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Last Updated:05 May 2001

朝日俳壇
入選句集


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あゆ

先月,高浜虚子の曾孫にあたられる稲畑廣太郎氏(ホトトギス社編集長) から,E-mailをいただきました。 娘が,おじいさん(大和 勲)に電話でE-mailの説明をしているのが なんともおかしかった。
         平成10年6月7日

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<素顔>

   会社再建励ました一句寝冷せし子の宿題の山のごと磯遊びニ校入り乱れたるままに草笛のやがて校歌の揃ひけり
 学校関係の句が多いはずである。昭和6年から42年間,
 東京都内の公立小学校九校で教師を務めた。
 うち最後の三校,10年間は校長先生として…。
 その最後の小学校で,PTA会長に俳誌「玉藻」の 
  編集長さんが就任されましてね。句作をすすめられ, 
  さっそく校長の手習いが始まりました。退職1年まえの
  ことです。
・抜け抜けて谷中七福詣かな
 やがて郷土史関係の句が増えてきた。
 校長をやめた翌49年から九年間,今度は地元大田区の
 教育委員会で文化財指導員になる。仕事は,文化財地図
 の製作を中心に,歴史散歩グループのガイド役。
 一人ぼっちの足だけが頼りの地味な仕事でしたが,
 ちゃんとやれば報いられる…,教職に似た楽しい
 仕事でしたね。
・コンサイスなつかし梅雨の三省堂
 朝日俳壇へは49年からなんとなく投句を始めて,
 今までに計41句ほど入選しているが,忘れられないのは,
 52年6月26日付,加藤楸邨選のこの一句である。
 それは…。
 57年春のことだ。大和さん宅に大きな書籍郵便が届いた。
 開けると社史「三省堂の百年」。ここにも三省堂ファン
 という見出しのもとにこの一句を紹介した記事が印刷され,
 同社代表者の礼状がついていた。
 『更正計画も軌道に乗り出したころ,この句を新聞で拝見,
 コンサイスと三省堂のイメージはなお読者の心に深く
 定着していることに,社員一同強く激励されました』と。
・年惜しむ広場に鳩を雀を見地虫出てはや雨粒に打たれけり摘草にいでたちと言ふこともなく
 今年に入ってからの入選句である。目下は,悠々自適
 のはずであるが…。
 「山王歴史散歩」「土筆会」「弥生会」…など郷土史
 と俳句グループの世話役に追われる日々というのが実情。
 いや,その忙しさを楽しんでいる風情があった。





<朝日俳壇入選句>
昭和51年9月1日  加藤楸邨選
<教材の糸瓜剪りゐて子規忌なり>
句評
 大和氏の作には,先生生活の一断面が確かに生かさ
れている。教材としての糸瓜を剪りかけていて,ふと
子規忌だったことに気がついたわけだ。子規の臨終近い
糸瓜の句が,この心の動きを
生かしていることはいうまでもない。

自評
 学校園の糸瓜を剪る。理科の授業中にふと子規忌に
気づく。


昭和58年5月8日  稲畑汀子選
<草笛も吹き村の子になりきりし>
句評
 都会生活から田園生活へ移って来た少年を,
自然は温かく迎えてくれた。その生活に馴れるまでの
日々,今はもうその辺の草をちぎって口に当て,音を出す
術さえ知って楽しんでいる。村の子になりきった安堵。

自評
 西多摩の農村に教鞭をとっていた頃,都会から転校
して来た生徒が,村の子に馴染んでゆく様子がうれしかった。


昭和61年10月12日  加藤楸邨選
<木の実独楽作る心のまだ失せず>
句評
 ふと木の実独楽を作る気になった。
そういう自分をふりかえってみて,木の実独楽を作ろう
とする気が失せていない自分に驚いたり,喜んだりして
いるのである。少年のころの心を失っていなかった喜びは,
この句を読んでいる私共にも素直に伝わってくる。
「まだ失せず」がよい。

自評
 歴史散歩の途次拾った木の実。ポケットより出して木の
実独楽を作る。まだ,少年の心があることがうれしかった。


平成元年12月24日  稲畑汀子選
<落葉降る音に武蔵野ありにけり>
句評
 武蔵野は,森や林が昔の面影を残している所も多い。
大きな木々の降らす落ち葉の音は,如何にも武蔵野を
語るにふさわしいものである。
郷愁とも思える作者の心情を通して武蔵野を描く。

自評
 目黒の自然教育園に,広い雑木林がある。
独り林中を歩いていて,サラサラと降る落葉の音に,
ああ武蔵野がここにあるなあと感じた。


平成2年1月21日  稲畑汀子選
<枯れ枯れてなほも枯れんとする芒>
句評
 枯れ尽くした芒(すすき)に見えていたが,もっと
枯れてゆく気配に作者の詩情が誘われた。まだ,枯れる
余地があったのかと驚く発見。

自評
 この頃,毎月或る句会で目黒の自然教育園を吟行す。
園の真中にある池の中州に一むらの芒がある。もう
すっかり枯れている。近づいて,根の方を見るとまだ
青味が残っていた。




平成2年12月2日  稲畑汀子選
<威銃馴れて新任教師たり>

句評
 田舎の学校へ赴任してきた先生。
はじめは,威銃(おどしづつ)の鳴る音に驚いていたが,
ようやく慣れた。田舎の生活に馴染んで新任教師らしく
いきいきと教壇に立つ人物が描けている。

自評
 昭和6年西多摩郡多西村(現あきる野市)の教師
として赴任。高等科一年を担任。授業中ズドンと銃の音。
私はハッと身をすくめた。
「先生ヨ」「今のは鳥威(とりおどし)の威銃だべ,
安心しな」
こんな経験を重ねて新任教師としてたち向かった。


平成3年5月12日  稲畑汀子選
<星おぼろやがて北斗のつながりし>
句評
 春の夜空。星もおぼろの中にその存在が定かではない。
やがて,見えて来て北斗七星であることが分かった。

自評
 星が好きな私。春のおぼろ夜を仰いだ。
北斗七星が見えるかなーと。暫く天空を眺めたその中,
おぼろの中にようやく北斗七星のひしゃくがつながった。


平成4年3月8日  稲畑汀子選
<一夜さの雪に庭木の性を見し>
句評
 夜中に降り積もった雪。朝,庭木の様子が一変していた。
枝が折れ,また,雪に耐えてしなう木もある。
さまざまな姿になっているのは,特に雪囲いなどしない
地に降った雪であろう。雪によって,木の性を知った
作者の興味と発見。

自評
 東京で十何年ぶりの大雪の朝,雨戸をくると,
狭庭の庭木がそれぞれの性をもって,
この大雪に耐えているもの,埋もれているもの,
私は大雪を通して,庭木の性の一面を発見した。


平成4年10月18日  稲畑汀子選
<黒板に子規忌と大書せし頃も>
句評
 昔,先生として教壇に立ち子規忌の日を必ず生徒に
伝えたと回想する。心情が深い。

自評
 長い教壇生活の中で,或日子規忌と大きく黒板に
書いてけふは正岡子規の忌日であること。
その人となりを話したこともあった。


平成6年6月12日  稲畑汀子選
<たんぽぽの絮に全き日なりけり>
句評
 あまねく太陽の下に広がるたんぽぽ野。
まん丸にふくれて飛んだ。傷のかけらもない全(まった)き
姿の絮(わた)が日にきらめいている。明るい情景である。

自評
 どこだったか場所ははっきりと覚えていないが,
このたんぽぽの全き姿の絮に,さんさんと日があたって
いた光景が思い出された。


平成8年9月9日  飴山 實選
<古簾かけて余生を見据ゑをり>
句評
 暮らしなじんで古びたスダレの内側で
自分の余生を思っている作者。
だが,見据えるという語気はつよい意志を感じる。
積極的な姿勢の人である。

自評
 ふるくなった簾の内にあって,来し方を振り返りました。
昭和60年より42年間の小学校の教職を了え,
区の社会教育の指導員として文化財の業務を9年間,
再度の退職後は老人学級の俳句指導をはじめ,
歴史散歩の案内を20年続けて来た。
その間,いくつかの病気をのり越えてきた。
これからの余生は,三つの句会の指導を一年でも
長く続けて,俳句を生き甲斐とする人を一人でも多く
育てることにあります。
その為には,健康に十分配慮してゆきたいと思って
います。


平成9年9月29日  金子兜太選
<南部馬肥ゆるその家の子をのせて>
自評
 昭和20年に集団疎開していた岩手県稗貫郡新堀村
(現石鳥谷市)に学童と共に暮らしていた頃
隣に馬を飼う農家があり,毎日その家の子が乗って
運動をさせていました。その時の景を回想しての句です。

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