約半年間家族に愛された雄猫が交通事故で死にました。

昨年の秋、ツーリングで高畠の猫の宮に立ち寄った頃から、我が家に居着いた雄猫がいました。足を少し引きずっていましたが、体格の良い気性の荒い猫でした。固形飼料と猫缶を凄い勢いで食べるので「ガツ」。それでも次第に人に馴れ、足にすりすりするようになって、病気や喧嘩で受けた怪我の際に獣医さんの所に連れて行った後からは、随分人間を頼りにする猫になりました。向かいの家のおじいさんからもたびたび魚をもらって喜んでいたようです。去勢をして首輪を付けて、飼い猫らしい姿になって、体格に似合わない甘えた声で人を呼び、これから良い季節を迎えようという矢先に、車にはねられて死んでしまいました。

はねられたのは家から50mも離れていない、すぐ近くの通学路で、交通量自体はたいしたことのない道です。ちょうど5月7日、連休明けの早朝で、猫にも運転手にも油断があったのかもしれません。

発見したときは左側頭部を下にして、丸くなって硬直していました。どなたかの手で道ばたに移されたおかげで、他の車に踏まれもせず、生きていた時の姿のままお墓に埋めてやることができました。路上には、なにか生命力の最後の証であるかのように血痕が丸くなっていました。脇に少しはみ出す形で血だまりがあり、そこで頭をやられ、少し家に向かって歩いた後自力で丸まって、その後力つきたのでしょう。強い猫は顔に怪我をすると聞きますが、なるほど鼻っ柱の強かったガツらしい最期でした。不思議に穏やかな死に顔だったのが救いです。

お墓は林の中につくってあげました。そのような場所のある田舎でも交通事故にあってしまいます。猫は放し飼いが普通だったのですが、最近では完全室内飼いが推奨されているようです。借家でそういうわけにもいかず、本当に可哀想なことをしました。これから猫を飼おうとする方、もし室内で飼えるのなら、是非そうしてやってください。去勢しても喧嘩はしますし、喧嘩をすると傷つきます。なにより、交通事故にあうと悲惨です。

ガツはどうもボス猫として君臨していたようで、仲のいい猫が二匹出入りしていました。雄猫なら追い払うはずですから、多分雌猫なのでしょう。同じ餌皿から食べていたためか、うちの家族を見ても逃げません。なんだか形見のような気もします。このまま餌付けをしていって避妊手術を受けさせて飼おうと思わないでもないのですが、外飼いでまた交通事故を心配しなければならないかと思うと今ひとつ気が乗りません。

猫の宮にはそのうちまたゼファーを転がして行き、短い間でしたが良い猫と遊べたことを報告してこようと思っています。

08, May, 2008.

去勢前の雄猫らしい姿です。まだ首輪をつけていません。


…縄張りでもない所に出かけて行って、一人で虹の橋を渡るのは心細いかな。大先輩のことも少し書いてあげよう。

何十年も前に、実家で死んだ斑猫の話です。

初冬のある日、貧相な子猫が家にやってきました。しばらくぶりの猫でした。我が家は百姓をしていたので、ずっと猫を飼っていたのですが、周囲が次第次第に都市化するにつれ、飼い猫が交通事故で死ぬことが増え、親がめげて猫を飼わなくなっていたのです。

生まれてからこれまでの間に、余程人間から痛めつけられてきたのでしょう。土間のへっついの奥に隠れたまま出てきません。さらに、「顔の片側にしか模様のない猫は縁起が悪い」という言い伝えもあって、また雨風の中に捨てられそうにもなっていました。結局はどうにかこうにか一家の一員におさまり、一旦飼い猫になってしまえば、皆から可愛がられるようになりました。

飼い猫となってからも、なかなか育たない猫でした。それは小さい頃痛めつけられたからだけでもそれまでの食事が悪かったからだけでもなく、一番の理由は寄生虫がいるからだということが判明し、条虫を駆除してからは、みるみるうちに肉が付き、夏の頃にはそれなりに逞しい若猫になっていました。

ですが、この猫は二年目の冬を越すことができなかったのです。

12月30日の夜、いつもと違った様子で帰って来て、苦しそうに吐きます。毒物を飲んだのでしょう。普通の日なら虫下しを処方してもらった犬猫病院に連れて行くのですが、折悪しく開いている所がありません。なすすべなく死んでいく姿を見るだけでした。もう猫を飼うのはやめよう。そう思いました。

ガツは久しぶりに飼った猫でした。ガツが女房のピノの下を好んでいたように、この大先輩はダットサントラックの下がお気に入りでした。そのダットラは遠の昔に廃車となり、喜んで登っていた柿の木も既にありません。陽光を浴びてしなやかだった体は畑の土になりました。一枚の銀塩写真と思い出だけが残っています。

09, May, 2008.