偏愛的書物 #2

  EDIE An American Biography (Jean Stein / George Plimpton 共著:Knopf社 1982年刊)
  イーディ 60年代のヒロイン (J・スタイン/G・プリンプトン 共著*青山南 訳:筑摩書房 1989年刊)

20年近く前のPOPEYEに一冊の洋書の紹介記事が載った。その本のカヴァーに描かれたキュートでキレイな女の子の寝姿。「彼女は生きている時は不幸せだったから、せめて眠っている時は幸せな夢をみさせてあげたい」というようなイラストレーターのコメントが載っていたように思う。アンディ・ウォ-ホールのファクトリーの女神、60年代のアメリカのポップ・カルチャーのスーパースターだった女の子。彼女の名前はイーディス・ミンターン・セジウィック。皆はイーディと呼んだ。白貂の髪に輝く骨の体を持ち、ミニスカートから伸びた長い脚はいつも黒タイツに包まれていた。

膨大なインタビューから浮かび上がってくるのは、あまりにも最先端を行ってしまい、周囲を振り回したと同時に自らも時代に弄ばれて中身がカラッポのまま終わってしまった少女の姿だ。死んだ時は28歳になっていたけど、最後まで大人になれなかった。
彼女は美術の才能があったから、努力すれば大成したかもしれない。またヴォーグの「ガール・オブ・イヤー」に選ばれるほどの容姿を持っていたからヴォーグ・ファミリーの一員になれたかもしれない。それを麻薬で全部潰してしまった。全てが中途半端だった。そうなったのは彼女の責任ではあるけれど、育てられ方に原因があると思う。彼女は閉鎖的な家庭で人との係り方、そして生きる術を教わってこなかった。何も知らない赤ん坊のような状態で時代の最先端に出てきてしまった。本当の無一文になっていれば、人生をやり直せたかもしれないが彼女は大金持ちすぎたのだ。自らは借金まみれの状態で踏み倒すこともしばしばだったらしいが、尻拭いは全部彼女の実家がやってくれた。死ぬまでリムジンサーヴィスが途切れることはなかったのだ。

イーディは生まれ育ったのはカリフォルニアの大牧場だったが、れっきとしたボストン・ハイ・ソサエティの娘だった。先祖はマサチューセッツ州の最高裁の判事で「独立宣言書」に署名こそしなかったがハミルトンやワシントンの同志という名家中の名家の出身である。セジウィック家はマサチューセッツ州ストックブリッジに広大な土地を持っていて中でも「セジウィック・パイ」と呼ばれる一族の巨大な墓地が威容を放っている。
セジウィック家の男はハーヴァードを出てニューヨークに行き、弁護士になるか経済界に身を置くのが普通のコースだったけど、ドロップアウトしても贅沢に暮らしていけるだけの資産があった。一族の一人が友人に「君の家の金の出所はどこなんだい?」と尋ねられて「よくは知らないが金はいつもあるんで、そんなこと訊いてもしかたがない」と答えたぐらい大金持ちなのだ。アメリカの貴族階級といってよいだろう。夏の晩、ストックブリッジのコオロギは"セジウィック、セジウィック"と鳴くという伝説もあるぐらいの家柄である。

日本でのこの本が出版された時の書評はは60年代のウォーホールを中心にしたアメリカのポップ・カルチャーを知るには恰好の作品ということでおおむね好意的であったが、ヒロインのイーディについては「つまらない」という評価がほとんど、中には全く無視しているものもあった。
たしかにキレイなだけのジャンキーでどうしようもない女の子だったけど、本当に「つまらない」と一言で片付けてしまってよいのだろうか。もし本当に「つまらなかった」ら、これだけ多くの人がイーディーについて語るだろうか。
アメリカで出版されたのが82年で翻訳が出るまで7年かかっているのだが、もしかしたらこの本が日本で出たのは早すぎたかもしれないとも思う。当時はバブルでまだ浮かれていたからポップ・カルチャーにばかり目が行って、この本が訴えたかった本当のことは見えなかったのではないだろうか。「イーディ」で語られているのは、貧困や差別とはまた違う「病めるアメリカ」と「父親探し」の旅である。

イーディの父は彼女を含めて8人の子を持ったくせに「ダディ」と呼ばれるのを嫌い、「デューク」と呼ばせていた。父親になることを拒否していたのである。だが一家の中では専制君主として振舞った。妻の目の前で平気で女を誘い、息子の恋人にちょっかいを出そうとした。マッチョはこうあるべき、と思っていたふしがある。
イーディは器量筋の一家の中でも群を抜いて美貌だった。父親はイーディを赤ん坊扱いし過干渉であった。そのくせに肝心のところで彼女を放り出してシャッターを下ろすこともしばしばだった。自分に都合の悪いことは全てイーディに負わせて精神病院に送ったりしたのである。親族のインタビューを読むと彼女と父との間の愛憎は近親相姦めいたものがあったように感じ取れる。イーディ本人も「父はあたしと寝たがった」と語っている(これはイーディお得意のリップ・サーヴィスで話半分に聞いておいた方がいいかもしれないが)。
彼女はそんな父から逃れて、ウォーホールにディランに「父」を求めた。勿論彼等には「父」になる気はさらさらなかったのだが。彼等にとってイーディは「美貌のボストン・ハイ・ソサエティの娘」であり、庶民の彼等に箔をつける道具でしかなかった。最後に年下の童貞男と結婚して彼女は彼を「ダディ」と呼んだが、果たして「理想の父」を手に入れることが出来たのだろうか。

この本を読んで思い起こすのは萩尾望都さんの「残酷な神が支配する」だ。全く違う話なのだが、ブルジョワ家庭の子育ては、庶民の目から見るとヘンだ、ということがどちらにも描かれていると思う。イーディだけが一族の異端児ではない。、彼女の二人の兄がマッチョを強要する父親の圧力に耐えかねて自殺している。
「残酷な…」でのジェルミのこれからは勿論関心事ではあるが、わたくしの興味を一番引いたのはどのような環境だったらグレッグのような人間が出来あがるのだろうか、ということだった。息子のイアンは自分達の育ち方にどうして何の疑問も持たずにきたのだろうか。自分はともかく父と弟マットの関係は明らかに異常なのだ。いや、無意識に何も見なかったことにしているのかもしれない。母親が死んだ後のイアンの精神的ダメージは、ほんの数コマながら描かれていたので、これが今後の展開の伏線になる可能性はある。萩尾さんはグレッグの生い立ちまでは言及はしないかもしれないが、イーディの父の生い立ちに関する記述を読むとアメリカとイギリスの違いはあれ共通する点が仄見えてくるような気がするのだ。

わたくしは原書と翻訳本の両方をもっている。原書の方はパラパラと目を通したぐらいで読むのをさっさと放棄してしまった。幸いにして数年後に翻訳本が出たので原書はイーディの美しい寝姿を見せる形で我が家の本棚を飾ることになった。この本はイーディーに多かれ少なかれ係った人達へのインタビューで構成されたオーラル・バイオグラフィなので登場人物が多く人間関係を把握するのが大変なのだ。翻訳本の方でさえいちいちセジウィック家の系図を確認する作業が伴う。わたくしの貧弱な英語力では到底太刀打ちできなくて当たり前である。翻訳本は残念ながら原書と同じ装丁ではない。イーディがウォーホールとチャック・ワインと共にニューヨークの路上で被写体となっている写真が使われている。絵葉書にもなっている有名な写真だが、やはり装丁は原書の方が断然いい。

イーディは「助けて、助けて」といつも声をあげていた。人々がその声を聞きつけて手を差し伸べようとすると、すでに彼女の姿はない。そして別の場所で「助けて、助けて」と声をあげているのが聞こえるのだ。彼女と関わった人々は「ひどい目に遭った」と言いながらも、あまり彼女を悪く言う人はいない。むしろ「彼女が本当に生きる」手助けをしてやれなかったことに痛みを感じているようだ。
わたくしは書評のようにイーディを「つまらない女の子」とは思わない。
「イーディだから」と誰をも納得させてしまう不思議なオーラを持った女の子。とにかくキレイでエキセントリックだった。世の中にはそれだけで何もかも許される人間も存在するのだ。「poor rich little girl」」の王道を駆け抜けたけど「youth quaker」としての役割は充分果たしたじゃないの。

イーディが死んだ時、パティ・スミスは彼女に捧げる詩を書いた。イーディはパティにとってブライアン・ジョーンズと並ぶブロンド・チャイルドだった。パティの詩と原書の装丁が一番イーディをを顕しているようにも思える。

< 2000.10.03 初出/2001.02.20 改訂>

参考:
「Edie」の原著 表紙カヴァー・イラスト
イーディ&ウォホールの写真
パティ・スミスの詩