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3日目
川崎宿〜神奈川宿
2001年9月8日(土)
雨のち曇
東海道徒歩の旅も3日目。この日は川崎から横浜へと、神奈川県の中核都市を進むことになります。東海道線で東京駅から3駅目。今にも雨が降り出しそうな川崎駅で下車し、前回終了地点とした田中本陣跡の案内板へ向かいます。

[14時04分] 川崎宿田中本陣跡
前回終了した地点、すなわち、今回のスタート地点に到着。3日目のスタート。川崎駅近辺の東海道は繁華街の中心部を通っているため、全く当時を忍ぶことはできません。かろうじて、写真のような案内板があるだけで、人は多く、かなりにぎやかなところです。とにかくさっさと抜けよう。そう思い、歩く速度を上げた時、空から雨が・・・。げげ!傘をもっていない!スタート後数分してコンビニエンスストアーに駆け込み傘を購入。今日も先行き不安・・・。

[14時24分] 芭蕉句碑
にぎやかな繁華街も、大きい通りを越える毎に静かになってきます。やがて東海道は繁華街を抜け、右側に京急線が近づいてきます。正面に駅(京急八丁畷駅)が見えると、京急線の踏切手前の線路脇に、芭蕉句碑がひっそりと建っています。「麦の穂を たよりにつかむ 別れかな」、別れを惜しむ句が刻まれています。

京急線の踏切を渡るとすぐ左側に慰霊碑が建っています。なんでも、ここまできて命を落とした旅人の人骨があったらしく、その慰霊碑のようです。

[14時38分] 市場村一里塚の碑
芭蕉句碑のあった八丁畷駅から東海道を進むと、やがて一里塚跡が現れます。市場村一里塚跡とかかれた立派な碑が建っていました。思えば、日本橋を出発してはじめて見る一里塚跡で、思わず4枚の画像を載せてしまいました。ちなみに、市場村一里塚は日本橋から数えて五里目の一里塚です。

市場村一里塚の碑を見て、ようやくここが東海道であり、街道であることを実感します。とともに、ようやく本格的な史跡に巡り会えて、いよいよ街道歩きが楽しくなってきました。

市場村一里塚を後にして、再び神奈川宿へ向けて歩を進めます。比較的交通量も少なく静かな場所を進むと、やがて立派な橋が見えてきました。

[14時45分] 鶴見橋
曇天の鶴見橋が目の前に見えてきました。この橋を渡れば鶴見駅は近い。そう思いながら先を急ぎます。この橋は近年架け替えられたようで、歩道もしっかりと整備されています。多摩川の次に渡る、比較的大きな川です。

鶴見橋を渡り終える頃、空から再び雨粒が・・・。一旦はやんでいた雨なのに・・・。はたして神奈川宿に到達できるのだろうか。

[14時50分] 寺尾稲荷道道標
鶴見川を渡り終えると、なにやらいろいろな史跡がありました。特に意味不明なのは、「寺尾稲荷道道標」。はっきりいって、どの道のことを指しているのか不明。しかも「馬上安全」?なんのこっちゃ。とりあえずなんらかの史跡なのだろうと、ここは写真を撮って先に進むことにしました。

鶴見駅が近づくにつれ、次第ににぎやかになってきます。やがて、鶴見駅前の通りに合流すると、東海道を見失ってしまいました。非常にわかりづらい場所で、道筋を探すのに手間取ってしまいました。

駅えの道に合流したら左折、京急のガードを越えてすぐを右。商店街の中を行く道が東海道です。

[15時48分] JR鶴見線国道駅
商店街を抜け国道15号を横切ると、やがて鶴見線のガードが見えてきます。ガードの下には国道駅がるのですが、これがなんともいえない不思議な駅です。鶴見線の高架下にトンネルような通路があり、その先には無人の駅が・・・。しかも、自動改札ではない。トンネルの両側には、大正時代を思わせるような建物が・・・。このトンネルを越えるとそこは・・・、国道15号でした。

さて、東海道はこのあたりから「生麦魚河岸通り」と呼ばれていて、道の両側には多くの魚屋が軒を連ねています。この日は日曜日で休みでしたが、平日は魚の臭いがぷんぷんする道だそうです。

[15時59分] 生麦事件発生現場

生麦魚河岸通り(旧東海道)を先へ進むと、やがて魚屋もなくなり、閑静な住宅地になります。と、1件の民家に案内板を発見。「生麦事件発生現場」と書かれていました。どうやら、ここで事件は発生したようです。ということは、生麦事件の碑はもすぐか!案内板を撮影し、再び東海道を歩きます。


国道15号合流地点

しばらく旧道を進むと、左側にキリンビールの工場が現れます。このあたり、「生麦旧道」と呼ばれているようですが・・・。旧道ということは現在の道もあるのだろうか・・・。小さく「旧東海道」の文字も書かれていました。やがて、東海道は国道15号に合流します(右の写真は合流地点付近)。合流地点には「生麦事件の碑」がありました。


[16時13分] 生麦事件の碑
旧東海道と国道15号が合流した先、左側に「生麦事件の碑」がありました。1862年8月21日、薩摩藩の島津久光一行が、商人リチャードソンら英国人三人が斬られるという大事件が勃発。当時としてはかなりショッキングな事件だったようです。

東海道はここから先、神奈川宿までは国道15号となり、退屈な国道歩きが続きます。そろそろ疲れが出てきた時の国道歩き。非常に苦痛です。

しばらボーとしながら国道を歩いていると、いつの間にか神奈川宿に入っていました。どこから神奈川宿なのか不明ですが、疲れも出てきたので、史跡を探すのは次回にし、先へ進むことにしました。

高札場跡(復元:神奈川地区センター)

国道を進み、京急仲木戸駅へ入る交差点に到着。この交差点を右に曲がり、国道15号の一本裏の道には、神奈川宿の名残があります。中でも神奈川地区センターには、高札場を復元したものがありました。さらに、明治天皇行在所跡の碑もありました。残念ながら、この日は疲れもピークに達していたため、完全に見逃してしまいました。なんともうかつな・・・。

裏通りはまさに歴史道。神社や寺、石碑などがあり、楽しめる道でした。さて、東海道はこの区間も現在の国道15号が本筋なため、再び国道へ出ることにしました。


青木本陣跡の案内板
史跡のある裏通りを進むとやがて川に出るので、川を下ります。国道15号に出るとそこが滝の橋。このあたりに青木本陣があったようですが、この日は案内版を見つけられませんでした。もしや反対側では。国道15号の右側の歩道にいたので、歩道橋を渡り、左側の歩道へ。台場方面へ向かう道と国道15号が交差する場所に、左の案内板が建っていました。青木本陣の事が記されていましたが、やっぱり滝の橋付近にあったようです。

旧道(宮前商店街)分岐が右側なので、再び国道15号を渡り、右側の歩道に移動します。少し歩くと、「宮前商店街」と書かれた道が右に分岐しています。これが東海道です。

宮前商店街・京急神奈川駅

国道15号から右へ分岐。「宮前商店街」と書かれた道が旧東海道です。商店街というわりには静かで、商店があるのかどうか・・・。旧道を進むと、やがて、東海道が鉄道と国道1号によっておもいっきり分断された青木橋交差点につきます。17時14分、交差点脇にある京急神奈川駅で本日の行程を終了。




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