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   野ざらし紀行/・・・芭蕉 

   

 
                                                        <ネットより・・・画像借用>

 トップページHot SpotMenu最新のアップロード                          執筆: 星野 支折

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 野ざらしを 心に風の しむ身かな  /三重県伊賀市/芭蕉の森・常住寺 

 2018年4月  

              上から・・・下 へ               
 4月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                               1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行(のざらしきこう)/・・・ 芭蕉》・・・ (1)

プロローグ(序章)・・・(1)      


「ええ、星野支折です…

《更科紀行(さらしなきこう)/・・・芭蕉》続いて《野ざらし紀行/・・・芭蕉》 の、考察をし

ようと思います。

最初は…

更科紀行 は、笈の小文(おいのこぶみ)に続いている連続性から、笈の小文

にしようとも考えていました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                                               1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(2)

プロローグ・・・(2)


でも、これでは、芭蕉一連紀行文を…

奥の細道更科紀行笈の小文 と…まさに、逆にたどっている事になります。

これは、いくら何でも、という事で…そうした以前の、野ざらし紀行 を持って来る事にし

ました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉庵                    (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(3)

プロローグ・・・(3)


ええと、例によって…

私/支折メ にとっては…野ざらし紀行 もまた、今回初めて接するもので、ワクワク

ています。それでは、さっそく、考察に入ってみましょうか…」

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★


「ええ…

この旅は…1684年/貞享(じょうきょう/・・・天和の後、元禄の前の4年間。この時代の天皇は霊元天皇

山天皇。江戸幕府将軍は徳川綱吉。)1年8月芭蕉41歳の時でした。は、翌年の4月にまで及

ぶ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(4)

プロローグ・・・(4)


長いものとなっています。

往路は/・・・江戸から東海道をとり・・・伊勢神宮に参拝して・・・故郷/伊賀上野

で、前年に亡くなった母の墓参をすませ>形式的な目的を果たしています。

復路は/・・・大和・吉野で秋を楽しみ・・・山城・近江・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(5)

プロローグ・・・(5)


・・・大垣を経由・・・桑名から、船で熱田にも渡り・・・そして中山道・甲州街道を経て

・・・江戸に帰着>…しています。

門人/千里(ちり/粕谷千里(かすや・ちり)・・・大和国竹内村/粕谷甚四郎。千里は俳号)伴ってでし

たが…

<全行程2000kmに及ぶ・・・風狂の大ヒッチハイク・・・徒歩での無銭旅行>…で

した。俳諧師(はいかいし)と…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(6)

プロローグ・・・(6)


…いう身分/支援はあったわけですが、常人真似(まね)の出来ることではなく…<死

を賭した・・・自由人/風流人の・・・風狂求道の大冒険>…といった、ものだったので

しょう。

俳人/芭蕉にとって…

伊賀上野から江戸に出て来て以来…俳諧の宗匠(はいかいの・そうしょう)という、多くの門人

持つ安定し始めた生活を捨て…



 4月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                    
東海道五十三次之内 <1> 日本橋・朝之景 /歌川広重  
(ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(7)

プロローグ・・・(7)


江戸深川での、5年余芭蕉庵での隠棲(いんせい/俗世間をのがれて静かにくらすこと。芭蕉開眼

有名な句、『古池や 蛙飛び込む 水の音』 も、この芭蕉案での句。この句は、貞享3年(1686年)刊行の 『蛙合』  に発

表された様ですから・・・この 『野ざらし紀行』 の旅の、2年後の事になります。)の後の、新たな旅立でした。

この時代

個人に出る場合は…振り分け荷物程度基本です。食物衣類最小限で、しか

大金を持って歩くということは、どの様な場合でも、非常に危険でした。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                       
東海道五十三次 <2> 品川・日之出  /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(8)

プロローグ・・・(8)


基本的は…

その昔から、<天皇の行幸・巡行(ぎょうこう・じゅんこう/行幸とは・・・天皇が外出すること。目的地が複数

ある場合は巡幸。)、そして 土佐日記 のような、<地方官の任地との往来><年貢

の輸送などの物流><軍事力の移動><裕福な貴族の移動>…などで、<い

づれも・・・武威・雑役が付随>していたわけです。

江戸時代になってからは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                      
東海道五十三次  <3>川崎・六郷渡舟 /歌川広重  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(9)

プロローグ・・・(9)


幕藩体制下/参勤交代街道を賑わせますが、これも武威・雑役を伴うものでした。

基本的に、全てが大人数での移動であり、莫大な費用もかかりました。

また…

軍事用語で言う、兵站/補給大仕事でした。そのために江戸時代になると、まず、

街道で、宿場整備されていったわけです。

それから…

昔から…個人的に、楽に旅ができたのは、僧侶だけだったのではないでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                      
東海道五十三次  <4>神奈川・台之景 /歌川広重  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(10)

プロローグ・・・(10)


鎌倉時代の…

歌人/西行法師僧侶でしたから、地図のない時代をたよりに、奥州/平泉にま

大旅行(/西行は、2度、平泉を訪れていて・・・1度目は20代後半であり、2度目は晩年の69歳の頃で、義経が頼

朝の追っ手を逃れて平泉に入る直前/平泉が陥落する前夜の頃でした。)が、出来たわけです。

室町時代の…

連歌師/宗祇(そうぎ)僧侶で、として身軽ができました。もちろん、それには、

超人的な・・・精神力・体力・風流>

 

   
     西行法師 (菊池容斎画/江戸時代)          宗祇像 (山口県立山口博物館所蔵) (ネットより画像借用)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                     
東海道五十三次  <5>保土ヶ谷・新町橋 /歌川広重  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(11)

プロローグ・・・(11)


…を併せ持つ者でなければ、不可能なのですが。

芭蕉の場合…

尊敬する西行宗祇を真似て、僧衣をまとってをした様ですが、元々、芭蕉

ではありません。そして旅の足場ではなく、各地俳諧の門人やそのツテを頼っ

ての、<風狂求道の・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                     
東海道五十三次 <6> 戸塚・元町別道 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(12)

プロローグ・・・(12)


・・・大旅行/大冒険>…だった様ですね。

当時の、地方の有力者は…

天下の情勢を知り、江戸をはじめとする中央の文化を吸収するために、各地を渡り歩い

ている絵師や、俳諧師や、僧侶などを、積極的逗留させ、路銀などの面倒も見ていま

した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                       
東海道五十三次  <7>藤沢・遊行寺 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(13)

プロローグ・・・(13)


逆に、そうした有力者/協力者情報は、玉石混交そのスジの人たちには、よく知ら

れていた様です。芭蕉のような名の知れた文化人は、珍客として接待されたのでしょう

か。

でも、芭蕉の場合は…

それに加えて、俳諧の門人やそのツテを頼って、<連歌の会を催して・・・路銀を稼ぎ

・・・天下をヒッチハイクする>…という、新しい旅の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                       
東海道五十三次  <8>平塚・縄手道 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(14)

プロローグ・・・(14)


…形式確立できていますよね。芭蕉この方法で、奥の細道 では、未踏奥州

まで足を伸ばしているわけです。

絵師なども…

絵が上手なら、こうした旅ができたわけですね。当時はこの様に、緩やかに、文化地方

伝播して行ったわけです。



 4月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
野ざらしを 心に風の しむ身かな・・・と刻まれています  三重県伊賀市/芭蕉の森・常住寺  (ネットより画像借用)

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(15)

【 原文・・・ 1/1 】


千里に旅立て、路粮
(みちかて/道中の食料)を包まず。「三更月下(さんこうげっか)無何(むか/無何

有の略で…作為がなく、自然のままであること)に入(はいる)」と云けむ昔の人の杖にすがりて、貞亨甲

(じょうきょうの・きのえね/…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                      
東海道五十三次  <9> 平塚・縄手道 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(16)

【 原文・・・ 1/2 】


(…甲子は、干支の組み合わせの1番目。つまり、貞享1年)秋八月、江上の破屋を出づる程、風の声そ

ぞろ寒気也(さむげなり)


★ 野ざらしを 心に風の しむ身哉(かな)


★ 秋十(と)とせ 却かえって江戸を 指古郷(さすこきょう)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                    
東海道五十三次  <10> 小田原・酒匂川 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(17)

【 原文・・・ 1/3 】


関越ゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。


★ 霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き


何某千里(なにがしの・ちり)と云けるは、此度(このたび)道の助けとなりて、万(よろず)いたはり、

心を尽し侍(はべ)る。常に莫逆(ばくげき、ばくぎゃく/意気投合して…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                     
東海道五十三次  <11> 箱根・湖水図 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(18)

【 原文・・・ 1/4 】


…きわめて親しい間柄)の交深く、朋友信有哉(ほうゆう・しんあるかな)、此人(このひと)


☆ 深川や 芭蕉を富士に 預行(あずけいく)  (千里(ちり/粕谷千里(かすや・ちり)・・・大和国竹内

                                        村/粕谷甚四郎。千里は俳号)


【 現代語訳・・・ 1 / 1 】


荘子(そうし/中国の戦国時代の思想家で、道教の始祖の1人)は、千里の旅を…

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                      
東海道五十三次  <12> 三島・朝霧 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(19)

【 現代語訳・・・ 1 / 2 】


…する者は、三ヶ月も前から食料を用意すると言っているが、わたしは道中食を持たず

に、ただ…


「夜更けの月明かりのもと、俗世間を離れ仙境(せんきょう)に入る」


…という古人の言葉をよりどころとして、貞享元年の秋八月、いよいよ隅田川のあばら

屋/…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                     
東海道五十三次  <13> 沼津・黄昏図 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(20)

【 現代語訳・・・ 1 / 3 】


…/芭蕉庵を旅立つ。荒れ野を通り抜けていく風の音を聞くにつけ、ついぞ、薄ら寒い

思いに駈(か)られることだ。


★ 野ざらしを 心に風の しむ身哉(かな)


  道中に行き倒れ・・・

  髑髏(しゃれこうべ、どくろ)を野辺に晒(さら)そうとも・・・

  覚悟の風流の旅であるが・・・



 4月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                     
東海道五十三次  <14> 原・朝之富士 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(21) 

【 現代語訳・・・ 1 /4 】 


  風の冷たさが・・・

  やたらこたえる、我が身であることだ・・・


★ 秋十(と)とせ 却(かえっ)て江戸を 指古郷(さすこきょう)


  江戸住まいも・・・

  十年に及び・・・

  冷たい秋風に・・・

  故郷へ向かう旅も・・・

  むしろ、江戸が恋しくなろうとは・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                     
東海道五十三次  <15> 吉原・左富士 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(22) 

【 現代語訳・・・ 1 /5 】 


箱根の関所を越える日は雨降りで、山はみな雲に隠れてしまっている。


★ 霧しぐれ 富士を見ぬ日ぞ 面白き


  霧が深くかかり・・・

  これまで幾度も眺めた富士山が・・・

  この近くの峠からは見えない・・・

  しかし、霧の中で富士を想像するのも・・・

  また、一興である・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                     
東海道五十三次  <16> 蒲原・夜之雪 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(23) 

【支折の言葉・・・ 1/1 】  


「ええ…

芭蕉は、構想を温めてきた風流の旅<野ざらし/= 野に髑髏(しゃれこうべ、どくろ)を晒(さ

ら)す・・覚悟の大冒険>…に、いよいよ1歩を踏み出しました。

当時長旅に出る時は、一応、<死して・・・帰らず>…の覚悟もしたわけです。芭蕉

自身尊敬する西行宗祇(そうぎ)も、そうした旅の空果てているわけです。

でも…

<野ざらし>覚悟はあっても…やはり、立秋/8月(/俳句の世界、旧暦では8月は立秋)

冷たいというわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                     
東海道五十三次  <17> 由井・薩た嶺 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(24) 

【支折の言葉・・・ 1/2 】  


最初の句は…

その繊細な、文学者/俳人としての、我身我心を詠んだものです。武者(むしゃ)出陣

は、明らかに異なるわけですね。

次の句は…

その薄寒い秋風に、生まれた故郷へ帰る旅だというのに、江戸深川草庵が、むしろ

しくなるとは…と笑っている句です。

大冒険家/芭蕉であっても、その様な文学者繊細な…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                     
東海道五十三次  <18> 興津・興津川 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(25) 

【支折の言葉・・・ 1/3 】  


…気持ち旅立ったわけで、私たちの共感を呼びますよね。

でも…

もっと大所高所から俯瞰(ふかん/高い所から見おろすこと)すれば、それも、風流風雅醍醐味

という事です。元々、<野に髑髏を晒す>…ことを覚悟しているわけですから、決意

揺るがず、それさえも旅の味わいとして、自嘲(じちょう/自分で自分の欠点・境遇・ふるまい等をあざけ

り笑うこと)しているわけですね。

その、次の句は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                   
東海道五十三次  <19> 江尻・三保遠望 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(26) 

【支折の言葉・・・ 1/4 】  


箱根関所越えで、せっかく富士山間近に見えるまで来たというのに、霧が深く

かり、富士山が見えません。でも、<それも一興>といさぎよく諦め、芭蕉はあくまでも

現実肯定的です。

これは…

芭蕉の、<禅的境涯・・・全面肯定の自然観/世界観>…がよく出ています。



 4月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                         
松尾芭蕉像  (葛飾北斎画)        (パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(27)

【支折の言葉・・・ 1/5 】


芭蕉には…

<自然の、風物の移ろいへの・・・痛いほどの共感!>…があった様です。それは

然的に、大自然の美しさだけでなく、不快さや、脅威にも、限りない共感を寄せるものでし

た。そして、まさに、その中に身を委ねて行く事を、芭蕉実践したという事でしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                 
『三日月の頃より待し今宵哉』 (月岡芳年『月百姿』) 松尾芭蕉  (パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(28)

【支折の言葉・・・ 1/6 】


そもそも…

芭蕉禅的境涯は、<空/一切皆空(いっさいかいくう/ この世の一切の存在は、すべて固定した実体

ではなく、空であるという仏教の根本教理・・・“色即是空・空即是色”)へは向わず…

文学的・求道者/風流風雅の探求者として、<執着/迷妄/魔心に・・・反転/逆流

…しています。これは、<悟りの世界ではなく・・・迷妄/執着の世界を探検してい

く・・・冒険者の姿>…と言うべきなのでしょう。

もっとも、この時点では…

芭蕉の、<禅的境涯/覚醒>もまだ浅く…新しい旅立ちの中、にあったのかも知れま

せんね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                                
(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(29)

【支折の言葉・・・ 1/7 】

 


いわゆる、<芭蕉が・・・真の、芭蕉になった、>….とされている…


★ 古池や 蛙飛び込む 水の音


…のは、この2年後の、貞享3年の作と言われます。

貞享元号5年まであり、その次が元禄になります。江戸が、まさに幸せだった時代

あり、<元禄文化>花開した時期です。

その元禄には、あの有名な、歌舞伎/忠臣蔵赤穂事件もあったわけですね…


江戸城松の廊下刃傷事件(にんじょう・じけん/刃物で他人を傷つける事件
・・・赤穂藩主/浅

野内匠頭(あさの・たくみのかみ)が、殿中松の廊下で抜刀し、高家(こうけ/江戸幕府における儀式

や典礼を司る役職)/吉良上野介(きら・こうずけのすけ)に切りかかった事件


…が起っています。

もっとも芭蕉は、それ以前の元禄7年に、享年50歳早世しています。赤穂事件が起こ

ったのは、それから7年後元禄14年のことです。あ、芭蕉最晩年については、別途

考察して行きます。

ええ、ともかく…

支折メ(/メ ・・・は自分のことをへりくだって言う接尾語)としても…初めて接する野ざらし紀行

す。少しづつ、芭蕉の実像にも迫りたいと思います」



 4月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                                                      
(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(30)

【原文・・・ 2/1 】


富士川のほとりを行に、三つ計(ばかり)なる捨子の、哀気(あわれげ)に泣有(なくあり)。この川

の早瀬にかけて、うき世の波をしのぐにたへず、露計の命待間(つゆばかりの・いのち・まつま)

捨て置けむ。

小萩がもとの秋の風、今宵や散るらん、明日や萎(しお)れんと、袂(たもと)より喰物投げて

通るに、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                       
本朝名所 /駿州富士川 渡船之圖   歌川広重    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(31)

【原文・・・ 2/2 】


★ 猿を聞人(さるを・きくひと) 捨子(すてご)に秋の 風いかに


いかにぞや、汝(なんじ)父に悪(にく)まれたる歟(か)、母に疎(うと)まれたるか。父は汝を悪

むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ。唯(ただ)これ天にして、汝が性(さが)の拙(つたな)きを

泣け。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                   
    芭蕉庵                      (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(32)

【 現代語訳・・・ 2/1 】


富士川のほとりを旅していると、三歳ばかりの捨て子が、悲しそうに泣いている。

親は、この子を川の早瀬に投げ込んで、自分たちだけ浮世の波を乗り越えて生きてはい

けない、わずかでもこの子の命がある間は、このままにして、との思いで…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                  
     「甲州石班沢」 (冨嶽三十六景)   葛飾北斎    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(33)

【 現代語訳・・・ 2/2 】


…人知れず捨て置いて立ち去ったのだろう。

小萩に吹きつける冷たい秋の風に、今夜のうちに命を散らしてしまうのか、明日にもしお

れてしまうのかと哀れに思いながら、たもとから食べ物を取り出して投げ与え、通り過ぎ

る時に、一句を吟じて、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                        
芭蕉庵                    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(34)

【 現代語訳・・・ 2/3 】


★ 猿を聞人 捨子に秋の 風いかに


  古事の猿の泣声に・・・

  悲愁を聞く詩人たちは・・・

  この冷え冷えとした、秋風の中に・・・

  捨てられた、子の哀れみならば・・・

  どのように詠むことであろうか・・・


★ 猿を聞人・・・

<断腸>の語源になっている、中国の故事に出てくる・・・猿の泣声を聞く人に、たとえています。

この古事では・・・人間に子供をさらわれた母猿が、あまりに深く泣き悲しむので、死後、母猿の腹を割いてみると、腸が千

切れ千切れになっていた・・・というものです。古来、多くの漢詩文中に取り上げられています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                                             1680年/延宝8年 ・・・ 松尾芭蕉が、深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(35)

【 現代語訳・・・ 2/4 】


(/当時は、男児女児の両方に用いた)や、一体どうしたというのだ。父親に憎まれたか、母親

に嫌われたか。いや、そうではあるまい。父親がお前を憎んだのでも、母親が嫌ったわ

けでもあるまい。これは、ただただ天が成したこと。お前のもって生まれた、悲運の定め

を泣くがよい。



 4月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpe59.jpg (7991 バイト)          

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(36)

【支折の言葉 ・・・ 2/1 】 


「うーん…

悲しい場面ですね。でもこうした事は、現在でも世界中に溢れています。<戦争・紛争

の飢餓地帯>がそうですし、日本国内においても、<弱者が・・・虐(しいた)げられてい

る状態>は、程度の差こそあれ、常に存在しています。

むしろ、当時/生活環境の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                     
東海道五十三次  <20> 府中・安倍川 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(37)

【支折の言葉 ・・・ 2/2 】


…厳しかった江戸時代には、<人の情けというものは・・・広く深かった>と思います。

それでも現代の様には、社会全体が豊かではなく、助けられるものと、助けられないもの

がありました。

さて…

ここに僧侶が通りかかったら、どう対処するでしょうか?また、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 wpe59.jpg (7991 バイト)          

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(38)

【支折の言葉 ・・・ 2/3 】


生活にゆとりのある商人と、その手代が通りかかったら、どうでしょうか?あるいは、

を亡くしたばかりの女の人が、この事を聞いて見に来たら、連れ帰ったでしょうか?

それでも…

芭蕉1句を詠み、言葉を投げかけたように、<命は・・・風前の灯>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                    
東海道五十三次  <21> 丸子・名物茶店 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(39)

【支折の言葉 ・・・ 2/4 】


…のように(はかな)のが実情だったのでしょう。今日はもつか、明日には(しお)れる

かと、まるで捨てられた花のようです。こうした事日常ゴロゴロとあり、また人々は、

自分生きて行くので精一杯だったわけですね。

芭蕉の様に…

心にゆとりのある風流人ですら、捨て置かなければが続けられません。この数年後

なりますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                    
東海道五十三次  <22> 岡部・宇津之山 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(40)

【支折の言葉 ・・・ 2/5 】

.
奥の細道 では、芭蕉は、<越後路/一振/・・・親不知の難所>…で遊女一緒

の宿になり、<お伊勢り参り>同道懇願されます。ここでも、芭蕉同情しつつも、

非情突き離しています。


★  一家(ひとつや)に 遊女もねたり 萩と月  ( 芭蕉  『奥の細道…越後路/一振』 )

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                    
東海道五十三次  <23> .藤枝・人馬継立 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(41)

【支折の言葉 ・・・ 2/6 】


そして、2人お伊勢参り遊女には…


「不便の事には侍(はべ)れども、我々は所々にてとゞまる方多し、只(ただ)人の行くに

任せて行くべし、神明の加護必ず恙(つつが)なかるべし」


…と言い、断っています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                                                     
(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(42)

【支折の言葉 ・・・ 2/7 】


そして 野ざらし紀行 では…

芭蕉食物を投げ与え、俳人ですから、1句詠んだわけです。をしていれば、こうした

場面には幾度となく出会います。芭蕉の…


<親を恨むな・・・自分の持って生まれた・・・性
(さが)の拙(つたな)さを泣け>


…とは、覚者処世術でしょうか。優しくも、冷たく突き放しています。」



 4月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                      木槿(むくげ)                   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(43)

【原文 ・・・  3/1 】


大井川越る日は終日雨降ければ、

秋の日の雨 江戸に指折らん 大井川    (千里)


  馬上吟
(ばじょうぎん/馬上で詠んだ句)

★ 道のべの 木槿(むくげ)は馬に 食はれけり


廿日余(はつかあまり)の月かすかに見えて、山の根際(ねぎわ)いと暗きに、馬上に鞭(むち)

たれて、数里いまだ鶏鳴(けいめい/鶏が鳴くこと・・・一番鶏が鳴く頃の意で、夜明け )ならず。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                 
東海道五十三次  <24 > 島田・大井川駿岸 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(44)

【原文 ・・・  3/2 】


杜牧(とぼく/…唐の詩人)が早行(そうこう/早立ち・・・杜牧の詩)の残夢、小夜の中山(さよの・なかやま/

歌枕で・・・佐夜の中山 ともいう…静岡県掛川市と金谷町との境にある峠道)に至りて忽驚(たちまちおどろく/…た

ちまち目が醒める)


★ 馬に寝て 残夢月(ざんむつき/有明の月)遠し 茶の煙

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                  
東海道五十三次  <25> 金谷・大井川遠岸 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(45)

【現代語訳 ・・・ 3/1 】


大井川を越える日、終日雨降りなので一句詠んで、


☆ 秋の日の雨 江戸に指折らん 大井川       (千里)


  雨の秋の日・・・

  江戸の人々は指折りかぞえ・・・

  大井川あたりは・・・

  川止めになってはいないかと・・・

  話しているのではないかな・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                    木槿(むくげ)                   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(46)

【現代語訳 ・・・ 3/2 】


  馬上吟 (ばじょうぎん/馬上で詠んだ句)

★ 道のべの 木槿(むくげ)は馬に 食はれけり


  むくげの花を・・・

  馬上から眺めていると・・・

  何と、花をムシャムシャと・・・

  馬が食べてしまったよ・・・

  そうでなくても・・・

  短命な花であるのになあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
             
東海道五十三次  <25・日坂宿> 日坂・佐夜ノ中山 /歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(47)

【現代語訳 ・・・ 3/3 】


未明の空に二十日月がかすかに見えて、山の麓あたりがたいそう暗い中を、鞭を垂れた

まま馬の足取りにまかせ、数里を旅してきたが、いまだ、鶏の鳴き声が聞こえてこない。

杜牧が 早行 の詩に詠んだ、あの夢見心地のまま、馬に揺られ、小夜の中山…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
東海道五十三次  <25> 日坂・佐夜ノ中山 (クローズアップ/夜啼石・よなきいし) /歌川広重 (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(48)

【現代語訳 ・・・ 3/4 】


…まで来たところで、ふと目が覚めた。


★ 馬に寝て 残夢月遠し 茶の煙


  馬上で・・・

  寝ながら旅を続け・・・

  覚めると・・・

  有明の月が遠くに見え・・・

  村里(/江戸から二十五番目の日坂(にっさか)宿)に・・・

  朝茶を炊く、煙がたなびている・・・



 4月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     川越人足・・・輦台(れんだい)、肩車。 自分で裸になり、荷物を頭に載せて川を渡る人も。  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(49)

【支折の言葉 ・・・ 3/1 】


「うーん…大井川ですね…

当時東海道には2つ難所がありました。<箱根の関所><幕府が直接管理した

・・・大井川/川止め>です。

<箱根八里は馬でも越すが・・・越すに越されぬ大井川>…と唄われて、箱根以上

難所として、人々認識されていたようです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                              錦絵 「 東海道川尽  大井川の図 」          (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(50)

【支折の言葉 ・・・ 3/2 】


江戸幕府初期においては…

<軍事上の理由>から、東海道一級河川には<橋を架けず/舟も置かなかった>

ようですね。その政策のために、最盛期には、<川越人足/・・・肩車や輦台(れんだい)

の川の人足は・・・1000人程度>…にもなったと言われます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     川越人足・・・輦台(れんだい)、肩車。 自分で裸になり、荷物を頭に載せて川を渡る人も。  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(51)

【支折の言葉 ・・・ 3/3 】


当時としては…

本陣(/大名、宮家、公家、幕府役人など、身分の高い旅行者のための、街道の宿泊施設 )宿場町の経済

と並び、東海道を支える一大産業だったのでしょう。1000人となれば、家族数倍の人

となり、経済力/発言力も大きかったわけですね。

徳川幕府としては…

日本統治上<効率性・利便性>…などは最優先事項ではなかったわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     川越人足・・・輦台(れんだい)、肩車。 自分で裸になり、荷物を頭に載せて川を渡る人も。  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(54)

【支折の言葉 ・・・ 3/4 】


参勤交代という…

<膨大な浪費・不都合>…も幕府の側から見れば、<藩を・・・あらゆる意味で疲弊さ

せ・・・国力を奪う>…ことが目的だったわけです。つまり、反乱を抑止していたわけです

ね。

その一方、膨大浪費は…

様々な形での藩の出費となり、から庶民に、再配分されて行ったわけです。これは

今風経済政策としても、社会全体の発展という意味で、理にかなっていたようですよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     川越人足・・・輦台(れんだい)、肩車。 自分で裸になり、荷物を頭に載せて川を渡る人も。  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(53)

【支折の言葉 ・・・ 3/5 】


ええ…俳句にも、詠まれている様に…

が降れば…<2、3日の・・・川止め>ザラにあったようです。そして、<川止め>

になれば…旅人難儀し…宿場町客で溢れ大儲けとなります。

河口近く広くなった川に…

長大な橋を架けるのは、技術的困難という事も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                静岡県/島田市博物館         (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(54)

【支折の言葉 ・・・ 3/6 】


…あったわけですが、その技術開発も、あえてしなかったわけです。

また…

<せめて・・・舟を置いて欲しい>…という嘆願も、幾度も出されていたようですが、

て却下されています。これには<川越人足>の、生活/失業問題も絡んでいたのでしょ

うか。

それに…

<徳川家/尾張・三河>も、まさにこの東海道にあり、<庶民の愛撫/人気取り>

あったのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                         金谷 「大井川渡る金谷に旅ごろも~」  [狂歌入東海道]  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(55)

【支折の言葉 ・・・ 3/7 】


その、<川止め>ために…

旅人心得として、こんな事が言われていました。<川を越してから宿を取れ・・・川の

手前で宿を取るな  >…と。つまり、<何日も・・・足止めを食らってしまうぞ

…という事です。

しかも、<川止め>は、<関所>のように幕府の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                    木槿(むくげ)                   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(56)

【支折の言葉 ・・・ 3/8 】


直轄管理(/1696年/元禄9年・・・幕府は川の両側に川会所を設け、渡渉制度の管理のために2名から4名の

川庄屋を置いた。)になったようで、<川止め>となったのに勝手泳いで渡れば、<関所

破り>と同様に、重い罪になった様です。

 

さて…俳句の方は…

  <馬上吟(ばじょうぎん)

★ 道のべの 木槿(むくげ)は馬に 食はれけり


…を取り上げましょうか。これは、一瞬を活写して、笑みがこぼれる句ですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
東海道五十三次  <25> 日坂・佐夜ノ中山 (クローズアップ/夜啼石・よなきいし) /歌川広重 (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(57)

【支折の言葉 ・・・ 3/9 】


この、一瞬の中に、<禅的に透脱した・・・芭蕉の旅心>…が凝縮されているようです。

こうした軽さは、捨て子の句重い課題対比している様です。もう1句


★ 馬に寝て 残夢月(ざんむづき/空に残った有明の月)遠し 茶の煙


この句は…

<歌枕の地/小夜の中山(佐夜の中山)を詠んでいますよね。そして、広重版画には、

<旅の名物・・・夜啼石(よなきいし)も描かれていて、物見高い人々を見ています。

こうした歌枕や、旅の名物は…

旅人退屈させない小道具として、各所にあったわけです。田舎の、人のあまり通らない

小道でも、お地蔵さんが置かれていたり、大きな木が切られずに残されていたり、一里塚

のような目印があったわけですね。古の人々が偲ばれます。」



 4月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                   
東海道五十三次 <27> 掛川・秋葉山遠望  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(58)

【原文 ・・・ 4/1 】


松葉屋風瀑(まつばや・ふうばく/蕉門で、伊勢の人)が伊勢に有けるを尋音信(たづね)て、十日計

(ばかり)足をとどむ。

腰間に寸鉄(すんてつ/小刀、脇差)を帯びず、襟に一嚢(のう)をかけて、手に十八の玉を携

ふ。僧に似て塵有、俗に似て髪なし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                   
東海道五十三次 <28> 袋井・出茶屋ノ図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(59)

【原文 ・・・ 4/2 】


我僧にあらずといへども、浮屠(ふと/仏寺、僧侶の意)の属にたぐへて、神前に入事を許さず。

暮て外宮に詣侍(もうではべり)りけるに、一ノ華表(かひょう/神社の鳥居)の陰ほの暗く、御燈処

々に見えて、また上もなき峰の松風身にしむ計(ばかり)深き心を起して、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                   
東海道五十三次 <29> 見附・天竜川図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(60)

【原文 ・・・ 4/3 】


★ 三十日月なし(みそかつきなし) 千年(ちとせ)の杉を 抱(だく)あらし


西行谷の麓に流あり。女どもの芋洗ふを見るに、


★ 芋洗ふ女 西行ならば 歌よまむ


其日の帰途、ある茶店に立寄けるに、てふと云ける女、


「吾が名に発句せよ」


と云て、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                   
東海道五十三次 <30> 浜松・冬枯ノ図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・(61)

【原文 ・・・ 4/4 】


…白き絹出しけるに書付侍(はべ)る。


★ 蘭(らん)の香や蝶の翅(はね)に薫物(たきもの)


閑人(かんじん/ひまが有り余っている人)の茅舎(ぼうしゃ/茅葺の家)を訪(とぶら)ひて


★ 蔦(つた)植て 竹四五本の あらし哉(かな)



 4月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                     東海道五十三次 <31> .舞阪・今切真景  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (62)

【現代語訳 ・・・ 4/1 】


六月に江戸で別れたばかりの松葉屋風瀑(まつばや・ふうばく)を伊勢に訪ねて、十日ばかり

足をとどめた。

私の姿は、腰に脇差を身につけず、襟(えり)に頭陀袋(ずだぶくろ)をかけ、手に十八珠(たま)

の数珠(じゅず)を持ち、僧形の身なりであるが俗人であり、俗人に似て剃髪(ていはつ)をして

いる、といったぐあいである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                      東海道五十三次 <32> 荒井・渡舟ノ図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (63)

【現代語訳 ・・・ 4/2 】


僧ではないのだが、(神官は)私を僧侶の類と見て、(内宮の)神前に入って参詣すること

を許さない。

一の鳥居の背後はほの暗く、御燈が所々に見えて、西行が…


「また上もなき峰の松風」


…と詠んだ御山から吹き寄せる松風をしみじみと感じ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                    東海道五十三次 <33> 白須賀・潮見阪図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (64)

【現代語訳 ・・・ 4/3 】


…深い信仰心を起して、次の一句を詠んだ。


★ 三十日月(みそか・づき)なし 千年(ちとせ)の杉を 抱(だく)あらし


  天空に三十日の月は見えず・・・

  神路山(かみじやま)から下りてくる風は・・・

  樹齢千年ほどの神杉(かむすぎ)を・・・

  抱くように吹き撓(たわ)めている・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                      東海道五十三次 <34> 二川・猿ヶ馬場  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (65)

【現代語訳 ・・・ 4/4 】


西行谷の麓に流がある。女たちの芋洗うのを見て、


★ 芋洗ふ女 西行ならば 歌よまむ


  芋を洗う女たちがいる・・・

  西行ならば、きっと・・・

  歌を詠み掛けることだろう・・・.

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                      東海道五十三次 <35> 吉田・豊川橋  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (66)

【現代語訳 ・・・ 4/5 】


その日の帰り道、ある茶店に立ち寄ったところ、てふという女が…


「わたしの名を詠み込んだ発句を作ってください」


…と言って白い絹布を差し出したので、一句書き付けた。


  (かぐわ)しい・・・

  蝶の翅(はね)よ・・・

  蘭(らん)の香が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                     東海道五十三次 <36> 御油・旅人留女  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (67)

【現代語訳 ・・・ 4/6 】


  薫物(たきもの)をしたように・・・

  うつり香となって・・・


閑居する人の草庵を訪ねて。


★ 蔦(つた)植て 竹四五本の あらし哉(かな)


  庭に・・・

  蔦が植えてあり・・・

  美しい竹四五本に・・・

  強い秋風が・・・

  嵐の様に吹き抜けて行く・・・



 4月  21日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                     東海道五十三次 <37> 赤阪・旅舎招婦ノ図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (68)

【支折の言葉 ・・・ 4/1 】


「ええ、伊勢神宮ですね…

この往路では…

熱田神宮も通っているのですが、まったく寄らなかったのでしょうか?後で訪れて

ますよね。

うーん…

東海道五十三次にはいきませんが…

野ざらし紀行 に従い…熱田神宮は、その時に考察することにしましょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                       東海道五十三次 <38> 藤川・棒鼻ノ図  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (69)

【支折の言葉 ・・・ 4/2 】


さあ、その伊勢神宮ですが…

6月に、江戸別れたばかりの松葉屋風瀑(まつばや・ふうばく)を、伊勢に訪ねて、10日ばか

り足をとどめた様です。当時は、この様にしばらく留まり、長旅の疲れを癒(いや)したわけ

ですね。

そして、旅立つ時には…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                      東海道五十三次 <39> 岡崎・矢矧之橋  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (70)

【支折の言葉 ・・・ 4/3 】


芭蕉ぐらいの俳諧の宗匠になれば、旅で傷んだ衣服下着まで全て新調してやったり、

多過ぎない程度路銀も持たせたのでしょう。その上、さらに、次の旅先門人に、<先

触れ(さきぶれ)を走らせたりもしていたのでしょうか。

芭蕉が、身軽ヒッチハイクできたのも、この様に、各地<有力な門人/支援者>

あって…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                    東海道五十三次 <40> 池鯉鮒・朱夏馬市  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (71)

【支折の言葉 ・・・ 4/4 】


サポートがあったからです。これは現代金銭換算したら、莫大支援体制です。つ

まり芭蕉は、それ程の、<俳諧のカリスマ>でもあったという事です。

芭蕉は、江戸時代初期俳人ですが…

江戸時代中期与謝蕪村にしろ…江戸時代後期小林一茶にしろ…時代超えてほと

んどの俳人は、<芭蕉のように生きたいというのが、身を焦がすほどの憧れで、

見果てぬ壮大ロマンでした。でも、そうしたカリスマ性がなかったわけですね。

つまり…

<芭蕉十哲や・・・有力な多数の支援者>が持てなく、わずかな安定した生活を捨てる

こともできず、<芭蕉のように・・・旅に生きること>…ができなかったわけです。

芭蕉自身が深く尊敬していた…

西行宗祇には、少なくとも、そうした<カリスマ性/・・・覚悟があったと思われ

るのですが。でも大概は、ちょうど現代政治家が、幕末の志士明治維新元勲(げん

くん/国家に尽くした大きな功績)に、憧れるようなものでしょうか。

そもそも、江戸深川芭蕉庵も…

<門人/杉山杉風(すぎやま・さんぷう/通称は鯉屋藤左衛門・・・幕府御用の魚問屋)・・・蕉門十哲の1

人・・・弟子であり後援者>…の番小屋だったとも言われます。

1680年/延宝8年芭蕉日本橋から…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                    東海道五十三次 <41> 鳴海・名物有松絞  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (72)

【支折の言葉 ・・・ 4/5 】


…ここ深川/芭蕉庵に移り住んできた頃には、まだ湿地荒れ地が多かったとも言われ

ています。<古池や 蛙飛び込む 水の音>…の古池もあった様ですね。杉山山風

魚屋ですから、鯉の生簀(いけす)でもあったのでしょうか。

あ、でも…

<風流・風雅の・・・旅>とはいっも…そもそもは…時代的難儀を究めたものだった

ようです。西行宗祇と同様に、<旅の空に果てるのも・・・覚悟の上の・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                       東海道五十三次 <42> 宮・熱田神事  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (73)

【支折の言葉 ・・・ 4/6 】


・・・未曾有の大冒険>…だったわけですね。

奥の細道 では…

復路越後路で、その難儀をした様子が、サラリと記されています。少し、点描してみま

しょうか…


☆☆ <奥の細道・・・点描> ☆☆☆☆

弥彦から寺泊-山田と通り出雲崎で宿泊し…(新暦8月19日) に柏崎に到着するので

すが…



 4月  22日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                     東海道五十三次 <43> 桑名・七里渡口  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (74)

【支折の言葉 ・・・ 4/7 】


紹介を受けていた天屋弥惣兵衛を訪問すると、ひどい対応をされて気分を害し、即、そこ

を出ます。後で、二度ほど引き留める人が来ましたが、芭蕉は頑として、戻りませんでし

た。

ええ、この辺りをもう少し調べてみると、こういう事でした…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                      東海道五十三次 <44> 四日市・三重川  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (75)

【支折の言葉 ・・・ 4/8 】


<★… 芭蕉達は、当初は象潟で知り合った俳人低耳の紹介で、柏崎の俳人で、庄屋で

豪商でもあった天屋弥惣兵衛宅に泊めても貰う積りであったが、弥惣兵衛の応対に不快

を感じた芭蕉は、柏崎での逗留を断念し、更に4里(/12km)先の鉢崎(/柏崎市米山

町)まで足を延ばした。…★>

…という事のようです。

風流を解さず…

世の中の構造をブチ壊す輩というのは、何処にでも、少なからずいるわけですね。でも、

『更科紀行』 の、愛想も愛嬌もない僧侶のように、色々な人々がいるから、この世の中は、

腹を立てながらも、退屈しないのかも知れませんね。これもまた、旅の味わいなのです。

そして、芭蕉たちは…

 翌20日、今町(/現在の上越市・直江津)に到着しています。ここでも紹介状を持って

聴信寺を訪れましたが、葬儀の真最中であり、出てきてしまった…と記してあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                    東海道五十三次 <45> 石薬師・石薬師寺  歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (76)

【支折の言葉 ・・・ 4/9 】


2日にわたって…

気分を悪くする出来事が重なり、芭蕉は嫌気が差していました。そこに、芭蕉を知る者の

使いが後を追いかけて来て、ようやく古川市左衛門の家に宿泊することになり、一件落

着となった…と記されています。

芭蕉ほどの、俳諧の…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                       東海道五十三次 <46> 庄野・白雨   歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (77)

【支折の言葉 ・・・ 4/10 】


…宗匠であっても、異国を旅し、他人の家を渡り歩くというのは難儀な事だった様ですね。

でも、そうした難儀があっても…

その何倍もの、旅の楽しみがあったわけです。歌枕の地や、故人のゆかりの地を訪れ、

尽きる事なく変化する大自然の中で、俳句を作り…



 4月  23日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                       東海道五十三次 <47> 亀山・雪晴   歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (78)

【支折の言葉 ・・・ 4/11 】


…また、様々な人々との出会いと別れがあります。

越後路では…

前にコメントしましたが…

それから…難所/親不知を超えた一振の宿場で、遊女と一つ宿になるわけです。この2

人の遊女たちも、<生涯でただ一度の・・・命がけのお伊勢参り>なのでしょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                      東海道五十三次 <48> 関・本陣早立   歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (79)

【支折の言葉 ・・・ 4/12 】


その心細さに、芭蕉たちに同道を懇願しています。当時の旅が、如何に心細く、難儀なも

のだったかが分かります。でも、同時に、どうせ萎(しぼ)んで枯れて行く命ですから、

生に一度のお伊勢参りは・・・命を賭してでも慣行したい・・・人々の大ロマン…だ

たわけですね。

遊女ですから、<お蔭参り/抜け参り(/奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣する

こと。数百万人規模のものが、およそ<60年周期・・・おかげ年>で、江戸時代に3回起こっている様です。庶民の暴発

ですね。この年には、大金を持たなくても、信心の旅ということで、沿道の施しを受けることもできた様です。お遍路さんお接

待と同様でしょうか。)だったのでしょうか?当時の日本の社会/幕府の政策にも、<抜

け参りなら・・・しょうがない>と、寛容な所もあったわけですね。詳しく調べてみれば、

面白いのかも知れません。

うーん

芭蕉一行も、遊女一行も、<日本の中世/江戸時代における・・・観光旅行・事始め

の風景>…といった所でしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                     東海道五十三次 <49> 阪之下・筆捨山   歌川広重   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (80)

【支折の言葉 ・・・ 4/13 】


ともかく、知己のいない他国を旅するというのは、江戸時代の<五街道が整備された

時代>…においても、まだまだ、容易でなかった事の分かる風物誌です。

その『奥の細道』では…

最後に…

多数の門人がいる、加賀100万石の城下に入って…噂を聞いて準備していた門人たち

も駆けつけて来て…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                         東海道五十三次 <50> 土山・春之雨   歌川広重  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (81)

【支折の言葉 ・・・ 4/14 】


…芭蕉と曽良(そら/河合曾良・・・蕉門十哲の1人)も、ようやくホッと一安心していますよね。奥州

への大遠征/大冒険の旅の…終りです…」

☆☆☆☆☆☆ <奥の細道・・・点描/終り・・・> ☆☆


ええ…

僧形(そうぎょう/僧の姿)というのは…

これまでにも何度コメントをしていますが、古代~中世の日本では、旅をする者には

常に便利服装のようでした。何よりも、よそ者として警戒されることが少なく、尊敬もさ

れ、仏罰(/仏から受ける罰)を恐れて盗賊などに襲われることも、少なかったのでしょう。

それから

幕府による監視古来より、僧侶に関してはかなり緩やかだった様ですね。源頼

鶴岡八幡宮境内で、ウロウロしている老僧を見かけ、西行法師と分かり、鎌倉御

所/大倉御所招待したことが、吾妻鏡(あずまかがみ/鎌倉時代に成立した日本の歴史書。鎌倉

幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王まで6代の将軍記という構成。)に記されています。つまり、

何処にいようと、あまり(とが)められる事が無かったわけですね。

その時頼朝はの方は

鎌倉幕府を開く前で…まさに、奥州平泉/奥州藤原氏を攻め滅ぼす直前あり…西行

方は、から血縁のある奥州藤原氏の下へ、東大寺再建のための砂金勧進(かんじ

ん/寺社・仏像の建立・修繕などのために寄付を募ること。歌舞伎の 『勧進帳』 は、そのための記録帳で、弁慶が持って

いました。)しに向かう途中でした。滅亡前夜平泉へ、からの珍客として西行が訪れる

途中出来事だったわけです。

また、この頃

芭蕉『奥の細道』 とは逆回りで、義経・弁慶主従も、平泉へ向かう逃走劇を展開して

いたわけですね。『勧進帳』 はその途上の、安宅関(あたかのせき/石川県小松市の日本海側にあっ

た関所)での出来事です。

ええと、話がそれてしまいましたが

ともかく、僧形でも、<ただ1つ・・・咎(とが)められる場所>



 4月  24日

岡田健吉‏@zu5kokd1
天武・持統天皇陵/野口王墓・・・奈良県高市郡明日香村。形状は八角墳。古墳時代終末期の古墳  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (82)

【支折の言葉 ・・・ 4/15 】


…があった様ですね。そう、それがつまり、神社だったわけです。

でも、第40代/天武天皇(/壬申の乱で勝利し、その翌年に即位。飛鳥浄御原宮(あすかの・きよみはらの・み

や)を造営し、その治世は、続く第41代/持統天皇(/天武天皇の后)の時代とあわせて、天武・持統朝と一括されること

が多い。日本の統治機構、宗教、歴史、文化の原型が作られた重要な時代。<神仏習合>(しんぶつしゅうご

う/外来の仏教と、日本固有の土着の神々とを融合調和すること。神仏混交ともいう。)で、仏教神道(しんとう)

一体化していたのではなかったかしら?

うーん…ともかく、僧形芭蕉神官咎められています。ここは、現場における…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
天武・持統天皇陵/野口王墓・・・奈良県高市郡明日香村。形状は八角墳。古墳時代終末期の古墳  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (83)

【支折の言葉 ・・・ 4/16 】


微妙なニュアンス(/仏語: 微妙な雰囲気・・・色あい音の調子、意味、感情などの、ごくわずかでありながら、相

当に違う感じを与えるような違い。)ですので、心に留めて置きます。

あ、芭蕉敬愛する西行法師も…

当然の事ですが、伊勢神宮を訪れていますよね。

芭蕉の時代よりも、約500年前歌人/僧侶ですが、西行もはたして、神官咎められ

ていたのでしょうか?

 うーん…?…」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                        
史跡芭蕉翁誕生の地/三重県伊賀市・・・観光名所  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (84)

【原文 ・・・ 5/1 】


長月(ながつき/旧暦の9月)の初、故郷に帰りて、北堂(ほくどう/古代中国で、家の北側の堂。主婦の居室。

また・・・母。他人の母の敬称。母堂。)の萱草(かんぞう/忘れ草・・・ユリ科のワスレグサ属の多年草。/・・・ムラサキ

科ワスレナグサ属の忘れな草とは別物です。)も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、同胞

の鬢(びん/耳ぎわの髪。また、頭髪の左右側面の部分。)白く、眉皺寄(まゆしわよせ)て、只(ただ)命有て、

とのみ云て言葉はなきに、兄の守袋をほどきて、母の白髪拝めよ、浦島の子が玉手箱、

汝が眉もやや老たり、としばらく泣きて、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                           史跡/芭蕉翁誕生の地/三重県伊賀市・・・観光名所  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (85)

【原文 ・・・ 5/2 】


★ 手にとらば 消ん涙ぞ熱き 秋の霜

 

【現代語訳 ・・・ 5/1 】


九月の初めに故郷へ帰ると、既に母は亡くなっていて、母の堂に見られた萱草(かんぞう

も霜に枯れ果て、今ではその跡すら残っていない。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                           
芭蕉翁記念館/三重県伊賀市上野丸之内117    (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (86)

【現代語訳 ・・・ 5/2 】


何事も昔と変わってしまってい、身内の者の髪は白くなり、眉に皺が寄り、ただ、


「お互いに存命で何より」


とのみ言い合って言葉はなく、兄は、母の白髪を納めた守り袋をほどいて


「母を拝みなさい。この髪を見ると、浦島太郎が突然白髪に…



 4月  25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           伊賀流忍者博物館
/三重県伊賀市上野   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (87)

【現代語訳 ・・・ 5/3 】


…なったように思われるだろう。お前の眉毛も大部白くなったなあ」

と言い、あとは二人でしばらく泣き、


★ 手にとらば 消ん涙ぞ熱き 秋の霜


  白髪に変わっていた・・・

  母の遺髪を手にとると・・・

  熱い涙がこぼれ落ち・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                           伊賀流忍者博物館
/三重県伊賀市上野   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (88)

【現代語訳 ・・・ 5/4 】


  秋の霜にも似た形見が・・・

  消えてしまうように思えるよ・・・

 

【支折の言葉 ・・・ 5/1 】


「うーん…

芭蕉は…形式上目的地である、伊賀上野の生家到着し、昨年他界した

をしています。が示した母の遺髪は、江戸へ出て行く時に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
    
三重県伊賀市/ふるさと芭蕉の森公園/句碑  < 旅に病んで 夢は枯野を かけ廻る >  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (89)

【支折の言葉 ・・・ 5/2 】


別れた時と比べ、真っ白になっていました。

当時/江戸時代に置いても…

は、常に生活身近な所にありました。近隣の人々死知己、そして自分自身

も…まさに<指呼の中(しこのうち)=指呼の間(しこのかん/呼べば答えるほどの近い距離)

ありました。その上で、社会文化約束事形成され、人生が語られていたわけですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                       
松尾芭蕉像  (葛飾北斎画)        (パブリック・ドメイン)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (90)

【支折の言葉 ・・・ 5/3 】


当時の人々は…

現在よりも、様々な原因で、はるかに早世(そうせい/若死に・・・芭蕉も享年50歳でした。それ

ゆえに、真剣人生対峙し、<一期一会>出会い大切にしていました。

を考えるということは…

逆に真剣考えるということです。現代人は、社会的にも死を遠ざけ忌み嫌い

<薄っぺらな人生を・・・長生きしている>…わけですよね、」

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 二上山/
奈良県葛城市・・・天武天皇の皇子/大津皇子が自害しましたが、その墓があります。   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (91)

【原文 ・・・ 6/1 】


大和の国(やまとのくに/現在の奈良県)に行脚(あんぎゃ)して、葛下の郡(かつげの・こおり/奈良県北葛

城郡)竹の内(/現在の当麻町竹内地区)と云処は彼千里が旧里(きゅうり/故郷)なれば、日ごろとど

まりて足を休む。


★ 綿弓(わたゆみ/綿打ち弓)や 琵琶(びわ)に慰む 竹の奥


二上山当麻寺(にじょうざん・たいまでら/奈良県葛城市にある、7世紀創建された寺院)に詣でて、庭上の松

を見るに、凡(およそ)千歳(ちとせ/千年)も経たるならむ、大いさ牛を隠す共云べけむ。



 4月  26日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             当麻寺(たいまでら)本堂/奈良県葛城市       (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (92)

【原文 ・・・ 6/2 】


かれ非情といへども、仏縁に引かれて、斧斤の罪を免がれたるぞ、幸にしてたつとし。


★ 僧朝顔 幾死返る 法の松

 

【現代語訳 ・・・ 6/1 】


大和の国に行脚して、葛下の郡の竹の内というところは、かの千里の故郷なので、幾日

か滞在して足を休めた。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           綿弓(/繰り綿をはじき打って打ち綿にする道具)   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (93)

【現代語訳 ・・・ 6/2 】


★ 綿弓や 琵琶に慰む 竹の奥


  繰綿(くりわた/綿花から種子を除いた繊維の部分)を・・・

  打つ弓の音が・・・

  竹薮の奥に・・・

  ひっそりと佇(たたず)むこの家に・・・

  琵琶語りのように・・・

  鳴り響いているよ・・・


二上山の当麻寺に詣でて境内の松を見ると、およそ千年の歳月も…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            当麻寺から二上山を見た風景/奈良県葛城市   (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (94)

【現代語訳 ・・・ 6/3 】


…経ているように思われる。この大きさは、荘子(そうし/道教の始祖の1人)の「大イサ牛を隠

す」ほどと言っていいだろう。木に喜怒哀楽の情が無いといっても、仏の縁に導かれて斧

で切り倒されることはなかったのであるから、この木に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                             当麻寺付近から望む二上山/奈良県葛城市    (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (95)

【現代語訳 ・・・ 6/4 】


…とっては幸いなことであり、尊いことだ。


★ 僧朝顔 幾死返る 法の松


  僧は・・・

  朝顔が何度も・・・

  死と生を繰り返すように・・・

  代々引き継がれて変わったが・・・

  仏法の教えは・・・

  千年も生き続ける松のように・・・

  いつまでも変わることはない・・・



 4月  27日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉・・・芭蕉庵              (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (96)

【支折の言葉 ・・・ 6/1 )  


芭蕉は…

伊賀上野生家を離れ…次に…同行の門人/千里の故郷/大和の国を訪れたわけで

すね。芭蕉元禄文化代表すような、カリスマ的俳諧師でなければ、フラフラ遊び

歩いている遊び人ですよね。

でも…

江戸幕府によって、日本の社会安定化し、豊かになったから…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                 井原西鶴          (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (97)

【支折の言葉 ・・・ 6/2 )  


文化の蕾(つぼみ)大きく膨らみ人々の心余裕が生まれ、<絵師、小説家、俳人

などの文化人跋扈(ばっこ/思うままにのさばること)して来たわけです。

元禄文化は…

京・大坂上方発達し、やがて大阪重心が移ったようです。それから、江戸文化

が移って行く端緒(たんちょ/物事が始まる、または解決する糸口)ともなったようです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                        近松門左衛門               (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (98)

【支折の言葉 ・・・ 6/3 )  


元禄文化代表的文化人としては…

難波(なんば)生まれの…

井原西鶴(いはら・さいかく)好色一代男、好色一代女、日本永代蔵、世間胸算用

越前生まれの…

浄瑠璃(じょうるり)作家近松門左衛門(ちかまつ・もんざえもん)曽根崎心中、冥途の飛脚、

国性爺合戦、心中天網島 がいて…

俳諧では…

巨星/松尾芭蕉が居たわけですよね…」


 

 6月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                           吉野の奥  鳳閣寺からの展望     (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (99)

【原文・・・7/1】


(ひとり)吉野の奥に辿(たど)りけるに、まことに山深く、白雲峰に重り、煙雨(えんう)谷を埋

んで、山賤(やまがつ)の家処々に小さく、西に木を伐音東に響き、院々の鐘の声は心の底

にこたふ。

昔よりこの山に入て世を忘たる人の、多くは詩にのがれ、歌に隠る。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                     砧/きぬた・・・晒 (さらし) 布を打ちたたいて柔らかくする道具。  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (100)

【原文・・・7/2】


いでや唐土(とうど/中国・唐)の廬山(ろざん/中国/江西省北部/,九江市南方の名山。仏教の霊地。中国屈

指の景勝地)といはむも、またむべならずや。


  ある坊に一夜を借りて

★ 碪(砧/きぬた・・・)打て 我に聞かせよや 坊が妻


西上人
(さいしょうにん/西行法師)の草の庵の跡は、奥の院より右の方二町計(ばかり)分け入ほ

ど、柴人(しばびと)の通ふ道のみわづかに有て、嶮しき谷を隔てたる、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          西行庵/西行の像が安置してあそうです     (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (101)

【原文・・・7/3】


…いとたふとし。

彼とくとくの清水は昔に変はらずと見えて、今もとくとくと雫落ける。


★ 露とくとく 試みに浮世 すすがばや


(もし)これ扶桑(ふそう/古代中国で、日の出る東海の中にあるとされた神木)
に伯夷(はくい/中国古代、殷

(いん)末周初の伝説上の人物)あらば、必口をすすがん。もし是(これ)許由(きょゆう/中国古代の伝説上

の人物。尭(ぎょう)帝が位を譲ろうと言うと、汚れたことを聞いたと、潁水(えいすい)で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れたと伝

えられる。)に告ば、耳を洗はむ。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
           奈良県/吉野町/吉野山/如意輪寺・・・弟96代/後醍醐天皇の御陵  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (102)

【原文・・・7/4】


山を昇り坂を下るに、秋の日既斜になれば、名ある所々見残して、先(さきに)後醍醐帝御

廟を拝む。


★ 御廟年経て 忍は何を しのぶ草



 6月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                 
秋の吉野山                         (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(103)

【 現代語訳・・・ 7/1】


独りで吉野の奥に、道に迷いながら入っていくと、まことに山深く、白雲が峰に重なり、霧

雨が谷をすきまなく覆い、木こりの家が所々に小さく見え、谷の西側で木を伐る音が、東

側に反響し、院々で打ち鳴らす鐘の音は、心の底に深く感じられる。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                  
吉野山の桜                         (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(104)

【 現代語訳・・・ 7/2】


昔から、この山に入り、俗世間を離れた人の多くは、詩を作り、歌を詠んで心を専(もっぱ)

にし、世事を忘れようとした。いやまさに、吉野を唐土(とうど/中国・唐)の廬山(ろざん)と言い

たくなるのは、もっともなことである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                 
奈良/吉野・・・如意輪時寺                 (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(105)

【 現代語訳・・・ 7/3】


   ある宿坊に一夜を借りて

★ 碪(砧/きぬた)打て 我に聞かせよや 坊が妻

  宿坊の妻よ・・・

  秋の夜のしじまに・・・

  哀愁を帯びた・・・

  碪を打つ音を・・・

  響かせてはくれまいか・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                
 奈良/吉野・・・如意輪時寺                 (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(106)

【 現代語訳・・・ 7/4】


西行上人(西行法師/歌人)の草庵跡は…

奥の院から右の方に二町(/…1町=1ヘクタール。1辺が100mの正方形の広さ。ニ町で約200m)ばかり

分け入った所に、柴刈りの人が通る道だけが、かろうじて有り、険しい谷を隔てて聳(そび)

える奥山の様子は、非常に尊いものである。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                   
秋の吉野山                      (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(107)

【 現代語訳・・・ 7/5】


かのとくとくの清水は、昔と変わらないと見えて、今もとくとくと雫が落ちている。


★ 露とくとく 試みに浮世 すすがばや

  とくとくの泉が・・・

  昔と変わらず雫を落としている・・・

  試みに、この清水で浮世のけがれを・・・

  すすいでみたいものであるなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                 
    西行庵/西行の像が安置してあそうです   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(108)

【 現代語訳・・・ 7/6】


もし、わが国に伯夷(はくい)がいたら…

清い水なのだから、必ずや口に含みすすいだろうし、

許由(きょゆう)に教えたなら…

きっとこの水で、耳を洗い清めたことだろう。

山を登り、坂を下ると、既に秋の日は傾いてしまっている。所々の名所旧跡を見残したの

だが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
            
  後醍醐天皇塔尾陵 (ごだいご・てんのう・とうのおの・みささぎ)(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(109)

【 現代語訳・・・ 7/7】


…何はともあれ、後醍醐天皇(/第96代天皇。南朝の初代天皇・・・鎌倉幕府を倒して、建武新政を実施したも

のの、間もなく足利尊氏の離反に遭ったために、大和吉野へ入り、南朝政権(吉野朝廷)を樹立しました。)の墓を拝む

ことにする。


★ 御廟(ごびょう)年経て 忍は何を しのぶ草

   吉野の山中で・・・

   風雨を忍びながら・・・

   350年の歳月を暮らした・・・

   後醍醐天皇のお墓・・・

   その傍らには・・・

   ほどよく、しのぶ草が育っているよ・・・



 6月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画)(ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (110)

【支折の言葉 ・・・ 7/1】  


芭蕉は…」支折が言った。「供/千里を…

彼の故郷/葛下(かつげ)の郡(こおり)の竹の内に残し…独りで、吉野山里に入った様で

すね。

吉野山奥に…

道に迷いながら入って行くのは、さすがに、<野ざらしを覚悟の・・・風雅・風流の求道

者・・・俳人/芭蕉の真骨頂>…です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
         
         吉野杉                            (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (111)

【支折の言葉 ・・・ 7/2】  


山々は深く…白雲が重なり…霧雨が谷を埋め…木こりの家が点々と小さく見えます。

谷の西側で木を伐(き)斧音が、谷の東側反響し…寺々で打つ鐘の音が、芭蕉

の底に深く響きます。

これぞまさに、<古の心の故郷・・・吉野の山奥>…であり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                
      中国/廬山(ろざん)                (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (112)

【支折の言葉 ・・・ 7/3】  


来た甲斐があったというものですね。

故人で、ここに隠棲した人々の多くも、世事を忘れ詩歌に没頭するさまは、まさに、芭蕉

自身と重なります。

大和吉野を、<唐土の・・・廬山(ろざん)と言いたくなのは、もっともなことだと、芭蕉

吉野(ほ)めちぎっています。

  

   
吉野離宮・・・奈良県/吉野町の宮滝付近にあったと言われます・・・            (ネットより画像借用)


岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
          壬申の乱(じんしんのらん)            (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (113)

【支折の言葉 ・・・ 7/4】  


芭蕉は…

宿坊一夜を求めていますが、さすがにここは、珍客来訪には慣れている感じがしま

す。古来より、そういう土地柄だったようです。

かつては…

第38代/天智天皇追放されて…

<都落ちした・・・実弟/大海人皇子(おおあまの・みこ)と、妃/鸕野讃良(うのの・さらら/天智

天皇の実娘) = 後に・・・第40代/天武天皇と、后/第41代・持統天皇>…が隠棲し、

さらに…

 

      
吉野川近くで大型建物跡が確認された宮滝遺跡(中央)=2018年5月12日午前、奈良県吉野町、朝日新聞社ヘリから
                                                                (ネットより画像借用)


 6月  5日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                    <元弘の乱>を模した人形 /京都府笠置町/笠置駅前  (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (114)

【支折の言葉 ・・・ 7/5】  


<吉野出兵・・・壬申(じんしん)の乱・・・天武天皇による日本の国造り>…の、<陰

の舞台>となりました。

また…

<元弘の乱/・・・第96代・後醍醐天皇を中心とした勢力による・・・鎌倉幕府への

倒幕運動で・・・鎌倉幕府が滅亡に至るまでの、一連の戦乱>では…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
   後醍醐天皇は、吉野に入り・・・金輪王寺に皇居を構えました。現在は皇居公園になっています。 (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (115)

【支折の言葉 ・・・ 7/6】  


後醍醐天皇鎌倉幕府を倒して、<建武親政/建武の中興(けんむのちゅうこう/後醍醐天皇

の親政が行われた)実施しましたが、足利尊氏離反があり…大和吉野に移って<南朝

政権/吉野朝廷>…を樹立しました。

吉野は…

<歴史の大舞台で・・・数々の陰の舞台>となって来ました。に近く、<天然の要害

の地(/地勢がけわしく、守りやすく攻めにくい所)だったわけです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
          
       金峯山寺奥の院/・・・金峯神社 (吉野町)      (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (116)

【支折の言葉 ・・・ 7/7】  


芭蕉は…

金峯山寺奥の院(きんぷせんじ・おくのいん/・・・金峯神社)から大峰山の道二町ばかり歩いた所

にある、<西行庵>を訪ねています。芭蕉尊敬する、<西行法師の草庵>です。

芭蕉の時代にも、消えそうな山道がかろうじてあった様ですね。現在でも、基本的には、

この辺りの風景は、芭蕉の時代と変わっていないようです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
          
        西行庵/(吉野町            (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (117)

【支折の言葉 ・・・ 7/8】  


★ 露(つゆ)とくとく 試みに浮世 すすがばや  (芭蕉)


さらに、中国古典典籍にも詳しい芭蕉は…

もし、わが国に…

<伯夷はくい/中国古代、殷(いん)末周初の伝説上の人物がいたら・・・清い水なのだから、必ず

や口に含みすすいだろう>し…

<許由きょゆう/中国古代の伝説上の人物。尭(ぎょう)帝が位を譲ろうと言うと、汚れたことを聞いたと、潁水(えいす

い)で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れたと伝えられる。に教えたなら・・・きっとこの水で、耳を洗い清

めた・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
             
          弟96代/後醍醐天皇         (ネットより画像借用)

《野ざらし紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (118)

【支折の言葉 ・・・ 7/9】  


・・・ことだろう>

…と、教養のある所を示しています。


それから…

を登り、を下ると、既に秋の日は西に傾いてしまっていました。所々の名所旧跡を見

残したのだが、何はともあれ、<先(さきに)後醍醐帝御廟を拝む>…と記しています。



 6月  6日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
      常磐御前の墓 【美濃】/岐阜県不破郡 関ケ原町   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(119)

【原文・・・8/1】


大和より山城を経て、近江路に入て美濃に至る。今須・山中を過て、いにしへ常盤(ときわ)

の塚有。伊勢の守武が云ける、


「義朝(/源頼朝・源義経らの父)殿に似たる秋風」


とはいづれの所か似たりけん。我も又、


★ 義朝の 心に似たり 秋の風


岡田健吉‏@zu5kokd1 
岐阜県不破郡関ケ原町。 <壬申の乱> <関ケ原の戦い>の古戦場  岐阜県の西端部に位置  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(120)

【原文・・・8/2】


   不 破(ふわ/岐阜県不破郡・・・かつて美濃国)

★ 秋風や 藪も畠も 不破の関


大垣に泊りける夜は、木因(ぼくいん/谷木因・・・大垣船町の船問屋の生まれ。芭蕉とは京都北村季吟の相

弟子。)が家をあるじとす。武蔵野を出る時、野ざらしを心に思ひて旅立ければ、


★ 死にもせぬ 旅寝の果よ 秋の暮


岡田健吉‏@zu5kokd1  
              
         常盤御前(ときわごぜん/ 歌川国芳)(パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(121)

【 現代語訳・・・ 8/1】


大和から山城を経て、近江路に入り、美濃に至る。

今須・山中を過ぎた所に、古(いにしえ)の常磐御前(ときわごぜん/平安時代末期の女性で、源義朝の側

室。今若 (七男・後の阿野全成)・  乙若 (八男・後の義円) 牛若 (九男・後の義経) を産みます。)の墓があります。

伊勢の荒木田守武(あらきだ もりたけ/・・・戦国時代の伊勢神宮祠官・連歌師で、山崎宗鑑とともに俳諧の祖と言

われている。)が句に詠んだ、


「義朝殿に似たる秋風」


の句の、義朝と秋風とは、どこがどう似ているのだろうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
          矢を受けているのが、源義朝/頼朝・義経の父(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(122)

【 現代語訳・・・ 8/2】


私は私なりに次の一句を吟(ぎん)じて、

 
★ 義朝の 心に似たり 秋の風


  枯葉を払いながら・・・

  もの淋しく吹きすさぶ秋風は・・・

  頼りとした・・・

  譜代の家来に殺された義朝の・・・

  哀れの情念と・・・

  通じるものがあることだよ・・・



 6月  7日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
          不破の関跡 ・・・ 関ヶ原町/不破関資料館の近く(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(123)

【 現代語訳・・・ 8/3】


  不破の関跡で一句詠んで、


★ 秋風や 藪も畠も 不破の関


        秋風寄せる中山道から・・・

    不破に掛かると・・・

    不破を冠して手堅く守った関所も・・・

    今は、跡形もなく・・・

    その身を・・・

    藪や畠に委ねるばかりの・・・

    有様となっている・・・

 

★ <不破関(ふわのせき)

古代東山道の関所の1つで、現在の岐阜県不破郡関ケ原町にありました。

不破の道と呼ばれたこの地の<東山道>に、<壬申の乱>の翌年/673年に関所として設置さ

れました。

<東海道の・・・鈴鹿関><北陸道の・・・愛発関(/後に、逢坂関)とともに三関と呼ばれ、

壬申の乱の後からおよそ100年の間、治安維持のため、畿内と東国との間の通行を厳重に監視

しました。

三関から東は・・・東国または、関東と呼ばれました。


岡田健吉‏@zu5kokd1  
             
  矢立て/筆と墨壺を組み合わせた携帯用の筆記用具  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(124)

【 現代語訳・・・ 8/4】


大垣(/岐阜県大垣市)に泊まった夜は、朋友の木因(ぼくいん)の家を宿にした。武蔵野を出る

時、野ざらしも覚悟し、


★ 野ざらしを 心に風の しむ身かな

…を矢立て(/筆と墨壺を組み合わせた携帯用の筆記用具)初、にしての旅だったので、


★ 死にもせぬ 旅寝の果よ 秋の暮

 


                                             大垣市     (ネットより画像借用)


 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画)(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(125)

【 現代語訳・・・ 8/5】 

 
 道中・・・

どうやら、死にもせず・・・

大垣の友の家にたどり着いた・・・

その・・・

感慨もひとしおで迎えた・・・

秋の夕暮れであることだ・・・



 6月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                               (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(126)

【支折の言葉 ・・・ 8/1】  


支折が…

ガラスの茶碗テーブルに置いた。ン助が入れた、今年新茶だった。

「うーん…」支折が、ニッコリと口を結んだ。「美味しかったわよ…ポンちゃん、」

「おう…」ポン助が、当然のようにうなづき、ワゴンに移した。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
        野口王墓/天武・持統天皇陵・・・奈良県高市郡明日香村にある古墳。形状は八角墳。  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(127)

【支折の言葉 ・・・ 8/2】  


「ええと…」支折が言った。「芭蕉は…

吉野から北上して…

山城大津/<琵琶湖のほとり・・・大津京/天智天皇の都>…へ向かい、近江路

入って、<不破>に至っていますよね。大海人皇子(おおあまの・みこ)都落ちし、吉野

至った、逆コースをたどった事になります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画)(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(128)

【支折の言葉 ・・・ 8/3】  


俳聖/芭蕉ですから…

大海人皇子一行は…天智天皇追手を恐れ…吉野の山逃げ込むように落ちて行っ

た、その逃避行心情を…深く思い描いた事でしょう。 

                             ・・・・・<詳しくはこちらへどうぞ> 

そして、<吉野出兵 → 壬申の乱>では、<大津京>攻略するわけですから、当然、

単純な逆コースは取れません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(129)

【支折の言葉 ・・・ 8/4】  


大海人皇子(/天武天皇)は…

妃/鸕野讃良(うのの・さらら/持統天皇)を伴い…監視を逃れて少人数吉野離宮脱出し…

伊賀に入っています。戦略家で、経験豊富大海人皇子は、それまでに隠密裏諜報戦

を敷き、反転攻勢十分準備を進めていました。

そして、<吉野離宮>脱出後は…

 

岡田健吉@zu5kokd1                『東海道五十三次/42番目・・・桑名』 /歌川広重   (パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(130)

【支折の言葉 ・・・ 8/5】  


…急速に味方の軍勢糾合しつつ、桑名(/三重県桑名市・・・東海道五十三次42番目の桑名宿 )を経

て、10日足らず数万の軍勢<不破>集結しています。

そして、<不破>で…

大軍勢2手に分け、<大津京>差し向けているわけです。私のような未熟者でも、

<壬申の乱(じんしんのらん)に、これだけの想いがあるわけです。



 6月 10日

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画)(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(131)

【支折の言葉 ・・・ 8/6】  


でも、<不破/・・・関ヶ原>はさらに江戸時代前夜に、<日本最大規模の戦・・・関ヶ

原の戦い>…もあったわけですよね。

芭蕉活躍した江戸時代前期/元禄時代(1688年~1704年)は、<1600年/関ヶ原の

戦い>から、100年/1世紀経過した頃です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                          
史跡/関が原古戦場    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(132)

【支折の言葉 ・・・ 8/7】  


<戦乱の時代>が、ようやく遠くなったとはいえ、まだまだこの辺りは、戦場の痕跡

相当に残っていたと思われます。

芭蕉野ざらし紀行は…

徳川幕府治世安定化し…ようやく平和な時代がやって来て…その中で初めて、

和な文化開花

 



『関ヶ原合戦屏風』/関ケ原町歴史民族資料館)  1説に・・・総勢/東軍が74,000、西軍が80,000とも言われます

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                          
松尾芭蕉像 (/葛飾北斎画)(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(133)

【支折の言葉 ・・・ 8/8】  


…し始めた頃…つまり、<元禄文化が開花した時代/・・・の風雅・風流・風狂の旅>

…だったわけです。

ええと…

江戸/元禄時代の、象徴的出来事としては…

芭蕉没後になりますが…

<赤穂事件(あこうじけん)が起こっています。江戸城松の廊下で、赤穂藩/浅野内匠頭

(あさの・たくみのかみ)による、高家(/高家旗本・・・江戸幕府における儀式や典礼を司る役職)/吉良上野

(きら・こうずけのすけ)に対する刃傷事件(にんじょう・じけん)です。

 


                              『仮名手本忠臣蔵 〜三段目』   (ネットより画像借用)

                    
 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
     
『野ざらし紀行』より、約100年後の・・・ 『東海道中膝栗毛』/十返舎一九の滑稽本(ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(134)

【支折の言葉 ・・・ 8/9】  


いわゆる、人形浄瑠璃(にんぎょう・じょうるり/三味線と語りに合わせて演じられる人形劇)・歌舞伎の、

名手本忠臣蔵モデルになった事件です。

芭蕉は…

まさに、そうした、<日本が・・・幸せだった時代>に、<風雅・風流・風狂をテーマ>

に…<野ざらしを・・・覚悟>で…日本中ヒッチハイクしていたわけですね。

<俳聖/芭蕉>として、西行・宗祇(そうぎ/室町時代の連歌師の第一人者。各地の大名をたずね、箱根

湯本の旅館で没しています。)慕いつつ、<俳諧/求道の・・・最初の旅>…でした。

簡単なようで…

こうした、気楽観光旅行ができた歴史上の人物は、数えるほどしかいません。一方、

くの人々が、必要上、様々な旅をしていたのも、五街道発達を見れば、確かなことです

よね、」



 9月 21日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      真宗大谷派(/東本願寺)・・・桑名別院本統寺  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(135)

【原文・・・9/1】


   桑名本当寺にて

★ 冬牡丹(ふゆぼたん) 千鳥よ雪の ほととぎす


   草の枕に寝あきて、まだほの暗きうちに浜のかたに出て、

★ 明ぼのや 白魚白き こと一寸


   熱田に詣(もうで)

社頭大いに破れ、築地は倒れて叢(くさむら)に隠る。かしこに縄を張りて小社の跡をしるし

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      常磐御前の墓 【美濃】/岐阜県不破郡 関ケ原町   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(136)

【原文・・・9/2】


…爰(ここ)に石を据ゑ(え)て其神と名のる。蓬・忍、心のままに生たるぞ、中々にめでたき

よりも心とどまりける。


★ しのぶさへ 枯(かれ)て餅買ふ やどり哉(かな)


   名古屋に入(いる)道の程風吟(ふうぎん)

★ 狂句(きょうく)/木枯(こがらし)の 身は竹斎(ちくさい)に 似たる哉


★ 草枕 犬も時雨(しぐれ)るか 夜の声

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
       熱田の浜の夕上がり魚市/尾張名所図会     (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(137)

【原文・・・9/3】


   雪見に歩きて

★ 市人(いちびと)よ 此(この)笠売らう 雪の傘


   旅人を見る

★ 馬をさへ ながむる雪の 朝(あした)


   海辺に日暮して

★ 海暮れて 鴨の声ほのかに白し



 9月 22日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      真宗大谷派(/東本願寺)・・・桑名別院本統寺  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(138)

【現代語訳・・・9/1】


 桑名本当寺(/本統寺)にて


★ 冬牡丹 千鳥よ雪の ほととぎす


  千鳥を聞きながら・・・

  雪中に牡丹とは・・・

  なかなか見られない光景であるよ・・・

  今の今まで・・・

  牡丹とくればほととぎす・・・

  と思っていたのに・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
       東海道五十三次之内 43.桑名・七里渡口     (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(139)

【現代語訳・・・9/2】


旅寝にあきて、まだほの暗いうちに浜辺に出かけて行って、


★ 明ぼのや 白魚白き こと一寸


  白みはじめた・・・

  伊勢の浜辺に・・・

  幼い白魚が・・・

  一寸ほどの生涯を終えて・・・

  白く横たえているのは・・・

  神々(こうごう)しくも・・・

  美しくも見えるものであるよ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      熱田神宮                   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(140)

【現代語訳・・・9/3】


熱田神宮に参拝する

社殿の周囲はたいそう荒廃し、築地は倒れてくさむらに隠れる有様である。あちらに縄

を張って末社の跡地をしるし、こちらには石をすえてその神に見立てている。よもぎや、し

のぶ草が、自由に広がり生えているのが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
       東海道五十三次之内 42.宮・熱田神事        (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(141)

【現代語訳・・・9/4】


…かえって、りっぱな佇(たたず)まいであるよりも、心がひきつけられる。


★ しのぶさへ 枯て餅買ふ やどり哉


  熱田神宮に参拝したが・・・

  荒廃をつくして・・・

  むかしを想うよすがの・・・

  しのぶ草まで枯れていたよ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
       熱田の浜の夕上がり魚市/尾張名所図会     (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(142)

【現代語訳・・・9/5】


  帰りに、茶店に立ち寄り・・・

  時の移りを儚く想いながら・・・

  餅を食べたことである・・・


名古屋に入る道すがら、句を詠んで


★ 狂句/ 木枯(こがらし)の 身は竹斎(ちくさい/江戸時代初期の仮名草子)に 似たる哉


  木枯らしに吹かれ・・・

  あちらへこちらへと・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
       熱田の浜の夕上がり魚市/尾張名所図会     (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(143)

【現代語訳・・・9/6】


  狂句を吟じながら・・・

  漂泊を続ける私の身の上は・・・

  かの竹斎と似ていることであるよ・・・


★ 草枕 犬も時雨るか 夜の声


  時雨の夜の・・・

  静けさを破って・・・

  犬の声が聞こえてくる・・・

  あの犬も・・・

  仮寝のあわれを・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                                       (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(144)

【現代語訳・・・9/7】


  嘆いているのだろうか・・・


雪見に歩いて


★ 市人(いちびと)よ此(この)笠売らう雪の傘


  わたしのこの破れ笠も・・・

  雪をかぶると・・・

  なかなか趣があってよいものです・・・

  町の人、よろしかったら・・・

  わたしと旅寝を共にしてきた・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                                       (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(145)

【現代語訳・・・9/8】


  この笠を売りますよ・・・


旅人を見る


★ 馬をさへ ながむる雪の 朝(あした)(かな)


  一面の新雪に・・・

  朝日がきらめいて・・・

  あまりに美しいものだから・・・

  通りがかりの旅人・・・

  そして馬さえも・・・

  この景色の中に・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
                                      (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(146)

【現代語訳・・・9/9】


  詠み入れてしまうことだ・・・


海辺に日が暮れて


★ 海暮れて 鴨の声 ほのかに白し


  宵やみの海辺に・・・

  淋しくたたずんでいると・・・

  さざなみの音のかなたより・・・

  夜の入りから・・・

  取り残されたように・・・

  鴨の鳴き声が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
                                      (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(147)

【現代語訳・・・9/10】


  ほの白く聞こえてくるよ・・・



 9月 23日

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
   大垣市/船町港跡・・・船町湊に立つ、芭蕉と谷木因の像   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(148)

【支折の言葉・・・9/1】


「ええ…

芭蕉大和で、<門人/千里>別れ

1人で…吉野山城美濃とヒッチハイクし、大垣では、<朋友の・・・木因(ぼくいん)

宿にして、ようやく、<野ざらし/・・・野に髑髏(どくろ)を晒(さら)す覚悟>…の

り返り、次のを残しています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
   大垣市/船町港跡・・・船町湊に立つ、芭蕉と谷木因の像   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(149)

【支折の言葉・・・9/2】


★ 死にもせぬ 旅寝の果よ 秋の暮


まだ生きていて…友の所にたどり着き…まさに今…大垣の、<秋の夕暮れ>…を見て

自分自身を、自覚しています…

 

***************************************************

☆ さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ
  

                            『小倉百人一首』/【70番→良暹法師 (りょうぜんほうし)】

☆ むらさめの 露もまだひぬ まきの葉に 霧たちのぼる 秋の夕暮れ 

                                     『小倉百人一首』/【87番→寂連法師】

三夕の歌

☆ さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ  (寂蓮法師)

☆ 心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫(しぎ)立つ沢の 秋の夕暮れ (西行法師)

☆ 見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ      (藤原定家)

 

***************************************************

 

それから、大垣から桑名の海に下ったわけですね。桑名では本当寺に詣でました。季節

に移っています。

大垣の朋友(ほうゆう/友人)/木因(ぼくいん)の所では…

気心も知れていて、長逗留し、ゆっくりと骨休めをしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
   大垣市/船町港跡・・・船町湊に立つ、芭蕉と谷木因の像   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(150)

【支折の言葉・・・9/3】


ここで、秋を過ごしたわけですね。

この木因というのは、谷木因(たに・ぼくいん)のことであり、大垣船町船問屋に生まれてい

ます。芭蕉とは、京都/北村季吟(/江戸時代前期の俳人であり、,歌人・,国学者)相弟子で、朋友

だった様です。

船問屋ですから、芭蕉長逗留していても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
           
         奥の細道むすびの地     大垣船町川湊     (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(151)

【支折の言葉・・・9/4】


気忙(きぜわ)しい事は無かったわけですね。

芭蕉は、後に…

奥の細道大遠征の折も、この大垣終了し、長旅の疲れを癒しています。

うーん…

木因とは、よほど親しかった様ですね。奥の細道の後、芭蕉大垣発つ時の、

因の句があります。



 9月 24日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
      神照寺の萩 <長浜の萩の寺>として有名  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(152)

【支折の言葉・・・9/5】


★ 荻伏して 見送り遠き 別れ哉   (木因)


別れの時情景が感じられますね。俳人同士別れの、格式気品が漂っています。

もまた、<一期一会の・・・風流風雅の世界>…なのですね。


ええと、谷木因をもう少し調べてみました。

は…

江戸/前・中期俳人で、美濃大垣の生れです。通称九太夫別号木端(こば/材木

の切れ端、こっぱ)白桜下観水軒等があります。実家は、代々船問屋を業としていました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      松永貞徳(/北村季吟の師…貞門派を創始)   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(153)

【支折の言葉・・・9/6】


初めは、芭蕉と共に、北村季吟の門松永貞徳(/北村季吟の師…貞門派を創始)<貞門派>

を学びました。後に、<談林派>に移りましたが、更に、<蕉門>に移って、松尾芭蕉

親交を深めています。

当然、、<大垣蕉風の発展に・・・大きく寄与>…しています。著書に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      真宗大谷派(/東本願寺)・・・桑名別院本統寺  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(154)

【支折の言葉・・・9/7】


桜下文集おきなぐさ 等があります。


さて…

野ざらし紀行 にもどりますが、桑名本当寺(/本統寺)では、芭蕉冬牡丹を詠んでいま

す。


★ 冬牡丹 千鳥よ雪の ほととぎす


それから…

次の句は、旅寝/草枕に寝あきて、まだほの暗いうちに、桑名浜辺散歩に出ていま

す。まさに、遊び人/風流人の、自由気ままな日々です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
        白魚                 (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(155)

【支折の言葉・・・9/8】


全てを捨て

<野ざらしを覚悟の・・・風狂求道の・・・詩人/芭蕉>…は自然と、研ぎ澄まされた感

で、万物眺め渡しています。それが、真骨頂(しんこっちょう/それの真価である姿。真面目)です。


★ 明ぼのや 白魚白き こと一寸

白みはじめた伊勢の浜辺と…幼い白魚が…一寸ほどの生涯を終え…ほの明かりの中

で…白く身を横たえている姿は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           江戸/深川・・・芭蕉庵             (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(156)

【支折の言葉・・・9/9】


神々(こうごう)しく美しい…と讃えています。すでに、死を覚悟し、それを超越している、

<俳人/芭蕉の・・・風雅風狂の感性>…です。

普通の人は…

それを言葉で理解するわけですが、芭蕉悟りの上風狂を重ね、<超越的体感の

・・・悟りの感性>…が漂います。

もちろん…

<芭蕉が・・・いわゆる芭蕉になる/・・・★ 古池や 蛙飛びこむ 水の音>…の

を詠むのは…

野ざらし紀行/芭蕉41歳の時』で、古池や・・・の句を詠むのは/芭蕉43歳の時』

あり、この後のことになりますね。

ええと…

その翌年(1687年/貞亭4年・・・芭蕉44歳の時)笈の小文出発しているわけですね。

笈の小文帰路美濃から木曽路に入り、姨捨(おばすて)善光寺を回って江戸

するのが、更科紀行になるわけです。


 9月 25日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      熱田神宮                   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(157)

【支折の言葉・・・9/10】


芭蕉は、次に熱田神社に詣でています。

神社社頭は、大いに破れ築地倒れて叢に隠れています。かしこに縄を張って

社の跡をしるし、ここに石を据ゑ其神と名のる…という有様です。

そして、<蓬・忍、心のままに生たるぞ>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
      蓬(よもぎ)                  草餅     (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(158)

【支折の言葉・・・9/11】


…つまり、蓬/よもぎ忍/忍草が…自由に広がり生えている様が、かえって、立派な佇

まいであるよりも、心がひきつけられる…と記しています。

うーん…

当時の熱田神宮は、まだ相当に荒れ果てていた様子ですね。<三種の神器の1つ・・・

草薙神剣(くさなぎの・みつるぎ)・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
           
                                        (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(159)

【支折の言葉・・・9/12】


・・・/草薙剣(くさなぎの・つるぎ)/天叢雲剣(あめの・むらくもの・つるぎ)神体としています。

名古屋/尾張は…

神君/家康公お膝元であり、五代将軍・綱吉治世ですが、熱田神宮荒れていた

様子ですね。

五代将軍/綱吉といえば、<お犬様将軍>ですが、この1687年に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
           
                           (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(160)

【支折の言葉・・・9/13】


…まさに、<生類憐れみの令/・・・お犬様騒動・・・>…を定めています。

そして…

この貞亭4年翌年/1688年から<元禄>が始まり、<以後16年間が元禄期間>

になります。“江戸時代・前期の・・・文化が爛熟(らんじゅく)した時期”ですよね。

特に、<小説の・・・井原西鶴><俳諧の・・・松尾芭蕉><浄瑠璃の・・・近松門

左衛門>は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
           
      井原西鶴               (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(161)

【支折の言葉・・・9/14】


日本文学史上燦然(さんぜん)と輝く存在です。


★ しのぶさへ 枯て餅買ふ やどり哉


名古屋に入って、道すがらを詠みます。


★ 狂句
(きょうく/俳句の形をとった、しゃれ/ 木枯の 身は竹斎に 似たる哉


★ 草枕 犬も時雨るか 夜の声

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
           
      伊賀上野の駅前/芭蕉像・・・背中の傘が、雪の傘?  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(162)

【支折の言葉・・・9/15】


の降り積もる中、名古屋の街を歩いて、を詠んでいます。


★ 市人(いちびと)よ 此(この)笠売らう 雪の傘


★ 馬をさへ ながむる雪の 朝(あした)(かな)


一面の新雪朝日きらめいてあまりに美しいものだから…通りがかりの旅人

えも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           江戸/深川・・・芭蕉庵             (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(163)

【支折の言葉・・・9/16】


…この景色の中詠み入れてしまうことだ…

まさに…

<風狂の自由人/・・・死を超越した、この世の旅人、1人・・・> という事ですね」



 9月 26日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(164)

【原文・・・10/1】


(ここ)に草鞋(わらじ)を解き、かしこに杖を捨て、旅寝ながらに年の暮ければ、


★ 年暮ぬ 笠きて草鞋 はきながら


といひいひも、山家に年を越て、


★ 誰が聟(むこ)ぞ 歯朶(しだ)に餅負ふ 丑(うし)の年

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(165)

【原文・・・11/1】


奈良に出る道のほど

 
★ 春なれや 名もなき山の 薄霞(うすがすみ)


  二月堂に籠(こも)りて


★ 水取りや 氷の僧の 沓(くつ)の音


岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(166)

【原文・・・12/1】


京に上りて、三井秋風(みい・しゅうふう/商人で俳人)が鳴滝(なるたき)の山家を訪(とぶら)ふ。


  梅林


★ 梅白し 昨日ふや鶴を 盗(ぬすま)れし


★ 樫の木の 花にかまはぬ 姿かな


伏見西岸寺任口上人に逢て


★ 我が衣に 伏見の桃の 雫(しずく)せよ



 9月 27日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(167)

現代語訳・・・10/1】


こちらで草鞋のひもを解き、あちらで杖を手放して旅寝を続けるうちに、年の暮れを迎え

たので、


★ 年暮ぬ 笠きて草鞋 はきながら


   笠を着け・・・

   草鞋(わらじ)をはいて・・・

   実に長い旅であった・・・

   こうして・・・

   甲子(きのえね)の年が・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(168)

現代語訳・・・11/1】


  暮れたのである・・・


などと言い、言いしながら、故郷の山家で新年を迎えて、


★ 誰が聟(むこ)ぞ 歯朶(しだ)に餅負ふ 丑(うし)の年


   背に餅を負った牛が・・・

   歩いているなあ・・・

   そういえば・・・

   今年は丑の年である・・・

   牛追いをしているのは・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1            
                                
(/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(169)

現代語訳・・・11/2】


   はて、どこの家の婿(むこ)だろうか・・・

   そこかしこに・・・

   さまざまに想い出がよみがえる・・・

   故郷の正月であることよ・・・


奈良に出(いず)る道すがら


★ 春なれや 名もなき山の 薄霞(うすがすみ)


   春になったのだなあ・・・

   見過ごしてしまいそうな・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                    
奈良・東大寺/二月堂・回廊・・・修二会 <お水取り>法要  (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(170)

現代語訳・・・11/3】


   山ではあるけれども・・・

   かすみが薄くたなびいているさまは・・・

   風情があってなかなかのものである・・・


二月堂にお籠(こも)りをして


★ 水取りや 氷の僧の 沓(くつ)の音


   二月堂に参詣し・・・

   お水取りの・・・

   儀式を拝したが・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(171)

現代語訳・・・11/4】


   冷え冷えとした寒さの中・・・

   白の紙衣をまとい・・・

   修法に打ち込む練行衆の姿や・・・

   高鳴りする沓の音は・・・

   まさに冷厳を極むものである・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
   京都市右京区鳴滝                  (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(172)

現代語訳・・・12/1】


京に上り、鳴滝にある三井秋風(みい・しゅうふう/商人で俳人)の山荘を訪ねる。


  梅林


★ 梅白し 昨日ふや鶴を 盗(ぬすま)れし


   白梅が見事に咲いて・・・

   宋代の詩人林和靖の・・・

   庵に居るようである・・・

   しかし、それに付き物の鶴は・・・

   昨日、盗まれてしまったのだろうか・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
  京都伏見西岸寺    (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(173)

現代語訳・・・12/2】


★ 樫の木の 花にかまはぬ 姿かな


   樫の木が・・・

   美しく咲き誇っている・・・

   花々をよそに・・・

   この家の主に見習って・・・

   悠々と聳(そび)え立っているよ・・・


伏見西岸寺の任口上人(にんこう・じょうにん/東本願寺門下の京都伏見西岸寺第三代住職宝誉上人。任口は

俳号に逢って、

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(174)

現代語訳・・・12/3】


★ 我が衣に 伏見の桃の 雫せよ


   八十歳を迎えられましたが・・・

   益々お元気であられて・・・

   上人が、桃の花の雫のように・・・

   垂られる有難い教えの一つ一つを・・・

   私の心に沁み込ませてください・・・



 9月 28日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(175)

支折の言葉・・・10/1】


「ええと…

芭蕉は、故郷/伊賀上野へ戻り、そこで年の瀬を迎えたました。

伊賀は、紀伊半島中心あたりであり、ここは伊賀忍者発祥の地としても有名です。そし

て、芭蕉は、伊勢平氏系武士の家系に生まれた様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                        
史跡芭蕉翁誕生の地/三重県伊賀市・・・観光名所  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(176)

支折の言葉・・・10/2】


時代が流れて、生家百姓でしたが、姓を名乗ることを許されていたと言います。当時、

姓を名乗れたのは武士階級と、土豪と呼ばれる一部の農民階級でした。

<芭蕉/忍者説>、というのを、耳にした事がありますよね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                           史跡/芭蕉翁誕生の地/三重県伊賀市・・・観光名所  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(177)

支折の言葉・・・10/3】


芭蕉は、まさに、その地/その辺り家系に生まれていますから、子供時代山野の遊び

などでは、忍者真似事などもしたのかも知れませんね。でも芭蕉の情熱は、<文学/

俳諧>へ進んだわけです。

そして、また…

ここは、荒木又右衛門仇討(あだうち)かぎやの辻の仇討ち/鍵屋の辻の決闘“曾

我兄弟の仇討ち” と、“赤穂浪士の討ち入り” に並ぶ <日本3大仇討ち> の1つ。また、“曾我兄弟の仇討ち” に代わっ

“浄瑠璃坂の仇討ち” を加えて、<江戸三大仇討ち>とすることもあります。)の地としても有名ですね。

ええ、ともかく…

芭蕉の、故郷の実家は…



 9月 29日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                              
谷 木因像                              (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(178)

支折の言葉・・・10/4】


風流人/俳諧師長逗留する様な場所ではなかったかも知れません。従って芭蕉は、

寄り付きやすい<大垣の船問屋/蕉門の木因の家>を、奥の細道終着地とも、

していた様です。

もちろん、船問屋の主人風流人ですから、ゆったりとした別邸も持っていたわけですね。

そういう所で、俳人同士交流もあり、珍客たちが長逗留するスペースもあったわけです。

さて…

<元禄文化>では、前に述べた様に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           史跡/芭蕉翁誕生の地/三重県伊賀市・・・観光名所  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(179)

支折の言葉・・・10/5】


<小説/井原西鶴><俳諧/松尾芭蕉><浄瑠璃/近松門左衛門>

表格であり、嚆矢(こうし/かぶら矢、物事のはじまり、最初)とされていますが、その当時<文化

の伝播力>とは、どの程度速さだったのでしょうか。

現在は、インターネットスマホで、ほとんど瞬時に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(180)

支折の言葉・・・10/6】


世界中に伝播しますが、<それも・・・良し悪し>だと思います。

瞬時炎上しては、<文化が・・・ゆっくりと熟成>し、それを楽しみ、さらに独創

が加わる、<完成度・・・と言う意味>では、非常に心もとないからです。

瞬時には伝わりますが、薄っぺらですね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                           江戸/深川・・・芭蕉庵             (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(181)

支折の言葉・・・10/7】


これが、<ネット時代・・・電子通信的な文化>…と言えばそうなのですが、何か非常

に、物足りなさを感じます。やがて、それなりに、何かで埋め合わせて行く事にのでしょう

か。

ちなみに…

は、<文化>は、どの様に伝播していたのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
                                                               1680年・・・松尾芭蕉が深川芭蕉庵に転居       (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(182)

支折の言葉・・・10/8】


原点に立ち返れば、それは<道/・・・物流/・・・人々の往来>と共に、あったわけで

すね。

最初は、わずかな絵具塗り重ねる様に、<文化>が伝わり、生活の中に、あるいは

祀の中に、細々と取り込まれていったのでしょうか。

 

 9月 30日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                                                                (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(183)

支折の言葉・・・10/9】


奈良時代には…

<防人(さきもり/律令制では21~60歳の男子は3年間の防人の軍役につく義務がありました。ただし、実際には、

防人の軍役は東海道、東山道地域の人々に限られていました。

手続的には・・・

国司が名簿を作成し、兵士を都へ送ります。都では兵部省の役人が検閲したのち、九州へ下し、防人司の役人が、最前

線の壱岐や対馬などに配置しました。)が・・・庶民的立場>で…

太宰府/九州前線の防備や、都の風聞を、<文化の香りとして・・・東国に伝える役

割>…をも、果たしたのでしょうか。

また、『万葉集』 には、その<兵士たちの・・・防人歌>多数収録されています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                                              
柿本人麻呂(/菊池容斎 『前賢故実』)   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(184)

支折の言葉・・・10/10】


『万葉集』 の、<巻13><巻14><防人歌>が載っていますが、<巻20>

最も多く収録されている様ですね。

あ、ええと…

『万葉集』 というのは…

第41代/持統天皇や、柿本人麻呂最初<第1巻>を手がけた様ですが…<古代

における・・・奈良時代までの和歌/4500首あまり>…を収録している、日本最古

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              防人(さきもり)           (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(185)

支折の言葉・・・10/11】


和歌集です。

和歌は、いわゆる王朝貴族中心に歌われていますが、『万葉集』 には<防人歌>

大量収録されている様ですね。

ここには、当時の様々な身分の人収録されていて、この大らかさも、『万葉集』

高い評価一因となっています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              
西行法師 (菊池容斎画/江戸時代/・・・ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(186)

支折の言葉・・・10/12】


ええ…さらに、平安時代に下って…

この時代の、<私/支折メの・・・心にかかる・・・文化伝播風景の1つ>…は、平安王

朝末期に、西行法師東大寺勧進のために、奥州/平泉まで分け入った事ですね。

<平氏没落後の・・・都の秩序/・・・都の空気感>を、奥州/藤原氏に伝えています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
      奥州/平泉・・・藤原氏3代  <清衡/きよひら> <基衡/もとひら> <秀衡/ひでひら>  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(187)

支折の言葉・・・10/13】


実は、西行としては若い時以来の、2度目奥州/平泉訪問でになります。

西行は…

平氏没落以後の、<都での・・・義経の処遇>や、<頼朝の激怒/・・・義経の追撃>

…さらに、<頼朝の次の一手として・・・奥州討伐>…が、きな臭くなって来た事などを

伝えたのでしょう。

<鎌倉勢/・・・当時の頼朝の軍勢の様子>は、を放つ弓の弦がギリギリと、まさに

張り詰めた段階になっている事も、<敵方の・・・奥州/平泉>に伝えたわけですね。

奥州/藤原氏は、西行親戚筋に当たったという事もあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                               『歌舞伎新狂言・・・勧進帳』  絵師/歌川豊斎  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(188)

支折の言葉・・・10/14】


西行が、から奥州への旅の途上

鎌倉鶴岡八幡宮で、頼朝遭遇し…大倉御所(/源頼朝の邸宅)に招かれて 、頼朝謁見

した事などは、話が大いに盛り上がったことと思われます。

そして、これは…

時間的にも微妙ですが、義経を追われていて、<安宅の関(あたかのせき/日本海側の、石

川県小松市)では、『歌舞伎/勧進帳』元となった様な事も、演じつつ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                                肉筆画で描写された白拍子姿の静御前 (葛飾北斎筆/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(189)

支折の言葉・・・10/15】


裏ルート/芭蕉『奥の細道』逆コースで、奥州/平泉に向かっていました。

<義経が・・・雪の吉野で別れた後の・・・静御前の動静>なども…あるいは、伝える

が、あったのかも知れませんね。静御前16歳で、義経の子身籠っていました。



 10月  1日

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                                 中尊寺光堂                   (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(190)

支折の言葉・・・10/16】


西行が去った後、間も無く

<頼朝の大軍勢>が、奥州侵入し、ここでもまた、<道/・・・物流/・・・人々の往

来>…ができて、<大量の文化が・・・奥州一帯にもたらされた>…という事でしょう。

芭蕉も、『奥の細道/平泉』 で詠んでいる様に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
                                                               中尊寺経堂                      (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(191)

支折の言葉・・・10/17】


<義経・弁慶の主従>も、この地で、壮絶な最後を迎えています。


★ 夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡


★ 卯(う)の花に 兼房(かねふさ)みゆる 白毛かな


★ 五月雨(さみだれ)の 降のこしてや 光堂

                                       こちらもどうぞ・・・『奥の細道/平泉』  

ええと…

それでは…芭蕉生きた時代<江戸時代初期/元禄の頃の・・・文化の伝播/伝

達>

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                                      参勤交代                    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(192)

支折の言葉・・・10/18】


…とは、どの様だったのでしょうか。

江戸を中心とした…

<五街道の整備>も進み、<参勤交代の制度も・・・安定化>し、<長い江戸時代

でも・・・最も幸せだった時期>…とも、評されている時代ですよね。

同じ元禄時代/16年間でも、芭蕉の死後になりますが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                              
仮名手本忠臣蔵 三段目     (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(193)

支折の言葉・・・10/19】


<赤穂事件/・・・江戸城松の廊下での、刃傷(にんじょう)事件>…があったわけです

ね。

その後、いわゆる 『仮名手本忠臣蔵』 仇討ち事件もあり、そんな事で、<江戸時代・

初期の・・・元禄文化>…が、まさに平和を謳歌し、湧いていた時期です。

この頃の、文化の伝達大動脈は…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                                                                                             (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(194)

支折の言葉・・・10/20】


…もちろん、<幕藩体制下/・・・江戸への参勤交代・・・侍主従の大移動>…だった

わけですね。

<2年に1度の・・・道/・・・物流/・・・人々の往来は・・・桁外れの規模>…であり、

また、長大な道中では、莫大な散財がありました。

この<参勤交代>が…

日本全国貨幣経済を動かし、<江戸・大阪・京都の・・・爛熟(らんじゅく/熟)れすぎること)

て来た文化>を…



 10月  2日

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉庵                    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(195)

支折の言葉・・・10/21】


全国伝播させました。

それは、つまり…

<2年に1度の・・・参勤交代の・・・速度>…で伝播したわけです。そして、それよりも早

い、例えば、現代雑誌刊行に例えれば…

季節刊行誌速度や、月刊誌速度や、不定期刊行雑誌速さで伝わったのが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                        
江戸時代の薬売り                    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(196)

支折の言葉・・・10/22】


俳諧師絵師僧侶、それから、薬売り伊勢神宮の御師(おし、おんし/特定の寺社に所属し

て、その社寺へ参詣者を案内し、参拝・宿泊などの世話をする者。)などの往来でしょうか。

そうした人々は、地方素封家(そほうか/大金持ち、財産家)有力者の所を足場としたり、

したりして、全国の様々な情報や文化をもたらしました。はやりの俳句、南画版画

なども、こうした経路でも伝わったわけです。

でも…

まだまだ、一般的には、文化の伝播非常にゆっくりでした。普通の農民は、小さな村か

ら一生外へ出ないというのも、珍しい事ではなかった様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                         
開墾の風景?                      (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(197)

支折の言葉・・・10/23】


人間以外生物種も、ほとんどの場合は、そうした小さなエリア生涯を送っているわけ

ですね。それで、不幸というわけでもありませんよね。

逆に、グローバルな世界を見たからといって、幸福なわけでもありません。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉庵                    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(198)

支折の言葉・・・10/24】


でも…その中間辺り

中世~近世日本に生まれた芭蕉は、<風雅風流に・・・恋い焦がれ・・・その求道の

旅>…に踏み出したわけです。

いわゆる…

<地理的に・・・踏破征服する・・・冒険者>…ではなく、<風雅風狂を極める・・・精神

的な・・・求道冒険者>…という事ですね。そうした事できた時代でもありました。



 10月  3日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                      
与謝蕪村・筆/『奥の細道屏風』  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(199)

支折の言葉・・・10/25】


芭蕉(/1644~1694年)は…

<野ざらし/・・・髑髏(どくろ)を野に晒す覚悟の旅に出た・・・先駆者の1人>…ですが、

<与謝蕪村(よさ・ぶそん/1716~1784年、江戸俳諧中興の祖で、俳画の創始者芭蕉よりは、72年後に誕生)

や・・・その後の、小林一茶(1763~1828年で、蕪村よりは47年後、約半世紀後に誕生)の時代/

・・・江戸時代後期の、化政文化の時代>…には、定期的地方俳諧門下巡回

ていた様で、縄張りもあった様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                    
松尾芭蕉の肖像画/ 蕪村筆/ 江東区芭蕉記念館所蔵  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(200)

支折の言葉・・・10/26】


もちろん…

芭蕉の時代にも、<貞門派(ていもんは)・談林派(だんりんは)・蕉門派(しょうもんは)などがあ

り、人々の往来もあったわけですが、一茶の時代には、<芭蕉に憧れた・・・自由人>

は、相当に居た様ですね。

<生活を捨て、死をも覚悟していた・・・

             風雅風狂の旅人の、芭蕉の生き様は・・・

                       大ロマンであり・・・時代を超えた大ヒーロー>

…だったわけです。

でも、<芭蕉ほどの・・・透脱した俳人>…はそれ以後、ずっと出て来ず、それを生業

(なりわい)とするのは…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                  
1987年2月26日に、『奥の細道シリーズ』の第1集として発行  (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(201)

支折の言葉・・・10/27】


一茶ほどの俳人でも難しかった様です。

もっとも、これは、一茶人間性にもよるものもあり、彼は晩年は、故郷信濃/柏原

帰っています。

うーん…

帰郷の出来る、農村・農家/居場所があった、という事ですね。でも、いったんは、江戸

へ出て、故郷に錦を飾ることなく帰るのは、敗北者の類(たぐい)ですよね。一茶錦の御

は、に縁が無く、経済的独立を果たせず、半分折れていました。

もちろん…

一茶故郷でも、<江戸で名の通った俳人>…として遇されていますが、その雪深い

北信濃での晩年は、悲惨な印象をかもしています。そこには、芭蕉のような、<透脱し

た境地>…は無かった様です。


ええと…

寄り道をしましたが、『野ざらし紀行』 に戻ります。芭蕉は、故郷/伊賀で、年の瀬を過ご

し、正月を迎えました。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                         
芭蕉                    (ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(202)

支折の言葉・・・10/28】


あらためて…

かつて過ごした、故郷風物に接し、懐かしさを感じてに詠んでいます。


★ 誰(た)が聟(むこ)ぞ 歯朶(しだに餅負(もちお)ふ 丑(うし)の年


<誰がムコぞ>…ということは、何処の家ムコ殿か、大概見当がつくという事ですね。



 10月  4日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                    
奈良・東大寺/二月堂・回廊・・・修二会 <お水取り>法要  (/ネットより画像借用)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(203)

支折の言葉・・・10/29】


<背に餅を負った牛>…というのは、丑年縁起物でしょうか。いかにも故郷/伊賀

風景だと、懐かしく眺めています。

それから…

旅支度をし、奈良に向かいます。奈良市伊賀市西方ですね。そこで、<東大寺/

二月堂のお水取り>…を見ています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(204)

支折の言葉・・・10/30】


★ 春なれや 名もなき山の 薄霞


★ 水取りや 氷の僧の 沓(くつ)の音


では、三井秋風(みい・しゅうふう/商人で俳人)を訪ねていますが、もう、梅の花が咲いていま

す。


★ 梅白し 昨日ふや鶴を 盗(ぬすま)れし


★ 樫の木の 花にかまはぬ 姿かな

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(205)

支折の言葉・・・10/31】


次に、伏見/西岸寺任口上人に逢っています。


★ 我が衣に 伏見の桃の 雫せよ


これらは…

<旧交を温め・・・一期一会の訪問>…になりますが、いずれも旅人/訪問者への、

<餞別(せんべつ)/はなむけ>があるわけですね。これを旅費の足しとし、次の目的地

に向かいます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                        
松尾芭蕉像    (葛飾北斎/画・・・パブリック・ドメイン)

《 野ざらし紀行/・・・ 芭蕉 》・・・(206)

支折の言葉・・・10/32】


現代の様に…

カードを使えるわけではなく、食料振り分け荷物として運べる程度に限ります。衣類

金子(きんす/お金)と、重量が増えれば、それだけ旅の負担となります。登山と同じです

ね。当時の、持ち運べるだけというのは、動物よりはマシといった所ですね。

大金大事そうに持ち歩けば、たちまち盗賊強盗に狙われ、命を落とす事にさえなりま

す。俳人はともかく、旅人長ドス(/道中指しの脇差1本)持ち歩く者も、多かった時代です。

もちろん、などの野生の動物も、時として危険になります…」