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11日目
元箱根(箱根宿)〜箱根峠〜三島宿
2001年12月8日(土)
曇ときどき晴れ
西坂後半です。山中一里塚脇から旧道を進むと、やかで山中城趾にたどり着きます。箱根峠からひたすら下る西坂。この下り坂は三島の市街地に入るまで続きます。箱根の山が天下の険と歌われた理由がわかるような気がします。

[ 西坂前半へ ]

[12時43分] 兜石
旧道をあるきはじめてすぐに、また「兜石」が出てきました。先ほど兜石の石碑があったのになぜ・・・。説明を読むと、どうやら国道1号線を拡張する際にこの場所に移動したとか。つまり、もともとは先ほど石碑のあった位置に存在していたが、国道1号線を拡張する時に今の場所へ移動し、元あった場所には石碑を立てた、ということのようです。

兜石から、明治天皇御小休跡や念仏石などの史跡を見ながら先へ進むと、やがてやや開けた場所に出ました。国道が眼下に走り、見晴らしのよい場所です。ここで小休止し、再び歩きを再開します。

杉並木・荒野・そして民家の庭先
この辺り、東海道を歩いているとめまぐるしく景色が変わります。最初は杉並木の中を(写真左上)、杉並木を抜けると荒野に(写真右上)。ここは本当に箱根?そう思うほどの荒野が広がっていました。荒野を抜けると民家の庭先に(写真左下)。これほど短距離の間に景色が変わるのも街道の醍醐味でしょうか。歩いていても楽しめる区間です。

民家の庭先に出た後、一旦国道1号線に合流し、すぐに左に分岐します。この辺りで三島市内に入りました。そう、箱根峠からここまでは静岡県函南町。まだ三島市内ではなかったのです。ここでようやく三島市に入ると、東海道は復元された石畳道となって、山中城趾へ向かいます。
 

杉並木・雲助徳利の墓
国道から階段を下ると、そこは復元された石畳道と杉並木。写真左のような杉並木の中を進みます。しばらくすると、旧道は国道1号線に合流しますが、その手間に「雲助徳利の墓(写真右)」がありました。これは、松谷久四郎という、酒好きの雲助の墓とされています。墓石にとっくりの浮き彫りがあります。

[14時02分] 山中城趾
国道に合流するとそこが山中城趾です。近くには東海道を旅する人の御用達、竹屋という小さな茶店があったので、昼食を取り、山中城趾を見て回りました。山中城は、北条氏の山城で、秀吉の小田原攻めの際に陥落しました。石を使わず土だけで築いた山城は全国的にもめずらしく、今もその遺構がよく残っています。

富士見平
山中城趾から先、旧道は国道と合流・分岐・交差を繰り返しながら、三島へ向かって山を下っていきます。しばらくすると辺りが急に開け、芭蕉の句碑がたっていました。地名を調べると富士見平となっています。ということは富士山が・・・。雲の合間からかすかに見えました。芦ノ湖では見ることのできなかっただけに、今回の旅で初めて見る富士山の姿です。

この先、旧道は一度国道を横切るのですが、横断歩道がないために、一旦迂回して国道の反対側へ渡ります。

笹原新田一里塚
国道と複雑に絡みながら、旧道は箱根の山を下っていきます。やがて笹原新田に着き、ホテルの脇を左に分岐すると、街道の左側に笹原新田の一里塚があります。街道からはやや高台にある上に、街道に沿う農道の脇にあるため、ちょっと見つけづらいのですが、片側とはいえ塚が現存しています。日本橋から数えて27番目の一里塚です。
一里塚に上ると、石畳の街道を見渡すことができます。周囲の景色からも、だいぶ下ってきたことを実感します。

下長坂(こわめし坂)
笹原新田の一里塚を越えると、すぐに石畳道は終わり、舗装道となります。また、今までは山の中でしたが、ここから街道沿いに民家が現れてきます。
民家や寺などの間を通り、やがて急な坂となります。下長坂(こわめし坂)と呼ばれていて、汗と体の熱で背中に背負った米がおこわになったという言い伝えがあります。確かに急で、これが逆だったらどれほどしんどいか・・・。急坂ゆえに、前方の眺めは最高でしたが、ここまでかなり下ってきたと思っていたのに、まだ結構高い位置にいることがわかり、呆然としました。先はまだ長い・・・。

富士山
こわめし坂を下りきると、バスも走る幹線道路に合流しました。この道は旧国道1号線で、現在は県道になっています。合流してからも長い下り坂が続きますが、それほど急な坂ではないようです。そろそろ日も傾きかけ、疲れの出てきた頃、右側が開けて富士山が見えました。雲の間にぽっかりとその頭を出す姿はなんともえいない光景でした。富士山はいろいろな姿を見せてくれますが、やはり日本一の山。疲れも少々飛びました。

[16時17分] 国道1号線と合流
右に分岐しては合流、これを繰り返しながらひたすら下っていきます。しばらくすると、非常にわかりづらい分岐がありました。車道が左に大きくカーブをする手前、右へ分岐する細い道があります。車道を行っても同じところにたどり着きますが、どうやらこの細い道が東海道のようです。細い道は路地となり小学校裏を通ります。最後は階段となって車道に合流します。

松並木
旧国道はやがて「箱根路」と書かれた石のあるところで国道1号線に合流します。ここからは国道の歩道を歩くことになりますが、松並木が残っていて、歩道は石畳になっています。

[16時23分] 錦田一里塚
松並木の中に、日本橋から28番目の一里塚、錦田一里塚がありました。この一里塚は、国道を挟んで両側に塚が残り、原型をとどめている貴重な史跡です。暗くなる前に見たい、そう思って西坂を歩いてきた甲斐がありました。なんとか日没前にたどり着き、じっくりと見ることができました。それにしても見事な塚です。
写真左は、江戸側から見て右側の塚。写真右側は左側の塚です。

愛宕坂、そして三島大社へ
松並木を過ぎると、旧道は右へ分岐します。愛宕坂と書かれた坂を下ると久しぶりに東海道線の踏切を渡ります。その先で広い通りに合流すると、あとは三島大社まで一直線。すでに日没はすぎ、急速に暗さを増す頃、三島大社に到着しました。17時07分、三島大社前で本日の行程終了。箱根越えはここで終了です。



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