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1日目
日本橋〜品川宿
2001年8月18日(土)
雨時々曇
東海道。江戸時代に徳川家康が江戸と京を結ぶ幹線道路として整備した、5街道(東海道・中山道・奥州道・日光街道・甲州街道)の一つです。5街道の中では最も往来の多い道で、宿場は全部で53駅。旅人は通常14日程度で歩いていました。21世紀を向かえた現代。かつての東海道は様々な形で残っています。この旅は、そんな東海道を日本橋から徒歩で京都三条大橋を目指すべく始めたものです。
初日は、夏真っ盛りの東京は日本橋からスタートです。今も日本橋は交通の要所で、国道1号、国道15号、国道17号などの起点になっています。東海道は日本橋から品川宿へ向かうため、スタートは第一京浜、すなわち国道15号を歩くことになります。

[14時08分] 曇天の日本橋をスタート。いざ京都へ!

東京日本橋。全ての道の起点でもあるこの橋は、慶長8年(1603年)に架橋。明治44年に今の橋に架け替えられました。橋の下には「日本橋川」が流れていて、かつては都電も通っていた由緒ある橋です。今では首都高速道路が蓋をしてしまっているので、その優美な姿の全体像を見ることは難しいですが、現在も、国道1号、国道15号、国道17号などの起点になっていて、今も昔も変わらず、日本の道の出発点になっています。
そして、いよいよ、ここから京都へ向けて出発です。日本を代表する繁華街銀座を越え、新橋へ。国道15号を西へと歩き出しました。と、歩くのはいいけど、時折雨が激しく降り、先行き不安。とりあえず品川へ。

[15時54分] 高輪大木戸跡へ
こんなところにこんなものが・・・。東京、しかも港区に住む私は、新橋〜品川間は電車であっさり通過してしまいます。その間、15号線にはこんな史跡があったなんて、ちょっと驚きました。大木戸。ここから日本橋側は江戸の内とよばれていました。つまり、ここが江戸の入り口であり、京へ向かう東海道の出発点でもあります。

ちなみに、江戸時代は町ごとに木戸を設けて、その町を警護していました。高輪の場合、江戸の入り口なので「大木戸」と呼ばれています。

[16時21分] 品川宿
大木戸を過ぎ、品川駅前を過ぎるといよいよ八つ山の交差点。ここで東海道は左に折れ、京急の踏切の手前を右に、すぐに左に折れ、京急の踏切を渡ると品川宿。東海道最初の宿場です。すぐに「問答河岸跡」の碑がありますが、ここで雨が本格化したので、初日の行程を終了しました。

「問答河岸跡」。かつて海岸先に波止場があり、3代将軍徳川家光が東海寺に入るとき 、沢庵和尚が迎え出て問答をした場所です。



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