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28日目
鳴海宿〜宮宿
2002年10月13日(日)
晴れ
秋祭りたけなわの鳴海宿を過ぎ、いよいよ熱田神宮のある宮宿へ。大都市名古屋の中にひっそりとたたずむ歴史の遺物に、東海道を偲びます。そして、宮宿から先は海上七里。現在はたどることが出来ませんが、海の向こうの桑名宿を思い描きながら、東海道の旅も一息つきます。

鉾の木貝塚〜天白橋
古い家並みが残る街道を歩き、大きな道路を渡ると、民家が途切れた先に鉾の木貝塚跡(写真左)がありました。そのまま旧道を進むと、やがて大きな通りを横切り、右から道が合流すると天白橋(写真右)に着きます。橋を渡ると、道上に分間絵図のレリーフが飾られていました。そこを過ぎると、道は右に緩やかにカーブをし、こんもりとした大きな茂みが見えてきます。

笠寺一里塚・笠寺観音(笠覆寺)
前方に見えたこんもりとした大きな茂みは、笠寺一里塚でした。片側(京へ向かって右側の塚)しか残っていませんが、とにかく、この塚には驚かされました。写真でもおわかりになるでしょう。塚の上に生えた巨木。そして、その根っこ。塚全体を包み込むように張られたその根は、まさに「塚をわしづかみ」しているようです。しかも、茂みに見えたのは、たった一本の木でした。この地の「主」といっても過言ではないでしょう。
思わず、挨拶してしまうほど、迫力のある塚でした。

一里塚を過ぎると、歩道のない緩やかな上り坂となります。坂の先には笠寺観音がありました。

写真左上:笠寺一里塚(左側が東海道)
写真右上:笠寺一里塚
写真左下:笠寺観音
 

清水稲荷
街道を進むと、左側に赤い鳥居がありました。清水稲荷の鳥居で、境内までは比較的長い参道が続いているようです。鳥居の右側には、東海道と彫られた石碑がありました。

熊野三社と祭り
そろそろ日も傾きはじめた15時15分頃、前方に大勢の人が見えてきました。人々は右側の神社に入っていることから、どうやらお祭りのようです。神社は熊野三社。大勢の人々はお祭りの参加者でした。鳴海宿で出会ったお祭りと比べると規模が小さいのですが、とても楽しそうでした。
それにしても、この日は3カ所でお祭りに出会いました。秋祭りのシーズンなのでしょう。こんな偶然もあるんですね。これも旅の醍醐味。東海道を旅していると、本当にいろいろなものに出会います。

山崎橋
神社を過ぎると、橋が見えてきました。山崎橋(写真左)です。橋の手前の交差点の右隅に、比較的古い欄干(写真右)がありました。よく見ると「山崎橋」と書かれています。
橋を渡ると、東海道は左に曲がり、すぐに右斜めへ曲がります。そして、市街地へと入っていきます。

市街地〜宮宿へ
高速道路の高架橋のある広い通りを過ぎると、国道に合流します。やがて国道は陸橋となりますが、東海道はその手前で左側の脇道となります。しばらくすると、やや複雑な五叉路(写真左上)がありました。ここは斜め左、自動車工場に沿って進みます。やがて、新堀川を渡ります。この辺りから、道端には小さな「東海道」と書かれた標柱らしきもの(写真右上)があるので、安心します。
市街地の裏通りといった感じの東海道を進むと、前方に名鉄のガードが見えてきます(写真左下)。ガードを越えると、右側に整備された小さな広場がありました。案内板を見ると、現在地に「伝馬町一里塚」と書かれていることから、どうやら、一里塚跡のようです。

裁断橋跡〜伝馬町商店街
しばらく歩くと、「裁断橋跡」の石碑がありました。かつて、精進川にかかっていた橋の縮尺を縮めて復元したもののようです(写真左)。また、この辺が宮宿の入り口のようです。ということは、ついに宮宿へ到着しました。

東海道は、この先商店街となりますが、途中、広い通りに分断されてしまい、迂回を余儀なくされるところがあります(写真右)。

ほうろく地蔵・伝馬町の道標〜国道との交差点
広い通りを越え、東海道を先へ進むと、やがて突き当たります。ここで道は左右に分かれますが、突き当たりには「ほうろく地蔵」がありました(写真左上)。また、左角には「東江戸かいどう、北なごやきそ道、南いせ七里の渡し、是より北あつた御本社へ弐丁道」と書かれた、小さな道標(写真右上)がありました。東海道は、ここを左に曲がり、国道を横切って(写真左下)七里の渡しへ向かいます。

さて、東海道は宮宿〜桑名宿は海上七里となりますが、実は、佐屋回りという内陸路も存在していました。内陸路は、ここで右に曲がり、名古屋へ向かい、木曽川左岸の佐屋に出るルート(陸上六里)です。佐屋からは川舟で三里下ると桑名宿へ着きます。海上ルートを嫌う人や、欠航となった場合に、この内陸路を使用したようです。
 

本陣跡・脇本陣跡(丹羽家)・熱田荘
国道を越えると、いよいよ七里の渡しにきます。その手前、街道から脇道に入ったところに「本陣跡」の案内板(写真左上)がありました。見つけにくいので、周囲を捜索しましょう。
街道はやがて、突き当たります。その先には「宮の渡し公園」がありますが、T字交差点を右に行くと、熱田荘(写真右上)、脇本陣跡(写真左下)があります。宮宿の景観を残す数少ない建物です。

<熱田荘>
明治二十九年に建てられた料亭で、木造二階建ての建物です。

<脇本陣跡(丹羽家)>
今は民家ですが、破風付玄関は、格式の高さを残しています。
 

宮の渡し公園(七里の渡し)
16時15分、ついに付きました。日本橋を発してから28日目。七里の渡し、宮宿側の船着き場が目の前にあります。東海道は、ここから先、桑名宿側の船着き場までは、海上七里となります。かつて、多くの旅人が、ここから桑名へ向けて舟に乗ったことでしょう。

宮の渡し公園として整備された船着き場跡には、巨大な常夜灯や七里の渡しの案内板など、史跡が沢山あります。

写真左上:宮の渡し公園の石碑
写真右上:常夜灯
写真左下:蔵福寺鐘楼
写真右下:船着き場付近

現在は、堀川と新堀川の合流地点なのですが、かつてはここから海となっていたのでしょう。
夕日がオレンジ色に染める七里の渡し。海上七里の先にある桑名宿を想像しながら、今回の行程を終えました。



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