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14日目
吉原宿〜蒲原宿
2002年1月13日(日)
晴れ
東海道を歩き出して初の宿泊。たいや旅館で目覚めると、まばゆいばかりの朝日が入り込んできました。天気は良好。目標は蒲原宿を経て由比宿まで。
朝食を済ませ、旅館を出るとそこは吉原宿と東海道。そういえば、たいや旅館はかつての旅籠。商店街となっている旅館の目の前の道が東海道だったのです。8時39分。いよいよ由比宿へ向けてスタートです。

宿場の施設跡あれこれ
吉原宿に入ってから、まだ宿場の施設である問屋場跡や本陣・脇本陣跡がありませんでした。そんな・・・。これじゃあ原宿と一緒だ!しかし、なにげに足下を見ると、そこには「旅籠」と書かれたパネルが。吉原宿では、碑を建てるかわりに歩道にパネルを張り、本陣や脇本陣などの施設があった場所を示していました。これには驚き。いままでにない初めてのケース。今後に向けていい教訓になったような気がします。
ということで、早速足下に注意しながらパネル探し開始。すると、あるわあるわ、次から次えとパネルが見つかりました。左の写真は一部代表的なものを掲載したものです。

写真左上から、旅籠跡。これはたいや旅館の前にありました。左下は問屋場跡。右上は脇本陣跡、右下は上本陣跡。

吉原宿、中心部を後にして
一通りパネルを探し終わると、蒲原宿を目指して出発。たいや旅館から吉原中央駅(駅といってもバスターミナルです)方面へ少し進むと、正面に「吉原宿」の木抗が建っています。ここを左に(写真左上、及び右上)。続いて、正面に石碑と富士市の案内板が見えるので(写真左下)、ここを右に行きます。あとは、木戸跡まで道なりに進みます。商店街から一本裏に入った通りなのか、店も少なく閑静な住宅地が続きます。吉原宿内で、現在の東海道は商店街→閑静な住宅地と、2つの顔を持っていてとてもおもしろい区間です。
 

[09時46分] 西木戸跡
閑静な住宅地を抜け、やがて東海道は幹線道路に合流します。その手前に「西木戸跡」がありました。京側の入口で、吉原宿はここで終わりです。

分断された東海道
幹線道路に合流、というより、本来の道筋を幹線道路が分断してしまったようで、対岸にそれとなく斜めに行く道がありました。さらに、その道を進むと、再び幹線道路に分断されていました。この幹線道路、中央分離帯には木が植わっているのですが、東海道が横切っている箇所だけ柵になっていて、道筋がわかるようになっていました。分断して申し訳ない、そんな声が聞こえてきそうな場所です。

この日は、消防関係のイベントがあったため、幸いにも幹線道路は通行止めになっていました。このため、堂々と車道を横切って道筋をたどることができました。途中で、消防士が話しかけてきたので、東海道を日本橋からある手いることを言うと、感心されてしまいました。

複雑な交差点
幹線道路を渡り旧道を進むと、やがて五叉路の交差点に出ます。右から二本目の道を進み、橋の手前の角を右に曲がり、最初の十字路を左に進みます。この辺り、やや複雑なので注意が必要です。

袂の塞神と鶴芝の碑、そして間の宿「本市場」
旧道を進むと、「袂の塞神」と呼ばれる道祖神があります。今までにないかわった道祖神です。その道祖神から800メートル程進むと、鶴芝の碑が建っていました。この辺りは間の宿「本市場」で、鶴芝の碑は、本市場から見る富士山は、中腹に白鶴が舞うように見えたそうです。また、鶴の茶屋なるものもあり、旅人の憩いの場になっていたようです。

碑の建っている一画には、富士市の案内板も建っており、間の宿「本市場」の絵地図が書かれています。
 

再び分断される東海道
吉原の宿場を出てからの東海道は、度々幹線道路に分断されてしまいます。鶴芝の碑を過ぎると、やがて幹線道路に行く手を阻まれてしまいます。なんということでしょう。東海道を進むためには迂回して、横断歩道を渡らなければなりません。が、よく見ると、ここの中央分離帯も、東海道が横切っている箇所だけ植え込みがあり、道筋を示していました。どうせなら、横切れるようにしておいてほしかったものです。
それにしても、車のために東海道が分断される。なぜだ。東海道の方がよっぽど歴史のある道なのに。ちょっと腹立たしくなり、こうなりゃ意地でも突き進んでやる!と、車道を横断することを決意しました。幸いにも、この日は日曜日で交通量が非常に少なかったため、あっさりと横切れました。

旧道へ
幹線道路を横切るとすぐに、東海道は県道に合流します。対岸を見てみると、幹線道路から左に入る道がありました。この道が東海道で、富士市の建てた案内板がありました。わかりにくい分岐など要所に案内板が建っているので、それほど迷うことなく、東海道をたどれます。いやー、ありがたい。

[10時47分] 本市場の一里塚
旧道に入ってしばらくすると、本市場の一里塚跡がありました。真新しい碑が建てられており、すぐに発見することができます。

富士駅の商店街を越え
一里塚を過ぎ、旧道をひたすら進むと、やがてアーケードの付いた商店街を横切ります。この道は富士駅から続いているもので、富士市の中心部でしょうか。ふっと右を見ると、なんと正面に富士山が。富士駅からこの道を進んでくると、正面に富士山が見えるんですね。いいところです。上空の気温が高いためか、はっきりとは見えませんが、雪の帽子をかぶった冬の富士山は、存在感を十分にアピールしていました。
今日も富士山が旅の友。ところどころで見え隠れする富士山を見つつ、蒲原宿目指して歩を進めます。

[11時04分] 札の辻跡
商店街を横切り、道祖神などの石仏をたまに見ながら進むと、「札の辻」跡の石碑が建っていました。富士市の案内板も建っており、札の辻の説明が書かれています。

旧道分岐
東海道は、しばらく路地裏の道となっていましたが、やがて幹線道路に合流します。JR身延線のガードをくぐると、再び右へ分岐します。分岐点には常夜灯と東海道とかかれた石碑が建っています。いよいよ富士川近し。この旧道はやがて幹線道路に合流してしまいますが、富士川は渡しであったため、合流後の道筋ははっきりとしていません。富士川を越えるには、幹線道路にかかる橋を利用します。

[11時46分] 水神の森
富士川橋梁の手前に水神の森があります。文字通り水神を祭ったもので、ここに渡しがあったことを意味しています。鳥居をくぐってみると、やたらと石仏がありました。中でも「富士山道」という道標らしきものが意味不明でした。いったい何なのでしょうか。

[11時51分] いよいよ富士川
水神の森の先には、富士川橋梁が控えています。いよいよ、大河富士川を渡ります。富士市ともここでお別れ。長い長い富士川橋梁を渡ると、富士川の広さを感じます。東海道は、幾筋もの川を渡りますが、中でも富士川、安倍川、大井川、天竜川などの大河は、その広さに圧倒されます。が、当時の東海道は、これらの大河こそが最大の難所でした。今でこそ上流にダムが出来、水量が調整されていますが、もし、水かさが増したら、確かに川止めになってしまいますね。

富士川を渡り、いよいよ間の宿岩淵へ、そして蒲原宿へ向かいます。続きはこちら



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