登山NO.0015 霧 島 山( 韓国岳:1,700m ) 1990.4.28登山


 韓国岳頂上から見た火口跡( 1993.6.6 )

【霧島山登山記録】

【霧島山登山データ】

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NO.15 霧島山登山記録

九州の宮崎および長崎にある工場への出張が決まったので、これをうまく利用して、九州における百名山を登ろうと計画を練った。

出張はまず宮崎で、間に土日を挟んで次の月曜日に長崎に行くことになっているので、この土日の2日間を利用して登れる山を色々検討したところ、 まずは霧島山に登り、 下山後霧島神宮からバスで西鹿児島まで行き、 1泊の後、 開聞岳に登ってその足で長崎へ入るということが 一番効率的だということになった。

宮崎工場の仕事を早めに切り上げ、南宮崎にある宮交シティからバスでえびの高原に向かったのだが、 出張先に書類鞄の代わりに登山ザックを持っていたので、 皆に少々嫌みを言われてしまった。

宿舎は国民宿舎えびの高原荘で、露天風呂を楽しんだ後、背広と革靴を無理矢理ザックに詰め込んで登山の準備を行った。 なお、登山靴は前もってこの高原荘に宅急便にて送っておいたのである。

翌日6時に高原荘を出発し、少し車道を進むと、目の前に2つに分かれたような山が見えてきた。
どうもそれがこれから登る韓国岳 (からくにだけ) らしく、 ちょうど朝日がその韓国岳の向こう側から昇ろうとしていたので、 山がシルエットになって随分立派に見えた。
本日は良い天気が期待できそうである。

途中から車道をはずれて遊歩道に入ったが、道ばたにはかなりの熱を持った泥のようなものが吹き出ている箇所がいくつかあったし、 また少し先の左手には噴煙を上げる硫黄山が見え、 あたりは硫黄の鼻をつくような臭いが漂っていたので、 火山の国に来たという実感を抱かせてくれた。

韓国岳への登りは、最初のうちは火山であることを感じさせる所の全くない、樹林帯の中の岩と土の道で、 しかも登っている途中、 鹿が目の前を横切っていったのでビックリさせられた。

樹林帯を抜けると展望が開けて、広々としたえびの高原を見渡すことができるようになったが、台形をした甑岳 (こしきたけ) や、 不動池、 そして先ほどの噴煙を上げている硫黄山などが見え、 まだ自動車なども通っていない静かな早朝の高原の光景に 暫し見とれてしまった。

道はやがて風化した溶岩の道に変わり、やや歩きにくくなったものの、所々に標識が付けられていて 今何合目かが分かるようになっていたのでペースを掴みやすく、 軽い足取りで高度を稼いで行くと、 徐々に霧島山群の全容が見えてくるようになり、 その地形の素晴らしさに心浮き立つ思いがした。

火口壁に沿った形で進んでいくと傾斜も緩んできて、やがて小さな標識が2つ程あるだけの韓国岳頂上に着くことができたが、 大きなコロシアムのようになっている火口壁の中で一番高い所を 頂上と定めただけであり、 なんだか頂上という気がしなかった。

それでもそこからの展望は素晴らしく、先ほどの甑岳は無論のこと、月のクレーターのようになった火口跡に水を満々と湛えている大浪池や、 やはりクレーター型をしている新燃岳が見え、 そしてその先にはやや逆光で見にくかったものの、 お鉢と呼ばれる火口を右に抱えた高千穂峰の姿を見ることができた。

また、大きな火口跡は20m位の絶壁に周囲を囲まれていて、広く平らな底部には下りられそうもないように思えたが、 あまり確かではないものの、 底部に石を並べて書かれた文字があるように見えたので、 どうも人間が降り立ったようである。

暫く周囲の景色を堪能した後、頂上を更に先に進んで獅子戸岳 (ししこだけ) への道を下りていったが、こちら側は今までと違って道がかなりガレており、 滑りやすく、 下りきるまでは少々苦労させられた。

下りきった所から道はほとんど水平となり、まだ咲き始めてはいないミヤマキリシマなどの群落の中を快調に進み、 獅子戸岳へも割合とスンナリ登ることができた。

獅子戸岳はほんの小さなピークで、そこを過ぎると急下降の道となり、まだ枯れ草も目立つ斜面ではあったが、 日当たりの良い場所ではミヤマキリシマ (と思われる) が濃いピンク色の花を1つ、 2つ程咲かせているのを見ることができた。

一旦斜面を大きく下ってから灌木帯の中を新燃岳 (しんもえだけ) に登り返すと、着いた所は大きな火口の一角で、 火口の底にはエメラルドグリーンの水が少々溜まっており、 また火口右縁からは噴煙が上がっているのが見られた。

先ほどの韓国岳の火口も絶壁ではあったが、そちらはもう既に壁の周りには草木が生え、周囲が緑色に染まっていたのであるが、 こちらの火口はまだ現役バリバリという感じで、 草一つなく、 荒々しい岩肌をむき出しにしていたのが印象的であった。

火口の周囲をグルッと回っていくと、徐々に登りとなって、やがて新燃岳頂上の標識に辿り着いたが、 そこから道は左に折れ、 今度は高原状の台地の中を進むこととなった。

ここでも草はまだ緑色にはなりきっていなかったが、ハルリンドウなどの花が咲いているのが認められ、 目を左上に上げれば、 高千穂峰がグッと迫ってきており、 その鋭角的に立ち上がっている斜面は、 丹沢などの山には見られない曲線を見せながら、 一気に頂上へと盛り上がっていた。

やがて中岳を過ぎると、かなり急斜面の下降となり、また道も岩混じりで歩きにくく、雨でかなり土が抉られたようになっており、 そろそろ出始めた疲れも伴って少々下るのに苦労させられた。

その下りを過ぎると、もうそこからは公園の一角のようになり、色々な表示板が現れ、道も石畳の遊歩道となって、 高千穂河原へと続いていた。

高千穂河原は今までの静けさとは全く正反対の状況で、広い駐車場には車が溢れ、売店には観光客が詰めかけており、 静けさと喧噪の大きなギャップにかなり戸惑ってしまった。

一休みした後高千穂峰へと登り始めたが、灌木帯を抜けると赤茶色のガレた急斜面となり、それがお鉢に向かって直線的に続いていたので結構きつく感じられ、 おまけに高校生の団体と遭遇してしまい、 ペースを自然に上げさせられたものだから、 途中モモの筋肉がつってしまう というようなことまで起こってしまった。

やっとのことでお鉢の縁に辿り着くと、目の前には韓国岳、新燃岳と比べてやや小振りではあるものの、 立派な火口が広がっており、 ここの火口も新燃岳と同様に生きているという感じで、 草木がほとんどなく、 一部に噴煙を上げているところがあった。

高千穂峰との鞍部に荷物を置き、火山礫の歩きにくい道をジグザグに登っていって、やっとの思いで頂上に着くことができたが、 着いた時間は 12時20分で、 今朝の出発から 6時間20分かけて縦走してきたことになった。

頂上小屋でうどんを食べたが、疲れた身体には本当に美味しく感じられた。
頂上には日章旗がはためいており、 また坂本龍馬も新婚旅行で見に来たという天の逆鉾もあって、 本当にはるばると九州の地にやってきたのだなあ という実感が湧いてきた。

ここまでの縦走路の方に目をやると、残念ながらモヤっていてよく見えず、目の前のお鉢だけしか見られなかったのは残念であった。

高千穂河原まで戻って、そこから霧島神宮への交通手段を考えたが、タクシーしかないようだったので、 それではとあきらめて歩いてみることにしたものの、 およそ8キロほどの道のりで、 背中の荷物が重く感じられ 本当に苦しかった。

やっと着いた霧島神宮では温泉に浸かって汗を流し、ビールで喉を潤した後、バスにて西鹿児島に向かった。
途中、 窓から桜島が見えたが、 噴煙をあげたその姿はどっしりとしていて男性的で、 なかなか魅力的な山容であった。

以下開聞岳の項に続く。

霧 島 山 登 山 デ ー タ

上記登山のデータ登山日:1990.4.28 天候:晴れ単独行前日泊
登山路:えびの高原(前日泊)−賽ノ河原− 韓国岳−獅子戸岳−新燃岳−中岳−高千穂河原−御鉢−高千穂峰−御鉢−高千穂河原−霧島神宮
交通往路:宮交シティ−(バス)−えびの高原(
交通復路:霧島神宮−(バス)−西鹿児島(泊:翌日開聞岳へ)
温 泉霧島温泉
その他:九州宮崎 〜 長崎出張を利用して登山実施。
4月27日仕事終了後、えびの高原まで行き、翌28日に霧島山登山。
その後西鹿児島まで移動。
その他の霧島山登山えびの高原−賽ノ河原− 韓国岳−獅子戸岳−新燃岳−中岳−高千穂河原( 1993.6.6:晴れ )


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