ノイローゼ完治の実践技術、3.少年時代のノイローゼ体験など 18.目次 2.前書き 4.社会へ出てからの神経症体験など    

幼少の時

 私がまだ小学校へ入学する以前の事だったと思う。
 私と兄が父に連れられて、父の実家から近くの町の祭りへ行き、自宅へ帰ってくる途中の事だった。
 父の運転する自転車で、兄が後ろの荷台に乗り、運転席の前の棒の上の腰掛(子供がすわれるように 、ハンドルとサドルを結ぶ棒の上の前よりに、イスをつけていた)に私が乗っていた。
 もうまわりは暗くなっていた。私の足が前のタイヤのすぐ近くにあり、父の言ったとおりの場所へ足 を置けば安全なはずだった。
 その時、私は前のタイヤのスポークのところを見た。自転車の灯火か、まわりの明るさからなのか記 憶にないが、タイヤといっしょに回転している何本ものスポークが見えた。私は恐怖を感じ、その危険 なところへ吸い込まれそうな気持になった。(この吸い込まれそうな気持になるというのは弱気のエネ ルギーから出ている)
 少したって、私は足を前のタイヤのスポークのところに接触し、悲鳴をあげた。
 父は驚き、急いで自転車を止めようとした。自転車はその場に転倒した。父と兄は無事だったが、私 は道路の端に投げ出された。額に少しケガをしたが、スポークに接触した足は無事だった。今になって 考えてみると、私は恐怖を感じたその場所へ吸い込まれていたのである。
 (そのことは長く忘れていたが、心のクセ、心のエネルギーというものに関心を持ち、実践を始めた為 、二十年以上も前の事実が、鮮明に頭に浮かんできたのである)私は小さい頃から神経質な子であった 。神経症的素質を多く持って生まれたのだと思う。
              

中学の時

 私のノイローゼ症状の始まりがはっきり頭に浮かぶのは中学校一年の時だ。
 靴を買ってもらったのだがその靴が少しきつかった。取り替えに行くのも面倒くさい、その頃は育ち ざかりの年齢である。私は不安な気持になった。
 そうして、おそらく無理にそう思い込もうとしたのだろう、私は心の中で自分自身に、きつくない、 だいじょうぶ、きつくないと言いきかせた。
 そうすると、心は静まるどころか不安は大きくなった。私はさらにきつくないだいじょうぶ、きつく ないと強く自分に言いきかせた。そうすると不安な気持はますます大きくなってしまった。
(あとになって座禅をして気がついたことだが、これは弱気のエネルギーに、積極的なエネルギーのど れかがかかわりあい、反作用を起こした為であると思われる。自己暗示などで、心が割れる時に似てい るのではないだろうか)
 中学時代、これと同じような経験は何回かはあったが、それほど多くはない、それよりも、取越し苦 労や小さい事を、クヨクヨ気にしていたことが多いように思う。(取越し苦労や小さい事にクヨクヨす ることが多いのも神経症的素質を多く持っていたからである)
              

高校の時

 私達の町にその当時高校はなく、私は自転車で四十五分くらいかかって、他の町まで通学していたの だが、一年生の頃はほこりがすごいので、田んぼの中の道路を通って学校へ行っていた。
 同級生何人かと一緒に、いつものように、田んぼの中の道路を通学している時、前方から、私達と同 じように自転車に乗った、農家の人らしい年配者がやってきた。
 その時、私はふと、この人を田んぼの中に突きとばしたら、という気持が起きた、そして不安になっ た。(この時、田んぼと道路の段差は小さく、危険なものも近くになく、突きとばして大ケガをさせる ような場所ではなかったが)
 私は、この不安をとりさろうとして、自分はそんなことはしないはずだとか、自分の意思によって自 分の手足は動くのだから、自分さえしっかりしていれば突きとばしたりしないはずだ等、心の中で、何 度も自分自身に言い聞かせた。
 そうすると、中学時代の靴の時と同じように、不安、恐怖は、かえって大きくなってしまった。
 その時出会った人は、何事もないように通りすぎてしまったが、私は自分の思いどおり動かない心の 為に苦しんでいた。(その当時は、中学の時と同じことをしているとか、心の中でエネルギーがどんな 変化を起こしているのか、知る由もなかった)
 また、ノイローゼとはいえないがも知れないが、神経症的性格が原因と思われる体験について述べて みよう。
 私が学校から帰って来た時、家の人は農作業へ行っていてだれもいなかった。
秋晴れの天気の良い日だった。農繁期なので、近所もだれもいないように静かだった。
 私はふと、その時、自分の家の井戸のことを思い出した。(その頃、使っていたのは水道だったが、古 いポンプ式の井戸もあり、その井戸にはふたがなかった)
 ふとこの時、もし井戸に落ちたらどうなるのだろう、声を出して助けを求めてもだれも気づかないだろうし、助けにも来ないだろうと思った暖間、その井戸に吸い込まれそうな気持になった。
 私は井戸に近寄り、その中を眺めた。水はそれ程多くはなかった。井戸の中を眺めるとますます吸い込まれそうな気持は強くなった。
 私は井戸の手すりに手をかけて片足を内側へ入れた。そうしながら、これから続けて井戸の内側へぶらさがってみようかと思った。
 そうやりかけた時、このまま続けていては本当に死んでしまうかも知れないと思った。すると自分の していることが急にこわくなり、途中でやめた。今考えてみると全く恐ろしいでき事だった。
 この頃、家に居る時など、台所にある包丁や、母屋からずっとはなれた物置にあった、マキ割り用の マサカリが気になり、これで家族にケガをさせるのではないか、というような考えがうかび、これを打 ち消そうとしてはからい、やはりノイローゼ状態で苦しんでいた。
 また、人生の意味や生きる意義を考えても、考えれば考えるほどわからなくなり、ますます不安がつ のった。
 私にとって高校時代はノイローゼ状態のひどかった時期であり、まさに平几な人生の中に地獄を見る 思いであった。しかし、自分が他の人と違うことや、自分が強迫神経症であるらしいことは、保健体育 の本等を読んでわかっていた。しかし、そのことは誰にも言わなかった。
 また、ノイローゼは、世間一般に考えられているように、その人自身が悪いもの、本人がしっかりし ていればならないもの、放っておいても治るものと、自分でもそういう考えをもっていたような気がす る。
 また、ノイローゼ等になることは今でもそうだが、外面的に恥かしいことであった。