Mr.ごんずいの戯言 Vol2.君のために・・・
第41〜50話


このサイトでは 『Mr.ごんずいの戯言』 のテキストのみの表示サービスを行っております。
ごんずい出版社より発行されている 『Mr.ごんずいの戯言・普及版』 では更にカラー写真を
ふんだんに使ってありますので ご期待下さい。

第41話 そんなヒロシとツーショットダイブ                             1996-12

ごんずいです。早いもので96年もあっという間に過ぎ,年末恒例のX*mas大瀬ツアーの時期と
なったのですが、今年はいつもと違うツアーになりました。というのも例年だとこの年末ツアー、
結構な人数で賑わっているのですが 今回は全く逆で人が集まらなかったのです(とほほ・・・)。
ツアーが集まらないというのは本当に寂しいもので、冷え込んでいる景気のせいなのか?
それとも別の理由があるのか? ツアーを企画している側としては色々考えてしまいます。と、
こんな事を書いていても暗くなるだけなので肝心のツアーの話。

今回、堤,高松,そしてボクと既に妊娠6ケ月で潜れない妻,アンド河野というメンバーで大瀬に
行きました。海は透視度はまあ例年並みに良いものの、これといった生物も少なくて更に期待の
ナイトもまるで底物がいないといった散々な状況... 正直今年の後半は大瀬のナイトはあまり
良くないなぁ(パッとしない・・・)。サービスに聞いても今年の秋以降あまり珍しい生物も少ない
らしく、自分達の運が悪いだけではなさそうです。

とてもお寒いナイトの終了後、翌日仕事のある堤&高松の両氏は横浜に帰り、残ったのは
おぢさんと矢田夫婦のみ。翌日は何とおぢさんとボクの2人だけで潜るという前代未聞の
246イントラ・ツーショットダイブとあいなりました。こんなの自分のスクーバダイバー(現OW)
講習以来の事! サービスのスタッフから『たまにはいいじゃないですか!? どうぞ ごゆっくり』と
からかわれ2人で台車を押して突端へ。まあ、こうして河野さんと2人きりだけで潜るのは
これで最後かもなぁ?... とちょっぴり感慨深げに潜ったのでありました。水中ではお互い付かず、
離れずの元祖246スタイルで潜りました。(矢田)

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第42話 ごんずいの年賀状                                                        1997-01

97年はナホトカ号の重油流出事故というニュースで明け、海に接する1人の人間として
とても歯がゆい想いをしてるごんずいです。それにもまして、どこかポケットに入り込んで
しまった様に最近,海に行っておらず,このごんずいの戯言もチョットネタ切れ... という
訳ではないのですが、今回は海とはあまり関係ない私の年賀状の話。

知る人ぞ知る,私の年賀状はかなり(コギャル風に)変です。半面写真&自由あいさつ文と
いう形で毎年ユニーク?!な年賀状を作ってるのですが実は今年でシリーズ12作目(つまり
12年目)という超ロングランとなっているのです。

さて,どこが変なのかというと普通の年賀状には必ずある"あけましておめでとう"という
当たり前の言葉がどこにもない事、そして自由あいさつ文の奇妙な文脈にあります。最初に
見た人は『なんぢゃこれ!?わけわからん..』とか『矢田さんってキレてるぅ〜』とか様々な
意見があるそうです。家族のいる人には反響が大きいらしく、『お母さんがこの人とは付き
合うのやめる様に言った..』という情けない話もあります。一見して年賀状に見えないので
年内に集配されてしまったケースも多々ある様です。
『また来年もユニークなヤツ下さい!!』という数少ないファンの声を裏切れずに、自分が
結婚する時に"自分だけの年賀状は作り続ける事(但し,お小遣いの中で)"を奥さんに確約を
とったごんずいの年賀状(自らはアートと呼称)、この先一体どうなる事やら...(既に止める
きっかけを無くしてしまったという噂あり)  継続は力なりという大好きな言葉とは裏腹に
自分のバカさへ挑戦し続けなければ気がすまない自分の性格がカワイくもあり、悲しくも
あったりします。(矢田)

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第43話 夢のごんずい3号                                                      1997-02

今回はごんずいフリークの貴方(どなたじゃ??)にはたまらない話です。既にご承知のとうり
ごんずいの数々の水中アイテムの中で最もこだわっているいるのが,魚生け捕りアイテムの
ごんずいシリーズ。

手アミを改良したごんずい1号に始まり、筒の中のピストンをバネで後退させる事で海水
もろとも小魚を吸い込む、平成絶叫マシーンことごんずい2号、そして それの大型化を試み
途中で開発を断念したごんずい2号type-2、更に昨年type-2の残り
部分を完成させたごんすい2号type-3...

ここでふと思うのが新しく作る物が何故にごんずい3号のネーミングでないのか?という素朴な
疑問。実はその訳は私の頭の中にあるごんずいシリーズへのこだわりがあるからなのです。
あくまで2号シリーズはシリンダー(筒)中をピストンが後退する事を基本構造とするマシーンで
あって,初代ごんずい2号と昨年完成したtype-3とは吸引能力などに差があるものの、基本
メカニズムはさほど変わっているわけではありません。 以前からごんずい3号のネーミングを
付けるマシーンはやはり吸引システムの本質的な変化がある場合と考えていました。そして
その本質的変化とは?!...  答えは電気です。

ボクにとっての夢のマシーン:ごんずい3号は電気掃除機の様な電気方式の魚吸い込み器を
イメージしているのであります。注目の開発コードはGT−バキューマーに決定(ごんずいツイン
バキューマーの略)。

さて、ここまで書けば懸命なごんずいフリークの貴方(誰じゃ!!)は,既にごんずい3号の試作が
始まっている事に気付いたでしょうが,今回は焦らずゆっくり作ろうと思ってます。 目標では
この秋くらいにパワーオン! いよいよ夢のマシーンが始動します。(矢田)
 
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第44話 北に魅せらせた男 知床一人旅                                 1997-03

ごんずいです。今回から3回にわたり97年流氷ダイブのお話。本来なら流氷ツアーと
書きたいところなのですが、残念な事に今年はツアーが成立せず,それでもどうしても流氷
ダイブに執着する僕はたった一人で知床に行く決意をしました。妊娠8ヶ月の妻をも残し,
北に魅せられたごんずいは完成したばかりのクリオネ型水中ロボット:オネクリM−7と
共に旅立ったのであります。

なんとか?!羽田の厳しい金属探知器を通り抜け、女満別からは路線バスで網走駅まで行き
(途中網走湖でアザラシを発見するも路線バスは無情に通過・・・)、2時間の暇ぁぁぁな待ち
時間の後,知床グランドホテルの無料送迎バスで一路ウトロへ。途中,観光もなくひたすら
移動のみで少し物足りず....(やっぱり観光しながらがベスト)

ウトロではトッカリのスタッフ達に暖かく迎えてもらって、最高に楽しい流氷ダイブとなったの
ですが、やはり一人ってお気楽だけど淋しいものです。なにしろあの素晴らしい流氷を246
メンバーと分ち合えないのが辛いっ...

アフターダイブはクロカンやるでもスノーモービルやるでもなくただ街の写真を撮りに行ったり
してました。お陰でオロンコ岩の単独登頂に成功しました(日本人初:大ウソ)。後はイクラや
ウニ等を食いまくったり、温泉でのんびりしてリフレッシュさせてもらいました。

で、この一人旅で一番堪えたのが帰りの網走での待ち時間。話相手もおらず、一人で凍て
ついた街をさすらったのですが寒いのなんのって... 唯一オホーツク水族館のお姉ちゃん
(僕好み)とのお喋りタイムだけが救いでしたとさ。(矢田)
 
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第45話 ハロクラインとシャンデリア                                     1997-03

今回は流氷ダイブ水中編の話。なにしろ今年良かったのが氷の状態。網走市の近くでは
流氷が沖に出ていたのですがウトロは氷がびっしり! 更に氷の山の様な造形が点々とあり,
これぞ流氷という一面の白い海。

翌日いよいよ3年目の流氷ダイブっ!と早起きして海を見てびっくり!!  なんと昨日までびっしり
だった氷がない!! (さすがに港の近くの流氷は動いていませんでしたが...)  僅か一晩であれ
だけの氷が動く!?自然の力とは本当にすごいもの。また1つ感動しました。

さてダイビングは昨年と同様、畳一帖くらいの穴よりエントリー。今年はホロベツ川に近い所で
潜ったせいもあるのか氷の下に数10cmの淡水層が入り込み,もやもやっとした視界となる
ハロクラインが発生していました(感じはサーモクラインみたい)。これがまた幻想的でうっとり。
そして流氷の下で更に氷が成長するシャンデリアも多く見られました。流氷ダイブでしか体験
できない現象に大自然の素晴らしさを実感したのでありんす。

生物も今年は豊富です。エントリーしてすぐウミグモが、そしてミジンウキマイマイが羽ばたいて
ました。主役のクリオネはハロクラインの影響で今年は少ない、もしかすると見れないかも... との
心配をよそに数は少なかったけど天使の舞いを披露!! 昨年見れなかったウリクラゲ、また赤い
触手が特長のフウセンクラゲも薄暗い氷の下で見事な電飾を見せつけてくれました。とどめは
クサウオの幼魚。まるでおたまじゃくしの様な風貌でブサイクそのものなのです。これ以外にも
フサギンポやギンポの仲間、カジカの幼魚など魚もいっぱいの0℃の海でした。

残念だったのは今年は氷が厚すぎてマサイ族ごっこが出来なかった事・・・ 氷が良すぎて遊べ
ないなんて... 来年は絶対にみんなで行こうゼ!!(矢田)

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第46話 オネクリ 流氷に死す!                                                1997-03

97年知床一人旅の最後はオネクリの話。96年の流氷ツアーで思い付いたクリオネ型 ロボット:
オネクリは96年秋にM(モデル)−1の開発を始めましたが失敗に継ぐ失敗...  M−6で一応
完成したのですが,大瀬崎での実験により水没し結局,流氷用にM−7を新規作成する事になり
ました。

まず、オネクリの最大の弱点"重過ぎる"を解消すべく出来るだけ浮力を付け、更に低温対策に
電池の保温も行い,出発1週間前に完成。出発の羽田空港では最近のハイジャック騒ぎで金属
探知器が厳しくなっており,悲しいかな反応してしまった自分のバッグはオネクリもろともチェック
される大トラブル発生! 明らかに不審物であるオネクリはなんとかチェックをくぐり抜け、オネクリは
遂に念願の流氷の海へ。

ダイビング前日のミーティングでオネクリを発表すると笑いと驚きの声が(いけてる!)。よっしゃぁ!
いざ本番ぢゃ!! 1ダイブ目クリオネの撮影後BCのポケットに忍ばせておいたオネクリBOXから
オネクリM−7登場! 見ると既に水没が始まってる...『やっベー』と思いつつスイッチON! ブィーン...
よっしゃ動いたっ!! パッ・パッ・パッ...『おおーっ 発光ダイオードも点滅してる!やったぁ!』と思ったら,
やはり重過ぎるのか、静かに沈んで行ったのでありました。

このままではクリオネとオネクリが共に舞うシーンが撮れないっ!... 2ダイブ目の前に奥の手:
オネクリフロート装着!(釣り用のウキを釣り糸で付けた)。 そしてかろうじて動くオネクリと共に
2ダイブ目へ。しかしこのオネクリフロートもオネクリM−7のオーバーウェイトに勝てず北の海に
沈んでいったのであります。

今回は流氷下でオネクリを動かすという目的をとりあえず達成したので満足してます。でも
『来年はマイマイのロボットも作って下さい』という難しい宿題をもらってしまった。  どうしよう...
(矢田)

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第47話 第2のふるさと パラオ(1)                                        1997-04

 『お前のエッセイには南の話が少ねぇからなぁ・・・』という一部読者の声もあり、今回と次回は
南国の話。

今、無作為に ダイバーに一番行きたいポイントは?という質問をすると、まず挙げられるのが
パラオでしょう。そうでしょう、そうでしょう、パラオはいいっ!! 私も この3年間ご無沙汰している
パラオですが、パラオの魅力に引き込まれてしまった数多くのリピーターの一人でもあります。

最初に南国パラオの扉を叩いたのが90年2月。あのツアーでの衝撃は今でもはっきり覚えて
います。初日のチェックダイブ後のブルーコーナーで次から次へと湧いてくる魚達。中でもメジロ
ザメなんかは本当にすぐ近くまで来て、水中でレギュを咥えながらも隣の人の 『うおーすげー』と
いう声が聞こえてきました。今までのダイビングにはなかった、大物がうようよする興奮は、
浅井氏曰く『ハンマーで殴られた気分』そのものでありました。 これ以上の海が世界中探して
あるのか?なんて思ったりもしましたが、ペリリューならば このブルーコーナーを超える可能性が
あると聞いて翌年までの一年、ペリリューを追い続け、そして憧れ続けました。

翌年の91年、湾岸戦争で世界が緊張する中、2度目のパラオ。そして1年待ち焦がれた
ペリリュー島への上陸を遂に果しました。ペリリュー島は言わずと知れた大戦の玉砕の地。
島内は50年経った今でもまだ戦争当時の飛行機などの残骸があります。中には驚く事に
不発弾もあり、楽しいダイビングの半面、大戦中を想像すると恐ろしくもなったりしました。
海の中は大物こそ少なかったのですが、魚影の濃さは素晴らしいものでした。

この頃から私はパラオを第2のふるさとと位置づけ更にもっとパラオの事を知りたいと思い
始めたのです。(2)へ続く (矢田)

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第48話 第2のふるさと パラオ(2)                                        1997-04

前回からの話の続きで南国パラオの話。

翌年92年のパラオツアーではペリリュー島で遂に200匹ものロウニンアジの大群に遭遇したり、
ブルーコーナーではロウニンアジとイソマグロがマアジの群れをハンティングするドラマチックな
シーンを見たり、大感動の嵐となりました。そしてこのツアーではパラオの現地の本『PALAU』を
購入し、あろうことか翻訳作業を開始する事になりました。英語力は自慢じゃないが全くない僕が
完全英語版の本を翻訳するには一年半という膨大な時間を要する事になったのですが、本領の
粘り(継続は力!)でなんとか発行にこぎつけました。

おちゃめなボクはごんずい出版社を設立し、現在の『ごんずいの戯言』の基礎を作っていったので
ありました。まあこんな事はどうでもいいのですが、我が第2のふるさとパラオの事を知れば知る
ほど、素晴らしい海や明るい人々とは対照的な部分が見えてきました。

それは第二次大戦と現在の観光収入依存の事。悲惨な2次大戦の傷跡を残した日本が経済
大国になり、現在は日本人ダイバーによる観光収入がパラオ経済に与える影響が大きいのは
とても皮肉に思えます。

翌年93年は残念ながらパラオツアーに参加できなかったのですが翌94年は結婚前の最後の
贅沢で再び4度目のパラオへ。狙っていたパラオ北の未踏の秘境カヤンガル環礁へ遠征は
実現できなかったものの、このツアーではマンタを見ました(実は初めて)。今まで何度となく
チャレンジしては嫌われたマンタをようやく見れて満足・・・ その後は現在まで残念ながらパラオ
には行けてませんが、またいつか第2のふるさとに帰郷せねば!と思っています。

それにしても最近気になっている事があります。ここ4〜5年のパラオブームで多くの日本人
ダイバーがパラオに行きますが、その歴史をもう少し知ってほしいという事です。この前もTVで
日本人ダイバーが批判めいて叩かれていましたが、少しくらいは"海"以外のパラオの知識を
持って出かけてほしいと願っています。(矢田)

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第49話 祝! ごんずいホームページ開設                              1997-04

今回も海ネタじゃなくてパソコンネタ。というのもこの度 遂に念願の 『 Mr.ごんずいのホーム
ページ 』を開設したのであります。何だかチンプン○×△の人もいるかと思うので一応簡単に
説明します。

インターネットという言葉は 多分聞いた事がない人はいないと思いますが、今や日本の
2世帯に1台は普及していると言われているパソコンからこのインターネットに接続すれば
いろいろな情報が入手出来たり、互いに手紙を出したり何かと便利な世の中になっています。
企業はこのインターネット上にホームページという情報のページを開設し、企業アピールや
製品紹介、更に求人案内までやっています。個人でもホームページを開設して情報を公開
できます。TV、ラジオといった従来のメディアと異なるのはこの情報を互いに入手したり
送ったりというマルチ(な)メディアという点です。

で、肝心の Mr.ごんずいのホームページ ですが、メニューは自己紹介、自作水中アイテム、
エッセイ集(Mr.ごんずいの戯言)、お店の紹介、アート年賀状、水中フォトグラフィー等で結構
内容は盛りだくさんなのであります。

水中アイテムのページでは今までに作ったごんずいのアイテムが写真付きで一挙に公開
されています。エッセイ集のページでは今までの話の幾つかと最新の数話が読めるように
なっています。お店のページでは246へのアクセス方法やツアー予定表などが見れます。
店内の写真やツアーの写真等も入れてあります。そして水中フォトのページではごんずい
写真館と銘打って伊豆の魚、沖縄の魚、知床の生物を写真で見れます。もちろん写真は全て
自前。まだ15点くらいで少ないのですが、後々増やしていきたいと思っています。 ・・・ってな
具合に世界中からいつでも見れるごんずいホームページのURL(アドレス)は以下のとおり。
http://village.infoweb.or.jp/~fwht7175/index.htm  どうぞ宜しく。(矢田)
 
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第50話 命名 竜士(りゅうと)くん!                                           1997-05

ごんずい@うかれパパちゃんどぇす。97年5月21日、我が家にめでたく第1子が誕生したので
報告します。

最初は登戸の個人病院で夫婦立ち会いの自然分娩で出産する予定が予定日5月10日を
過ぎてもまるで陣痛の兆候がなく、検査の結果『胎盤の機能が低下しており出産リスクから
大きな病院で出産した方がいい』と言われたのが16日。『今更・・』という気分の中で紹介
されたのが、妻が出産を嫌がっていた(以前に勤務していた)聖マリ医大。20日に入院、翌
21日早朝に破水、このまま自然分娩と思いきや、今度は微弱陣痛になってしまい、このまま
だと赤ちゃんが危険なので急遽、帝王切開に変更、午後1時21分 無事に男の子が産声を
あげたのです。いやはや大変な出産劇でした。母子共に健康で、とりあえずはひと安心な
ごんずいです。

さて、子供の名前ですがやっぱりダイバーとしては海に関係した名前を考えました。以前に
いいなぁと思っていた『海人』 (かいと)は沖縄では、うみんちゅ(=漁師)でGoodだったのですが、
福岡の親友中尾さんが付けたのでパス。『マンタ』ぢゃさすがにかわいそうだし『ぱらお』もねぇ・・・
男と女の双子なら『くりお』と『ねね』に決めてたけどあえなくパス。河野さんは男なら『いさな』
女なら『みお』と誰にでも言う?!のでそのまま付けると周囲で同じ名前ばかりになりそうでこれも
パス。246で公募しても『からね』『もんな』『かんな』など矢田と組み合わせたろくでもない名前
ばかり・・・

で、結局決まった名前は『竜士(りゅうと)』くん。海とはあんまり関係ないけど、竜の様に雄々しくて、
そして日本男子が忘れてしまったサムライの心を宿して欲しいと願ったもの。ボクが辰年生まれの
ドラゴンズファンなのが無関係?!とは言いませんが決めたのは妻なのでご心配なく!!

このりゅうとくん、首がすわる前に既に目がすわっていると評判の末恐ろしいごんずい二世なの
です。(矢田)
 
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