MenuボスのTwitter文学響子の土佐日記/プロローグ

         響子の・・・ 土佐日記  

  (4)  <難波 ~ 京都/2月7日 ~ >

                               < 463 ~ 555/完 >
  
      
         

トップページNew Page WaveHot SpotMenu最新のアップロード         担当: 里中 響子 

                    

             上から ・・・下へ   
 10月  8日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(463)

二月七日 (原文・34-1)


七日。今日、川尻に舟いりたちて、漕ぎ上るに、川の水干て、悩みわづらふ。舟の上るこ

といとかたし。かかる間に、舟君の病者、もとよりこちごちしき人にて、かうやうのこと、さ

らに知らざりけり。かかれども、淡路専女の歌にめでて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(464)

二月七日 (原文・34-2)


…都ほこりにもやあらむ、からくして、あやしき歌ひねり出だせり。その歌は、


★ 来と来ては 川上り路の 水を浅み 舟もわが身も なづむ今日かな


これは、やまひをすれば詠めるなるべし。ひとうたにことの飽かねば、今一つ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(465)

二月七日 (原文・34-3)


★ とくとおもふ 舟悩ますは わがために 水の心の 浅きなりけり


この歌は、都近くなりぬる喜びにたへずしていへるなるべし。淡路の御の歌におとれり。



「ねたき。いはざらましものを」



とくやしがるうちに、夜になりて寝にけり。



 10月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(466)

二月七日 (原文・34-4)

 
八日。なほ川上りになづみて、鳥飼(とりかひ)の御牧(みまき)といふほとりにとまる。こよひ

舟君、例の病おこりて、いたく悩む。ある人、あざらかなるもの持て来たり。米(よね)して

返り事す。男どもひそかにいふなり。


「いひぼして、もつ釣る」



とや。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(467)

二月七日 (原文・34-5)


かうやうのこと、ところどころにあり。今日、節忌(せちみ)すれば、魚(いを)不用。


九日。心もとなさに、明けぬから舟を曳きつつ上れども、川の水なければ、ゐざりにのみ

ぞゐざる。この間に、わだの泊の分れの所といふ所あり。米(よね)、魚(いを)など乞(こ)

ば、行(おこな)ひつ。



 10月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(467)

二月七日 (現代語役・34-1)


七日。今日、河口に舟が入り込んで漕ぎ上るが、川の水が減って、難渋(なんじゅう)する。

舟が上ることは、たいそう困難である。

こうしている間に、舟君である病人は、もともと無骨(ぶこつ)な人で、このような(歌を詠む)

ことはまったく知らなかった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(468)

二月七日 (現代語役・34-2)


こうではあるけれど、淡路の専女の歌に感心して、都に近づいて、気持ちが高ぶったせ

いもあろう。やっとのことで、妙な歌を捻り出した。その歌は、


はるばる・・・

やって来たものの・・・

川を上る・・・

水路の水が浅いので・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(469)

二月七日 (現代語役・34-3)


舟も私も・・・

難儀(なんぎ)する今日だな・・・


これは、病気をしているので、詠んだのであろう。一首の歌では言い足りないので、もう

一首、


早くと思う・・・

舟を難渋させているのは・・・

私のために思う・・・

水の心が・・・

浅いからであったなあ・・・



 1月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(470)

二月七日 (現代語役・34-4)


この歌は、都が近くになった喜びに我慢しきれずに言ったのだろう。淡路の御仁(あわじ・

の・ごじん)の歌には劣っている。


「腹立たしい。詠まなければよかった」


と悔しがるうちに、夜になって寝てしまった

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(471)

二月七日 (現代語役・34-5)


八日。依然、川を上るのに難渋して、鳥飼(とりかい)の御牧(みまき)という所の近くに泊る。

今夜、舟君(紀貫之)は、いつもの病気が起って、非常に苦しむ。ある人が、新鮮な食べ

物を持って来た。米で返礼する。男どもがひそひそ言っているようである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(472)

二月七日 (現代語役・34-6)


「飯粒(めしつぶ)を使ってもつ(魚の名)を釣る」


とか。このようなことは、所々である。今日、精進をするので、魚は不要。

九日。待ち遠しさにいらだって、夜が明けないうちから、舟を曳きながら
(淀川を)上るが、

川の水がないので…

 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(473)

二月七日 (現代語役・34-7)


…膝行(しっこう/神前や貴人の前などでひざまずき、ひざがしらをついて進退すること。)するようにだけ舟底

をこすって進む。この間に、和田の泊(とまり)の分岐点という所がある。(そこにいた者が)

米、魚などを求めるので、やった。



 1月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(474)

二月七日 (響子の言葉・34-1)


「うーん…2月7日

いよいよ、淀川(よどがわ)河口に舟が入り…都/京へ向かって川の遡上に入ります。

この、淀川というのは…

琵琶湖から流れ出す唯一河川です。<瀬田川 → 宇治 → 淀川>と…名前を変

えて大阪湾に流れ込んでいる…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              現在の淀川                    (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(475)

二月七日 (響子の言葉・34-2)


流路延長75.1km一級河川です。一応、河川法上琵琶湖水源としています。

ともかく…

当時/平安時代初期にも水運は盛んだったのでしょう。でも、真冬の2月で、川の水量

も減っていた様ですね。本文にも、<舟が上ることは、たいそう困難である>…とあり

ます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(476)

二月七日 (響子の言葉・34-3)


それにしても…

本文記載されている…舟君/紀貫之さん病気とは、どの様なものだったのでしょう

か。故人ではありますが、になります。

八日九日も…

も近く、海賊危険性は無くなったわけですが、水量が少なく、が進みません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                     現在の淀川                    (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(477)

二月七日 (響子の言葉・34-4)


そこで、夜が明けない内から、(ひ)き綱を使ってを曳きます。それはまるで、膝行(しっ

こう)する様に舟底をこすって、わずかに進むだけです。

<和田の泊の分岐点>という所で、舟を曳くのを手伝ってもらったのでしょうか。地元の

に、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(478)

二月七日 (響子の言葉・34-5)


<米、魚などを求めるので、やった。>…とあります。

この辺りまでくれば…

<土佐から京都へ帰る一行で・・・歌人/紀貫之>…と、知れ渡っていたのかも知れ

ません。古代でも、当時の有名人/『古今和歌集』編者なのですから。

そして、足の速い馬などでをする…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1                                      現在の淀川                    (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(479)

二月七日 (響子の言葉・34-6)


…人々の情報から、<土佐から帰京の・・・紀貫之一行は・・・今、淀川を遡上してい

る>…ことなども、に知らされていたのかも知れませんね。

インターネット社会現代とは違い、当時の、<情報伝達の・・・どかさ/奥ゆかしさ>

が偲ばれます…」



 1月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             渚の院・小野の雪(伊勢物語)  異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

《響子の・・・土佐日記》・・・(480)

二月九日 -  続き (原文・35-1)


かくて、舟曳き上るに、渚の院といふ所を見つつゆく。その院、昔を思ひやりて見れば、

おもしろかりける所なり。しりへなる岡には、松の木どもあり。中の庭には、梅の花咲けり。

ここに人々のいはく、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                   
在原業平(ありわらの・なりひら)/『小倉百人一首』の歌  (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(481)

二月九日 -  続き (原文・35-2)


「これ、昔名高く聞こえたる所なり。故惟喬親王(こ・これたかしんのう/文徳天皇の第一皇子)

御供に、故在原業平(こ・ありわらのなりひら)の中将の、


★ 世の中に たえて桜の 咲かざらば 春の心は のどけからまし


といふ歌詠める所なり」


いま、今日ある人、所に似たる歌詠めり

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(482)

二月九日 -  続き (原文・35-3)


★ 千代経たる 松にはあれど 古(いにしえ)の 声の寒さは 変はらざりけ


また、ある人の詠める、


★ 君恋ひて 世を経る宿の 梅の花 昔の香にぞ なほ匂ひける


といひつつぞ、都の近づくを喜びつつ上る。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                              (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(483)

二月九日 -  続き (原文・35-4)


かく上る人々のなかに、京より下りし時に、みな人、子どもなかりき。いたれりし国にてぞ、

子うめる者どもありあへる。人みな舟のとまる所に、子を抱きつつおりのりす。これを見て、

昔の子の母、悲しきにたへずして、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(484)

二月九日 -  続き (原文・35-5)


★ なかりしも ありつつかへる 人の子を ありしもなくて 来るが悲しさ


といひてぞ泣きける。父もこれを聞きて、いかがあらむ。かうやうのことも歌も、好むとて

あるにもあらざるべし。唐もここも、思ふことにたへぬときのわざとか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(485)

二月九日 -  続き (原文・35-6)


こよひ鵜殿(うどの)といふ所にとまる。


十日。さはることありて、上らず。



 1月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                 現在の淀川                      (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(486)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-1)


こうして、舟を曳いて上る時に、渚の院という所を見ながら行く。その院は、昔をしのびな

がら見ると、趣き深かった所である。

後ろにある岡には、松の木などがあり、中庭には、梅の花が咲いている。ここで人々が言

うには

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             在原業平の歌碑                 (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(487)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-2)


「 ここは、昔、評判が高かった所だ。故惟喬親王(こ・これたかしんのう)の御供で、故在原

業平(こ・ありわらの・なりひら)の中将が、


世の中に・・・

まったく桜が・・・

咲かなければ・・・

春の心は・・・

のどかであったろうに・・・


という歌を詠んだ所である 」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              伊勢物語  渚の院(/渚院)           (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(488)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-3)


今、今日ここにいる人が、この場所にふさわしい歌を詠んだ。

千年もの年月を経た松ではあるけれど、昔の(松風の)音の寒々しさは、変わらないもの

だなあ。

また、ある人が詠んだ歌、


主君(惟喬親王)を・・・

恋い慕って・・・

年を経て来た・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                                                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(489)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-4)


この院の梅の花は・・・

昔の香りで・・・

今もなお匂っていることよ・・・


と言いながら、都が近づくのを喜びつつ
(淀川を)上る。こうして上る人々の中に、京から

下向した時に、全員子供はいなかった。



 1月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1                                     現在の淀川                    (/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(490)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-5)


到着した(土佐)国で、子供を産んだ者たちが居合せている。人々はみな、舟が泊まる所

で子供を抱いては乗り降りする。

これを見て、今は亡き娘の母親が悲しさに耐えかねて、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             渚の院・小野の雪(伊勢物語)  異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

《響子の・・・土佐日記》・・・(491)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-6)


(子供が)なかった人々も・・・

(今は)生まれた子を・・・

連れて帰郷するのに・・・

いた子を亡くして・・・

帰って来ることの悲しさよ・・・


と言って、泣くのであった。父親もこれを聞いて、
(心中は)どのようであろうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                 現在の淀川                      (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(492)

二月九日 - 続き (現代語訳・35-7)


このようなことも、歌も、好きだからといって、(そう)あるものでもないであろう。唐もこの国

も、思うことに耐えきれないときのなせるわざだとか。


今夜は、鵜殿
(うどの)という所に泊る。


十日。支障があって、(淀川を)上らない。



 1月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                              伊勢物語  渚の院(/渚院)           (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(493)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-1)


「ええ…

膝行(しっこう)する様に、舟底をこすって曳き綱を曳いて遡上する…とあるので、よほど苦し

い川上りかと思いました。でも、そんな所もある、ということですね。

<都の近づくを喜びつつ上る>…ともありますから、紀貫之さん名声も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             淀川水系                         (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(494)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-2)


…あり、もうとおに航海難所も過ぎ、懐かしい都の文化圏で、一行の明るい顔が目に

浮かびます。

曳き舟をしながら、<渚の院>という所を見ながら進みます。教養のある一行は、惟喬

親王(これたか・しんのう)と、御供の在原業平を詠じます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                             在原業平の歌碑                 (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(495)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-3)


★ 世の中に たえて桜の 咲かざれば 春の心は のどけからまし


世の中に・・・

まったく桜が・・・

咲かなければ・・・

春の心は・・・

のどかであったろうに・・・


と、いうものですね。

うーん…業平は、よほど桜の花にはご執心だった様ですね。あ、でも、当時清楚(せいそ

すっきりと清らかなさま風景は、現代の桜とは比較にならないほど美しかったのは確

かでしょう。私も子供の頃に、このような山桜に接していたのを記憶しています。



 1月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                             渚の院・小野の雪(伊勢物語)  異本伊勢物語絵巻(東京国立博物館)

《響子の・・・土佐日記》・・・(496)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-4)


この季節になると、花の風流心を掻き乱したのでしょう。

<風流への・・・妄執(もうしゅう/悟りきれず、心の迷いによってあくまで離さないでいる執念。)/魔心>

いうものは…芭蕉でもよく言われる事ですが、そうした<大自然の持つ・・・風流/共

鳴>から、遥か遠い時代になりました。業平の足跡をたどっても、芭蕉の足跡をたどって

も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(497)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-5)


さて…

京の都から任地/土佐下向した時には…

一行女達には、<みな人、子供なかりき>とあります。子供はいなかったわけで

すね。そして、土佐国子供を産んだ者が、複数いたようですね。では、その子供

いて乗り降りします。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                         
(/ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(498)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-6)


それを見て、任地娘を亡くした母親が、悲しさ耐えかねを詠みます。


★ なかりしも ありつつかへる 人の子を ありしもなくて 来るが悲しさ



(子供が)なかった人々も・・・

(今は)生まれた子を・・・

連れて帰郷するのに・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(499)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-7)


いた子を亡くして・・・

帰って来ることの悲しさよ・・・


うーん…私/響子は…

子を亡くした母親とは、貫之さんの妻であり…父親貫之さんだと思っているのですが、

どうなのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                                                                                   (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(500)

二月九日 - 続き (響子の言葉・35-8)


最初に言いましたが…

私としても…『土佐日記』を読むのは初めてです。何度か読み返せば、分かって来るのか

も知れませんが、構成上女性かな文字で書かれているわけですし、多少混乱する所

ですよね、」



 1月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                岩清水八幡宮                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(501)

二月十一日 (原文・36-1)


十一日。雨いささかにふりてやみぬ。かくてさし上るに、東の方に山の横ほれるを見て、

人に問へば、


「八幡宮
(はちまんぐう/岩清水八幡宮・・・八幡神を祭神とする神社。大分県宇佐市の宇佐神宮を総本社とする)


といふ。これを聞きて喜びで、人々をがみたてまつる。山崎の橋見ゆ。うれしきことかぎり

なし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                岩清水八幡宮                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(502)

二月十一日 (原文・36-2)


ここに、相応寺のほとりに、しばし舟をとどめて、とかくさだむることあり。この寺の岸ほと

りに、柳多くあり。ある人、この柳の影の、川の底に映れるを見て詠める歌、


★ さざれ波 よするあやをば 青柳
(あおやぎ)の 影の糸して 織るかとぞ見る

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                   京都/山崎・・・秀吉の天王山の戦いは、はるか後の時代       (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(503)

二月十一日 (原文・36-3)


十二日。山崎にとまれり。


十三日。なほ山崎に。



十四日。雨ふる。今日、車京へとりにやる。



十五日。今日、車ゐてきたり。舟のむつかしさに、舟より人の家にうつる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                京都/山崎聖天・・・ 妙音山/観音寺              (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(504)

二月十一日 (原文・36-4)


この人の家、喜べるやうにてあるじしたり。このあるじの、またあるじのよきを見るに、う

たて思ほゆ。いろいろに返り事す。家の人の出で入り、にくげならずゐややかなり。






 1月  19日


岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                岩清水八幡宮                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(505)

二月十一日 (現代語訳・36-1)


十一日。雨がほんの少し降って止んだ。こうして棹(さお)さして上ると、東の方に山が横た

わっているのを見て、人に質問すると、


(石清水)八幡宮
(いわしみず・はちまんぐう/京都府八幡市にある神社・・・日本三大八幡宮の一社)


と言う。これを聞いて喜んで、人々は、お拝み申し上げる。山崎の橋を見る。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                石清水八幡宮                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(506)

二月十一日 (現代語訳・36-2)


嬉しいことは、際限がない。ここで、相応寺の近くに、しばらく舟を留めて、何だかんだと

決めることがある。

この寺の岸辺に、柳が多くある。ある人が、この柳の形が、川の底に映っているのを見

て詠んだ歌、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                川のやなぎ                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(507)

二月十一日 (現代語訳・36-3)


さざ波が・・・

寄せてできる・・・

水面の模様を・・・

青柳の影が・・・

糸となって・・・

織っているのか・・・

と、見ることだ・・・


十二日。山崎に泊る。



十三日。依然、山崎に。



十四日。雨が降る。今日、車を京へ取りにやる。



十五日。今日、車を引いて来た。
 

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(508)

二月十一日 (現代語訳・36-4)


舟の不快さに、舟から人の家に移る。この人の家は、喜んでいる様子でもてなしてくれた。

この主人の、また、供応の立派さを見ると、(むしろ、返礼目当てのようで)気味が悪い感

じがする。(とはいえ)いろいろと返礼はする。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(509)

二月十一日 (現代語訳・36-5)


家の人の立居振舞は、不恰好(ぶかっこう)ではなく、礼儀正しいのである。



 1月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                石清水八幡宮                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(510)

二月十一日 (響子の言葉・36-1)


「さあ…

いよいよ淀川から、京都盆地南西に位置するが見えて来ました。

聞くと、(石清水)八幡宮>だと言います。

つまり、は…

<男山/鳩ガ峰・・・標高143m。山上に石清水八幡宮が鎮座>…します。都人(み

やこびと)には、馴染み深い神社です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                石清水八幡宮                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(511)

二月十一日 (響子の言葉・36-2)


人々は改めて、無事に帰って来たのを感謝し、石清水八幡宮の山に向かって、心か

、手を合わせています。

それから、山崎の橋を見ます。懐かしい風景次々と現れてきます。<うれしきことかぎ

りなし>、と原文にもあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                川のやなぎ                                                  (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(512)

二月十一日 (響子の言葉・36-3)


山崎相応寺のほとりにを止めます。この辺りはが多く、この柳の影川底に映る

のを見て、貫之さんが、1首、詠みます。


★ さざれ波 よするあやをば 青柳の 影の糸して 織るかとぞ見る

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                 京都/山崎聖天・・・ 妙音山/観音寺              (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(513)

二月十一日 (響子の言葉・36-4)


さざ波が寄せてできる・・・

水面の模様を・・・

青柳の影が糸となって・・・

織っているのか、と見ることだ・・・


ここに2、3日留まり

結局…ここでを取りに行きます。翌日からが来ます。とはいっても、現代社

のように足腰軽いわけではなく、すぐに乗り換えることはできません。荷物を移すだ

けでも、大変な労力がかかるのでしょう。

それで、舟に逗留する不快さから、ともかくおりて、人家に移ります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                サントリー山崎蒸留所                                        (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(514)

二月十一日 (響子の言葉・36-5)


それも…

諸般の事情から、それなりの格式のある家を選んで、頼んだ様ですね。そして、<この

家の主人の・・・貫之さんの人物評>が、面白いですね。

当時王朝社会空気感が漂って来るようです。それも、宮廷富豪貴族ではなく、

のある、堅実中流階級空気感のようなものです。

この家主人は…

返礼目当てのように、過度に(うやうや)しく親切で

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                古都/・・・京都                                                 (/ネットより画像借用)  

《響子の・・・土佐日記》・・・(515)

二月十一日 (響子の言葉・36-6)


薄気味悪ささえ感じさせます。それを承知で、貫之さん返礼します。という、狭い

王朝社会で、その辺りは貫之さん同類であり、よく心得ています。

一方…

家の主人の方も、いやみが無くて、そつがなく立居振舞不恰好ではなく、礼儀正し

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(516)

二月十一日 (響子の言葉・36-7)


…と貫之さんも認めています。

貫之さんの方もまた、歌人/王朝の役人らしいですよね。ホホ…浅学私/響子が、

々生意気なことを申しております。

『土佐日記』では…

時々、実体験から来るような、奇妙に生々しい人間的機微が伝わって来ます。紀貫

之さんの、筆力(ひつりょく/文章表現の力)によるものですね…」



 2月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(51

二月十六日 (原文・37-1)


十六日。今日の夜さつかた、京へ上るついでに見れば、山崎のこひつのゑも、まがりの

おほぢのかたも変らざりけり。


「売り人の心をぞ知らぬ」



とぞ言ふなる。かくて京へいくに、島坂にて人あるじしたり。かならずしもあるまじきわざ

なり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(51

二月十六日 (原文・37-2)


立ちて行きし時よりは、来る時ぞ人はとかくありける。これにも返り事す。

夜になして京には入らむとおもへば、いそぎしもせぬほどに、月出でぬ。桂川、月のあか

きにぞ渡る。

人々のいはく、


「この川、飛鳥川にあらねば、淵瀬さらに変らざりけり」


岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(51

二月十六日 (原文・37-3)


といひて、ある人の詠める歌、


★ 久方の 月におひたる 桂川 底なる影も かはらざりけり



また、ある人のいへる、



★ あまぐもの はるかなりつる 桂川 袖をひでても わたりぬるかな



また、ある人詠めり。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(520)

二月十六日 (原文・37-4)


★ 桂川 わが心にも かよはねど 同じふかさに ながるべらなり


京のうれしきあまりに、歌もあまりぞ多かる。



 2月  24日

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(521)

二月十六日 (現代語訳・37-1)


十六日。今日の夕方、京へ上るついでに見ると、山崎(商店の)小椻の絵も、まがりのお

おじの形(/未詳)も、変っていない。


「売る人の心は、どうかわからない」


というようである。こうして京へ行くと、島坂で、ある人がもてなしてくれた。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1
                    桂/・・・巨木になりますが、葉が丸みをおびた可愛いハート形    (ネットより画像借用)   

《響子の・・・土佐日記》・・・(522)

二月十六日 (現代語訳・37-2)


出発して行く時よりは、帰って来る時に、人は、何だかんだとするものであるなあ。これ

にも返礼をする。

夜になるのを待って、京に入ろうと思うので、急ぎもしないうちに、月が出た。桂川は、月

が明るい時に渡る。人々が言うには、

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1  
        桂/大桂・・・琵琶湖から流れ出す瀬田川が宇治川と名前を変える辺りにある巨木    (ネットより画像借用)   

《響子の・・・土佐日記》・・・(523)

二月十六日 (現代語訳・37-3)


「この川は、飛鳥川ではないので、淵も瀬も変わっていなかったなあ」


と言って、ある人が詠んだ歌、



月に生えている桂
(かつら/中国の伝説では、桂は<月の中にあるという高い理想>を表す木 ) ・・・

それと同じ名の桂川は・・・

底に映える月の光も・・・

変わらなかった・・・


また、ある人が詠んだ歌、

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1 
                              京都/桂川と渡月橋                 (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(524)

二月十六日 (現代語訳・37-4)


天の雲と同様・・・

はるか遠くにあった桂川・・・

今は袖を濡らしても・・・

渡ったことだな・・・


また、ある人が詠んだ歌、


桂川は・・・

私の心にも通っていないけれど・・・

私が京を思うのと同じ深さで・・・

流れているようだ・・・


京に帰ることの嬉しさのあまり、歌もあまりに多い。



 2月  25日

岡田健吉椻‏@zu5kokd1 
平安京・・・北方には北山や船岡山(玄武)、東に鴨川(青龍)、西には桂川と西国への街道(白虎)、南方には巨椋池(朱雀)

《響子の・・・土佐日記》・・・(525)

二月十六日 (響子の言葉・37-1)


「さあ…ようやく京/都の文化圏に入り…

夜毎(よごと)に…夢の中でさえ待ちに待ち焦がれも、もう間近になりました。

都の風いちいちの風景愛おしく桂川水の流れさえも、旧知再会するような

(なつ)かしさです。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1
                  平安時代の仏教・・・天台宗総本山/比叡山延暦寺/東塔萬拝堂   (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(526)

二月十六日 (響子の言葉・37-2)


思えば…

現代人には、この様な素朴な行為の中の感激というものは、皆無になった様な気がしま

す。

現代文明は…

<便利・安全・速い・・・楽チン>追求し、<この様な人間の本質的な喜びを・・・置

き忘れてきた>…ような、気がします。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1 
                             平安時代の仏教・・・高野山/金剛峯寺/根本大塔  (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(527)

二月十六日 (響子の言葉・37-3)


現代人は…

追い求め何処彷徨(さまよ)っているのか、と言うことですわ。

追い求め渇望しているものが…

まさに…

<即下(そくか)・・・あまりにも身近な・・・即今(そくいま)の不便の中・・・楽チンではない

中>にこそ…隠れているのかも知れませんね。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(528)

二月十六日 (響子の言葉・37-4)


1つ…私に言えることは…

<禅>が、それを教えてくれる、という事だけです。あ、私は、高杉・塾長について、

<禅>を、学ぶ者ですから。


さて…

紀貫之さんは、中流貴族官僚であり、超一流歌人です。『古今和歌集/古今集』(/

第60代・醍醐天皇の勅命による、 平安時代前期の勅撰和歌集。撰者は・・・紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の

4人)編者

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1 
                                       平安京            (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(529)

二月十六日 (響子の言葉・37-5)


…の1人でもあり、有名人です。しかし現代とは違い、それで即、経済的豊かになった

り、官僚世界昇進することはありませんでした。

そこで中流貴族は、地方官として各地方赴任する訳ですが、それでひと財産ができた

ようです。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1  
                                牛車(ぎっしゃ)         (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(530)

二月十六日 (響子の言葉・37-6)


また、国守として赴任する身分の人もいれば、下官(げかん/下級の官職 )として赴任したり、

随行する人々もいました。

貫之さんは…

官僚として、王朝社会人情機微(きび/容易には察せられない微妙な事情)にも通じていて、

い事に対する返礼も、そつなく行なっているのが、しばしば記されています。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1 
                               牛車
(ぎっしゃ)                  (ネットより画像借用)

《響子の・・・土佐日記》・・・(531)

二月十六日 (響子の言葉・37-7)


これは官僚として、非常に大事な事であり、人格の一面でもあったということですね。

ともかく…

京/都帰還したことが嬉しくて…歌人貫之さん幾つもの歌を詠んでいます。

はるか(いにしえ)の時代の…歌人/紀貫之さんの、弾む心が伝わって来ます…」


 2月  26日

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(532)

二月十六日  続き  (原文・38-1)


夜ふけてくれば、ところどころも見えず。京に入り立ちてうれし。

家にいたりて、門に入るに、月あかければ、いとよくありさま見ゆ。聞きしよりもまして、

いふかひなくぞこぼれ破れたる。家に預けたりつる人の心も、荒れたるなりけり。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(533)

二月十六日  続き  (原文・38-2)


中垣こそあれ、一つ家のやうなれば、望みて預かれるなり。さるは、便りごとに物も絶え

ず得させたり。こよひ、


「かかること」



と、声高にものも言はせず。いとはつらく見ゆれど、こころざしはせむとす。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(534)

二月十六日  続き  (原文・38-3)


さて、池めいてくぼまり、水つける所あり。ほとりに松もありき。五年六年のうちに、千年

や過ぎにけむ、かたへはなくなりにけり。いま生ひたるぞまじれる。大方のみな荒れにた

れば、


「あはれ」



とぞ人々いふ。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(535)

二月十六日  続き  (原文・38-4)


思い出てぬことなく、思ひ恋しきがうちに、この家にて生まれし女児の、もろともに帰らね

ば、いかがは悲しき。舟人もみな、子たかりてののしる。かかるうちに、なほ悲しきにた

へずして、ひそかに心知れる人といへりける歌、

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(536)

二月十六日  続き  (原文・38-5)


★ 生まれしも かへらぬものを わが宿に 小松のあるを 見るが悲しさ


とぞいへる。なほ飽かずやあらむ、またかくなむ。



★ 見し人の 松の千年に 見ましかば 遠く悲しき 別れせましや

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(537)

二月十六日  続き  (原文・38-6)


忘れがたく、口惜しきこと多かれど、え尽さず。とまれかうまれ、とく破りてむ。

 

       『土佐日記』 ・・・・・ < 完 >    



 2月  27日

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(538)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-1)


夜がふけてやって来たので、迎えの方々も見えない。京に立ち入って嬉しい。

家に到着して門を入ると、月が明るいので、とてもよく様子が見える。聞いていたよりもま

して、お話しにならないほど、壊れ破れている。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(539)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-2)


家に預けておいた人の心も、荒れてしまっているのである。隣家との垣根こそあるもの

の、一つの家のようであるから、(隣人が)望んで預かったのである。そうは言うものの、

ついでのある度に、物も絶えず受け取らせていた。今夜、

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(540)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-3)


「これは、何ということ」


(従者に)大声で文句も言わせない。とても絶え難いとは思うけれど、お礼はしようと思

う。

さて、池のようにくぼみ、水が浸かっている所がある。そばに松もあった。五年、六年の

うちに、千年も過ぎたの…

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(541)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-4)


…だろうか。片方はなくなってしまった。(一方)最近、生えたのがまじっている。およそ全

てが荒れてしまっているので、


「ああ」


と人々は言う。思い出さないことはなく、恋しく思うものの中で、この家で生まれた女の子

が…

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(542)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-5)


…一緒に帰らないので、どれだけ悲しいことか。舟に乗って行った人もみな、子供が集

まって騒いでいる。このような間に、なお悲しさに耐えきれなくて、こっそり、気心が知れ

ている人と言っていた歌、

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(543)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-6)


この家で・・・

生まれた娘でさえ・・・

帰って来ないのに・・・

我が家に・・・

小松が生えているのを見るのは・・・

悲しいことだ・・・


と言った。まだものたりないのであろうか、また、このように、


亡くなった娘が・・・

松のように・・・

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1     

《響子の・・・土佐日記》・・・(544)

二月十六日  続き  (現代語訳・38-7)


千年生きると見ていたならば・・・

遠く土佐の国で・・・

悲しい別れをしたであろうか・・・

そうはならなかったであろう・・・


忘れがたく、心残りなことが多いけれど、書き尽すことができない。何はともあれ、
(この

日記は)早く破ってしまおう。

 

       『土佐日記』 ・・・・・ < 完 >    


 2月  28日

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(545)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-1)


「うーん…

夜更けを待ってに入り、いよいよ我家にたどり着きます。人気のない夜更けを待った

のは、周囲に対する鳴り物入り帰京を、避けたかったからでしょうか。

これは…

貫之さんに限った事ではなく、計画的様子から…

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(546)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-2)


任地から帰京する時慣習1つになっていたのかも知れませんね。その辺りの記述

はないので、推測するしかありません。

さあ…

月明かりの中で、をくぐると…そこは言われていた以上に荒れ果てていました。自らが

我家に残した…

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(547)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-3)


人の気配も消え果てていました。

隣家とは…

垣根こそあるものの1つの家のようなので、隣家がそれを望むので、よろしく頼むと、

けていった様です。そして、ついでのある時は、土佐国からも送っていたのでしょう。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(548)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-4)


ところが口先だけで、約束管理もせず、まるでほったらかしだった様です。

それでも…

貫之さんは、良識のある官人/歌人ですから、家人(けにん/家につかえる者)が…


「これは、何ということか」


…と、文句を言いに行くのを抑えます。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(549)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-5)



<とても耐え難いとは思うけれど、お礼はしようと思う>


…と、あります。貫之さん官僚らしい、世間知一面がうかがえます。

それに、貫之さんから見て<異常な事>ですけど、先方どの様な事情があったのか

も分りませんよね

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(550)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-6)


これから先々の事まで考えれば、ここは心を鎮めて置くべきでしょう。

さあ…

にはのような水溜りができています。そばにあるも、千年も経ったように、片方

なくなっています。しかも、辺りには、新しく生えた松が混じっています。

 

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(551)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-7)


その我家落ち着くと…

この家生まれた娘を、土佐国亡くした悲しみが、ひしひしとをしめつけます。他の

子供たちが騒ぐのにつけても、その思い耐えがたく貫之さん気心の知れている者

に、歌を詠んで言います。

岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(552)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-8)


歌人は…

感激する時…また嬉しいにつけ、悲しいにつけ…時節の折々に…歌を読むわけですね。

それは生きて行くためのであり、また人生豊かにするものです。

最後に…

<忘れがたく、口惜しきこと多かれど、え尽さず>とあります。

岡田健吉椻‏@zu5kokd1岡田健吉椻‏@zu5kokd1    

《響子の・・・土佐日記》・・・(553)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-9)


つまり、書き尽くすことができない、といっています。そして…

<とまれかうまれ、とく破りてむ>…とあります。

つまり…

何はともあれ、この日記は、早く破ってしまおうう…と記し、日記終わっています。

でも…『土佐日記』 は…

岡田健吉椻‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(554)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-10)


…こうして歴史の波濤(はとう/大きな波)をのり越え、千数百年後現在も、燦然(さんぜん)と、

日本の古典として残っているわけです」

岡田健吉椻‏@zu5kokd1   

《響子の・・・土佐日記》・・・(555)

二月十六日  続き  (響子の言葉・38-11)


『土佐日記』は、これで完了です。


次は…芭蕉の 『更科紀行』 を考察します。

俳句の世界ですので…

星野支折さんの担当になります。

どうぞ、ご期待ください!」



       『土佐日記』 ・・・・・ < 完 >