいに殺されるわけじゃない。頭だけが吹き飛ばされたり、体の半分だけが燃えてしまったり、どこかわからない肉の塊だけがあったり、人の焼けこげる臭いがしたり、それが戦争なんですよ。
石井:ヒロイズムというか、戦争に行くことがすごく立派なことのように描いている戦争映画が僕はだいっ嫌いなんですけど、本当はもっと悲惨で汚いもののはずですよね。ほんとに肉片が飛び散ることが戦争なんですよね。
広河:スイッチを押したり砲弾を落としたりする側にはわからないことなんですよね。落としたその下はどうなっているのかは見えないから。ジャーナリストは(砲弾の落ちる側は)危ないから取材しないというふうになって、落とす側のところばかり知らせるから、本当は何が起こっているかわからなくなってしまっているんですよ。

【自衛隊の派兵と命を守ること】

石井:日本が自衛隊を派兵しますけど、それについてはどのように思われますか。
広河:2人の人(外交官)が殺されましたよね。あのとき僕は、これは日本政府に殺されたんだと思いましたね。あの人たちを(現地に)出しておいて、それで自衛隊を出すと言ったらどうなるか、すべてわかっているんですよね。でも政府はなにがなんでも自衛隊を出したい、だから彼らを犠牲者にしたてあげた。
 アメリカ軍がバグダッドにたくさん爆弾を落として大勢の方が亡くなりました。あのとき僕もちょうどバグダッドいましたけど。その戦争をを日本が支持しましたよね。だから、日本に対するテロはもっと早くに起こっていてもおかしくなかったんですよ。自衛隊が出て行けば、これからはもっと広がっていくと思いますね。これから起こってくることはすべて政府の責任だと思いますね。国民の命を守る、これが国益でそれ以外に国益はない。それがないがしろにする、今はおかしなことになっていると思います。
石井:憲法9条を改正したいなんていうことがあって。北朝鮮の問題なんかもことさら大きく取り上げてるような気がするんですね。小さな恐怖をたくさん作って「何か起こるんじゃないか」と思わせておいて、ある程度大きな事件が起こっちゃうと人は構えちゃいますよね。そういうメカニズムが働いているんじゃないかと思って、僕はすごく嫌な気分になっているんですよね。
 これからテロが日本で起きる可能性は大きいですか。
広河:避けて通ることはできないでしょうね。世界を占有支配する力に手を貸すことになりますから。この何十年、長い時間をかけて培ってきたものを、ほんの短い間に手放そうとしているんですよね。
 これからの時代の人たちに僕たちはすごいつけを回そうとしている。これまで起こした戦争、核の事故もそうですし、そういうことを取り戻すにはものすごい時間がかかるでしょうね。
石井:命も環境も、一度壊してしまうと、相当時間がかかるというか、戻らないかもしれませんね。…どうしたらいいんでしょうかね。
広河:命を守るという側と、それをないがしろにしてほかのものを守ろうという働きをする側があるんです。
 チェルノブイリのお母さんたちは(後ろにスライド、子供に乳を含ませる母親の写真-GROUND ANGELでも使われている-が映る)、自分の母乳から放射能が子供に移っていくんですね。ものすごくつらいことだと思うんです。子供の命を守らなきゃならないのに。国のどこに出ても食べ物が汚染されていますからだめなんです。
 そういうときでも子供を守ろうとするのが母親なんです。子供たちのそばにいて守ろうとするのが女の人で、男は物陰から銃を撃ってそのままどこかに行ってしまう、そしてそこに爆弾が落ちて、たくさんの女子供が亡くなってしまう、そういうケースが一番多いんですね。戦争中でも母乳を与えて子供にご飯を食べさせる、それをやらなきゃいけないと本能的にわかっているのが女性なんです。そういう命を守ろうとする女性たちの、そういう力がもっと盛り返さなければならないんだと思います。

【戦場での恐怖とそこでの心理】

石井:そうですね。…今まで戦場でシャッターを押していてショックだったことって、もちろんショックの連続でしょうけど…
広河:一番怖かったのは、イスラエルで(パレスチナ人を)包囲して、その中に入ろうとしたときですね。包囲したときというのはジャーナリストを閉め出さないんですよ、閉め出すと何かあると思われるんで。それで何度か入ろうとして入れなくて、最後に正面から行こうとしたら、戦車がこっちに走ってくるんですね。戦車って時速80キロぐらい出るんですね。あまりにもすごいスピードなので、思わず物陰に逃げたんですね。そしたら(その先)5mぐらいで行き止まりだったんですよ。
石井:それで。
広河:すぐそばの長屋のドアが少し開いて、パレスチナ人が「こっちへ来い」と手招きしてるんですよ。それで入ったんです。そのとき僕が入るのと戦車が隣に着くのが同時だったんですね。で戦車の大砲がぐるっと回って(兵士が)機関銃を構えて僕を捜してるんですよ。
 ジャーナリストは逃げちゃいけないんですね、逃げると撃たれますから。僕の前にもイタリア人、フランス人などがやられました。そういうときにジャーナリストを守ろうとする人たちがいるんですね。守ってこの状況を伝えてもらおうという人たちが。そういう人たちに支えられて僕はやってきたんですけどね。
石井:…そんな国になっちゃダメですよね。
 僕はアメリカ軍が日本や韓国に駐留しているのも、中国と戦争になったときに戦場にするためだとしか思ってないんですけど。いったんそんな状況になったらこんなちっちゃい国なんてどうしようもなくなっちゃうじゃないですか。大きな目で世界を見たときに、ものすごく怖いことが見えてくると思うんですけど。日々の生活にうつつを抜かしていた方が楽だし、そっちの方が気持ちいいって思うけど。でもきっとそうやっているうちに戦争って忍び寄ってくるんですよね。状況をよく見ていないとほんとに危ない方に行く可能性が強いんじゃないかと俺思うんですけど。
広河:周りの国では日本が援助したガソリンで飛行機が飛んでるわけなんですよ。周りの国では多くの人が死んでるんだけど、それが日本に伝わってこないし(日本人は)知らない。だから自分たちのせいで何が起こっているかわからないから、生活が満喫できるわけです。けど屍はどんどん日本の周りを取り巻いてきているんだと思うんですね。それがここにも来る。街が崩壊するのなんて実に簡単ですからね。
石井:(客席に向かって)ナイフをを渡して、渡した人が誰かを刺したら、そのナイフを渡した人は責任がないのかという話ですよ。責任ありますよね、渡してるってことですよ。「私は渡しただけです」とは言えない。
 刺された人はそりゃ必死で抵抗しますよ。刺された人から見れば刺した人も渡した人も同じですよね。今ここで話していることは、こういうことが話せるだけ幸せなんですね。こういう話ができなくなる時代が来たら、大変なことですよ。
 ワイドショーやニュースとか見てると、毎日あたりまえのように子供が殺されたりとか、殺し合いをしたりとかって出てきますよね。そういうのを見てるとなんかちょっと日本人がおかしくなってきてるというか、歯車がかみ合って何十年かちゃんと回ってきたのに、ビスが1個とれちゃったような、うまく回らなくなってきている気がしますよね。そう感じるのは俺だけかなぁ。いつもそういう感じで新聞なんか見てるんですけど。
 (広河氏に)戦場っていうのは、戦車が走ってるとかそういう場所なんだけども、そんななかでの人間の精神状態って、恋愛とかそういうのはあるんでしょうか?
広河:戦場では恐怖しかない、それは兵士たちも怖いんですよね。自分たちが敵意のまっただ中にいるとわかっているから、その恐怖はわかりますよね。そうするとちょっとでも動くと撃つわけですよ。そこには子猫がいるかもしれないし子供がいるかもしれない、それでもまず撃つという神経になりますよ。僕もそうなると思います。敵意があって恐怖にとりこまれていくという、(人間を)そういうふうにしてしまうのが戦争なんですね。誰が行ってもそうなりますよ。自衛隊が行ってもそうなると思います。どこかで誰かが撃とうとしているんじゃないかと、恐怖でそればっかりになってしまいますよ。
犬がぽっと飛び出して撃ったら、その後ろに子供がいて、ということも(以前)ありましたし。
石井:…なんか…間違った方向に行っていることだけは確かじゃないですか。どんな人がどういう風にこの派兵問題を取り上げても、いいことはひとつもないというか。
 憲法9条というのは世界に誇るべき条項だと僕は思うんです。ばかにされようがなに言われようが、人を殺してないからいいじゃないかって。すばらしい。そのうちわかってくれる国も出てくるだろうし。…被爆国で何十万人何百万人死んでる国なのに、なぜ今になって自衛隊なんてあって。あれは自衛隊じゃなくて自衛軍、向こうからすれば軍隊ですよ。ヘルメットかぶって迷彩服来て拳銃持っていたらば、それは軍隊以外の何者でもないですよね。「これは自衛隊ですから」なんて、そんなのは通用しないと思うんですよね。
 自衛隊がイラクへ派兵されて、まず何が起こると思いますか?
広河:日本ではテロに屈するなと言うとするでしょ?でも向こうの人はテロだと思ってないんですよね。これはあのイラクの指導者の人が日本に来て首相や外務大臣と会ってるんですけど、その人に聞いたら、こないだの日本人2人が死んだのさえ、テロとは言わないんですね。彼らはレジスタンスだと言うんですね。
 外国の軍隊がやってきて占領した、それに対する抵抗運動だと言うわけですね。日本軍がやってくる、そのことに対して道筋をつける(役割の)人をやったわけですよ。それはいいわるいは別にして、彼らからしたらテロではなくてレジスタンスという認識なんですね。
相手の目から見る視点って、我々はまったくないでしょ。自分の見方だけで相手を計る。だから悲劇が起こる。
石井:僕は地下鉄サリン事件とテロリズムを同列にすることは全くナンセンスだと思うんですよね。愉快犯みたいにしてやってる人たちと、やられたからやり返すといってやってる人とは精神状態が全く違うと思うんですよね。自分たちのやりたいようにして社会に迷惑をかけている人と、国を追われて、または国で悲劇にあってやり返さざるを得ないような人たちとは全然違うと思いますね。

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