東海道TOP>掛川宿〜袋井宿

 東海道旅目次(歩行区間単位) :

20日目
掛川宿〜袋井宿
2002年4月29日(月)
晴れ時々曇
ようやく袋井宿に到着。江戸側、京側どちらから数えても27宿目の宿場は、「ど真ん中袋井」をうたい文句に、宿場を大切にしている街です。

旧道分岐と茶屋
小さな橋を渡ったところに茶屋がありました。中を覗いてみると、東海道に関する書籍がところ狭しと並んでいます。おじいさんが一人いて、お茶をいただきました。東海道談話に花が咲き、少々長いをしてしまいました。茶屋の先で道は二手に分かれますが、右側の道が東海道です。袋井宿は、この先で宿場の中心部となります。

東本陣跡と宿場公園
袋井宿には本陣が3軒ありました。最も大きいのは田代本陣で、この本陣の東側に位置するのが東本陣(写真左)です。復元された門が建っており、東本陣の説明版もありました。東本陣と東海道を挟んだ反対側には、宿場公園(写真右)があります。

問屋場跡、西本陣跡
宿場公園で一旦東海道をそれ、並行して走る国道1号線に出て、おそい昼食を済ませます。再び東海道に戻り、歩を進めると、問屋場跡の案内板が建っています。さらに先に進むと、西本陣跡(田代本陣から見て西側にある本陣)の案内板が建っています。

高札場、袋井宿の果て
しばらくすると、常夜灯の建つ、ちょっとした公園のような場所があります。ここには高札場が復元されていて、当時の高札を偲ぶことができます。また、袋井宿はここまでのようで、東海道中最も短い宿場は終わります。

ぼう示杭、寺澤家長屋門
この先しばらくは、住宅地の中を東海道は進みます。途中、「ぼう示杭」跡を示す案内柱がありました。とりあえず撮影して、その場を立ち去ります。しばらくすると、黒塀に立派な木の門を構えた家がありました。「寺澤家長屋門」と書かれた案内柱が建っていることから、由緒ある門のようです。

[15時04分] 木原一里塚
県道から右に分岐すると、民家の前に「木原一里塚跡」の案内柱が建っていました(写真左)。いつも通り写真を撮って先へ進むと、今度は立派な塚が(写真右)。もちろん、木原一里塚です。なんで2カ所に?その答えは案内を読めばすぐにわかります。本来、一里塚はここから60メートル東、つまり、案内柱の建っているところにありました。が、塚は現存せず。この一里塚は再現したもので、残念ながら場所は正しくありません。しかし、場所は違っていても一里塚を再現した試みは評価すべきでしょう。一里塚と言われても、現物がなければどんなものか想像つきませんが、現物があれば、一里塚がどのようなものなのか伝えることができます。



東海道のトップに戻る