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21日目
見付宿〜浜松宿
2002年5月4日(土)
曇り時々雨
東海道の旅も21日目。本日の行程で、いよいよ「暴れ天竜」として恐れられた天竜川を渡ります。天竜川は大井川と並んで東海道の難所とされていました。ひとたび大水になれば、大井川同様川止めとなり、旅人は歩を進めることができなくなります。東海道の難所、それは「峠」よりもむしろ「大河」でした。
10時18分、天竜川を、そして浜松宿を目指し、スタートです。

駅前の大クスノキ
新幹線・在来線と乗り継いで磐田駅に下り立ちました。天気は曇り。ただ、後に雨になるとか。笠を持参の旅となりました。駅を出て、前回終了地点へ向かう際、大きなクスノキが目にとまりました。駅前にこのような大きなクスノキがあるとは・・・。驚きです。近くに寄ってみたところ、ものすごく大きなクスノキに圧倒されました。何百年も生き続けている大きなクスノキに脱帽です。

なぜか、ありがたみを感じてしまい、大クスノキに安全を祈願して、いざ出発。天竜川、そして浜松宿を目指します。

史跡少ない旧道を進む
前回終了地点からスタートし、旧道を進むものの、これといった史跡はなく、ひたすら歩を進める状態が続きます。途中、旧東海道や大乗院坂などの石碑がある程度の、退屈な道です。今にも雨が降り出しそうな空の下、ほとんど直線の旧道を天竜川目指して進みます。やがて旧道は幹線道路に合流し、歩道を歩くことになります。

[10時58分] 宮之一色一里塚
幹線道路に合流してからも、これといった史跡はなく、暇な道が続きます。やがて空から雨が降ってきて、次第に道をぬらしていきました。傘で雨を防ぎながら進むと、右側に一里塚がありました。宮之一色一里塚で、右側の塚が残っています。近づいてみると、塚に上れるようになっていて、一里塚を示す石碑が建っていました。いつの間にか、雨が本降りとなり、先行き不安な状態で、再び先を目指します。

旧道分岐〜長森立場
つまらない一本道が続き、本降りとなった雨の下、ただひたすら先を目指します。やがて東海道は左に分岐すると、静かな旧道となります。地図で位置を確かめると、天竜川にだいぶ近づいていました。旧道沿いには、案内板がちょこちょことたっていましたが、やがて「長森立場」とかかれた、見慣れた静岡県の案内板がありました。このあたり、立場だったようです。

天竜橋跡
旧道はやがてT字交差点となり行き止まります(写真左)。正面の建物の先は天竜川のようですが、川は見えません。さて、ここで道筋がわからなくなりました。地図を見ると、右へ行くと天竜川を越えられるようなので、T字を右折します。やがて、天竜橋跡の石碑が右側にありました(写真右)。
そもそも、東海道は「渡し」で天竜川を越えているため、この先は道筋が定まっていなかったのでしょう。

いよいよ天竜川
「暴れ天竜」と恐れられた天竜川に、遂に徒歩でやってきました。あいにくの天気でしたが、大井川を見たときと同じような思いがこみ上げてきました。これが天竜川・・・、この川を渡れば・・・。ところが、天竜川を渡るためには、県道に架かる天竜川橋と国道に架かる新天竜川橋のどちらかを通らねばなりません。県道の方は道幅が狭く、国道の方は車のスピードが速い。どちらも危険。ここは、車のスピードが遅い県道を通ることにしました。天竜川は現在も難所です。

天竜川を渡り終えて、再び東海道へ
天竜川を渡り終え、交差点を左に。堤防を川沿いに進むと、六所神社があり、明治天皇の聖蹟や、天竜川木橋跡、舟橋跡などの碑が建っています。神社の中、もしくは脇の階段を利用して堤防を下りると、右の写真のように、旧東海道とかかれた木柱がたっています。神社を背にして道が続いており、これが東海道です。

旧道を進む
天竜川を渡り終え、再び東海道を歩き始めてまもなく、一軒のうなぎ屋がありました。時間は12時。おなかもすいていたので、昼食にすることとしました。このうなぎ屋、かなり立派な建物です。最初、店先のテーブル(数人が座れる程度)で食べようと腰掛けたところ、店の人が、奥に座敷があると言うので、せっかくだから座敷へ移動しました。座敷へは店の横に回り、座敷専用の出入り口から入ります。中に入ると、まるで料亭のようなたたずまい。庭があり、畳の部屋にはテーブルと座椅子が(写真左上)。ここでおいしいうな重をいただきました。本当においしかった。

さて、おいしいウナギを食べた後は、再び東海道を歩きます。旧道にはさまざまな史跡(というか案内板)がありました。中でも、右上の写真は「軽便鉄道軌道跡」の案内。東海道上に、かつて鉄道が走っていたのでしょうか。
その先には、「かやんば高札場跡」「東海道松並木跡」の案内がありました。

金原明善翁生家
東海道沿いに黒塀の立派な建物がありました。この建物は「金原明善翁生家」です。
天竜川は、「あばれ天竜」と言われるように、たびたび洪水を起こしていました。川べりに生まれて育った金原明善は、治水に関心を持ち、生涯の事業として、治水を行ったとされています。現在の天竜川の堤防は、金原明善がきっかけを作ったのでしょう。

一里塚跡、そしてツバメ
旧道が国道に合流する地点に、一里塚跡がありました。金網の向こう側にたっているため、なんとなく変な感じがします。
東海道は、この先国道となり浜松宿へ通じますので、ここからは国道歩きとなります。特に史跡もなく、ただひたすら国道歩きが続きます。いつの間にか雨もやみ、次第に民家が増えてきて、都市部に近づいていることを実感します。途中、民家の軒先にツバメの巣を発見。ひなが顔を出していました。ずいぶん大きくなっていました。

龍梅禅寺〜馬込一里塚跡
歩道も広くなり、やや歩きやすくなったものの、東海道の面影はなくなっていました。ただ、街道沿いには寺が多くなり、宿場に近づいていることを物語っています。やがて、馬込一里塚跡の木柱が建っていました。

いよいよ浜松宿
一里塚を過ぎてからも、ひたすら歩道を歩きます。どのくらい歩いたのでしょうか。しばらくすると「外木戸跡」の木柱が建っていました。いよいよ浜松宿です。東番所跡を過ぎると、「東海道浜松宿入口」の案内があり、浜松宿に着いたことを実感します。

浜松宿中心部
アクトシティのビルを横目に、浜松宿中心部へ向かって歩きます。宿場に入ったものの、ここは大都市浜松市。残念ながら宿場の面影はまったくありません。大都市は開発が進んでしまっているため、どこの都市も同じように、宿場の面影は失われています。
しばらくすると、遠州鉄道の高架が見えてきます。高架をくぐると繁華街となり、浜松市の中心部となります。連尺町の交差点を左折するのが東海道。ちなみに、右折すると浜松城へ通じます。

交差点を左折し、広い通りを進むと、本陣跡や高札場跡など、浜松宿の中心部に着きます。石碑や案内板が、車道を挟んで両側にあり、かつてそこに本陣等の建物があったことを伝えています。

<掲載写真>
●上段
  左:佐藤本陣跡
  右:梅屋本陣跡

●中断
  左:梅屋本陣跡(石碑)
  右:川口本陣跡

●下段
  左:杉浦本陣跡
  右:高札場跡

浜松宿には、本陣が6軒もありました。家康の生まれ故郷なだけに、かなり規模の大きな宿場だったようです。

浜松城、そして山車
本日の行程は浜松宿で終了。帰り際に浜松城址に寄りました。黒色の天守閣は、浜松のシンボルであり、どこか威風堂々としています。ちなみに、城址は市役所の脇から城址公園へ入るとあります。
また、この日は大規模な祭りが開催されるようで、路上には右の写真のような、大きな山車が何台もならんでいました。



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