Mr.ごんずいの戯言 Vol3.僕のすべてを・・・
第71〜80話


このサイトでは 『Mr.ごんずいの戯言』 のテキストのみの表示サービスを行っております。
ごんずい出版社より発行されている 『Mr.ごんずいの戯言・普及版』 では更にカラー写真を
ふんだんに使ってありますので ご期待下さい。

第71話 99年型オネクリ苦闘物語                                          1999-01

年が明け、いよいよ流氷ダイブが迫ってきたのに今年は一向にオネクリ制作に取りかかれず、
ようやく1月から制作を開始したのでございます。今回の流氷ダイブは246ではなく、Diving
Project Mr.ごんずいとして(一人だけど)参加する初めてのツアー、昨年までのオネクリとは
一味違ったオネクリ作る決意をしました。
 
さて、昨年のオネクリM−10はなんとかクリオネとのツーショット写真は撮影したものの、水中
ではろくに動かず期待を大きく裏切ってしまったのですが、全長4.5センチ、重さ25グラムと
史上最小最軽量でした。99年型はこれより遥かに小さく作る為、モーターの改良を考えました。
そこで登場したのが携帯電話用のバイブレーターに使われている直径6mmの超小型モーター。
堤君からいらなくなった携帯電話機をもらい分解、このモーターを取り出し、オネクリM−11の
制作が始まりました。

昨年のM−10はモーターを回転させ、そのモーターに取り付けられた磁石と連動して羽根部が
磁力で動くというものでしたが、今回モーター自身がバイブレーション・モーターなので(要はM−
10のシステムが1つのモーターに集約されている)大幅な小型化が出来ると考えました。そして
電池にも改良を加え、超小型のボタン電池(実は補聴器用)を選択しました。M−11ではこの
ボタン電池の電池BOXを新素材の変形プラスチック(お湯で柔らかくして形を変形)で作るという
今までになかった技術を使ったのですが、どうにも2ケの電池の接触が悪く、電池のレイアウトを
変更してM−12の開発に切替えました。

M−12ではモーター用ボタン電池2ケ直列と、オネクリ頭部の赤い発光ダイオード用ボタン電池
2ケ直列を左右に分けてバランスをとり、ディップスイッチを間に挟んだレイアウトに変更しました。
接触はかなり改善され、机上テストでOKだったのですが、ディップスイッチを含めて再度変形
プラスチックで固めると、やはり接触が悪くなってしまい、今回のオネクリ制作が接触との戦いで
ある事を改めて思い知らされました。

M−12はあえなく中止、新規にスタートしたM−13では更に外部から金属フレームでオネクリ
本体を押さえつけ、ようやく接触面の問題は完全にクリアしました。M−11〜12で使ってした
ディップスイッチも新しいものに変え、悪魔ナンバー:M−13はいよいよ振動モーターの取り付け
にも成功、残すはこの振動モーターのパッケージのみとなったのです。ここで登場したのがまたも
新素材:シリコンゼリー。最初は液体状なのですが、時間が経って固まると透明な固体となるもの
です。ここまでくれば大丈夫、余裕で振動モーター周りをシリコンゼリーで固め、後は翌日を待つ
のみ。完成すれば全長3.7センチの最少のオネクリM−13。そして運命の翌日、シリコンゼリーは
完全に固まり早速試運転。スイッチオン『しぃ〜ん』ガ・ガ・ガーン、なんと液状のシリコンゼリーが
完全に固まる前にモーター内部に侵入してしまったらしくモーターもろとも固まってしまったのです。
(安直すぎた…)こんな調子で本当に大丈夫なのか99年型オネクリ!もう時間がない。(矢田)

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第72話 夢の3センチ台へ・・・                                               1999-02

 99年型オネクリは小型化への挑戦です。これはオネクリ開発当初からのテーマなのですが、
如何にして昨年のM−10より小さく、軽く出来るかが最大の課題でした。

最初のオネクリM−1はフレームだけで約11cm、96年秋 初めて大瀬の海で舞ったM−6は
6cm、97年流氷ダイブでのM−7は5.5cm、昨年98年流氷のM−10は4.5cm、そして
今年99年型のオネクリとして完成寸前まで行ったM−13は僅か3.5cmと、遂に夢の3cm台へ
突入しました。3cm台というのは本物のクリオネと比べてさほど変わらない大きさまできているので、
オレ的にはすごい事なのです。

さて、新素材:シリコンゼリーで固まってしまったオネクリM−13のモーター(携帯電話の振動
モーター)は再生不可能でした。貴重なモーターを失ってしまったごんずいはすぐさま堤君に電話し、
未だ余っているという別の携帯を郵送依頼、4日後届いたブツを分解し、モーターの取り出しに成功
しました。が、今度のモーターはM−13で使っていた型と違い、モーターに付いている振り子の
磁石が剥き出しになっていたのです。M−13までと異なる構造を強いられる事になりました。しかし
今回のモーターは実は前回より長さは短く、更にオネクリを小さく出来る可能性が出てきました。

M−13を分解し、ディップスイッチをM−14ヘ、そして超小型の補聴器用ボタン電池は更に小さい
超・超小型の補聴器用ボタン電池に変更しました。剥き出しのモーターは細いビニールパイプで包み、
防水は変形プラスチックで周りを固め、何ともあっけなく(M−13までのノウハウのおかげ)M−14が
完成しました。全長は何と3.0cm、そして重さは何と7グラム(1桁〜!! M−10の約4分の1)。
スイッチオンすると見事にオネクリM−14は振動を始めました。

やった!遂に完成!と誰もが思ったのもつかの間でした。完成して喜んで遊んでいるうちにやがて
M−14はその動きを止めてしまったのです。原因は小型化しすぎて電池容量が減り、電池切れを
起こしていた為でした(大ショック)。さすがにこれには参りました。少しやる気も無くし、オネクリ絶滅の
危機… が、ここであきらめないのが自分の良いところ。M−14を分解してモーターを取りだそうと
思ったのですが、ここまで完成したM−14を形に残したかったので、自分が前に使っていた携帯
電話の分解を始めました。実はこの携帯はモーターが充電バッテリーに内蔵されており、分解に
危険が伴うので今まで避けていたのですが、こうなっては仕方ありません。

そして見事に小型モーターを摘出し、M−15の開発に着手したのです。M−14でのパワー不足を
補う為にM−13で使っていた1周り大きなタイプのボタン電池に戻し、3ケ直列の2機(パラ)の
バッテリーを制作しました。オネクリ史上最高電圧の4.5V、頭部の発光ダイオード用のボタン電池と
新しいスイッチを1つにコンパクトにまとめ、サイドウイングと呼ぶ電源部分を完成させたのです。
本体には携帯電話から取り出したモーターをM−14の要領で防水し、サイドウイングと接続しました。
こうする事で見た目には大きさを感じさせない新タイプM−15が完成したのです。長さ3.5cm、
重さ12グラムの99年型オネクリM−15。試運転では強烈な振動で本体に付けた羽根が激しく振動
して大成功!待ちに待った3センチ台オネクリの完成です。あとは本番を待つのみ!いざウトロへGO!
(矢田)
 
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第73話 果てしなきアイスワールド                                          1999-03

ごんずい5度目の流氷ダイブの報告。今回は246を離れ、初めてDiving Project Mr.ごんずい
として参加した記念すべきツアーでした。ところがギッチョン!三重から知床に行くのはこんなに
大変なものとは思ってもいなかったのです。

まず、名古屋→女満別の飛行機の本数が極端に少なく、メチャ混み! しかも愛用機JAS便が
ないという訳で3/初予定もチケット確保の関係で1週ずらす事になりました。恐いのが95年の
様に流氷が完全に沖に離れてしまう心配… 毎日、海上保安庁の流氷情報を入手し、とても
ヤキモキしました。

さて三重(桑名)から知床(ウトロ)までは、家→名古屋駅(バス)→名古屋空港(バス)→
女満別空港(飛行機)→網走駅(バス)→知床斜里駅(JR)→ウトロ(バス)と乗り継ぎ7回!
羽田→女満別がJASだけで1日4便も飛んでいるのがこの時は羨ましかったです。

日程から心配だった流氷はウトロには未だビッシリあり、ここ数年と同じ氷結ダイブとなりました。
本当は氷が緩み、流氷と流氷の間で潜るドリフトアイスダイブをしたいという本音もあるけどこれ
ばっかりはどうしようもない問題。今年はマサイ族遊びで割った穴からエントリーでした(毎年
変わる志向)。ここ数年クリオネはたくさんいて、自分の中ではそれが当たり前の様にも思って
いたのですが、何と今年はクリオネも含め深刻な生物不足だったのです。2月の中頃までは
クリオネもそこそこいたらしいのですが、以後さっぱりらしいのです(どうなる?オネクリ)。

事前に話は聞いていたのですが、実際に水中に入るとそのとうり、明らかに生物が少ないと
感じました。あれほどいたフウセンクラゲですら数は少なく、何故かしらカブトクラゲだけが目立って
多いという感じ。ミジンウキマイマイやウミグモもいるものの少なく、ウリクラゲに至っては1個体
しか探せませんでした。救いは今まで氷の下では見た事のなかったホッカイシマエビやシモフリ
カジカを見れた事。そんな感じで生物の方はトッカリ・スタッフも頭を抱える生物不足の状態だった
のですが、何回見てもハロクラインを眼下に眺める風景は素晴らしいし、シャンデリアも奇麗に
成長していたし、何と言っても今まで見た事のなかった規模の流氷の山へ登山できたのは
良かったなぁ。

2週間前に一度流氷が離れ、再度押し寄せた際にメキメキ・モコモコっと山が出来るのですが、
この5年の中では最大級! 流氷の山を昇り、頂上から見た氷で覆いつくされた海の一望は
果てしなきアイスワールド、一際素晴らしいものでありました。 (矢田)

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第74話 悪魔 瀕死の悶絶! 夢は2000年へ                         1999-03
 
苦難を極めた99年型オネクリですが、全長3.5cm、重さ12gのM−15を何とか完成させた
ごんずい、単身ウトロに乗り込んだのです。

オネクリでいつもドキドキしちゃうのが空港のチェック。今回も名古屋空港では2度ほどX線
検査を受け、またもバッグ検査が入るかと思われましたが何とかパス。ふぅ〜と思いきや、
ウトロの宿でケースを開けると、何とオネクリM−15の右の羽根が根元から取れているぢゃ
ありませんか! 急ぎ売店でアロンアルファを買ってリペアしました(何てこったい!)。今年は
何故かクリオネが少ないという情報で早くもクリオネ&オネクリの共演が危機的状況… しかし
そんな事は言ってられん! 全国数千人のオネ・ファンの為にも成功させねばならんのです。

そして流氷ダイブ本番3月12日、朝から天候は良く何かドラマを期待させる雰囲気。そうそうと
器材をセットし、オネクリM−15と浮力調整機オネクリFW(フロート&ウエイト)をオネクリハウス
(ケース)に入れて、カメラのハウジングに付けようと、オネクリを見ると何と昨日のリペア部分が
またも取れて片腕状態になっているM−15発見!ガ・ガーン! しかしこんな事もあろうかと
アロンアルファは氷上にも持ってきてるんだもんネ。再びリペア完了。遂に運命のエントリーを
迎えたのです。

潜行し、いち早く海底に陣取り、オネクリハウスのハッチを開くとオネクリFWにぶら下がった
M−15がフラフラ水中に飛び出しました。ここで予想外だったのが、オーバー気味にウエイト
(釣りの錘)を調整してあったのに徐々に浮いていった事でした。予定は錘のがん玉を少しづつ
減らして中性をとるつもりだったのが、用意していたウエイトで未だプラス浮力だった事でした。
それでも昨年のM−10の様な急浮上はしないので『まあいいか』と思い、いよいよスイッチオン!
ブィィ〜ン う・動いた! 頭部も赤く光ってるぅ!やった!

と思った次の瞬間、リペアした右の羽根がモゲたのです。ゲェ、急いでオネクリをつかもうとした
はずみでフロートのフックが外れフロートは上へ、オネクリは下へ…。何といってもオネクリが
心配なので見に行くと、片腕がとれながらも海底でバタバタ悶絶しながらオネクリが動いて
いました。次に浮いていったフロートを探しにハロクライン層の上まで見に行ったのですが、何と
行方不明!何処を探してもないのです。昨年も同じ様な状況ですぐに見つかったのに…

諦めて海底に戻ると既にオネクリは死んで動かなくなっていました。どうやら本体ではなくバッテ
リーのサイドウイングに浸水したらしく、オネクリM−15は僅か25秒の短い命だったのでした。
何と哀れオネクリ!クリオネのいない海でこんな最期を迎えようとは… 本当ならトッカリのオネ・
ウォッチャーにも存分にオネクリを味わってもらいたいのですが、まだまだ技術的に甘いのも事実。
ログ付けの際に死んだM−15のスイッチを入れると、オネ・ウォッチャーズの前で一瞬最期に
見せた羽ばたきは奇跡だったのか?『来年2000年こそは…』とオネクリが言っている様にも
思えました。暫くはオネ・ストーリーは完結しそうにないな… (矢田)

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第75話 限りなく敗北・・・ BBSF vs シビレエイ                     1999-03
 
海での出会いはいつもドラマチック… そんな話。3月27〜28日の大瀬崎ツアーは27日の
夜に246ツアーと合流する予定だったのだが当日現地に到着しても246の姿は無かった。
『あれれ…』と店にTELするとオヤジが出て『明日、日帰りで行く』と言うのだ。夜一人で潜っても
おもしろくないし、ナイトダイビングは諦めようと思ってたら、なんとサウザーの車がやってきた。
そして急遽、一緒仁潜らせてもらう事にしたのだ。それが約3年半ぶりのヤツとの再会のドラマを
生む事になろうとは…

 シビレエイの発電をダイバーがフィールドで視覚で観察できる様に開発されたビビるんですシリーズ。
96年5月の遭遇以来、またも何故かしらシビレエイと遇えなくなっていたのだ。先の遭遇では自分も
含め、4人中2人が『光った』と証言。何ともグレーな状態なので、それならば更に低電圧でも発電の
作用を観察できる様に改良したビビるんです・すぐつくフラッシュ(BBSF)を常にBCのポケットに
潜ませていたのだが100ダイブ以上もポケット奥に眠ったままだったのだ。何とも気が長い話が、
いつヤツに遭遇するか判らないのだから仕方ない。実はこの間も度々正常にBBSFが動作する
チェックをかかさずにやっていたのであった。

さてこの夜、実はサウザーではダイブマスター講習の真っ最中で、そこに飛び入りで参加させてもらった。
せっかく大瀬までやって来たので一人で潜ろうとも考えたが、一人ぢゃつまんないしネ! オレ自身もう
3年もシビレエイと遭遇していないのだが、サウザーの荒井氏も1年近く見ていないらしい。246ツアー
でも遭遇報告は近年ポツポツ程度でやはり最近の遭遇率はかなり下がっている。だがオレの統計ログ
では明らかに3月の遭遇率が突出して高いのだ!

潜行してミズヒキガニ、コビシガニといった甲殻類に出会う。オレ的にはこの手の甲殻類との出会いが
多ければ多い程ナイトは期待出来るのだ。中層ではウリクラゲ(大瀬にもいるのネ)、カブトクラゲの
電飾に見取れていい感じ…。そして240°で帰ろうとターンした時、オレの右手にブクブクと太った
シビレエイを発見したのだ!『やったゼぃ』

早速メンバーを集め、素早くBCのポケットからBBSFを取り出しシビレエイの背中にBBSFの電極を
押し当てた。シビレエイの体が反る瞬間、1st放電! 『BBSFは?』が、またも自分では発光は確認
出来なかった… 粘って2nd、3rd放電までさせたがやはりダメ。その間、シビレエイは背中を反りっ
ぱなしの悶絶状態でそれを見ているのはとてもおもしろかったのだがBBSFは遂に結果を出す事が
出来なかったのであった。が、である。浮上後、サウザーの鈴木さんが『光りましたネ』との驚愕の
発言!またもグレーな判定なのかぁっ!しかし正直言って限りなく黒(敗北)に近い状態だナ。そろそろ
ビビるんですも本質的な改良が必要と感じたネ… (矢田)

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第76話 ごんずい日本海に出現!!                                           1999-06

99年もいよいよ夏。三重に引っ越し後、未だ本格的な東海地域でのダイビング活動が出来て
いなかったのですが、遂に始動です。その第1弾として福井県・鶴賀湾に出動! この敦賀半島、
日本海に面した最も近いポイントで、我が家(桑名)からなんと2時間あまりで着いてしまうのです
(これって横浜で言う真鶴・伊豆山の感覚)。単身、現地のダイビングサービスに予約したのですが、
実は僕:Mr.ごんずい、今までのダイブ経験で何と未だ一度も日本海に潜った事がないのです。
佐渡にも行った事がないので今回が正真正銘、初の日本海。

ポイントは敦賀半島の小さな内湾 鶴賀湾の西側に位置し、何と僅か3Km先に敦賀原発、5km
先に高速増殖炉:もんじゅ、10Km離れて小浜原発と正に原発半島。初めての日本海なので
日本海固有・特有(と言っても未だ良く知らない)の生物ウォッチしてきました。

先ず有名なのがハゼの仲間であるキヌバリ。太平洋側にもいますが日本海産は体の横縞が1本
多く7本。とりあえずこいつの写真だけは撮りたかったのですが、1本目のビーチダイブでいるいる…
狙いの生物がいきなりいたので たかがキヌバリごときで妙に感動してしまいました。日本海に多い
キジハタは目立って奇麗だし、確かに美しいと言うお魚は太平洋側より少ないけど、とにかく敦賀湾の
生物の写真を撮りまくりました。この日の水中はまあまあの透視で未だベストシーズン前なのですが
いかにも日本海と言うべきかアナハゼが、そしてハオコゼが妙に多かった。

2ダイブ目はボート。敦賀湾の先端に近いノマザキに入ったのですが、水中に入るとびっくり仰天!
ミズクラゲの大群。こんな大群はホント久し振り。で、良かったのが何と言ってもアカクラゲ。触手は
危険なアカクラゲですがその反面、小さな魚がこの触手の中に隠れているのがGood! クラゲ自身も
キレイだし、好きだなオレは。海底には残念ながらめぼしい生物はいなかったけれどやはりハオコゼの
山!伊豆のカサゴの感覚で多い多い… てな訳で日本海1stダイブは上出来なのでした。 (矢田)

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第77話 濃厚6ダイブ! ああ、撮りまくり人生                           1999-07

今、ダイビングは本当にカメラ派ダイバーが多い。水中生物を写真という記録媒体に残せる事は
実に素晴らしい事で、もちろんごんずいもその1人。自らサークル:Diving Project Mr.ごんずいを
旗揚げしたごんずいなのだがそうそうメンバーも揃う訳でもなく相変わらずソロ活動が多い。で、
7/3〜4の大瀬は自身3ケ月ぶりの大瀬だったのだが やはり1人で行く事になった。

写真に専念する時のダイビングは少人数が良いに決まっているのだが、やっぱり一人は淋しい。
1人で車5時間飛ばして現地に到着、すると現地サービスから耳寄り情報が入ってきた。『未だ
マンボウが出てますよ』 最近、大瀬にマンボウが出現しているのは知っていたのだが少しゾクッと
来た。今までマンボウを水中で見た事はなく、浮上後に別のグループが見たりして実に運が悪い。
『もしかすると…』という期待を抱き、濃厚ダイビング6本勝負が始まった。

1本目は先端。ここではキンギョハナダイ狙い。今まで幾度も写真撮ったがどうも気に入るモノが
ないのだ。深場へ行かず、キンギョハナダイを撮りまくった。2本目は湾内。タツノイトコ&イザリ
赤ちゃんを狙ったのだが残念ながら見つからず… しかし実は今まで写真に納めた事のなかった
ミナミホタテウミヘビやオオモンハタをget! ナイトも1人(実は初めて)で撮りまくり。特にトラフ
カラッパやコブシガニの写真は撮った事がなかっただけに嬉しかったねぇ〜。ツアー引率していると
どうしても厳しい海やナイトなんかではカメラを遠慮してしまっていたから今回はじっくりと撮る事が
できた。初日は3ダイブで2時間47分。マンボウは早朝が狙い易いという事だったので翌日外海を
計画し、夢の中でマンボウとの初遭遇をシミュレーーションしながら就寝。

さて翌日、朝6:45にポイントへ出発しようと思ったら草間さん登場!オレが大瀬に来てるのを知って
1人で来てくれたのだ(嬉しいねェ〜)。で、今度は2人で撮りまくり。1本目の一本松ではマンボウ
狙いだったが結局ダメ。が、いい感じでタツノイトコをget! 2本目は先端。この日は50mまで一気に
攻めて深場のハナダイ、ホタテエソ等をget! その後、浅場で話題のインド洋固有種:セイルフィン
フェアリーバスレットの仲間を草間さんにガイドしてもらいget! 更に面白かったのはミズクラゲに寄生
していたメダイの幼魚。写真撮ってるうちに恐れて外へ逃げ出してサヨウナラ… (きっと食われるな…)。
そして体内に多量の窒素を残したまま最後は柵下。ここもマンボウ狙いだったが結局ダメで最後まで
マンボウに踊らされる形になったけど5時間22分の6本勝負、充実した撮影ができたのだった。

草間さんのおかげで1人淋しく大瀬を後にする事もなく、心地よい窒素の気だるさと共に5時間の
運転は今度は苦痛ではなかったのだ。 (矢田&草間)

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第78話 衝撃走る! 串本の海                                                1999-07

ごんずいです。関東ダイバーのホームグラウンドが伊豆半島なら関西ダイバーは紀伊半島、
その中で 王者 の称号を与えられているのが串本です。本州最南端、黒潮洗う潮の岬のすぐ
隣、和歌山県 串本町でのダイビングはごんずいの長年の夢でもあったのですが遂にその時が
やってきました。今回はその報告。

三重に引っ越して新たなるホームグラウンド模索中のごんずいなのですがいかんせん、串本は
少し遠い! 和歌山県は三重県の隣県なのに車で6時間もかかるのです(大瀬より遠い!)。
地図で見る限り距離的には遠くなさそうなんだけど高速道路の便が悪く、伊勢(勢和多気)からは
細い国道42号線をひたすら南下、紀州の深い山中を延々と夜中に飛ばし、三重県走破まで
4時間(実は三重に生まれ育ったごんずい、三重県を走破したのは今回が初めて)。和歌山に
入り新宮、勝浦を過ぎ串本に到着したのは深夜2時半…  車中で仮眠をとり、いざ串本デビュー戦!
今回、サービスはガイドの定評の高い南紀シーマンズクラブを選びました。

1本目はいきなり最高級ポイント、外洋の浅地(あさち)を狙ったのですが、風が強く断念。島廻りと
いうポイントにエントリー。水温26℃の程よい潮がかかった水中に飛び込むとそこは南国の海!
テーブルサンゴなぞあるのでぃす。自身、今まで串本は伊豆の延長かなとイメージしていたの
ですが、いる生物が基本的に違う気がしました。伊豆で希にしか見られなかった南方系の魚が
結構、普通にいたりします。成魚のキリンミノやカガミチョウチョウウオ、コウワンテグリ、サラサ
ゴンベ、ヤマブキベラに感動して『およよ…』と思っていると30cm近くあるオオモンイザリウオが
2匹登場!カンパチが薄れてしまう強烈な1stダイブでした。

 2本目はイスズミ礁という近場ポイントでじっくりフィッシュウォッチ。砂地でオトメハゼ(これまた
南方系)、テーブルサンゴにはキイロサンゴハゼ、そして何よりゴンズイが玉になって出迎えて
くれました。しかしこれだけじゃない、衝撃的だったのがハナゴンベ!ガイドの島野さんがボードに
ハナゴンベと書いた時、少し信じられなかったけど、水深12mくらいに子供のハナゴンベ…
(奇麗なんだコレが)隣の和歌山県がこれほど南国だったとは! 正直『やられた』気分。串本は
噂どおりの海でありました。 (矢田)

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第79話 ハナダイは浅ぁ〜い・・・場合もある                         1999-07
 
ハナダイ大好きごんずいです。以前、このMr.ごんずいの戯言でハナダイは深ぁ〜いという
エピソードを書いたのですが、最近これとは逆に浅ぁ〜い場合が多いので話のネタにしちゃいまふ。
自分的には今でも少し深場にいる奇麗なハナダイが好きなのです。理由は深場って人も少なくて、
しぃ〜んとして神秘的… そこに美しいカラーリングのハナダイが群れているのがとても絵になって
良いのです。が、ハナダイは決して深場だけにいる魚ではありません。

我々にお馴染みのキンギョハナダイはその典型。日本では数もたくさんいるのでレアモノという
点ではあんまり注目されないけどとても奇麗、しかも水深数メートルから生息している ありがたい
魚 です。

さて本題の魚その1は先に大瀬崎で見たセイルフィン・フェアリーバスレットの仲間という未だ
和名も付いていない珍しいハナダイ。そりゃぁ和名も付いてないだろうネェ、インド洋固有種の
ハナダイの近似種と言うんだから驚きです。どうやって日本にやって来たのかは知らないけど、
海は世界中とつながっているとあらためて認識しました。大きさは7〜8cm、今回見たのは
婚姻色も出ていないごく普通の状態だったのですが、草間さん曰く婚姻色バージョンは更に
美しい(当たり前か)らしく、この次は是非見たいです。水深僅か5mの浅場にいるので先端の
深いダイビングの後の減圧ついで(安全停止と言わない所が一線を超えている)にウォッチできる
のもまた魅力。

本題の魚その2は串本で見たハナゴンベ。元々南方系のハナダイなのですが、伊豆からも
報告例はたくさんあります。但し、みんな深い!だから深場のハナダイなんだろうナと思って
いたのですが、串本では違った!水深12mくらいのオーバーハングした窪みに平然といたの
にはちょっと驚きでした。見たヤツは未だ子供のハナゴンベで成魚よりも更に奇麗でした。あまり
岩から離れようとせずに暗闇に隠れているチビハナゴンベにライトを当てると驚くほど明るい色で
浮かび上がる姿は何とも感動的でした。

てな具合に今回は浅ぁ〜い所で遭遇したハナダイのお話、おしまい(矢田)

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第80話 南南西に進路を取れ!                                              1999-08

今回は柏島遠征の話。今、マクロ派ダイバーに非常に注目されている高知県・柏島。川崎に
いた頃はとても柏島に行く機会はないだろうと思っていたのですが 三重に引越して少し事情が
変わりました。確かに遠い事には違いないのですが四国−本州は3本の橋でつながっているし、
車で行ける範囲に入ってきたのです。今回妻子が長崎に帰省中 それを車で迎えに行くという
願ってもないチャンス到来!少し寄り道して進路は南南西、高知・柏島を目指したのでした。

車で行けると言っても一体何時間かかるのかさっぱり不明、雑誌によると14〜5時間かなぁ…
と思い、一応余裕を持ってダイビング前日8/4AM6:00桑名発。国道1号で鈴鹿山脈を越え、
滋賀県・栗東から名阪高速へ。天気もそこそこ良く順調に飛ばし 京都、大阪を通過。吹田JCT
から今度は中国道へ。兵庫を過ぎ、第一目標である岡山県の瀬戸大橋に着いたのは正午すぎ。
初めて瀬戸大橋を渡ったのですが、何とも巨大な創造物で昼食を取りながら感心…

香川に入ると高知は目前!と思ったら甘い甘い!ここからが勝負なのです。愛媛に入って、
川之江JCTからいよいよ高知道へ。が、この高知道 殆どが対面通行で、しかもここ数週間
続いている集中豪雨の影響か所々工事中で幾度となく片側通行の為の足止め。それでも
高速の最終地点:高知・伊野にはPM3:00着。ここから先は下の国道をひた走りいよいよ
柏島へまっしぐらのはずだったのですが、本当の地獄はここからでした。

先ず、高速下りていきなり車のCDが故障… そして数週間も停滞しているブ厚い雨雲から
バケツをひっくり返した様な雨… 国道33号から494号に入ると更に状況悪化。道幅が極端に
細く、山中は視界も悪く最悪。この細い国道を45分乗り切るといよいよ国道56号。この56号で
最寄りの街の宿毛まで行けるので一安心したのですが、海側の佐賀町へ出ると大荒れの
太平洋が目に飛び込んできたのです。『本当に明日潜れるのか?…』そんな不安を抱きつつ
四万十川に差し掛かると川は大増水して氾濫寸前!『うげぇ〜』 宿毛にはPM6:00着。
ここから柏島へは残り25km程度。しかし夜になると少し先の大月町〜柏島への山道が危険と
判断し、この日は大月町のドライブインで食事をした後 駐車場で就寝(PM9:30)。

翌日 日が昇ってから柏島へのラスト10km。この10km ホント細くて車のすれ違いが出来ない
位のヒドイ山道。しかも片側は崖っ淵。それを走る事30分、突然うっそうとした山中の視界が
開け、目的の柏島が姿を現したのです。距離にして650km、途中休憩したので24時間かけて
遂に夢にまで見た柏島に到着したMr.ごんずい。さあ、ダイビング三昧じゃ!(矢田)

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