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34日目
水口宿〜石部宿
2003年2月8日(土)
国道1号まで迂回してようやくわたれた野洲川。川を越えてJR草津線の三雲駅前へ出ます。駅前の通りが東海道なので、一旦江戸方面へ戻り、先ほどの巨大常夜灯の対岸へ。ここから東海道の再会です。

常夜灯〜
国道1号線の横田橋を渡り、JR草津線の三雲駅へ出ます。駅前の通りが東海道ですので、ここで一旦巨大常夜灯の対岸まで戻ります。すると、途中に常夜灯が建っていました。この辺りが、京側の渡船場だったのかもしれません。常夜灯辺りから再び徒歩の再開です。三雲駅を過ぎると、東海道は左右に蛇行しながら草津線と平行して進みます。この揺れが当時の東海道なのです。この辺りは、道幅も細く、なんとなく当時の面影があるように思えます。

やがて、左から草津線の線路が近づくと、踏切で草津線を越えます。なんと、踏切上で別の道とクロスしています。踏切を渡ると東海道は右の道となります。すぐに、行き先の書かれた木製の道標がありますので、迷うことはありません。

<写真説明>
左上:道標
右上:草津線の踏切
左下:木製の道標
 

大沙川トンネル
旧道を歩き続けていると、突然前方にトンネル(写真左)が現れます。いったい何のトンネルだろう。近づいてみると、トンネルの上は川(大沙川)でした。大沙川は天井川で、川底よりも低い東海道は、トンネルで川を越えます。ちなみに、トンネルをくぐると、左側からトンネルの上に登ることができます。川には水がありませんでしたが、東海道を真上から見ることができます(写真右)。

一里塚?
大沙川を越え、ひたすら東海道を進むと、めずらしく、路線バスとすれ違いました(写真左)。小さい車体でしたが、こんな狭い旧道にも、路線バスが走っているのですね。貴重な出会いでした。
ところで、夏見地区に入り、そろそろ一里塚があるはず。ところが、書籍には一里塚跡と載っていても、肝心の跡がありません。とりあえず、それらしき石碑があったので、写真(写真右)はとりましたが・・・。いったい、どこにあるのでしょう。

由良谷川トンネル〜北島酒造
再びトンネル(写真左)が現れます。トンネルの上は由良谷川で、こちらも天井川です。トンネルの手前には、「新田道道標」が建っていて、かなり目立っていました。また、トンネル手前を右に曲がると、由良谷川に登ることができます。残念ながら、こちらも水は流れておらず、完全に枯れてしまっています。
トンネルを過ぎた先には、1805年創業の北島酒造の赤い暖簾が目にとまります(写真右)。

石部宿
北島酒造を過ぎると、これといった見所もなく、ただひたすら、京を目指して歩き続けます。退屈ですが、幸いにも旧道であることが、気持ちにゆとりを与えます。酒造から1時間程歩いたでしょうか。交差点の左側に、ちょっとした広場がありました。石には「石部宿」と彫られていることから、どうやら石部宿に着いたようです。そろそろ日が傾いてきました。
石部宿には、残念ながら、問屋場跡や脇本陣跡などの碑は見あたりませんでした。ただ、宿場の中程(中心部)には、雰囲気のいいたたずまいの資料館がありました。資料館の先には、本陣跡を示す石碑が建っています。しかし、見所はここまで。やがて道は右に曲がります。

<写真説明>
左上:石部宿と彫られた石碑
右上:資料館
左下:本陣跡
右下:右に曲がる場所

行程終了
右に曲がった後、今度は左に曲がります(写真左)。資料館のおじさんに聞いたところ、一里塚後がこの辺りにあるとか。探したものの、どこにもありませんでした。
左に曲がり、しばらく行くと、T字の交差点(写真右)になっています。東海道はそのまま直進ですが、右折すると石部の駅。すでに17時を回っていたので、ここで本日の行程を終了。電車で一足先に草津へ向かい、ホテルで疲れをいやしました。



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