ヤーマチカ通信 No.49

感慨深く、晴れやかであるはずの卒業式と入学式を萎縮させている「国歌の強制」を憎みます…2001年3月8日号

1月末から三週間、またモスクワへ行ってきました。メイルホリドの命日と誕生日が相次ぐこの時期には、もてなしの準備で追われるマリヤさんを手伝うため、また、雪で足下が悪くなるこの時期にマリヤさんの杖代わりになるために、彼女の存命中は、何をおいても行こうと決めています。それに今年は、10年がかりでやっと完成した「メイエルホリド・センター」のオープンも重なりました。

1月19日の日比谷シャンテ・サロンコンサートはお蔭様で満員のお客様にお越しいただき、本当にありがとうございました。20世紀を、年代順のロシアの歌でたどるという企画に、同時期のご自分の思い出を重ね合せて懐かしんで下さった方も多かったようで、お書き下さったアンケートを大切に読ませていただきました。

ヤーマチカ通信も、いつのまにか、次回で50回を迎えます。ささやかな記念号に皆様の声も載せさせていただけたら、と思いまして、投書用紙県51〜60号分の通信費3000円の振替用紙を同封させていただきます。2〜3行でいいですから、通信欄にご自分の近況か自己紹介、またはヤーマチカ通信へのご注文、ご批判でも構いませんので、お書き下さったら嬉しゅうございます。ご職業欄には、「会社員」とか「自由業」っていうだけじゃなくてさしさわりのない範囲で具体的に書いて下さるとイメージできていいナァ…


オクジャワについて-掲載誌のご案内

先だっての日比谷シャンテでもオクジャワの歌を7曲歌いましたが、週間朝日百科「世界の文学78 ヨーロッパV-8 --パルテルナーク、スタスワフ・レムほか編」(朝日新聞社2001年1月21日刊・560円)の見開き2頁分(p.246-247)に<ロシアの国民的吟遊詩人オクジャワ>を書きました。オクジャワの写真や「紙の兵隊」の楽譜も載せましたので、興味のある方はどうぞ書店でお求め下さいませ。

今年6月9日にモスクワで国際オクジャワ・フェスティバルが開かれるそうです。「世界各国の<オクジャワ歌い>に揃ってもらいたいから是非出演して下さい」と、電話を受けたのは、モスクワ到着翌日の1/28でした。でも、あいにくその時期には、東京で、木山事務所公演「桜の園」に出ているので無理です、と断りました。

フェスティバルを番組にする「レンTV」のディレクターが「着物を持ってきているなら、帰国前に、録画しておけませんか?」と再び電話してきたのは、ナント、帰国前夜です。人員も機材もこれから探すとのこと。間に合いっこないやと、本気でとり合いませんでした。リハーサルはどうするの。ところが--翌朝9時半に迎えの車がきてユダヤ人経営の日本レストランで、ディレクター自らがシンセサイザーで伴奏して、2台のカメラ、10人のスタッフで、2時間。あっという間に5曲の録画を終えました。イヤハヤ、ロシアならではの見事なお手並み!


2001年1月27日-2月16日 in モスクワのマリヤさん宅

シベリアは厳寒、モスクワは…

モスクワやペテルブルクなどのヨーロッパ部はむしろ暖冬でした。三週間の滞在中、2月3-8日にマイナス15度程になった以外は、0度前後の暖かい日が続きました。その代わり、雪が多くて、道路がひどい渋滞。道端に掃き寄せた雪が1-2mの山をなし、大通り以外の道幅を半分くらいにせばめてしまうからです。

シベリア各地ではマイナス50度もの寒波に襲われ、しかも暖房・電気が止まっている町や村の、大変な窮状が毎日、テレビで報じられているのに、そのテレビを見ているモスクワの室内では、地域暖房がきき過ぎて、裸足、半袖のTシャツでなければ暑くてたまらないほどでした。まるでナンセンス・ギャグさながらのギャップです。シベリアや極東の燃料危機は数年来続いていますが、これまでは、主に、給料未払に抗議する動力会社のストや、燃料不足が原因でした。ところが今年のテレビで映し出されているのは、ソ連崩壊後、メンテナンスをまるきりしていなかったために、暖房スチームのパイプが腐食し、ボロボロに破れ、壊れている各地の様子です。スチームは送り出されているのに、途中のパイプがボロボロで、泥まみれの屋外のあちこちでむなしく湯気が吹き出している…。その結果、零下の室内で外套を着ても寒くて眠れず、人々は凍え、病気になり、死者も出ている。−そんな地方のニュースが連日です。ソ連崩壊後の地方の首長や官僚たちが利権漁りにウツツを抜かすばかりでやるべき職務を果たして来なかったツケ。来年以降、他の地方でもこうした事態が広がりそうで、暗たんとします。

犯罪都市モスクワ

2/5にまた爆破事件。夕方6時頃、地下鉄ベラルーシ駅のホームで少年を含む10人がケガ。イタズラなのか政治テロなのかは不明。これとは趣の違う、金品目的の凶悪犯罪は多発しており、テレビ各局はニュース番組とは別に、「犯罪モスクワ」(独立TV)、「パトロール」(TV6)、「ペトロフカ38」(TVセンター)、「当直課」(ロシアTV)など犯罪報道番組を設けています。例えば…新聞の「売ります、買います欄」を見て、直接自分の外車を売ろうとした人が。次々に10人、車ごと行方不明。ガレージに連れ込まれ、射殺され、地下に埋められていた。掘り出される全裸死体の映像。二人組の犯人は逮捕されたけど、背後組織については刺客を恐れて口を割らず、底知れない闇の組織(マフィア)の一端に過ぎないのです。

マスコミ対プーチン政権

プーチン大統領は、口では「言論の自由は守る」「ジャーナリズムによる政策批判は政府にとっても有益」と言い続けていますが、実際には、マスコミに政権への忠誠を強い、耳障り、目障りな番組や局の退治を推し進めている、と感じます。

これまで、純国営のテレビ局は「ロシアTV」と「文化」だけでしたが、51%国営・49%民営だった「公共TV」の実質オーナー、ベレゾフスキーを横領容疑で逮捕し、持ち株を政府関連企業に売却する条件で生命を助け(噂)、国外追放。民営最大手だった「独立TV」のオーナー、グシンスキーにも、昨年の逮捕時に政府の息のかかったガスプロム社に株を譲渡させ、保釈後滞在していたスペインでインターポールを通じ逮捕。これで両局とも、実質的な運営権は政府のものとなりました。

しかし納まらないのは、社長を兼ねるキセリョフをはじめとする「独立TV」のキャスターやスタッフたち。彼らはもともと、旧「ソ連中央放送局」の人気ジャーナリストたちで、自由な言論活動を求めて、「ロシアTV」、次いで「独立TV」へと移ってきた切れ者たちです。

番組を見る限り、「独立TV」の番組作りのコンセプトは変わっておらず、現在の事態についても対決姿勢を崩していません。人気の高い政治風刺番組「クークリ(人形たち)」も続いています。

1/29にプーチン大統領は「独立TV」の狩猟キャスター11人をクレムリンに呼び、会談しました。彼らの人気を利用したまま、取り込みたかったのでしょうが、不首尾だったようです。

マリヤさん

日本に帰国する2〜3日前から「今度はいつ来られるの?」と言って泣くのです。孫悟空みたいに分身を作れるものなら、ずっとそばにいられるのだけれど…

昨年秋のパリ行き以来、マリヤさん(76才)は、顔色もよく、元気になりましたが、足腰はかなり弱ってきて、地下鉄と徒歩ではメイエルホリド博物館へ通えなくなりました。(アパートの近くを通っていた路面電車が、第3環状道路建設のため廃止になり一駅分を歩かねばならなくなった上、工事でいたる所掘り返されている)。…以前には決して乗ろうとしなかったタクシーで週2-3回通うのがやっとです。モスクワでは正規のタクシーはめったに流しておらず、電話予約もあてにならない。白タクをつかまえるしかないのですが、寒い通りで、素通りされたり値段の交渉をしながら、10分くらい立っていると情けなくなります。最近はつかまえにくくなったし、提示額もこの一年で50% 程値上がりしました。

演劇

メイエルホリドの命日2/2と同・誕生日2/10にはメイエルホリド博物館に人々が集まってコンサートを催し会食をします。今年も、アルツィバーシェフ、フォーキン、リュビーモフら代表的な演出家や研究者たちが集まりました。今秋にはアルツィバーシェフが率いる国立ポクロフカ劇場の初来日公演(10/5-14 東京アートスフィアと大阪サンケイホール−観に行って下さいネ!)を控えてその打合せもあり、またオクジャワ未亡人オリガさんや窮地の年金生活者レフ&エリザベータ夫妻を訪ねたりしましたが、マリヤさんが去年と違って比較的元気だったので、夜は心おきなく、13本の芝居を観に出かけることができました。

***

日本では、「劇団員の知り合いがいる」ということは、多分、公演のたびに案内がきて、「切符を買って下さい」と頼まれるということではないかと思いますが、モスクワで、その劇場に知人がいる、ということは、「手に入らないチケットを何とか取ってもらえるかもしれない」ことを意味します。今回用に前回12月に来た時あらかじめ切符を買っておいたものもあります。9月-5月の間、日替わりで毎日公演していても、好評な作品は1ヶ月くらい前でないと、売り切れてしまうのです。

1/29 ルナー劇場「夜はやさしい」、1/30 諷刺劇場「長者たちの町」、1/31 青年劇場「黒衣の僧」、2/1 現代人劇場「桜の園」…マイッタ、マイッタ、改めて驚き入ります。700-1000席の劇場でも、どこも満員なのです。しかもチケット代はこの半年ほどでズンと値上がりした感があり、上記のよい席だと100-350ルーブル(423-1479円)で、市民にとっては決して安くないはずなのに…。(実勢レート 1ドル=28.4ルーブル=120円)その演劇王国に新たな「メイエルホリド・センター」がオープンし、話題をさらっていました。

「国立メイエルホリド・センター」開館2001年2月12日

テレビ各局のワイド・ショーや対談番組に、センター主宰者のフォーキンや出演俳優のミローノフが出て質問に答えたり、新聞・雑誌が特集記事を載せ始めた2月初めから、マリヤさん宅の電話が鳴りっ放しになりました。「メイエルホリド・センター」のオープン・セレモニーの切符を都合してもらえないか、という知人達からの依頼です

メイエルホリドの孫のマリヤさんならなんとかできるか、と考えたのでしょうが、マリヤさんはひたすら断りつづけました。二百席しか設けない当日の客席は、ひ孫までの直系と、演劇会のエリート、政府・市当局の要人招待客で目一杯。マリヤさんは主賓でしたが、私情でセンター当事者をわずらわせないと決めていました。

そばで電話を聞きながら、私は、演劇会のイベントがこんな風に大きな社会的事件になるロシアの不思議を、あ然としながら感じていました。マリヤさんの長男(52才)は、職場の上司の依頼に応えられず、板バサミになって、かなりマズイ立場に陥ったようです。(「私の席を譲りましょうか?」と言ったのですが、マリヤさんが許しませんでした)。


「メイエルホリド・センター」は、内容も運営形態も、ロシアとしては極めて常ならぬ新機軸に挑もうとしており、人々はその未来像を想像しきれずに、戸惑いも呼んでいます。「ロシア従来の劇場(レパートリー・システム、固有のキャスト、スタッフを構成員とする)ではなく、演劇私企業でも単なるテナントビルでもなく、研究・実験・上演機能を合せ持つ演劇総合センター」というのが設立趣旨。

演出家ワレーリー・フォーキンが「メイエルホリド(演劇)センター」を立ち上げたのは'91年でした。崩壊直前の旧ソ連政府から地下鉄メンデレーエフ駅前の土地を取得したものの、その後の度重なる経済危機のたびに、欧州復興開発銀行の融資保証をするロシアの銀行が倒産するなどして建設工事が中断し、最後の2年間はモスクワ市のバックアップを得て、ようやく10年がかりで基本的な建物が完成したのです。'99年に「国立」の認可を受けましたが、工費二千万ドルはすべて自己調達したもの。現在時点の床面積ニ万六千平米のうち、大小3ホールを有するセンター自体が使うのは四千平米で、残り部分はハイテク機器を備えた貸しオフィスとし、さらに今後、敷地内にホテルと中車場を作って、その収入をセンター運営資金にあてるというのですから、世間が驚くのも当然です。その理由をフォーキンは「知名度や金のない若く才能ある演出家たちに失敗を恐れぬ実験の場を提供し続けるには、先行きあてにならぬ国庫補助には頼れぬから」と言います。揺れ動く市場経済のロシアに全く新しいタイプの演劇機関が誕生したわけです。

メイエルホリドの創造パイオニア精神を受け継ぐ演劇工房になれるか−私も不安な思いで見守っています。


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Original by Shigemi Yamanouchi, (C) 2001
Last Update : 24, Jul, 2001
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