(* HTML編集者註 文中伏字は個人名です *)

ヤーマチカ通信 No.33

モスクワ二年滞在総集編…'98年5月16日号

スミマセン! 第33号は読者近況特集!と予告しましたが、次号に延期デス。ハガキ返送をなるべく3月末迄にとお願いしたのは、モスクワへ戻るまでにワープロ入力を済ませるつもりだったのですが…間に合いませんでした。2月末から二週間は、仕事の他に、亡くなったユーラがお世話になった方々へのあいさつや、最後の日々、そばにいた方々からお話をうかがい、こちらからはペテルブルグでの葬儀についてなどご報告するという大事な用事がありました。

3/5〜4/20は、ロシアの森繁久弥サンみたいな有名俳優セルゲイ・ユールスキーが劇団銅鑼の創立25周年記念公演「ボルクマン−氷の炎」の演出に招かれていて、毎日その稽古翻訳をしていました。その合間に、と思ったのですが、今回は長文のご報告が多かった上、留守をあずかってもらった●●●さんが住みやすいように私の荷物をダンボールに入れて小部屋に詰め込んでいたところ、ワープロをやっと見つけだせたのが離日一週間前。…というわけで、ハガキ返送はまだ間に合います。短めにお願いできれば…。次回はなるべく早く出しますので。

留守にしていた二年間に、ドリームコーポレーションは経営難から夜逃げ。好きだったライブハウス浪漫倶楽部も閉店し、案の定、帰国後の山内の前途は多難のようですが、貴重な体験をロシアで積め人生の忘れ物を一つ解消できた思いで、心は晴れ晴れです。引継ぎをして5/14に引上げてきました。


ふためぐりしたモスクワの四季

「いつのまにか季節は移ろい…」というのは、日本ならではの表現だったのですね。ロシアでは二〜三日で、時には一日で、いきなり季節が交替します。今年も、4月30日までは、ようやく雪解け後の黒々した地面に草一つなく裸木だったのが、5月1日、裸の枝に米粒みたいなものがついたかな、と思ったら二日間でみるみる新芽がふくらみ、やわらかい黄緑のもやのようになり、地面からかわいい草が生え出し、一週間後にはすっかり緑のじゅうたん。そして町中が新緑に包まれ、たんぽぽやチューリップが咲き出しました。気温も、4月末に十数度だったのが一気に摂氏25度位に急上昇。春をすっとばして冬から初夏へ一足飛びなのです。

去年10月25日の秋から冬への切り替わりはナント三時間だった。さわやかな秋晴れのその日、私は届け物があって、午後4時に市中から空港へ向かい三時間後に戻ってみたら、厚い行きが振りしきり、道路は凍ってスケートリンク化し、まるで別世界に変わっていました。翌日からはブーツと外套が放せぬ冬の到来でした。


嬉しかったこと

ショックだったこと

切なかったこと

メイエルホリドの孫娘マリヤさんとは、もう10年のつきあい。スターリン、ブレジネフ時代から、政府を相手に回し、祖父の名誉回復と、死の真相や業績を明らかにすることに生涯を賭けてきた彼女は、知り合った頃「笑ったり泣いたりすることがあるのかしら」と思うほど厳しい面差しの女性でした。それが4年前に43年間連れ添った夫君を後悔の残る亡くし方をしてから、身体の衰えもあり、涙もろくなって、私を、娘のように可愛がり頼っています。私も、彼女を、亡き母の代りのように感じています。

昨年夏頃から、「日本へ帰らないで」とよく涙ぐみ、帰国する前日、前々日も泣き続けました。日本でのキャリアも大切ながら、マリヤさんが生きている間は、なるべく頻繁に行き来できる生活レベルを確保したいというのが切なる願いなのです。

メイエルホリドが「寺子屋」を独語から訳しているので、彼の博物館に置くためマリヤさんが強く望んでいた歌舞伎の舞台模型を(株)松竹パフォーマンスと金井大道具(株)が寄贈という形で作って下さり、4月に届け、大喜びして貰えました。私からも深く感謝申し上げます。


ここから裏面です。

'96、'97、'98演劇十傑

モスクワ生活の基本は、月〜金ラジオ局出勤。土曜は歌の発声レッスン。週2回マリヤさんと小学校のロシア語教科書で勉強。その上、招かれれば、セバストーポリへもヤロスラーブリへもオムスクへも、局を休んで行かせてもらっていましたが、それでも、コンサート50回、オペラ・バレエ30回、芝居は150本以上、観たと思います。決して、精力的にとか、エネルギッシュにとか動きまわったというわけではなくて、モスクワに住んでいると、夕方5時に仕事が終われば、「さあ、今日は、何を見ようかナ」と自然に思えてくるのです。

開演は普通7時ですから、職場のカフェで軽く腹ごしらえをしてからでも充分間に合います。

高価なレストランは庶民には無縁ですから、食事に誘われて一晩つぶれるとか、飲んでいるうちに終電近くになる、といった日本での生活のようなことはありません。

会いたければ互いに家を訪ねあうし、外で会う場合には芝居やコンサートに誘い合わせて幕間や帰り道で話せばコトが足りてしまうのです。

チケットはたいがい20ルーブル(約440円)〜50ルーブル(1100円)。初演ものの良い席で60ルーブル(1300円)。去年11月に一時帰国した時、第二国立劇場の「安い方の席で8千円」に仰天し、今年2月末東京でオペレッタを観たら1万2千円。東京ではエイヤッと思わないと劇場に行けないのが悲しいです。物価が違うと言われそうですが、モスクワでは生活経費が少なくて済むから、やっぱり、演劇やコンサートは人々の生活に入り込んで、親しまれています。しかもロシアでは、音楽や演劇は、運動や教養ではなく、空気や食事のように根づいていますから、プロは圧倒的な伎倆を持っていて、至福の時を過ごさせてくれます。芝居は、持ち劇場でレパートリーシステム(日替り)ですから、飽きることなく、いろいろ観られます。

年毎にレパートリーは変わりますが、人気のあるものは残りますので、参考に、私のお勧め十選を書いておきましょう。ただし、7・8月はシーズンオフなので、夏休みに旅行なさっても、残念ながら、見られません。(価格は1ドル=6ルーブル=133円の計算)


ダントツ一位 「N市のホテルの一室にて」

メイエルホリド芸術センタープロデュース。ゴーゴリ「死せる魂」を、ワレーリ・フォーキンが脚色・演出。召し使いやお化けたちも登場するが、アヴァンガルド・レオンチェフの一人芝居に近い。この人はニキータ・ミハイルコフの映画の常連脇役だが、実はサヴレメンニク劇場のトップ俳優で実に達者。フォーキンは珍しく、劇場に所属しない演出家で、メイエルホリド芸術センターを主宰しながら、その都度、これぞと思う役者で座組みし、勝負を賭ける芝居を打つ。クレムリン脇のマネージ展示会場内にテントを張り、56人にしか見せないので、150ルーブル(3300円)と高い。時々しか公演せず情報も得にくいが、これ一本見るために日本から来ても惜しくないほど。欧米公演もしている。日本のどこかが呼ばないかな…。

二位 「砂の女」安部公房原作

私が一番敬愛するオムスク・アカデミードラマ劇場、ヴラジーミル・ペトロフの演出。若手のミハイル・オークネフと客演の荒木かずほの二人芝居。昨年の"黄金のマスク賞"で、最優秀演出家賞、女優賞、男優賞を総ナメしました。

稽古をしながら台本を練り上げていったこの芝居を、日本はもっと評価してよい。日本の静まり返った観客しか知らない日本の劇団がロシア公演すると、ロシアの観客の反応の良さやカーテンコールでのブラボーの声に「わかってもらえた!」「大成功!」と大ハシャギする例を見るが、実は、「余りにも異質な舞台芸術」「日出ずる国のエキゾチシズム」と、異国情緒でしかとらえられていないことは、住んでいるとよくわかる。ビジュアルな印象は強くても、心に届いていないのだ。

でもこの劇は、ロシアの観客の心をぐいぐいつかみ、人生観や世界観や情緒に直接打ったえかけ共感を得ることができた。

日本の題材による芝居がこれほど「共感」を勝ち得、日本人俳優が立ち合ったのは初めてで画期的なこと。

この劇団の「三人姉妹」もシェークスピア物も大好き。

三位 「五つの夜に」

マーラヤ・ブロンナヤ劇場、セルゲイ・ジェノヴァチ演出。

昔映画化されたこともあるヴォロージンの戯曲。日常的で淡々とした舞台だが主演女優のナージェダ・マールキナが素晴しい。ことさら芝居をしていないようなのに…

ドア部分をコンテナのように小さく独立させ、組合せや並べ方でいろいろな場所を表す装置もユニーク。

四位 「小喜劇集」

マーラヤ・ブロンナヤ劇場

同じくジェノヴァチ演出だが、こちらは対照的に芝居臭さを巧みに使ったトゥルゲーネフ三連作の喜劇。

五位 「希望という名の小さなオーケストラ」

パクロフカ劇場、セルゲイ・アルツィバーシェフ演出。

60席の小劇場なので一ヶ月位前にチケットは売り切れ、旅行者には入手が難しいでしょう。私は、役者としてはこの劇場に入り浸っていたい。さりげない演技のすみずみまでが本物に感じられる不思議で瑞々しい演技術をもった劇団だから。この作品は、ありふれた現代庶民の哀歓を綴った三作家三戯曲のオムニバスだが、どれも身につまされ、心がふるえる。

六位 「カラマーゾフの兄弟(屠殺市(し)にて)」

タガンカ劇場。昨秋80才になった(とても見えない)ユーリー・リュビーモフ台本・演出の新作。開演時刻になると、「陪審員の方どうぞ」という声で、現在の普通の服を着た、観客とも思える10人程が客席一列目に座り、客席通路中央の小机に時代物衣装の裁判長が着席すると、「被告人入廷」の声で、手縄をつけられたドミートリが引き立てられてきて舞台上へ立たされる。つまり劇場をそっくり裁判所に見たて、観客は傍聴人になって、彼の父親殺しの真相究明に立ち合うわけだ。

若い観客が割と多い。カラマーゾフ三兄弟とスメルジャコフが、「青春とは?」−「神だ」「金だ」「愛(リュボーフィ)だ」「暴力(血、クローフィ)だ」とそれぞれ主張し、「まず先にパンをくれ、そしたら誠実に働いてやる」とロック調で歌うなど、人生の価値や目標を見いだしかねている現代のロシアの若者たちを扱ったかのような青春群像ミュージカルとなっている。

ここの「未成年」でも、物乞い、ストリートミュージシャン、ピンハネなど、ドストエフスキー作品が驚くほど現代をも活写していたことに気づかされる。

七位 「追善の祈り」レンコム劇場

シュラム・アヘイラム原作、マルク・ザハーロフ演出。ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の原版なので、ロシア語がわからなくても理解でき、素直に感動できる舞台。(後半一部筋が違うが)。

私はこの作品以外はあまり買わないのだが、レンコムは何故か大変人気があり、ダフ屋も必ず出ているので、三倍位払えば当日でもチケットは手に入る。

八位 「最後の皇帝の最後の夜」

メイエルホリド芸術センター・プロデュース。エドワルド・ラジンスキー作。フォーキン演出。やはりマネージのテント公演だが、舞台をサーカスのアリーナのようにしつらえ、階段席に百人位入れる。

ニコライ2世一家の銃殺に関わった老若二人の男が精神病院に入れられていて、皇帝一家監禁を回想し、銃殺に至る真相を激しく追及しあう。

エヴゲーニ・ミローノフ(タバコフ劇場)とミハイル・ウリャーノフ(ワフタンゴフ劇場)という新旧実力派人気俳優のぶつかりあいが、息もつかせない。バレエやマイムを使った幻想的な回想シーンや生の弦楽四重奏団を配して、フォーキンの舞台は、いつもグロテスクと音楽性に満ちた意欲作。

九位 「題名のない戯曲」マールイ・ドラマ劇場

5月初めに見たばかりで印象が生々しく、とりあえず九位としたが、時間が経てば私の中で順位が上がるかもしれない気がする。チェーホフが18才の時に書いた未完の長編戯曲(日本では「プラトーノフ」とされる例が多い)。ドージンにはいつも仰天させられるが今回も"過剰な芝居"。演劇祭の時、モスクワ芝居座で見たが、客席も演技空間も、舞台上しか使わない。奥行きが25mもあるロシアの舞台だからできること。460人も座れる階段席の足下に砂浜。湖の一部を4−5人泳げるプールで造り、その上に二階建ての別荘。登場人物たちが泳いだり、シャワーを浴びたり、ドレスに着替えて、食事に集まったりと、気ままに夏を過ごしながら、殺人へと発展する過激な会話を交わしている。8人の給仕が装置転換係兼傍観者のように黙々と立動く。彼らを含め、全出演者が楽器を演奏。花火が舞台全面に火の粉を散らし、全裸アリ、泳ぎまわり…。3百ルーブル(6千6百円)とベラボーに高いチケットだった。

「三文オペラ」サチリコン劇場

ウラジーミル・マシコフ演出。スピード感溢れるブレヒトのミュージカル。


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Original by Shigemi Yamanouchi, (C) 1998
Last Update : 29, Jul., 1998
by The Creative CAT, 1996-