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遺言能力欠如で公正証書遺言が無効とされた事例

新旧2通の公正証書遺言の存在

遺言者は、独身女性で子供もいませんでした。相続人は、甥姪など7人です。
弁護士事務所に遺言書(新旧遺言書)を持参して相談に訪れたのは、遺言者の甥甲(原告の1人)でした。
「新遺言書」は、遺言者が亡くなる約8カ月前(遺言者90歳時)に作成されていました。ところが、遺言者は、約4年前にも公正証書の遺言書(旧遺言書)を作成していました。

新旧遺言書の内容の違い

甲は、「新遺言書」と「旧遺言書」の内容があまりに違っているので不信に思ったのです。
4年前の「旧遺言書」の内容は、遺言者の生前の言動に沿った内容で、遺言者の兄の長男である甲と、長年(数十年)に渡り遺言者と仲良くしていた甲の妹(乙)に預貯金の35/100ずつ遺贈し、他の甥(遺言者の姉の息子)に不動産と預貯金の一部をを遺贈するとの内容でした。
遺言者は、乙に「○○家(実家)のことをきちんと考えてあること、自分の預貯金の具体的な額、公証人をつけてもめないようにすること」を何度も話していました。
旧遺言書は、遺言者のその言葉が反映された内容で、銀行を遺言執行者に指定して、その遺言がきちんと実行されるよう配慮されたものでした。
しかし、「新遺言書」では、大きく違っていました。
預貯金の受遺者として新たに遺言者の姉の子供3人と、孫1人が加わり、甲と乙への遺贈額は、旧遺言書での受遺額の3分の1以下になっていました。証人 、遺言執行者はA弁護士でした。
旧遺言
甲 35/100、乙 35/100
新遺言
甲 10/100、乙 10/100
差額は、約1億円強
新たに加わった受遺者達は、甲及び乙が叔母(遺言者)からが聞いていた彼らへのマイナス感情から考えると、意外とも言えるものでした。遺言者と接点が殆どない者も受遺者として加わっていました。
甲、乙が不信感を抱いた原因は、他にもありました。
遺言者の所在が、亡くなる2年位前から急に不明になって連絡が取れなくなったのです。甲、乙が叔母を捜し、心配していると、従弟(不動産の受遺者)から、突然、遺言者が亡くなったと知らせがあったのです。
所在が不明だった遺言者は、認知症でグループ ホームに入所していたとのことでした。
後に甲がそのグループホームで話を聞いたところ、入所手続きをしたのがその従弟でした。その従弟が、遺言者を自分の関係者以外の人間に会わせないようグループホームに頼んでいたこともわかりました。

公正証書遺言無効の訴えの提起

2017年7月19日、甲、乙の弁護士は、「新遺言」の無効確認、他の受遺者に対し合計1億円強の不当利得返還を求め、訴を提起しました。
被告は、グループホームの手続きをした従弟と「新遺言書」で新たに受遺者となった従弟の弟、妹、甥と「新遺言書」作成に関わり、遺言執行者であるA弁護士でした。A弁護士も共同被告にしたのは、将来、A弁護士に損害賠償請求する場合に、請求の拡張で済むので、便利であったからです。訴え提起の時点では、A弁護士に頼して請求したのは、遺言の無効確認だけです。A弁護士を被告にしたことが、後で、役に立ちました。
甲乙の弁護士は、「新遺言書」の作成時に認知症であった遺言者の意思能力(遺言能力)について詳細に立証するために、弁護士法23条の2に基づく、弁護士会を通しての照会などを利用し、病院、区役所(介護関係)、グループホーム、裁判所(全く別の不動産売買事件で遺言者は、生前裁判をしていました)等からできるだけ多くの資料を集めました。

遺言書作成と意思能力

認知症に罹患していても、認知症の程度が軽ければ、遺言作成は可能です。
遺言書作成時に意思能力がある無しの判断は、非常に難しいと言えます。
甲乙の弁護士は、取寄せた資料、その他遺言者に関するあらゆる事実から、「新遺言書」の作成時に遺言者に意思能力がなかったことを立証しなければなりません。挙証責任は、原告にあるのです。
意思能力の有無は、裁判官の法的判断により決められるとされています。意思能力の有無が争われた過去の裁判例では、次のような点から、意思能力の有無を判断しています。
  1. 精神医学的観点
  2. 遺言内容の複雑性
  3. 遺言の動機、理由、遺言者と相続人、受遺者との人的関係
裁判官は、医師の医学的判断を尊重しますが、医師が認知症と診断したとしても、それだけで遺言能力が否定されるわけではありません。認知症と言っても症状の進行は様々ですし、作成された遺言書の複雑さ、内容に合理的根拠があるか等で、事案ごとに遺言 能力の有無が判断されることになります。
この裁判では、甲乙の弁護士は、遺言者のグループホームや病院での行動におかしな点があったこと、例えば、ゴミ箱に放尿したなどの事実に注目しました。介護認定の書類中にあった医師の意見書、認知症の程度の目安になる認知症テストの内容、介護認定調査票等も証拠として提出しました。さらに、新遺言書の内容の複雑さ、遺言者が新たな受遺者とは疎遠であったこと、新遺言書内容が遺言者の意思とは異なっていると主張しました。

重要な証拠の発見

中でも有力な証拠となったのが、別事件の裁判記録中にあった診断書でした。それは、遺言書作成時の半年前に作成されたものでした。神経内科の医師が作成したものでした。
この診断書は、遺言者が生前中に係争した別事件の仮処分申立に証拠として提出されたものでした。遺言者は、生前に不動産会社に騙されて自分の不動産を不当に安く売らされたと主張し、不動産業者を訴えていました。その事件の対象となった不動産のさらなる売買を止めるために仮処分を申し立てた際に提出したものでした。
診断書には、詳しい説明と共に、「遺言者が典型的なアルツハイマー認知症であり、患者一人で正確な物事の判断は極めて困難と考える」と記載されていました。 弁護士は、この診断書を手掛かりに病院のカルテを調査しました。長谷川式簡易テストは12点でした。意外に良いですね。

遺言と長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R)

これらの証拠から、原告側は、新遺言書作成時に遺言者の意思能力がなかったと主張しました。被告ら弁護士は、証拠を挙げ、遺言者の意思能力があった、前述の診断書は仮処分申立の為に裁判所提出用として、ことさら医師に作成してもらったと反論しました。
原告側は、被告A弁護士がその診断書を遺言者の別事件の裁判で提出しなかった理由は、別事件の裁判中に新遺言書を作成する予定であったからであると主張しました。何故なら、別事件の裁判で、遺言者が騙されて不動産を不当に安く売らされたのは、遺言者に判断能力がなかったからであると主張すれば、同時期に作成する遺言書は、判断能力がないため無効になってしまう心配がるからです。

この診断書によって、裁判所の心証が、原告側に有利に変化しました。

鑑定

しかし、この診断書だけではまだ遺言能力はなかったとの判決が出るとは限りません。
原告の弁護士は、 鑑定が必要と考えました。問題はどこで鑑定するかです。原告らが鑑定人を捜して私的に鑑定をすれば、時間は短縮でき、結論も確実に有利です。裁判所に鑑定を申請して得た鑑定は信用がありますが、時間がかかり、結論が有利かはわかりません。
原告の弁護士は、悩みましたが、裁判所に鑑定申請することにしました。
甲、乙の弁護士は、裁判所に鑑定を申立したところ、裁判所は、それを認め鑑定を採用しました。鑑定費用は100万円でした。
鑑定は、約3か月を要しました。そして鑑定の結論は、「遺言者は、遺言書作成当時、中程度の認知症状態であって、遺言書の内容及び結果を理解し、判断するに足りる能力が必要十分に備わっていたとはいえない」というものでした。
この時点で、甲乙の弁護士は、請求を拡張し、「遺言執行により、甲乙に損害を与えた」とし、被告A弁護士に対し、損害賠償を請求しました。

遺言書の複雑さ

鑑定結果に至る理由の1つは、新遺言書の内容が複雑であることもありました。
新遺言書は、全12ページからなるもので、被相続財産は、不動産、現金、預貯金、入居金返還請求権、個人年金保険契約に関する権利、貸付金債権、被告弁護士名義の遺言者の預り金と多岐にわたる内容が細かく表示されていました。
7人の相続人に関しても、一人一人について、不動産を遺贈する者、預金等の金融財産を7人に100%の内、それぞれに分配する細かな割合も表記されていました。
又、被告A弁護士は、遺言執行者とされ、執行財産に対する執行報酬の割合いも細かく%で表記されていました。
鑑定では、遺言者は、認知症の程度を図るテストの結果内容と新遺言書で何人もの受遺者に対して使われている財産の割合数字の意味するところ、及び相続内容全体の意味の理解が出来なかったと判断されていました。又、特に世話になっている被告相続人らに対しての恩義感情が認められるかについても、鑑定人は、遺言者の日常の世話をしているのは、ホームの職員や看護師であるとし、遺言者に被告らへの財産分与でこの1,2年の間の恩に報い多く遺贈したいと考えるような日頃から恩義を感じていたと思われる言動はなく、無理がある。と判断しました。
遺言書の内容と遺言者の遺言作成時の意思能力の状態を詳細に検討し、当該遺言書作成が可能であったか、すなわち遺言能力があったかが判断されることになります。
争点のうち、遺言能力がないことは、鑑定で解決しました。甲、乙の弁護士は、不当利得の主張、立証に力を注ぎました。

裁判所の和解勧告

裁判所から、和解勧告がありました。内容骨子は、「被告らが、原告らに各5000万円支払う。被告Aは、原告らに各180万円を支払う」というものでした。合計1億360万円です。 判決をもらっても、1億円を強制執行で取り立てるのは難しいです。和解が得策と考えた原告らは、和解を承知しました。鑑定結果に対しても、被告側は、「遺言者は、遺言の何たるかを理解していた、預貯金の配分への理解もしていた」等々反論していました。
しかし、被告の甥姪側も、最終的に裁判所の和解勧告に応じました。最後になったのは、被告A弁護士でした。被告A弁護士は、弁護士損害賠償保険に加入していました。A弁護士は、保険会社の了解を取って、和解に同意しました。
2021年8月12日、和解が成立しました。被告ら受遺者が原告甲乙らに支払う和解金は、本来、原告が「旧遺言書」で遺言者から遺贈を受ける筈であった金額に近い、1億360万円となりました。和解という形式でありますが、原告側の意向が反映された実質原告側勝利と言える内容でした。

弁護士の責任と倫理

この事件では、「新遺言書」作成・執行に関わったA弁護士の法曹人としての責任、姿勢、倫理感に関しても考えさせられました。被告の一人にA弁護士を加えたのも、その行為の責任の重さを裁判所に判断してもらうためでした。
 A弁護士は、遺言者の生前中の別の不動産事件の代理人でした。それ故、遺言者が認知症であり、先の神経科医師の診断書の存在を知っていました。にもかかわらず、A弁護士は、「新遺言書」の作成に携わり、遺言執行者に就任し、公正証書遺言作成時には 証人 にもなりました。
さらにA弁護士は、公証人に遺言者が認知症であること伝えませんでした。公証人規則(平成12年3月13日法務省民事局長通達)により、遺言者の精神能力に疑いがある場合は、公証人は、独自に調査をし、記録を保管することになっています。A弁護士は、公証人が本来なすべき責務も妨げたことになります。
最高裁(昭和55年12月4日判決)は、公正証書遺言において「証人が果たすべき職責として法が要求するところ」について、証人は、「遺言者が正常な精神状態のもとで自己の意思に基づいて遺言の趣旨を公証人に口授するものであることの確認」することを、言及する3点のうちの1つにしています。
A弁護士は、遺言者が、1人で正確な物事の判断は、困難」なほど、理解力、判断能力が、ひどく低下しており、決して、「正常な精神状態のもとで自己の意思に基づいて遺言の趣旨を公証人に口授」していないことを知っていたのに、公正証書作成の場に立ち合い、証人にまでなったのです。
原告側弁護士は、「新遺言書」作成は、法の要求する適正な証人を欠いていたので、「新遺言書」は、正当な公正証書遺言として認められるものではなく、無効であるとも主張したのです。
依頼者甲は、A弁護士に法曹人としてに大きな問題があるとして、裁判中に独自に弁護士会に懲戒請求も申立てました。
結局、A弁護士は、「新遺言書」の遺言執行者として得た報酬360万円と同じ額を和解金として原告らに支払うに至りました。裁判所もA弁護士の責任を認めたという事です。
このように、結局、原告側の完全勝訴と同程度の和解になりました。

最後に

本裁判例は、親戚間の争いでしたが、親兄妹間の相続財産争いは、裁判中はもとより、後々まで遺恨を残すことになります。
又、認知症の罹患者は、高齢化と共に年々増え続けているのが現状です。公正証書遺言は、遺言者の意思を明確に残すために最も信用できる手段として、近年さらにその存在が重要視されていますが、今回の裁判例のようなことが実際にあることを忘れてはならないと記しておきます。
上記は、当事務所で扱った事件です。

2022.3.30