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23日目
白須賀宿〜二川宿
2002年6月2日(日)
晴れ
白須賀は、考えてみれば静岡県としては最後の宿場。三島宿からずっと静岡県を歩いてきた旅人は、ここで静岡県に別れを告げ、いよいよ愛知県へ入ります。愛知県最初の宿場は二川宿。そこには、東海道筋で草津宿と並んで残る、本陣の遺構があります。

白須賀宿に別れを告げて・・・
白須賀宿を進むと、「国学者夏目みかまろ屋敷跡」、「加納諸平生誕の地跡」の碑が建っていました。この辺りの知識がない私にとっては、どんな人物なのか想像がつきませんでした。

先へ進むと、駐車場の前に、静岡県が建てた案内板がありました。実は、この案内板が最後となります。箱根峠を越え、函南町に入ってからずっとナビゲートしてきたこの案内板とも、ここでお別れです。

案内板の先には、「高札場跡」の石碑が建っていました。白須賀宿はこの辺りで終わり。いよいよ遠江の国を出て三河へ入ります。

<写真説明>
左上:「国学者夏目みかまろ屋敷跡」、「加納諸平生誕の地跡」の碑
右上:最後の静岡県が建てた案内板
左下:高札場跡の石碑
 

かつての国境は現在の県境
旧道は国道に合流します。やがて、小さな川(境川)を渡りますが、なんと、これが県境です。川の右側が静岡県、左側が愛知県となります。
また、川の名が示すように、江戸時代もここが三河と遠江の国境でした。右側が遠江、左側が三河です。

<写真説明>
左の写真:国道との合流地点
右の写真:境川

一里山一里塚跡
ついに、三河の国に入りました。が、ここからは退屈で苦痛な国道歩き。特に、バイパスに合流してからは、とにかくつまらない。最初のイベントは一里山でした。バス停にも一里山、交差点名も一里山。ということは、ここに一里塚があるのでは。期待半分不安半分、周囲を探すと、右側に木の生い茂った一画があるじゃないですか。もしやこれが一里塚。そこには、一里塚の案内板がありましたが、肝心の塚は現存していないようです。では、背後のこんもりとした林はなんなのだろう。かつてここに塚があったようですが、今は跡形もなく、ただ林があるのみ。林があるくらいなら、一里塚を復元してくれてもいいのに・・・。残念に思いながら、一里山を跡にしました。

<写真説明>
左上:バス停
右上:交差点名
左下:一里塚跡の案内
 

退屈な国道歩き〜旧道へ
一里山から先はなにもなく、ただひたすら退屈な国道歩きが続きます。しかも交通量が多い。非常に苦痛な区間です。愛知県に入った途端にこれでは・・・。やがて右側から新幹線が近づいてくると、右へ分岐し、国道1号線に分かれを告げます。助かった・・・。旧道のありがたみを知るひとときでした。

新幹線のガードをくぐり旧道に入ると、すぐに右から合流する道があります。どうやら、この道が本来の東海道のようです。新幹線に分断されてしまったため、現在のような形に区画されたのでしょう。

東海道線の踏切を渡り、すぐ左へ曲がると、二川宿です。

<写真説明>
左上:退屈な国道歩きが続く
右上:旧道分岐地点
左下:踏切手前、渡った先を左に曲がるのが東海道
 

一里塚跡、そして二川宿
踏切を渡ってすぐに左へ曲がると、細くて雰囲気のいい道となります。二川宿に到着です。旧家が並び、宿場の雰囲気を出すこの区間は、なんとも言えない味わいがあります。
一里塚跡の碑を越え、太陽の光を正面で受けながら、宿場の奥へと進みます。

立派な旧家、東問屋場跡
突然、立派な旧家が現れました。もしや、これが本陣。残念ながら違いました。しかし、たたずまいは見事で、思わず写真を撮ってしまうほどです。
早く本陣が見たい。焦る気持ちを抑えつつ歩いていると、東問屋場跡の碑が建っていました。二川宿には、東側と西側の二カ所に問屋場があったようです。

旧家と脇本陣
しばらくすると、右側に、これまた立派な旧家が現れました。先ほどの旧家よりは小さいものの、木の香りが漂ってくるような建物です。旧家の隣には、脇本陣跡の案内板があることから、この辺りに脇本陣があったのでしょう。

[15時06分] 二川宿本陣
旧家の前には、一際大きく立派な建物がありました。二川宿本陣の建物です。はっきりいって、感激しました。はじめて見る本陣の建物。静かな二川の町の中で、その建物は威風堂々と構えています。格式の高い建物、今まで見てきたどの建物よりも立派なものでした。しばし眺めてしまいました。

本陣見学
本陣は資料館になっていて見学することができます。この日の目的は本陣でしたので、早速見学することにしました。東海道に面した場所に表門はありますが、見学は本陣脇の駐車場より裏手に回る形になります。駐車場には高札が復元されていました。
本陣の中に入ると、その広さに圧倒されます。部屋の数、上段の間、中庭、表玄関。どれをとっても格式の高さを感じました。ところどころで黒光りする柱や襖を見ていると、この建物の重みを感じます。
正面玄関からは、心地よい風が建物を抜けていき、しばらくその場にたたずんでしまいました。
この、貴重な建物を、末永く残していってほしいと思います。

<写真説明>
左上:復元された高札
右上:本陣内部
左下:本陣内部(正面玄関)
右下:本陣内部(上段の間)

本陣を後にして・・・、そして、史跡群を越え・・・
結局、本陣には1時間もいました。今回の行程の最大の目的が本陣でしたので、これで目的達成です。あとは駅前までいくのみ。最後に、名残惜しい本陣とその前に残る旧家を、東海道を入れて一枚。また、訪れたいと思いました。
本陣から駅まではそれほど距離はありませんが、その間、史跡が残されています。まずは高札場跡。資料館に復元されていた高札は、もともとここにあったのでしょう。

さらに、西問屋場跡、大岩町郷蔵跡、立場茶屋跡と過ぎていきます。日が傾きかけた中、西日に向かって東海道を進むと、やがて宿場を抜け、二川駅に着きます。

<写真説明>
左上:東海道と本陣(京側から撮影)
右上:高札場跡
左下:西問屋場跡
右下:立場茶屋跡

二川駅前
本陣の遺構を楽しみ、そして、二川宿を抜けると、そこは二川駅でした。東海道は二川駅前を横切っているのです。
16時29分、浜松宿から始まった今回の行程はここで終了。豊橋経由で帰路に着きました。

今回の行程では、舞坂宿の脇本陣。新居宿の関所と旅籠。そして、二川宿の本陣と、いずれも現存する貴重な建物の遺構を見ることができました。また、松並木や浜名湖、遠州灘や国境など、見所が沢山あり、かなり楽しめました。

いよいよ愛知県。次回は二川駅前から吉田宿を目指します。



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