ヤーマチカ通信 No.27

1996年よ さようなら!
(モスクワ便り II)…'96年12月30日号

ナント、ナント、もう今年も終わりですか!

折角のネズミ年だったのに、モスクワにきたとたん山之内は「眠れる獅子」ならぬ「眠りこけたネズミ」になってしまったのでしょうか!

一度、何もしないで、ザンブリとロシアの水に漬ってみようとは思ったものの、そして同じことなら、なるべく一般のロシアの人々と同じ目線でモスクワ生活を体験してみようと、給料の安いロシア国営のラジオ局でにわか国家公務員を始めたものの…効果があり過ぎて、最初の2ヶ月で4kgヤセるという耐乏生活になって目を白黒させました。(物価は日本並み、月給は日本の1/10以下なのだもの)

そして目と耳だけは外に出して感じとるロシア社会は、まことにわけのわからない 「ワンダーランド」でございます。

ではかけ足で1996年後半のロシアをプレイバック!

(今年は例年にない暖冬といわれたモスクワも
今日はすっかり雪景色、12月15日記)


新生ロシア初の大統領選挙

それなのに、就任してすぐ重病で実質的に大統領席が空白なんていう国が他にあるだろうか!!

6月16日の一次投票にも、7月3日の決選投票にも、市内の投票所をのぞいて歩きました。赤ちゃんを抱いた若夫婦、杖をついたおばあさん、ウォークマン片手の学生風カップル、…うららかな休日に三々五々下駄履き感覚で投票所を訪れる、のどかな選挙当日風景は、日本と変わらないものでした。でも、そののどかさ自体が、ソ連時代との画期的な違いを意味していました。

どの投票所にもピンクや赤い布が掛かった記入のための仕切りが3つか4つ並んでいて、人々はその中で書いて、出てきて、投票箱へ用紙を入れるのですが、ソ連時代にも同じような仕切りはあったものの、カーテンの中へ入るなど、とんでもないことだったそうです。

当時は、実質的には共産党推薦の候補が一人だけの無風選挙。カーテンの中へ入ること自体が反政府行動を意味し、また、投票に行かなくてもあとで懲罰の対象となるので、いつも限りなく100%に近い、投票率でした。ですから、ラジオ放送していて困ったのは、有権者と投票者を区別するロシア語の単語がないことでした。「投票率」という概念が、今までなかったのです。


アトランタ・オリンピック

感動的だったのは、開会式で旧ソ連のそれぞれの現独立国がばらばらの順序で−現在の国名のアルファベット順で、それぞれのユニフォームで国名を掲げて、軽やかに誇らしげに入場行進してきた時でした。

ブルー系でまとめたエストニア、すっきりしたベージュのラトビア、草色のリトアニアなバルト三国の洗練されたセンスはさすがでした、CIS諸国も見ていてなかなか楽しかった。生成り(きなり)ズボン、スカート、上着に、草色のスカーフとネクタイをあしらったウクライナもカッコ良かった。

でも私は、白地に、五輪の5色のカケラを軽やかに遊ばせていたロシアチームのユニフォームに大喝采しました。ソ連も、いえロシアも本当に変わった。この軽快なセンスで進んで行ってほしい!(それにひきかえ、「ロシアの声」の旧態然とした大時代的なテーマ音楽には、うんざりします。各職場の上司は、前時代的なカタブツが残っているのでしょう。または単にセンスがついていかないだけなのか…)。日本チームのユニフォームはちょっと重かったネ。残念。ロシアのテレビ局4社がそれぞれ独自の取材班をアトランタに送り込んで中継を競い合っていたのもソ連時代には考えられないことでした。

でも日本のように国を挙げてオリンピックに沸き返り勝敗に一喜一憂するというエキセントリックな光景はこちらにはありません。テレビで、ファンとして、スポーツ観戦を楽しむものの、待ちはいつも通り静かなものでした。


犯罪&テロ

6月に来てからすぐに市中で3回の爆弾テロ。11月にも死者十数人を出した墓地でも爆弾テロ。また、私たちもよく通る地下鉄からの連絡通路でアメリカ人ビジネスマンが射殺され、壁に弾丸の跡が残っています。

「第6チャンネル」テレビが、毎日深夜に、その日の犯罪・事故を伝える「街角パトロール」という10分番組を放映しているのですが、それによると、モスクワ市内の殺人は毎日4〜5件、交通事故約20件。こちらのテレビは、現場や死体をそのまま克明に写すので、夜寝る前に見る番組としては、たびたびは正視できず、たまにチャンネルを合わせるだけにしています。

身近でも、ラジオ局の日本人男性同僚が夜道で二人組の強盗に襲われたり、ロシアではありませんが東欧旅行中に持ち物を盗られ半死半生の目に遭いました。政治家が殺されない国になって喜んだのもつかのま、現在のロシアでは、金銭をめぐって、いとも簡単に人が殺されます。健全な素人企業家が育ちえない悲しい現状です。


華麗に変貌する町並

町を歩いていて、「アラ、こんなところに、こんなきれいな建物が!」と思ったり、バスの窓から「アラ、ディズニーランドでもできるのかしら」と思うような、おとぎ話風のしゃれたピンクや黄色の美しい建物が出現したとすると、ほとんど例外なく、銀行か、高級家具店です。何十万円もする高級家具がバンバン売れ、夜のTVショッピング番組で、2万円から10万円相当の宝石や毛皮の宣伝が毎夜3つのチャンネルで長時間繰り広げられています。(買える人もたくさんいるということなのダ!)。

その一方で、年金は6千円か8千円。学校教師や医者など国家公務員の月給は、6千円から1万円。(国営ラジオ局の外国人職員である私の基本給は、8千円、それに翻訳料などいろいろ手当がついて、計、2万円弱)。しかも国家公務員の給与未払いはすごい勢いで広がっていて、春以来、月給を受け取っていない人が全国で6500万人もいます。みんな、どうやって食べているのダ?


ここから裏面です。

物価

現在のモスクワでは、お金さえあれば何でも買えるといってもいいでしょう。困るのは単純な横罫のレポート用紙や便箋を売っていないことと、コピーが簡単にできないことくらい。ソ連時代とは別世界です。ただ値段も欧米並み。山之内の2万円弱の月給は、ラジオ局のロシア人同僚の1.5倍以上なのですが、それでもとても足りません。あなたなら、どうやりくりしますか?
(р…ルーブル。レートは6月初旬1ドル=5050р、12月中旬1ドル=5540р)
<食品・嗜好品> <通信・交通・生活雑貨>
黒パン一斤3000р(60円) 公衆電話1500р(30円)
ジャガイモ1kg3000р(60円) 地下鉄・バスetc1500р(30円)
玉ねぎ1kg5000р(100円) 地下鉄1ヶ月定期券90000р(1800円)
にんじん1kg3000р(60円) 全市内交通1ヶ月定期180000р(3600円)
トマト1kg10000р(200円) ヤカン(2l)61000р(1250円)
キャベツ中1コ(2kg)10000р(200円) 片手鍋30000р(600円)
リンゴ1kg10000р(200円) トイレットペーパー一巻ロシア製1400р(28円)
バナナ1kg5000р(100円) トイレットペーパー一巻外国製3800р(76円)
ハム1kg34000р(680円) シャンプー20000р(400円)
チーズ1kg27000р(540円) ヘアームース16000р(320円)
レモン1コ3000р(60円) 洗剤(750g)11000р(220円)
卵10コ6000р(120円) 折りたたみ傘60000р(1200円)
スパゲティ(500g)5000р(100円) 電球(100W)1700р(34円)
カップヌードル5000р(100円) 単3電池(2本)9000р(180円)
コーン缶詰6000р(120円) フジフィルム(36枚)26800р(536円)
マーガリン(500g)8000р(160円) TDKビデオテープ(200分)21000р(420円)
缶コーラ5000р(100円) FAX用紙(A3 30m)18000р(360円)
ジュース1l6500р(130円) 新聞(イズベスチヤ)800р(40円)
牛乳1l5000р(100円) 週刊テレビガイド4000р(80円)
紅茶ティーバッグ(25袋)7500р(150円) バラの花1本15000р(300円)
インスタントコーヒー(100g)7500р(150円) ストッキング76000р(1520円)
ロシアの友人たちに「どうやって生活をなりたたせているの?」と聞くと、「ダーチャが助けてくれる」と言います。600〜1500平方メートルのダーチャは家庭菜園と化して、冬の保存食料も夏の間に貯えています。でも殆どの国家公務員は2〜3のアルバイトを兼業。


マスコミ

大統領選挙の前には、こぞってエリツィン応援団と化してしまったテレビ各社は、エリツィンの大統領就任後、すばやく鎮静化して、辛口の政府批判もするようになりました。外国からの選挙監視人たちが、選挙期間中の、マスコミのあからさまなエリツィンびいきに警鐘を鳴らしたことも多少効果があったのでしょうが、それより、言論機関自体が、共産党時代の閉塞感や言論統制、国有化を、なり振りかまわず阻もうとした現象だったせいのようです。とにもかくにも自由な現体制を確保した上で、今度は平気で、政権に対しても批判性を取り戻しています。皮肉なことに、共産党や自由民主党が、ソ連時代にはなかった健全野党の役割を果たしている趣きもあり、テレビも彼らの発言を積極的に取り上げています。なお二年間のチェチェン戦争の取材中に巻き添えで亡くなったジャーナリストは25人にのぼりました。


劇場&音楽会

ロシアの芸術シーズンは9月から翌年5月までが普通で、どの劇場も10本程のレパートリーを日替りで上演するので、モスクワだけで50余りある劇場を見て歩くのは忙しいことこの上ありません。しかも生活苦であるはずなのに、どの劇場もいつも満員です。話題作が多過ぎて目が回りそう。チケット代は15000〜60000ルーブル(300〜1200円)。劇場の人気度によって違います。

ボリショイ劇場は別格で75000ルーブル(1500円)ですが、余程のツテがないと正規の値段では手に入らず、ダフ屋からだと50ドルが相場。クラシックのコンサートは10000〜50000ルーブル(200〜1000円)で素晴らしい演奏が堪能できます。


ロシアの声、こちらはモスクワからの日本語放送です

かつては女優の故・岡本嘉子さんも放送に携わっていらした"悪名高きプロパガンダ放送"(??)(私も学生時代に聞いて、そう思っていました)の旧モスクワ放送局。

今は時代も変わり、基本的には自由な放送局になりました。でも時には「ン?」と思うような記事を訳して読まねばならぬ時もあり、読みたくない!と思ったりします。

たとえば、大統領選挙の直前には、「ロシア軍がチェチェン軍をせん滅した」という「そんなバカな!」と思うような記事がまぎれこんできましたし、ロシア政府の方針の変化に応じて、放送上のチェチェン側勢力の呼び方が「ならず者集団→分離主義者たち→野党勢力」と変化してきています。日本の新聞が用いているような「独立派」という呼び名に変わるには、まだ1〜2年はかかるでしょう。国営ラジオ局の限界です。でも私にとっては、こうしたズレや変化そのものが、ロシア社会の現実を物語る証左として興味深いものがあります。

その代わり、後半の30分間は独自取材も含めて、楽しみながら作っていますので、たまにはダイヤルを合わせてみてください!

周波数は、中波:720, 630 短波:7380, 7151
(入力者註:ここに番組表がありますが、省略。22:00 - 23:00の日本語放送の内、前半30分が問題のニュース/ニュース解説、後半30分が月曜日から日曜日まで日替わりで、月〜金が「科学と技術」、「文化の世界(**)」、「スポーツ(**)」、「ヤングウェーブ(*)」、「リクエスト音楽(*)」、土日が「お便りスパシーバ(*)」。(**)はレギュラー出演、(*)はイレギュラー出演。)
毎月最終月曜日は「科学と技術」の代わりに交流番組「ドゥルージバ(友情)」
毎月最終金曜日は「リクエスト音楽」の代わりに「モスクワ・エクスプレス」


(1996年7月19日朝日新聞衛星版より引用「地球大通り」。この項省略)
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Original by Shigemi Yamanouchi, (C) 1997
Last Update : 25, Sep., 1997
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