中山道TOP>上尾宿〜桶川宿
[ 2004年2月7日(土) ]
[ 晴れ ]
2004年が明けてからはやいものでもう2月。2004年最初の中山道は、上尾宿から桶川宿を経て鴻巣宿を目指します。埼玉県中部、広い関東平野の中を進む中山道からは、とてもあの急峻な山岳道は想像できません。上州めざし武州を北上する旅が続きます。

上尾宿スタート
上尾駅前から今回の旅は始まります。駅前のメイン通りが中山道です。スタート直後、ちょっとおもしろいものを見つけました。東部バスのバス停ですが、停留所名は「上尾宿」(写真左)。一里塚という停留所名は何度かみましたが、宿場名は初めてです。

道成に進むと、上尾宿の案内がかかれた一角がありました(写真右)。

平坦な道、道祖神、そして旧家
案内板あたりが上尾宿の出口(京側入り口)のようで、先へ進むとやがて宿場を出ます。

埼玉県の中山道は、比較的アップダウンの少ない平坦な道が続きます。どちらかというと、神奈川県内の東海道の方が起伏に富んでいました。そんな中山道沿いには、道祖神やら石碑やらがたびたびお目見えするので、それほど飽きずに進むことができます。また、時折、重厚な旧家も現れ、近代化された現在の街道筋にあって、江戸の文化を今に伝えています。

<写真説明>
左上:宿場を出た中山道の道筋
右上:道祖神
左下:重厚な旧家の建物
 

桶川宿
中山道には69の宿場(草津宿〜三条大橋間は東海道と同じ道筋のため、草津・大津宿を除いた67宿と示されている場合もある)があります。距離的には東海道よりも41Km程度長いだけなのに、宿数は16宿も多いため、宿場間が短いところが多くあります。上尾宿と桶川宿の距離は3.7Km程度と短く、上尾宿を出てから1時間も歩かないうちに、桶川宿の木戸跡につきました。木戸跡には立派な石碑が建っています。

桶川宿には、本陣の建物も現存するのですが、注目すべき点は、「武村旅館」でしょうか。この旅館、江戸時代の「旅籠」で、現在も旅館経営をしている貴重なものです。

<写真説明>
左上:旧跡 木戸跡の石碑
右上:江戸時代の旅籠「竹村旅館」
左下:桶川宿の案内柱
 

島村家住宅土蔵
桶川宿の中心部に、「島村家住宅土蔵」がありました。天保7年(1836)の建築で国の登録有形文化財に指定されているこの土蔵の建築は、天保の飢饉にあえぐ人たちに仕事を与え、その報酬により多くの人が飢えから救われたのでお助け蔵といわれたとの伝承があります。中を拝観することができます。

桶川宿本陣
島村家住宅土蔵の先には「明治天皇桶川行在所」の碑と門があります。ここが桶川宿の本陣跡で、建物の一部が残っています。ただ、民家の奥のため、見ることができませんでした。ちなみに、右の写真は、桶川宿内に掲載されている建物の写真を撮影したものです。

桶川宿道標と一里塚跡
桶川宿を示した道標が建っていました。最近たてられたもので、ここが中山道桶川宿であることを伝えています。その先には、一里塚跡跡がありました。歩道橋の下に標柱が建っています。なんでも、明治時代に取り壊されたらしく、今はここに一里塚があったことを標柱が伝えています。

木戸跡
一里塚跡を越えてしばらく進むと、右側の民家の前木戸跡の石碑が建っていました。となりには小さな社もあります。ここが京側の入り口で、ここまでが桶川宿となります。

木戸跡を過ぎ、次なる宿場、鴻巣宿を目指して、中山道を歩き続けます。

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