『みるな』十年

これまで何度かリサイタル(他)の記録をさせていただいた縁(他)で、五十嵐郊味先生から中学生音楽鑑賞教室『みるなの座敷』のビデオ撮影を依頼されました。この作品は中越の民話をもとにしたオペラで、越後の風物や言葉をふんだんに取り入れた台本を若林一郎さんが書いています。1996年に初演され、新潟県内各地で演奏された後、長岡の中学生を対象とした音楽鑑賞会の演目として途切れることなく演奏され続けてきました。創作オペラは随分流行りましたが、これほどロングランしている曲も珍しいのだそうです。

長生きの秘訣の一つが、ハイライト版を作ったことにあるのでしょう。有名な『夕鶴』はかなり小編成な室内管弦楽団を用いて、オペラを上演する設備のない通常のコンサートホールでも演奏できるように工夫されていますが、『みるな』ハイライト版はもっと小編成です。本来はフル編成の管弦楽と合唱団を従えた大規模なオペラで、2時間30分かかるそうですが、このハイライト版はソリスト二人(ソプラノ、テノール)、合唱八人、室内楽アンサンブル(Vn, Vc, fl, Cl, Pf)、語り一人の16人の演奏者がいれば演奏できるようになっています。演奏時間も60分弱です。

こんなに小さな編成ですが、作曲の石島正博さんは室内楽や合唱に長けた方のようで、色彩豊かな音を繰り出してきます。日本調を交えた親しみやすい旋律ですが、いくつかの動機が曲全体を通して繰り返し繰り返し現れ、引き締まった一貫した構成を感じます。何より素晴らしいのが、オペラの様々なスタイルをきっちりと見せてくれる点です。規模の小ささを忘れて「ああオペラを観たなあ」という満足感があります。特に今回は作曲者ご本人の指揮です。

しばらくビデオだのレコーディングだのからは離れていまして、愛機・中古のNV-DJ1も埃をかぶっていました。どうも自信がなかったので、作品の細かい所を確認する為にも、前日のゲネプロからハコに入れてもらいました(まあ、ビデオ機材関係では問題でまくりでした。ゲネプロで確認して良かった…)。小規模な分、照明には力が入っていますので、最低でも三板のカメラが必要ですし、安物でもリーベッククラスの三脚が必要です。DJ1は松下の総力を結集した初の家庭用デジタルビデオカメラで、民生用としてはダイナミックレンジの広い、明るく撮れるカメラとして当時は有名だった製品です。このカメラで合唱や琵琶や五十嵐先生など声楽のリサイタルを何本も撮ってきました。ところが、これほど照明が凝っているとカメラの性能もカメラマンの腕も力不足で、着物の色を飛ばさないようにすると背景のほのかな明かりが撮れず、マニュアルフォーカスがうまくいかないので、暗い所ではピンぼけになりがちでした。業務用のカメラが欲しい…

長年やっているだけあって、二人のソリスト(内山信吾さんと五十嵐先生)の息はぴったり。ゲネプロ、午前の部、午後の部で少しずつ芝居が変わっているのですが、アドリブなんだそうです。沢山ある音楽的な聞き所の中から一つだけ挙げると、十二月の場面の「おゆきのアリア」でしょうか。明るい家庭と新年を夢見る詩に美しい曲がついていますが、声の表現が寂しさを秘めていて、その希望が叶えられることはなかったのだということを密やかに告げています。何度みても、プレイバックを聞いても、じわっとくるところです。ビジュアルには何といっても十五夜。パンフレットの写真にもなっている場面ですね(これはまた象徴的な場面でもあるような気がしますが…)。これも観るたびに背中にぞくぞくが走ります。こういうのは絶対三板で撮るに限ります。ああ、業務用カメラが…

主宰者のご好意でゲネプロに小型のマルチトラックレコーダ(TASCAM 2488MK2)を持ち込ませていただき、バウンダリとねこさんマイクを並べてある程度パートバランスを取り直した上で「聞くためのCD」を作ってみました。愛用してきたDA-38BとTM-D1000の組み合わせとほとんど同等の作業が、客席に置けるような小型の一体型MTRでできてしまうのですから、楽になりました。24bitで録れるので、無理してきちきちにレベルを追い込んだ結果クリップするようなこともなく、音自体も決して負けていない感じです。ファントム付きのXLRが4chあるので4枚のバウンダリをつなぎ、ねこさんマイクペアはねこさんマイクプリで受け、会館の吊りマイクのラインと含めて計8chです。本番当日は2488のかわりに最後の「押さえ」としてAT-815bとDR-1を持ち込み、客席の最後部からワンポイントで狙いました。音源が遠いので音の眠さはしかたがありませんが、結局はこれが一番バランスの良い、臨場感ある音になりました。演奏者と指揮者の力は凄いなあといまさらながら思い知りましたね。それとDR-1のコストパフォーマンスは素晴らしいものがあります。

会場の長岡市立劇場は古い施設ですが、大ホールは舞台の間口が広く、1500のキャパがあります。一階席二階席三階席めいたものがありますが、明確には区切られておらず、一つの大きなハコになっています。長岡には他に長岡リリックホールがあり、県内でも一二を争うクラシックの演奏会向きホールですが、キャパの点で不足があります。この1500の内、前から1000席程に長岡市とその周辺(大合併で全部長岡市になったんじゃなかったっけ)の中学二年生が座り、一般の市民も、葉書で応募すれば、後の方の席につくことができます。私も以前五十嵐先生から「聞きにこないか」と誘われたことがあります。その時はまさかビデオを回す日が来るとは思いませんでしたが。815bで狙って気付いたのですが、上演中、中学生の無駄口がほとんど聞こえません。60分弱という長さが適当なのでしょうね。一般席からは終演後にすすり泣きが聞こえてきました。

主人公は最後に「荒れ果ててはいても、恋人の記憶の残る故郷に帰ろう」といいます。いたましい中越震災の被害に遭われた方々への励ましになったとしたら、素晴らしいことです。先日ナナハンに乗り、震災以来初めて山古志に行ってみました。新しい砂防の群れが光を放ち、崩れた山肌に緑が蘇りつつありました。自然の力の凄さを改めて思い知りました。その一方で、人の文化は簡単に消えてしまいます。十年に亘って毎年4000人の中学生に、小規模ではあるけれどもオペラのエッセンスを詰め込んだ、正真正銘、本物の芸術作品を紹介し続けてきた関係者の努力と創意に頭が下がると同時に、この活動が十年二十年三十年と続いていくことを願って止みません。

17-22, Nov., 2008