Mr.ごんずいの戯言 Vol3.僕のすべてを・・・
第61〜70話


このサイトでは 『Mr.ごんずいの戯言』 のテキストのみの表示サービスを行っております。
ごんずい出版社より発行されている 『Mr.ごんずいの戯言・普及版』 では更にカラー写真を
ふんだんに使ってありますので ご期待下さい。

第61話 打倒! T海大学!!                                                         1998-05

ごんずいです。今回はボクのライバルの話。ごんずいのライバルと言ってもベラとかカワハギとか
じゃなく、とある組織。海洋研究で有名なT海大学と言えばピンとくるかも…

ダイバーなら一度は見た事がある魚類図鑑の分野では他を圧倒する索引、資料数を誇り、
図書館に置いてあるブ厚い本をめくるとヤリマンボウ(マンボウの1種)だのソコグツ(アカグツの
仲間)だの今まで聞いた事もない魚の情報がびっしりで、その本を見ていると軽く2〜3時間は
暇つぶしできます。

静岡県の三保にはこのT海大学の経営する水族館があります。ここの水族館が他のアミューズ
メント・パークと違うのは海洋研究の発表をメインにしている事で 客寄せの○×ショーなどは
ありません。水槽に入っている魚もどちらかと言うと"魅せる魚"ではなく、他の水族館に居ない
レアものが多いのが特長です。しかし決定的に違うのがアクアリウムという水中ロボットの
コーナーなのです。

水中ロボットと言えば僕、ごんずいが手がけるクリオネ型ロボット:オネクリ、そう このアクア
リウムがライバルなのであります。ここにはT海大学の海洋研究グループが作成した様々な
水中メカがあり、マンボウをモデルにしたキカマンボウ(どうやらこのネーミングは作成した当時
製作者の思ったとうりの動きが制御できず付けた名前らしい)だの、ススメ(進め)ダイ(スズメ
ダイのもじり)だの くだらないネーミングの作品が動き回っています。ボクの発明品と共通して
いるのがこのネーミング。見ていて何故だか燃えてしまう自分がちょっとカワイイです。

しかし これらの作品、どれを見ても全て電源は外部より供給しており、しかも制御する配線コードが
つながっている物も多数。また大きさは30cm前後で大型。我がオネクリは全長5cm以下で内部
電源を使用している事を考えると… もうお判りですネ、Mr.ごんずいがT海大学よりも優れている
事が。確かに今まで作ったオネクリは思ったとうりの制御が効いていないのも事実だけど、それを
考えても余りある勝利!! そしてこの勝利を決定づける『究極のオネクリ』制作が始まろうとしている
のだ…  (矢田)

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第62話 連発っ! レアな巨大イザリウオ!                                 1998-06

伊豆の海でダイバーの人気者と言えばイザリウオ。そのユニークな顔つきと容姿から 常に見たい魚
ランキング上位を維持しています。このイザリウオ、英名のフロッグフィッシュ(カエルだね)の名の
とうり、正直凛々しい顔つきとは言えず、ずばりブサイク。アンコウの様に吻上棘(ふんじょうきょく)
と呼ばれる擬似餌の提灯を持っていて、これをヒラヒラ動かして餌だと思わせ 近づく魚をパクリという
生態がユニーク。見た目には手にしか見えない胸ビレをヨイショ・ヨイショ動かし水底をイザって歩く
ので(この表現は良くない)イザリウオという名が付いています。

さてイザリウオにもいろいろ種類がいますが、今回のお話はこの中でオバケ級にデカイ巨大イザリ
ウオの話。普通のイザリウオはせいぜい15cm位なのに対し ソウシイザリウオやオオモンイザリ
ウオは大きさが40cm以上にもなると言うからまあ驚き。僕自身、今まで 伊豆の海でこれら巨大
イザリウオを見た事はなく、いやぁ〜興奮しました。場所は伊東のゴトウジ根。5〜9月の期間限定で
オープンされるこのゴトウジ根に数個体のソウシイザリウオが付いているというHOT情報から伊東へ
直行。前週にオープンしたばかりなので未だダイバーがあまり入ってなくラッキーでした。

先ずはゼブラ模様のソウシイザリウオ。一昨年の雑誌『Diver』に同じゴトウジ根でのゼブラ模様の
ソウシイザリウオの写真が出ていましたが、なんと60年ぶりに撮影されたフォトとか… 超・稀少
価値なのです。そしてこの他にも2個体を確認、2div目でも更に別の1個体(これは白)を確認。
水中で最初に見た時、オオモンイザリウオかも… とも思ったのですが(実はこの時 ソウシイザリ
ウオとオオモンイザリウオの違いを良く知らなかった)現地スタッフの山田さんの話によれば全て
ソウシイザリウオとの事。

後で調べたのですが、オオモンとソウシで外見上 見分けるポイントが2つあります。1つは吻上棘
(提灯)の部分。細くて普通のイザリウオみたいなのがオオモン、太くてフサフサしているのがソウシ
です。そしてもう1つは手の様な胸ビレ。普通のイザリウオの様にカエルの手みたいなのオオモンに
対してソウシは骨の本数が倍近く多く、その結果、手は丸みを帯びています。後日 この日見た
巨大イザリウオの写真を鑑定したら オオモンかと思ったイザリウオの手は確かに丸みを帯びていて
やはりソウシである事が判明しました(さすが現地のガイドは正しい)。 それにしてもデカかったなぁ…
(矢田)
 
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第63話 やっぱ アズマハナダイだったのね・・・                      1998-06

以前 未知の生物との出会いについて書いた事があるけど今回はそんな話。時として出会って
しまったヤツが図鑑等に出ている生息域、深度と矛盾してしまい、長年の悩みになってしまう事が
あるのだ。

話の発端は今から4年半前の事だ。大瀬崎に潜りに来ていた僕はナイトダイビングで今までに
見た記憶のない魚に遭遇した。一緒に潜っていた澤田君も見たのだが2人して良く判らなかった。
形としては珍しくも何ともない いわゆる普通の魚なのだが、あまり明確でない赤と白の縞で水深
20m近くに1匹だけいたのだった。

浮上後、色、形をメモにとった(当時カメラを持っていなかったのが悔やまれる)。図鑑で見ても
その魚に該当するヤツがなかなか見つからず、やっと辿り着いたのがアズマハナダイというかなり
深場の魚。図鑑の写真は生態写真ではなかったが確かに模様はぴったりなのだ。但し、『水深
80m以深に生息』という説明、更に生態写真でなかった事が引っかかってしまうのだ。果たして
我々が見たのは本当にアズマハナダイだったのか??…

これ以後、約1年もの間 何も進捗がないまま時間が過ぎ、次に事態が変わったのがアズマ
ハナダイの生態写真が掲載されている図鑑が出た時だ。但しこの図鑑にある写真のショットでは
体の模様が今一つはっきりせず、決め手とは言い難かった。写真撮影の水深は70mとあった。
それ以後 更に2年半、またも長い無進捗期間があったのだが、昨年遂に事態が急変したのだ
(オレ的に)。静岡・三保の東海大学の水族館に行った時の事、何と水槽にアズマハナダイが
入っていたのだ。目を凝らすように見るとやはりそれは数年前に大瀬で見たヤツと同じだったのだ。
やはりアズマハナダイに間違いない。しかし、気になる生息水深は未解決のままだった。

で、思い切って後日 この東海大学さんにE−mailで当時の状況を知らせ、果たしてこの深場の
魚が20mの浅瀬まで来るのかを質問してみたのだ。アズマハナダイの飼育担当さんからの話を
要約すると、やや水温の低い大潮の日に浅瀬に上がって来る事はあり得るそうなのだ。但し、
アズマハナダイの生態は実は良く判っていなくて 浅瀬に上がってくる理由ははっきりしないとの
事だ。遭遇したのは水温18℃、大潮の日だった。やはり希なケースで深場の魚に遭遇できた
ラッキーだったみたいだ。足掛け5年、やっと1つの疑問がクリアになった『いい気分』である。
(矢田)

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第64話 大瀬・突端 涙を飲んでクローズすべし!!                  1998-07
 
辛いねェ・・・ ごんずいの大好きなポイントである大瀬崎の破壊がここまで進んでくると もう黙って
いられないのだ。という訳で今回提言するのであります。

今やダイバーのメッカとも言える大瀬崎。一昔前は講習のメッカとして有名だった大瀬も カメラ派の
台頭によって押しも押されぬ『潜りたい海?1』です。はて、何故 大瀬にはここまで人が集まるのか?
と言えば1つは湾内という台風直撃以外は潜れてしまう穏やかな海がある事。そして駿河湾に突き
出た地形による生物層の多さにあるのでしょう。

駿河湾は世界bPとも言える急激に落ち込む特色を持つ地形です。つまり深海の生物がダイバーの
潜る比較的浅い所までやってくる可能性が高く、その歴然とした証拠に大瀬ではダイバーに珍種と
言われている生物が非常に多く目撃されています。僕自身としてもミズウオの目撃など数多くの
深海性生物に遭遇しました。

さて、ご存知のとおり大瀬には湾内の他に突端、外海というポイントがあります。僕が今、とても心配
しているのが突端の海なのです。大瀬崎そのものが国立公園である事は言うまでもないのですが、
この突端は特別海域として週末にだけ潜る事が許されているポイントです。しかし、一度海中に入ると
その荒れ様には目を覆いたくなるものがあります。僕が初めて大瀬崎に潜った10数年前とは全く
比べ物にならないくらいトサカ類が減っています。ここ5年という短いスパンで見ても状況は悪くなる
一方と思えます。特に浅場のものは壊滅状態… これはすなわち講習に使われているからなのです。
初めての海洋講習生が不慣れなフィンキックでどんどん彼らを傷つけているのです。突端の灯台に
向かって手前側はゴロタ石を歩く距離も短く、初心者には比較的入り易い場所ですが、最もこの部分の
破壊が激しいのは動かぬ証拠です。

で今、痛感しているのが3〜5年突端を完全にクローズすべきと提言したいのです。確かに潜れなく
なるのは辛い事ですが、これ以上荒れ果てる一方の海を見過ごせません。涙を飲んでごんずいからの
提言です。 (矢田)

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第65話 衝撃的完成! その名はJesus(ジーザス)!              1998-09

僕の水中アイテムに中で一際輝き、自らも全力を注いでいるごんずいシリーズ。小魚・小物を生け捕りに
する悪魔のアイテムは1号、2号、2号Type−3、そして今年1月に夢のマシーンとさえ思えた電気仕掛けの
3号が登場しています。3号は水中モーター2機搭載の別名:GT−バキューマーと呼ばれ話題をさらった
にも関わらず、1stダイブで無念の水没を期し、その後はさっぱり音無しのごんずいだったのですが 実は
その影で壮大なスケールのNew−マシーンの制作が進んでいたのであります。

初代3号: GT−バキューマーは水没してしまいましたがモーター部は生きていました。水没の翌日この
モーターを切り離し、新たに2機を購入。4機の水中モーターを搭載した3号Type−2の制作が今年1月
始まりました。当初3月の流氷ダイブに合わせクリオネでもgetしようと考えていたのですが間に合わず、
じっくり焦らず着手する事にしました。

4機のモーターは最小限に切り取られ、長さ僅か8cmの短い筒に並列に配置しました。入り口はペット
ボトルのキャップ部分で1つにまとめられ、その部分から獲物の吸引口であるノズルヘッドまでを1本の
蛇腹ホース(別名:アクアロード。ビクトリーロードとも呼ばれる)で繋ぎました。初代3号に比べ、随分と
コンパクトになっています。4機のモーターはスイッチで切替え可能で、9〜最大36リットル/分の水量
コントロールが可能です。スイッチはコントロールパネルと呼ばれる頭脳部分に収納され、モーターが回転
していると発光ダイオードが光るという仕組み。電源部分は本体と切り離し、これまたペットボトルを改造した
電源BOXまでケーブルで接続します。電源BOXはタンクに取り付ける形としたので水中で動き易くなりました。
そして極めつけはGBS(逆流防止システム)と呼ぶ機構。仮に4機の並列モーターで一部が停止してしまうと
水流がノズルからではなくモーター内を逆流する恐れがある為に設置しました。開発開始から9ケ月、途中
6ケ月もの中だるみがありましたが遂に完成したのであります。

まぎれもなくごんずい史上最強のマシーンは 神の領域に達したと確信し、Jesus(ジーザス)と命名しました。
果たして初代3号の屈辱的水没を払拭できるか ごんずい3号Type2 Jesus! 間もなくパワーオンです。
(矢田)

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第66話 出た! おめめクルクル クルマダイ幼魚            1998-10

 永かった… 随分前から見たい見たいと願っていたクルマダイ幼魚を遂に見たのじゃ(やったゼ)。
場所はやはり大瀬崎。よく大瀬のパンフレットにクルマダイ幼魚の愛くるしい姿が出ているのだが
元々深海に生息する魚、普段は我々ダイバーのお目に触れる事はない。

ホウセキキントキに近い種のキントキダイ科の魚で成魚は通常、100m近くに生息するらしい。
が、大瀬の(駿河湾の)地形は実に素晴らしく、急激な落ち込みという条件が時として深海生物を
浅瀬にまで呼んでじゅれるのだ。クルマダイ幼魚の目撃が報告されているのは秋→冬、水温の
下がる冬場に限ると言って良い。しかし毎年という訳ではなく、時より目撃例が飛び込んで来るのだ。
今回もそんな希な目撃例の噂を聞きツアーに出発する前、内心ドキドキしていたのだった。

クルマダイ幼魚の外形で一番の特長がその大きな目。深海性生物の証でもあろう大きなおめめは
体長4センチに対し、直径1センチ近くもあって非常に巨大だ。体色は黒と茶の縞模様でお世辞にも
奇麗とは言えないがムックリ体型が更に 可愛らしさを強調する。

さて、我々は目撃情報を元にこのお宝の捜索に向かったのだ。が、湾内に1個体と言われていたので
的確な情報がないと発見は不可能に近い。目印と言われていた三角スイがなかなか見つからず、
うろうろしていると近似種のアカネキントキ発見。これも珍しいのだが、今回の狙いはクルマダイ幼魚
なのでさっさと次を探す。が、一向に見つからず、一緒だった堤君も諦めてミジンベニハゼの撮影モードに
突入… 『あ〜、ダメかなぁ〜』と、ふと手前の空缶を見ると… いたいた!! 空缶を隠れ家にして小さな体の
大きなおめめ、間違いない。

自分自身、クルマダイ幼魚との1stコンタクトだった。この時はウレシかったネ。急いで堤君を呼び、
数ショットの撮影に成功したのだった(自分でカメラ持って行かなかったのが悔やまれる)。と、ここまでは
良かったのだが、その後一緒にいたT氏がビックリした事に空缶の中に隠れたクルマダイを缶ごとゲット
しようとしているではないか!! ダメよ、この1個体求めて何人ものダイバーが大瀬に来てるのに… もちろん
クルマダイは無事に帰したけど、個人で水槽に入れて楽しむレベルと違うんだっちゅうの!! (矢田&堤)

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第67話 oh jesus! 惨すぎる結末・・・                                    1998-10

98年1月のごんずい3号の水没事件から約10ケ月。遂に雪辱のマシーン:ごんずい3号Type−2
Jesusのデビューがやってきました。今回はその結末の話。

ごんずい史上最強のスペックを誇るスーパーマシーンであるtype目Jesus、その完成された美しい
フォルムには惚れ惚れするばかりなのですが、結末は何と悲惨な事か…  海デビュー2日前、自宅の
風呂場で実験をしたのです。今回は絶対の自信があったのですが、その実験の際にマシーンの頭脳
部分とも言えるコントロールパネル部に若干の水没があったのです(およよ)。正直、このまま海で
デビューさせるか再度 分解修理するか悩みました。が、ここで引き下がっては男がすたる、水没覚悟で
大瀬に持っていったのです。

1stダイブは大瀬の湾。これが最初で最後になるかもしれない可能性が大なので、とりあえず水中に入り、
スイッチON! ウィィ〜ン… 動いた! 恒例?? 吸引口ノズルを頬っぺたに当てて 確かに吸引しているのを
堤&鳥海さんに堪能してもらい、さあ次はアメフラシ捜索… (え・えッ?) そう、今回はスペシャル・ミッション
としてアメフラシの紫色の体液を吸い込んで吐き出すというパフォーマンス狙いがあったのです(く・くだらな
すぎる…)。ところが今回はそのアメフラシすらおらず、つくづくついてない自分の運命を恨みました。

とりあえずモーターが動いている間に… と、2センチ程の小さな貝殻を1つ岩の上に乗せてショーの始まり。
『イカレポンチ〜:2号シリーズのファイヤーに相当する言葉)』、ウィィ〜ン… コ・コロリン。貝殻は成すすべも
なくコロリと吸込まれて行ったのでした(水中大爆笑)。次に浮きボンテンに付いていたハオコゼと対決。
吸込む事は出来なかったけど ハオコゼは必死に抵抗して哀れをこうていました(ハッハッハッ〜)。

しかしこれが10ケ月もかけたJesusの最期でした。2ndダイブでは電源部までも水没しジ・エンド。結局、
またも防水のあまさから失敗に終わってしまったのでした。しかし諸君、これを失敗と言う一言で済ませる
べきなのだろうか? 必ずやこの失敗は次回作に引き継がれ、未来の大成功へ繋がるでしょう… って自分
自身の慰めにもなりゃしない… はぁ〜(深いため息)。(矢田)

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第68話 さらば246(1)                                                              1998-11

いよいよこの時が来たって感じかな。ダイバーズin246との別れの時がやってきました。自分の
ダイビングの出発点でもあるこのショップにはなみなみならん思い出がある事は今更言うまでもなく、
こうやってこの回の自筆を書いているのは辛いの一言に尽きます。そんな246への想いを今回、
次回に書き記しましょう。

思えば246の扉を開いたのは1986年の事。いわゆる紹介の客ではなく、飛び込みの客で、一人で
来店した時の事は今でも脳裏に焼き付いています。『こんちは〜。ダイビング始めたいんですけど…』
すると現サウザー代表で当時246でバイトしていた荒井さんが早口言葉で応対してくれ、スクール
申込み手続きをしてくれました。『随分と若い店長だなぁ…』と思ってたら奥の倉庫から妙にもみ上げの
長い黒いおぢさんが登場!! 『荒井、客か?』その一言から全てが始まったのでした。

正直、ライセンス取ったらおさらばするつもりだったのですが、246の雰囲気に飲まれ、どんどんと
深みにハマっていったのでした。246の雰囲気とは? それは会社務めでは絶対に味わえない多くの
職業の人達との出会いや、その考え方に触れる事が出来る点。フと気付けばその年86年には40DIV
以上も潜っていました。当時は年間に100本潜る人達がたくさんいたので目立ちはしませんでしたが、
自分としては2〜3年くらいの短い期間に多く潜るより年間本数は少なくても10年といった長い期間で
潜りたい(より多くの友達ができる)と感じていました。

21才という若い年齢でダイビングを始められた事がボクには幸いしました。20代という最も人生で
輝いている時期を強烈な個性の面々の246メンバーと出会えた事、きっとごんずいの青春の思い出と
して脈々と生き続けるでしょう。(2)へ続く。 (矢田)

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第69話 さらば246(2)                                                                1998-11

今回が246メンバーの一員として書く最後の『Mr.ごんずいの戯言』。

自分自身のレジャーとしてのダイビングからショップスタッフとしての立場に変わったのが91年の事。
ダイブマスターとして今までと違った側面でダイビングと接する事になったのです。最初、ダイブマスター・
コーストレーニングの話をもらってから自分自身では葛藤しました。ダイブマスターになるという事は
指導者的な側面でツアーの責任を取る立場にあり、果して自分がその器に値するダイバーなのかと
いう葛藤でした。正直言ってしまうとそんな結論の出る前に周囲の雰囲気に流された所もあるけど、
そんな上級者コースの話なんて自分にとっては大きなチャンスに他ならなかったので決意しました。

ダイブマスターとなった当初は自分自身でツアーを見る事だけで精一杯で余裕など全くなかったのですが、
246メンバーのなんとありがたい事か、新米ダイブマスターをお客さんがサポートしてくれる事も多くあり、
徐々に指導者としてごんずいは育つ事ができました。やがて93年からはインストラクターとなり、せいぜい
平日の夜と週末くらいしか活動はできないけど講習生を育てる立場となりました。

こうしてボクの13年の246での活動を振り返るととても長かったようで、その間246、いやダイビング
業界そのものが変わり、昔は客で溢れていたショップも、かじっただけのにわかダイバーからプロフェッシ
ョナルな?アマチュアの台頭へ(本当に潜るのが大好きな人だけが残るという意)変貌した様に思え
ます。とは言っても初めて246のドアを開いた日がついこの間の様にも感じられるアッという間の出来事
だった風にも思えます(不思議な感じ)。自分でもまさかこんな長い間246で潜るとは考えてはなかった
のに、自分でも気付かない思い入れがあったのでしょう。

246で送別会をやってもらい、夜中まで騒ぎ、『もうこれでおしまいか』と思うととても悲しくてバイクで
帰る途中フルフェイスのヘルメットの内側で号泣していたごんずいでした。さらば246。ありがとう246。
(矢田)

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第70話 Diving Project Mr.ごんずい 旗揚げじゃ!                 1998-12

『Mr.ごんずいの戯言』も前回で246編は一応終わり。ごんずいは転勤で地元:三重県に引越しました。
でもごんずいは別にダイバーを辞めた訳ではなく、これからも潜りまっせ!! ちゅー訳で今回はこれからの
ごんずいの活動の話。

素晴らしい仲間に恵まれた246を離れ、東海地方でダイビング活動するにあたり、ボクはショップダイバー
ではなく、自分のダイビングクラブを作る事にしました。将来、転勤する事は2年前には判っていたので
少しづつ準備はしていたのですが、この度公にクラブを旗揚げします。その名は『 Diving Project Mr.ごん
ずい』。普通のクラブと異なるのが各プロジェクト別に活動内容が別れていて、プロジェクト別に全国から
メンバーを募集するというもの。では組織を紹介しましょう。

まず、なんといってもツアー部。メンバーを募り、ツアーを行います。東海地方でのダイビングは絶対的な
好ポイント伊豆に近い関東地方とは違います。距離的に一番近いのは伊勢湾なのですが、まだまだ
ポイント開発は遅れていて、その殆どは志摩より南でちょっと遠く、夏には多くの東海ダイバー達は鶴賀
湾(日本海)へ出かけるけど、冬は荒れて潜れない。紀伊半島で最大のビッグ・ポイントである串本へは
車で6〜7時間、かと言って伊豆へも程遠い訳でもなく西伊豆ならば横浜からプラス2時間の距離。要は
今までより伊豆へは多少遠くなったけれど他のポイントへは逆に近くなったのでダイビングエリアのフィー
ルドが広がる可能性が出来たと感じてます。

科学技術部にはその中に現在、G3project、BBproject、 ONEproject、NIprojectの4projectがあります。
G3prjはごんずい3号シリーズに開発、BBprjはビビるんですシリーズの研究・開発、ONEprjはオネクリ
シリーズの開発・商品化、そしてNIprjはこれから開発するニューアイテムの研究を担当します。各プロジェ
クトのメンバーはインターネットも含め全国から募集し、開発状況を連絡したり、共同でアイディアを募ります。

文化部はダイビングを通して学習する部門で,現在ENprj(環境問題)があり、これから何をすべきかを
そして広報部はこの『 Diving Project Mr.ごんずい』の活動をオープンに、そしてよりメジャーにする為の
活動組織です。どないでっか?ごんずいの新活動拠点は? 親友・浅井兄貴からは演芸部がないとの
指摘もありましたけど… (矢田)
 

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