This is a Japanese translation of H. P. Lovecraft's "The Music of Erich Zann" by The Creative CAT.

註:これはH. P. Lovecraftの"The Music of Erich Zann"を日本語に全訳したものです。この訳には、現在では放送することのできない種類の、身体的な障害及び疾患についての語が出てきます。相当する語句が原文に出てきており、その趣を損なわないためですので、その種の語に抵抗がある方はお読みにならないことをお勧めします。なにぶん古い作品ですのでご了承ください。

エーリッヒ・ツァンの音楽

H. P. ラヴクラフト著
The Creative CAT訳

その町の地図を丹念に調べたが、オーゼイユ街(*1)を再び見つけることはできなかった。名前というのは変わるものだと知っているので、現代の地図以外にも当たってみたのだが。そればかりか、その地の古い建物全てを調べ上げ、オーゼイユ街として知っていた街に該当しうる全ての地区を、どんな名前であっても、実際に足を踏み入れ探ってもみた。不面目なことに、これらの調査にも関わらず、結局、その家も、その街路も、どの辺であったのかすら見つけだすことができない(*2)。哲学科の貧乏学生としての最後の数ヶ月を送り、エーリッヒ・ツァンの音楽を聞いたその場所について。

記憶が失われているのは不思議なことではない。オーゼイユ街に住んでいた間はずっと、心身ともに酷く健康を損ねていたからだ。元来つきあいの少ない私であるが、そこでは一人の知己もできなかったと思う。しかし、その街は大学から徒歩で半時間もかからない所であり、一度でも行ったならば容易には忘れ難い程風変わりな所でもあったので、再び見つけることができないというのは奇妙で困惑させられるものである。オーゼイユ街を見たことがあるという人には一度も会ったことがない。

オーゼイユ街は暗い川を挟んだ街で、黒い石造りの重々しい橋に沿って広がっており、その川岸は切り立った煉瓦造りの窓の曇った倉庫群で囲まれていた。近在の工場地帯からの煤煙によって陽光が永劫にわたって遮られているかのように、川のまわりは常に翳っていた。川はまた酷い悪臭を放っており、このような臭いは他では嗅いだことがなかった。再びあの街を訪れることがあれば、臭気のおかげでそれと簡単に気付くことだろう。橋の向こうは、手すり(*3)のある丸石敷の細い街路だった。その先は上り坂になっており、最初はなだらかに、次第に急峻に、街の突き当たりまで上っていった。

私はこれまでに、オーゼイユ街程狭く坂の急な街を見たことがない。それはほとんど崖と言えるもので、いかなる乗り物をも拒んでいた。彼方此方に長い石段があり、街の先はツタの茂った高い壁で終わっていた。舗装もバラバラで、平石であったり丸石であったり、あるいは露地に厄介な緑灰色の草が生えていたりした。家々は背が高く、とんがり屋根で、信じられないくらい古く、狂気のように前後左右に傾き、分解寸前であった(*4)。時として街路の両側の家が手前に傾いており、ほとんどアーチのように頭上に倒れ込んでいた。そのため、地面には陽の光もあたらない程だったのだ。街路を跨いで家と家を繋ぐ橋も見受けられた。

街の住人の奇妙さも印象に残った。最初は彼等が皆静かで寡黙であるからだと思っていたが、後に、彼等が一人残らず大変高齢だからだと判った。自分がこのような街に住むようになった理由は判らない。引っ越した当時は自分で自分のことが判らなくなっていた。家賃に窮して追い立てられ、貧困地域を転々とし、とどのつまり転がり込んだのが、中風のブランド(*5)が大家をしているオーゼイユ街の崩れそうな家だったのである。街の頂上から三軒目の家で、他の家より抜きん出て高さが高かった。

借間は五階にあり、その階に他の店子はいなかった。家全体がほとんど空だったのだ。引越したその夜、頭上の尖った屋根裏から風変わりな音楽が流れてくるのが聞こえたので、その翌日老ブランドに尋ねてみた。年老いたドイツ人のヴィオル弾きで、偏屈な唖であり、エーリッヒ・ツァン(*6)と署名したという。夕方になると貧乏劇場の楽団で演奏しており、夜帰宅した後も演奏したいので、高い所にある孤立した屋根裏部屋を所望した。その部屋にある破風の窓は、この街を囲う壁を超えて、その外に広がる下り坂と眺望を見られるはずの唯一の場所であった。

その後私は毎夜、ツァンの演奏を聞いた。それはこの世の物とも思えない音楽で、とても眠れるようなものではなく、私は取り憑かれてしまったのだ。音楽芸術には疎いのだが、その和声はそれまでに聞いたいかなる音楽とも関連がなかったと断言できる。彼は極めて独創的な作曲家だったのである。聞けば聞く程に惹きつけられ、とうとう一週間後、老人に会ってみようと思い立ったのだ。

ある夜私は、仕事帰りのツァンを廊下で待ち構え、貴方のことを教えてくれないか、また演奏中そばで聞かせてくれないだろうかと頼んだ。彼は小柄で痩せっぽちで、背筋が曲がっていた。見窄らしい服を着ていて、青い目とサテュロスめいたグロテスクな顔をしており、ほとんど禿頭だった。私の初めてかけた言葉に、怒りと戦きを感じたようだったが、見え見えの馴れ馴れしさでついには彼を懐柔することができた。不承不承、身ぶりでついてくるよう示し、屋根裏に続く暗くてきしるがたがたの階段を上がって行った。彼の部屋は深く切り立った屋根裏部屋が二つあるうちの西側で、街を登り詰めた所にある高い壁に向かっていた。大きな部屋であり、がらんとして荒れ果てた様子が、ますますその部屋をだだっ広く見せていた。家具といっても、鉄製の小さな寝台、うすぎたない洗面台、小さなテーブル、大きな本箱、鉄の譜面台、それに古風な椅子が三脚あるだけだった。床の上には、ちらかされた楽譜が積み上がっていた。壁は生木の板で恐らくは一度もしっくいを塗ったことがないと思われた。埃と蜘蛛の巣だらけの部屋は、住人よりさらに荒廃して見えたのだ。明らかに、エーリッヒ・ツァンの住まう美の世界は遥か遠い想像上の宇宙の中にあったのである。

座るよう身体で促しながら、その唖者は扉を閉め、大きな木の閂をかけ、手にしていた蝋燭に更に一本加えて点した。そこで虫食いだらけのケースからヴィオルを取り出すと、椅子の中で最も具合が悪くないのを選んで座った。彼は譜面台を使わず、曲の選択の余地を与えず、暗譜で演奏した。演奏は一時間以上に渉ったが、これまで耳にしたことのない旋律に私は魅了されたままだった。それらの曲は自作のものであったに違いない。音楽の門外漢故、どのような曲であったか正確な描写はしかねるが、それらは、複数のこの上なく魅惑的な走句が繰り返し回帰する遁走曲の一種だった。しかし、階下でこれまでに聞いた怪異な音律が全く現れなかったことにも気付かされた。

私はそれらの音律に取り憑かれ、覚えてしまっていて、しばしば一人で、鼻歌や口笛で不正確ながらそれをなぞってもいた。そこで、奏者がついに弓を持つ手を下ろした時、その内のどれかを弾いてもらえないものかと頼んだ。半獣神のような顔も、演奏中は忍耐強い平静さに保たれていた。しかし私の望みを聞くとすぐに醜い表情に戻り、最初に話し掛けた時と同様の、怒りと戦きが奇妙にないまぜになった顔つきになったのだ。初めは年寄りのむら気であろうと軽く見て、説得してやろうと考えた。そればかりでなく、主人に怪異な気分を起こさせるために前夜聞いた旋律をいくたりか口笛で吹くことすらした。ところが、それは寸刻も続かなかった。口笛の曲を耳にした途端、唖の音楽家は到底分析できない表情に顔を歪ませ、長く冷たく骨張った右手を延ばして私の口を押さえ、粗雑な模倣を押し殺したのである。同時に、なんとも頭がいかれたことに、ただ一枚のカーテンが下がった窓の方をびくびくしながら睨んだのだ。まるで何か恐ろしい侵入者がいるかのように。そのように睨むのは二重の意味で馬鹿げていた。屋根裏部屋は高く聳えていたし、近所の屋根からは近付くことができなかったからだ。大家が言ったように、その窓は急坂の街の中でも壁の頂上を越えた向こうが見られる唯一の点であったのだ。

老人の視線で、ブランドの言葉を思い出した。私はふと、外に広がる目も眩むような光景、丘の向こうにある月明かりを浴びた屋根や街の灯を見たくなった。オーゼイユ街の住民の中で、それを見られるのはこの蟹のような演奏家だけなのだ。窓まで進み、これからそのありふれたカーテンを開けようとしたその時、唖の間借人は私を止め、以前にも増して戦くような怒りをぶつけてきた。今度は頭を扉の方に向け、両手でもって私をば引きずり出すべく神経質に試みたのである。私は彼にまったく愛想を尽かし、手を離せ、すぐ出て行ってやると言った。私の嫌悪と反感を見て取ると、彼の怒りは萎えていくようだった。ゆるめた手を今度は親しみを込めて握り直すと、椅子に座らせ、思いに沈む様子で散らかったテーブルに向かった。そこで彼は鉛筆を持ち、苦労しながら外国風のフランス語で長い文章を書いた。

やっとのことで手渡されたメモには、忍耐と寛容とを願う旨が書いてあった。ツァンが言うには、自分は孤独な老人で、奇怪な恐怖と神経性の失調とに悩まされており、それは音楽とその他の事どもに関係があるとのことであった。彼は私が演奏を聞いてくれたことを喜び、自分の奇矯さを気にせずまた来て欲しいと書いていた。ただし、あの怪異な和音を他人の前で演奏することはできず、誰かからそれを聞かされるのも耐えられないし、室内の物に手を触れることも許し難い。廊下で話をするまでは、階下の部屋で演奏が聞こえることには気付かなかった、申し訳ないがブランドに頼んで夜間の演奏が聞こえないもっと下の階の部屋に移ってもらえないだろうか、家賃の差額については彼がひきうけるであろう、とすら。

椅子に座りたどたどしいフランス語を解読しているうちに、老人に対する惻隠の情が起ってきた(*7)。彼もまた私と同じく、心身ともに摩滅した犠牲者なのだ。哲学の研究を通して、私は慈愛の念(*8)というものを学んでいた。静寂の中、窓から幽かな音が聞こえた。雨戸が夜風に吹かれたに違いない。どういうわけか、私もエーリッヒ・ツァンと同じように酷く驚いた。文を読み終わると、私は主人の手を握り、友好的に別れたのであった。

翌日、ブランドは私に三階にあるもっと家賃の高い部屋をあてがってくれた。両隣りには高齢の金貸しときちんとした身なりの家具屋が住んでいた。四階には誰も住んでいなかった。

それ程時を経ずして、仲間になりたいというツァンの気持ちというのが、五階から下に降りてくれと懇願した時限りだったらしいことに気付かされた。彼は私を招くでもなければ、こちらから訪ねても落ち着かない様子で気のない演奏をするだけであった。訪ねるのは常に夜のことで、日中は彼は寝ており、誰の訪問も受け付けなかった。彼に対する親愛の情は深まることがなく、しかし例の屋根裏部屋と怪異な音楽は不思議に心を捉えて離さなかったのだ。私はなんとかあの窓から壁の外を眺めたいという奇妙な切望を感じていた。見たことのない斜面を見下ろし、そこに広がっているに違いない屋根や尖塔が煌めく様を見たいと。一度、ツァンの留守を狙って、劇場が開いている時間帯に屋根裏への階段を登ってみたが、扉は施錠されていた。

私にできたのは、唖の老人の演奏を、夜毎隠れて聞き続けることであった。最初は抜き足差し足で以前の五階の部屋に登ったのだが、次第に厚顔無恥にも階段をぎしぎし軋ませて、屋根裏まで登っていくようになった。扉の外に狭い廊下があったのだ。扉は閂で閉ざされており、鍵穴は覆いで隠されていた。そこで私はしばしば定義不能な恐怖に満ちた音を聞いた。私は謎と困惑に満ちた恐怖で一杯だった。音自体の醜さの問題ではなかった。醜い音ではなかったのだ。だがその間断なき音の揺れが暗示するものは、この地上のものではあり得ず、ある間合いを置いて交響楽を思わせるものがあり、到底一人の奏者が演奏し得るものとは思えなかったのである。確かにエーリッヒ・ツァンは恐るべき体力を秘めた天才だったのだ。幾週かが過ぎるにつれ、演奏は更に狂暴になっていった。その一方で老演奏家は正視に耐えない程悲惨に衰弱しこそこそした態度になっていった。今ではいかなる時であれ私の訪問を拒否するようになった。階段で顔を合わせても常に無視された。

そうこうする内、ある夜扉の外で聞いていると、泣叫ぶヴィオルが混沌とした音の中に飲み込まれるのが聞こえた。音の汎魔殿(*9)、閂で閉ざされた扉の向こうから悲鳴が聞こえていなければ、ついに自分の正気が失われたかと思う程の混沌。痛ましいことに、間違いなくそこには現実の恐怖があった。恐ろしい、唖者特有の言葉にならない叫び、それは最悪の恐怖と苦悶に晒された者のみが発し得るものだった。私は扉をくり返しノックしたが、返事はなかった。冷気と恐怖に慄然としながら闇の廊下でじっとしていると、哀れな演奏家が起き上がろうと椅子に掴まって弱々しくもがく気配が聞こえた。先ほどは失神して倒れていたのであろうと、再びノックをくり返し、安心させるように自分の名前を告げた。ツァンがよろめきながら窓と雨戸を閉める音がした。彼はよろよろと扉まで辿り着くと、ためらいがちにそれを開け、私を中に入れた。今度ばかりは、私がいることを心から喜んでいた。まるで子供が母親のスカートにすがるように私のコートを掴んだ時、その歪んだ顔にほっとした様子がかすかに見えた。

病的に身体を揺さぶりながら、老人は私を椅子に座らせ、自分も別の椅子に座った。その横の床にはヴィオルと弓とが無造作に投げ出してあった。座ってしばらくは奇妙に首を傾げたまま身じろぎもせず、逆説的にも、恐れながら耳をそばだてているように見えた。ややあって安心したらしく、テーブルの脇にある椅子にかけて短い文章を書き、私に手渡した。またテーブルの所に戻ると、何かを大急ぎでひたすら書き連ねた。メモには容赦の程を哀願する旨があり、貴方の好奇心を満たすために、これからドイツ語で文章を認めるので待って欲しいとあった。自分を取り囲む怪異について、その全てを詳細に説明するつもりだというのである。私は待ち、唖者の鉛筆は走った。

それは恐らく一時間程経った頃であろう、私は待ち続け、老演奏家は熱病のように書き続け、その紙は嵩を増していった。突然ツァンが恐ろしいショックに撃たれるのを見た。まごう方なく、彼はカーテンの閉った窓を見、震えおののきながら耳を傾けていた。その時、私にも音が聞こえたような気がしたのだ。それは恐ろしい音ではなく、むしろ不思議に低く、無窮の遠(おち)から聞こえてくる音楽的な音色だった。どこか近所に、あるいはまだ見ぬ高い壁の向こうに、演奏者でもいるではないかと暗示するような。その音がツァンに与えた影響は恐るべきもので、鉛筆を取り落とすとやおら立ち上がり、ヴィオルを掴むや、闇を切り裂くべく狂暴な演奏を開始した。閂をかけられた扉の向こうでは、彼の弓が絞り出すこれ程荒々しい演奏はこれまで聞いたことがなかった。

その怪夜におけるエーリッヒ・ツァンの演奏について描写する必要はなかろう。扉越しに聞いたいかなる演奏よりも恐ろしかった。今やその顔の表情を見、その動機(*10)が硬直した恐怖であることを知ってしまったからだ。彼は大きな音をたてようとした。何かを追い払おうと、何かを遠ざけるために。想像すら能わないが、戦慄すべきものであることはひしひしと感じとれる何かを。演奏は更に幻想的に、譫言めいて、ヒステリックになっていったが、なおもこの奇矯な老演奏家の持つ卓越した天才の片鱗をとどめていたのだ。曲は私も知っているものだった -- それは劇場でよく演奏される粗野なハンガリア舞曲だった。ツァンが他人の曲を演奏するのを聞くのはこれが初めてだということに気付いた。

尚も大きく、更に粗暴に、絶望的なヴィオルの叫びと啜り泣きは高まっていった。奏者は不自然な程の汗を滴らせ、猿のように身をくねらせた。だが血走った眼は窓のカーテンに向けられたままだった。その狂暴な旋律を聞くと、私はあたかも眼前に雲と霧と電光に沸騰する深淵を通して、かぐろいサテュロスやバッコスの群れ(*11)が気の触れた回転舞踏を繰り広げる様を見ているかに思えた。その時、私はある音が聞こえたような気がした。ヴィオルの音ではない、もっと金属的で、安定した(*12)音。冷静で、落ち着いた、決然とした、嘲笑するような音が西の彼方から。

その時、室内の狂ったような演奏に応えるかのようにわき上がった夜の嵐に雨戸が鳴り出した(*13)。ツァンのヴィオルは悲鳴を上げ、ヴィオルとは到底思えない音を喚き立てていた。雨戸はがたがたとますます激しく鳴り、ついに留め金が壊れて、窓に向かってバタンと閉じた。窓ガラスは打ち続く衝撃に震えて割れ、冷たい風が吹き込んできた。蝋燭の灯は吹き消されそうになり、テーブルの上の、ツァンが恐怖の秘密を書き始めていた原稿の束がバサバサと震えた。私はツァンを見た。彼には既にまともに物が見えていなかった。青い眼は飛び出し、ガラスのようで、何も見ておらず、狂熱的な演奏は盲目で機械的で、筆舌に尽くし難い猥雑な乱舞(*14)と化していた。

突然の疾風が、原稿を窓の外に奪っていった。私は必死で追ったが、割れたガラスに達する前にそれらは失われてしまった。その時、私は以前からの願望を思い出したのだ。窓から外を見たい、壁の向こうの坂を、その下に延びる町を見られるオーゼイユ街で唯一の窓から外を見たい、という。大変暗い夜だったが、町の灯はいつも点っていたし、雨嵐のなかでもそれらは見えるだろうと期待していた。だが、ちらつく蝋燭と夜風に殷々と響く狂気のヴィオルとを背にしてこの最も高い場所にある破風の窓から見たものは、下方に広がる町でも、見なれた街路で煌めく親しい灯火でもなかった。無限の闇、動きと音楽だけが生きる想像を絶した空間、それは地上には類縁のものすらない空間だった。恐怖に竦んでいると、風が二本の蝋燭を吹き消した。古びた屋根裏で、私は残忍で通り抜けることのできない闇に取り残され、目の前の闇には混沌と汎魔殿があり、背後の闇には気の触れたヴィオルが悪魔のように吠えていた。

私は明かりもないまま、暗闇の中をよろめきながら後ずさり、テーブルにぶつかり、椅子を倒し、ようやく手探りで衝撃的な音楽を叫びたてる黒いものの場所を探し当てた。いかなる力に逆らうことになろうと、なんとかしてエーリッヒ・ツァンと自分自身とを救い出すために。一度何かひやっとするものに触れた気がして、私は叫び声をあげた。しかしそれは醜悪なヴィオルにかき消されてしまった。闇の中から急に、狂ったように動く弓がぶつかってきた。演奏者はすぐ近くにいるのだ。前方を探ると、ツァンの椅子の背があった。肩に手をかけ、正気に戻そうと強く揺すった。

応えはなかった。ヴィオルは尚も金切り声を上げ続けた。ガクガクと機械的に振り回されている頭を掴んでその動きを止め、夜の怪(*15)から逃げ出さねばならぬと耳もとで叫んだ。しかし返事はなく、狂熱する言語に絶した音楽が退くでもなかった。屋根裏部屋はがやがやと騒がしい闇となり、部屋中で風が奇妙な踊りを舞った。手が彼の耳に触れた時、何故かしら私は震えたが、その訳は動かない顔に触れた時に初めて判った。氷のように冷たく、こわばって、呼吸の止まった顔からはガラスのような眼球がとびだし、ぶらぶらと無様に垂れていた。そこで私は、いかなる奇跡によってか扉と大きな木の閂を見つけ、ガラスの眼をぶら下げた闇の物体と食人鬼のような唸りから飛び退った。その時ですら、呪われたヴィオルは更に猛り狂っていったのである。

いつ果てるともなく続く階段を飛ぶように駆け降り、私は暗い家から逃げ出した。無我夢中で走った。狭くて急な、石段だらけの古い街路に飛び込み、崩れかけた家々を通り過ぎ、下りの石段と舗装の丸石を鳴らし、下の町まで、切り立った岸で囲われた腐った川まで辿り着いた。息を切らしながら、暗く大きな橋を渡って、馴染みのある街に出た。そこはより広く、より健全で、街路には並木があった。私の心にはいつまでも消えることのない恐怖が留まっている。私は覚えているが、そこでは風もなく、月が出ており、たくさんの街の灯が瞬いていたのだ。

細心の調査と探索とにもかかわらず、私はいまだにオーゼイユ街を見つけるに至っていない。しかし、私はそれを極めて残念だと思ってはいない。夢見ることも叶わぬ深淵に消えた、原稿に細かく書き込まれたエーリッヒ・ツァンの音楽の謎をも。

訳注

2005年にアップロードしたファイルに数ヶ所訂正すべき箇所があることに気づきましたので差し替えさせていただきます。

固有名詞の綴り及び訳出上気になったことを書きます。御覧の通り直訳に近いので、原文を読む際の対訳として使っていただいても良いかと。原文は WikisourceThe H.P. Lovecraft Archiveで読めます。

ツァンのような知的な訓練を受けた人が発する「唖者特有の言葉にならない叫び」がどのようなものかは、ある程度までは簡単に知ることができます。こぶしプロダクションの映画「アイ・ラヴ・ユー」・「アイ・ラヴ・フレンズ」のDVDが発売されています。どちらも聾唖者が出演・活躍する映画ですが、作中、母親役を演じる忍足亜希子さんの言葉を聞くことができます。この場面がないと、単に手話の上手な美人の女優さんに見えるかもしれませんが、この方生まれついての聾者です。生まれつき耳が聞こえないと、正しい発声ができません。忍足さんの声自体は容貌に似た柔和なものですし、現代の聾者として発声の訓練を受けてきています。それでもなお正確なコントロールができないため、了解可能ですがかなり変です。ツァンは耳の聞こえる唖(=発声に問題がある)という設定ですし、時代背景上からも必要な訓練を受けていないと思われるため、凄いものがあったでしょう。忍足さんの映画、ファミリー映画・恋愛映画としても大変おすすめです。是非DVDをご覧ください。笑って泣けますよ。黒柳徹子さんや西村とろりんの達者な手話も見られます。忍足さんが映画に与えたインパクトについて思う所を書いてみました→忍足亜希子さんとメッセージの到達性


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Initial Upload : March, 2005, Addenda : March, 2007, Correction : Nov. and Oct. 2014.
by The Creative CAT, 2005 -