丹沢表尾根( 塔ノ岳:1,491m )   1998.6.15 登山


 塔ノ岳頂上にて鹿( 1998.6.15 )

【丹沢表尾根登山記録】

【丹沢表尾根登山データ】

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丹沢表尾根登山記録

6月15日月曜日、会社が休みであり、しかも梅雨の中休みとなることが見込まれたため、 丹沢山塊表尾根を歩くことにした。

今年の私の登山に対するモットーは「まだ登ったことのない山に登る」なのだが、「山の雑記帳」に書いたように、 昔見た「日本武尊の足跡=力石」を再び訪れてみたいと考えていたことと、 今の天候では近間の山が手頃だろうと考えたために、丹沢表尾根を選んだ次第である。

当日は、例の如くすぐには寝床から起きられずに相鉄線の始発を逃し、 登山口の大倉についたのが7時25分であったが、 言い訳をさせてもらえば前日のサッカーワールドカップ、 日本対アルゼンチン戦の不完全燃焼で気持ちがモヤモヤして、 床につくのが遅くなってしまったからである (あれだけボールを持てた名良橋に、 もっとセンスとテクニックがあればと思った次第である)

バスには、月曜日の平日にも拘わらず8人ほどの登山者が乗っていたが、今思うとこの日丹沢山中で50人ほどの登山者と出会ったわけで、 月曜日が休みの会社が多いのか、もう定年になった方ばかりだったのか、 とにかく誰にも会わないのではないかなどと思っていたので少々ビックリさせられた。

ところで、丹沢を訪れるのは1年と2ヶ月ぶりなのであるが(丹沢主稜縦走記参照)、 登山基地の大倉の変わり様にはビックリさせられた。

秦野戸川公園と称して、立派なロータリー、トイレ、駐車場が作られており、奥の方には吊り橋まであって、 なかなかのものなのである (駐車場が8時半開場というのは納得できないが・・・)

行政の力の入れようが伝わってくるが、折角整備した公園なのだから、我々もこのキレイさをキープするようにして利用したいものである。

大倉からいつも通り淡々と登っていき、雑事場平の手前15分の所で登山道が2つに分かれる場所に着いたが、 いつも右手の道を進むところを、 今回は少し変化をつけるべく初めて左の道を通ることにした。

こちらの道は右の道と比べて急な登りはなく身体も楽で、さらに左側の谷からの風が心地よく、 気分の良いまま大倉高原山の家前に着くことができた。

山の家の前は大きく開けていて、下方に秦野や更に遠くの湘南の町並みを眺めることが出来るようになっていたが、 そこに掛けられていた札に「日本有数の夜景」 と書かれていたことにも頷けるものがあった (残念ながら上の方は雲とガスが多く、 遠くの山並みは全く見えなかった)

また、山の家の前には谷から引いた水が絶えることなく流れていたので、その水で喉を潤すとともに、 ここまで運んできた横浜市の水道水を捨てて50円(本当は20円でよい) を支払って水筒を満タンにしたが、 いままでこのような場所があることを知らず、 利用しなかったことが大いに悔やまれた。

山の家を後にしてキャンプ地を過ぎるとやがて雑事場平で、先ほどの右手の道と合流し、やがて見晴茶屋を過ぎるといつもの長い登りが始まった。

この長く厳しい大倉尾根も、下の大倉と同様にかなりの整備が進んでいて、丸太の階段が多く作られており、 またさらにいろいろな所を人が歩くので道がどんどん広げられて荒れていくのを防ぐべく、 登山道を限定するロープが張られたりしていて、 その変わり様に驚かされた。

個人的には、歩みのペースが狂うことから丸太の階段は好きではないのだが、 丹沢の土が 雨と人の歩きで削られていくのを防ぐためには致し方あるまい。

相変わらず長く苦しい大倉尾根であったが、結構体調も良く、途中大倉高原山の家と堀山ノ家の前でそれぞれ5分、 花立山荘前で10分の休憩をとったにもかかわらず、 塔ノ岳山頂に着いたのは10時20分と、所要時間2時間55分、 正味歩行時間2時間35分で登り切ることができた。

但し、10年前は所要時間2時間30分前後で登り切っていたのだから、やはり体力が落ちてきているのを感じざるを得ない。

肝心の塔ノ岳山頂は完全にガスの中で、周囲の景色は全く見えず、強い風が体温をドンドン奪っていくという状態であり、 登山途中に見えた青空が嘘のようであった。

山頂がガスに囲まれると必ず現れるのが鹿たちで、この日も3頭ほど現れて私の目の前で黙々と草を食んでいた。

塔ノ岳頂上で2つほど握り飯を食べた後は、寒い場所から即刻退散することにして、二ノ塔を目指して出発した。

暫く下ると天候の方も徐々に回復しだし、やがて夏を感じさせる強い日差しを受けることになったのだが、 山の頂上に立つタイミングというのは難しいものである。

塔ノ岳のように何回も立ったことがある頂上なら、今回のように生憎のコンディションでも諦めがつくが、 はるばる長旅をして初めて立った頂上がガスに囲まれていて何も見えなかった場合は、 大変悔しい思いを味わうことになる。

しかも、頂上で暫く待ってみたもののコンディションの回復は見込めないので、後ろ髪を引かれる思いで下山したところ、 先ほどまでの天候が嘘のようにカラリと晴れてしまうということは結構あるものである。

今回はそれ程の無念さも感じることがなかったが、いつも頂上は快晴であって欲しいものである。

塔ノ岳からの表尾根は慣れた道ゆえペースも上がったが、こちらの方もかなり整備が進んでいて、行者岳に掛かる鎖などは新品のものに変えられていた。

そう言えば今年はかながわ・ゆめ国体があるから、この整備は全て山岳競技の会場としての準備に違いないということにようやく気づいたが、 神奈川県民としてこの意識の低さでは申し訳ない。

そんなことを考えながら行者岳、烏尾山、三ノ塔を過ぎて、目的の二ノ塔に着いたが、肝心の「力石」に行くための菩提へ下る道がない (それらしい踏み跡があるにはあったが 草に覆われていてハッキリしない)

この辺の話は、「山の雑記帳:日本武尊の足跡再訪」に譲るが、家に帰って調べてみると、10年前に発行された日地出版の地図には二ノ塔から菩提へ下る道が記されていたものの、 1994年に山と渓谷社が発行した丹沢地図にはその道が書かれていなかったことから、 今は廃道となっているのかもしれない。

これで所期の目的を果たせなくなったわけで、そのショックがあったわけではないのだが、ヤビツ峠に着いてから、 どういう訳か大山(オオヤマ)に登る気になってしまった。

普通ならヤビツ峠から蓑毛に下り、そこからバスに乗るのであるが、何を思ったかこの日は身体の調子が良かったことから、 10年前を思い出して大山に再登山したくなったわけで、 結果は10年前と同様にバテバテの登山になってしまった。

最初から大山までを登山目的としていたら違っていたのであろうが、一旦切れかけた心と身体に鞭打って登るのは思った以上にキツく、 わずか1時間15分ほどの道のりでそれ程の急坂が有るわけでもないのに、 本当に疲労困憊・やっとの思いで頂上にたどり着いた。

そしていつもは頂上に自動販売機などあろうものなら大いに嫌悪感を抱くところであるが、 この日は大山頂上にあった自動販売機が本当に有り難く、 250円も払って購入したファンタグレープの甘さが五臓六腑に染み渡った時には、 本当に幸せを感じた次第である。

大山頂上では完全に天候は晴れの状態となっており、眼下に広がる相模の国の町並みとその向こうに霞んで見える相模湾の素晴らしさを 十分に堪能することができた。

暫く休憩して体力回復を図った後、下山をどのルートにしようか迷ったが、先ほどヤビツ峠を通った時にチラリと見たバスの発車時間が 15時51分だったのを思い出し、 急いで戻れば間に合うのではないかと思って、 喘ぎ喘ぎ登ってきた道を飛ぶように下った (どこにこんな元気があったのかと自分でも驚く)

結局大山頂上を15時5分に出発して、ヤビツ峠に戻ったのが15時35分、30分で下ってきたことになり、 バスにはゆうゆう間に合うことができた。

結局、本日の目的であった「日本武尊の足跡=力石」との再会は叶わず、また日頃の鍛錬を怠っていることからスタミナ不足が露呈してしまい、 多くの宿題を抱えたままの登山となってしまったが、 夏を前にしてやるべきことが分かっただけでも良しとしたい。


丹沢表尾根登山データ

上記登山のデータ登山日:1998.6.15 天候:曇り後晴れ単独行日帰り
登山路:大倉−大倉高原山の家−雑事場平−堀山−花立−金冷ノ頭 −塔ノ岳−新大日ノ頭−行者岳−烏尾山−三ノ塔−二ノ塔−富士見山荘−ヤビツ峠−大山−ヤビツ峠
交通往路:瀬谷−(相模鉄道)−海老名−(小田急小田原線線)− 渋沢−(バス)−大倉
交通復路:ヤビツ峠−(バス)秦野−(小田急小田原線)−海老名−(相模鉄道)−瀬谷


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