年に一度はブランドの山に−瑞牆山

(1999/11/21、山梨県北巨摩郡須玉町)


1999年もそろそろ終わりが近づいている。今年の山行を振り返ってみるがこれといってココ、という山に登っていない。例年なら夏には南アルプスの3000m級にチャレンジしていたが今年はそれもなく、幾つか頭に浮かんだやや意欲的な行程の山々は結局季節も寒くなるとともにどれも行かずじまいとなった。机上登山ばかりで実際の山行が伴わない、そんな焦りが大きい。この一年で自分の歩いた山などどれもあえて特筆するような山々はないように思えてしまう。

どうすればいいのだろう・・。そうだ百名山。これに登れば少しはブランド品を入手したような気がして今年の山をすこしは引き締めてくれないだろうか・・。少なくとも日本百名山は山歩きの中ではブランドであろう。この季節、自分が無理なく登れる百名山はないか。手近でも登ったことがあればパスしよう。

白羽の矢は奥秩父の瑞牆山にたった。奥秩父連山の中で西の端にあるこのピークには連山の中の百名山の中ではまだ登ったことが無かった。標高は2230mとあるがこの高さは2000m級が重厚に居並ぶ奥秩父主脈のピークとすれば決して高いほうではない。むしろ東方面は300m以上高い金峰山に完全にブロックされてしまう。そういえば今年の八月に佐久の御座山のピークから指呼の間に望んだ瑞牆山もずいぶん高さ的には見劣りしていたのを思い出す。電波の飛びが期待できそうに無いのは最初から分かっているがブランド品の為にまぁ妥協は必要だろう。

* * * *

凛とした朝の空気の向こうに
瑞牆山が俄然と大きくなった。

夜半自宅を出発して途中中央高速の釈迦堂PAで仮眠をとる。秋もたけなわでエンジンを止めると車の中も冷えてくる。シュラフにもぐりこむとあっというまに眠りに落ちた。翌朝目がさめると6時半近くで、寝坊してしまった。街路樹の下に駐車したせいかフロントグラスの落ち葉が何枚ものっている。慌てて発車するととたんに落ち葉が舞い上がった。

前方には雪を被った北岳、間ノ岳、農鳥岳のスカイラインが朝日の中に立ち上がった。いつまでも自分の中での変わらぬ憧れである北岳。そして間の岳から農鳥岳への、あの長い稜線を歩いた後の充実感は忘れられない。しばらく進めば鳳凰三山を左手に仰ぐようになる。自分がはじめて森林限界を超えた山。懐かしいオベリスクが突出している。その後ろにはまだ登ったことの無い甲斐駒が摩利支天を従えて勇姿をおしみなく見せている。目を右に転じれば八ケ岳が連なる。手前にはニセ八ツといわれる茅ケ岳。山また山だ。なんという贅沢な眺めなのだろう。甲府盆地の人々はこんな贅沢を毎日味わっているのだ。

須玉で下りると増富鉱泉へ向けての山間の道に入った。車道は錦秋と呼ぶにふさわしい紅葉の渓谷を抜け塩川に沿った上り道となった。昔、まだ山を歩く楽しみを知らなかった頃、このような紅葉や、渓谷風景には素直に美しいと思えたものだ。が、山歩きに触れてからは価値観が変わった。どんな光景であれおよそ人工造営物がその中にあれば美しいとは思えなくなってしまった。開発が進む日本の山林とはいえ、やはり今でも山の自然の持つ美しさは中途半端な自然の眺めを全く寄せ付けない素晴らしさを持っている。だから目前に広がる風景は自分には何の感興ももたらしてこない。

増富鉱泉を過ぎると道はにわかに急坂となった。くねくね登っていくと前方に瑞牆山が俄然と大きくなった。峨峨たる岩山であれに登るのだろうかと武者震いがする。道の傾斜が緩むとやおら沢山の車が停まっている箇所に出た。入山口である瑞牆山荘前だ。ガーン、こんなに車が多いのか。静かなる山々、蒼古たる森林、そんな奥秩父のイメージはブランドの山の前には無意味な印象でしか無い。そんな事よりまず駐車スペースを見つける事が当座の重要問題。がっかりだが現実的にならなくては。

一苦労してスペースを見つけ、腕時計の高度計をセットしてから歩き始める。ここの標高はすでに1500m近くもあるから山頂まで標高差700m、まあさして苦しくないハズだ。先を歩く7,8人連れの後を何の気なしに歩いていたらしばらくしてミスコースしていることに気づいた。富士見平小屋への直登コースではなく、迂回しながら登っていく林道の方に行ってしまった。地図も見ないで先を行く人たちについて歩き始めたからだ。が、シラカバの中をゆったりと登っていくこの林道はなかなか素晴らしい。11月も末が近く標高もあるのでさすがに乾いて冷たい冷気にあたりは包まれている。そんななか空は爽快で、シラカバ林を透かして濃いブルーの空が広がる。空気がクリアなので手を思いっきり伸ばせば空に同化出来そうな気すらしてくる。しばらく歩くと展望が開け行く手に金峰山の勇姿も眺めらた。数年前の5月に登った金峰の山頂では濃いガスと猛烈な風に見舞われ、視界もなくまるで登ったような気がしない。又行きたいと思う。のんびりと歩いていくとじきに正規の登山道が左手から上がってきたのでここから林道をはずし登山道に移る。

乾いた滑りやすい白い土の中を登る。すぐに平坦になると稜線の肩で、果たして目前に瑞牆山が大きい。先ほど遠望したときよりはるかに大きく、克明に岩々が眺められる。樹林からぼこぼこと岩が突出している、というべきかそそしりたつ岩々に辛うじて樹木がひっついている、というべきか。ともかくほぼ絶壁に近い。はてあんな山に本当に登山道がついているのだろうか。

緩い登り。あいかわらず回りはシラカバなどが中心で奥秩父という感じはまったくしない。じきに指導標が出て林が空くと富士見平小屋に出る。小屋の中を覗く。小屋番は居ない。大日小屋に掃除に行ってきますという張り紙がしてある。薄暗くしばらくは目が馴染まない。ガランとしたやや大きめの小屋でじめじめした土間の右奥に板敷きの空間が左右に広がっている。飾り気の無い質素さ。ああこの雰囲気、奥秩父の小屋だ。ようやく実感がわいてくる。

漆黒の林から。手に届きそうな山頂。
 

小屋の横手を行くほぼ水平な道に導かれる。樹林越しの峻険な瑞牆山はいよいよ手に届きそうに近づいてきた。漆黒の森林の中に道は続いている。ひんやりとした冷気でとたんに薄暗くなる。これを待っていたのだ。密度の高い黒木、物音を吸い取るかのような重厚な空気。そんなイメージが奥秩父にはあり、またそれを望んでいる。がものの10分程度しか歩かぬうちに小川山への登山道を右手に分けると天鳥川源流へ向けて数十メートルの下りとなった。空が開けやや拍子抜けしてしまう。やはり奥秩父とはいえここは端っこなのだ。重厚さを期待する自分が間違っているのかもしれない。

石を伝って天鳥川を渡る。幅は数メートルも無い。日のあたらぬ箇所は河原の石も凍結している。口に含んだ源流の水は清冽そのもので体の中をかけめぐる感じ。

短い階段を上るとじきに急登が始まった。無理も無い、はたからみたあの絶壁をこれから登っていくのだ。このあたりから先行していたいくつものパーティに追いついたのか登山道は人だらけとなった。時々鎖も交えるコースで大きな岩と倒木の中、ジグザグに高度を稼いでいく。大きなステップを余儀なくされる箇所も続く。追い越す登山者はみな壮年・高年ばかりだがこれは結構きついのではないだろうか。

岩の間を伝う急な道が続く。時折両手両足をフルに使うような箇所も出てくる。斜度は結構あるのだが樹林帯の中を登るので恐怖感は感じない。下山者も増え始め随所で渋滞が発生している。まあ急いでも仕方がない。

頭上の空が近づきはじめてもうすぐ頂上に違いない。道が水平になり黒森集落への分岐を分けた。薄暗い北面のツガの中を進む。ひんやりとした中を梯子で抜け出すと一気に展望が開けそこが山頂だった。薄暗い林から開放的な山頂への自然の演出が心憎い。

素晴らしい展望だった。風景はまさに360度遮るものがない。がなによりもその人出に驚きだ。深田久弥の「日本百名山」には山頂で仲間とトカゲ(ごろ寝)で過ごした山頂は素晴らしかった、とあるがこの混雑ようではトカゲどころか座る場所もままならない。ただ同著のように山の眺めはすばらしくまさにパノラマだった。東から奥秩父のシンボル・五丈岩を掲げて金峰山。遥かに富士山。南に北岳、甲斐駒、西に八ケ岳、北に御座山、その奥には四阿山から上信の山並み。漆黒の小川山もすぐそこだ。登った山、登りたい山、遥かな山、山また山・・。

(山頂から小川山を望む。
黒い山・奥秩父)
(すっぱりと切れ落ちた絶壁の山頂。
八ケ岳方面遠望。)

さて私も居場所を見つけてアマチュア無線だ。今日は岩場の登りもありそうと想像していたので少しでも軽い無線機をということで50MHzはピコ6を持ってきた。しかしロケの悪さは当初の想像をはるかに上回るもので関東平野からの電波が何も聞こえてこないではないか!確かに東は見事に金峰山の稜線にブロックされている。VHFの伝播の基本は見通し範囲、という教科書の定義を悲しいかな実証するような感じだ・・・。聞こえなければ取ってもらえまい。無益のCQを連呼して、あきらめて呼ぶ方に回る。長野県北安曇郡移動局にようやく取ってもらった。更に何局かとってもらい、それでもやはり悔しいと再びCQを出してみる。諦めかけていたら茨城県行方郡から声がかかった。あーなんというありがたさ!貴重な一局だ。これでようやく心が晴れて閉局することにした。移動に行けばやはり呼びに回るよりCQを出す方がはるかに楽しい・・。

下山にかかる。登りに嫌な感じだった山頂直下の梯子の個所は相変わらず凍結したままでそうっと通過する。厚さが4、5cmはあろうかという氷が岩場に張り付いている。来たる冬の使者だ。

登りに感じたより下りは急だ。滑らないように注意する。百名山ブームのせいかかなり多くの高年登山者を見かけるがこの岩がちの急な下り坂はどうみても危なっかしく思える人も多い。登りは1時間5分かかったが45分で天鳥川源流に降りてきた。後は何も考えずに富士見平から下りるだけだ。

奥秩父の片鱗を思わせる原生林帯をつっきって西日のあたるおだやかな富士見平に出た。そこから20分で瑞牆山荘に出た。

* * * *

車の前で着替えていると、増富鉱泉から上がってくるマイクロバスに乗り損ねたとかで70歳くらいのおじいさんが近づいてきて韮崎までのせてくれないか、と問われる。韮崎駅でなく須玉ICまでですよ、というとそれで良いという。あまり清潔な感じもしなくて一瞬躊躇したがまぁこの年齢だから他意はないのだろう、と思い同乗を勧める。ずっと黙って乗っているので不気味に感じて話し掛けるが返事も無い。どうやら耳が少し遠いようだった。須玉ICが近づき路肩で車を停めるとどうもありがとう、と深く腰を折ってお礼を言う。ふと見るとシートポケットに折りたたんだ千円札がおかれているのであわてて戻って手に握らせた。なにか疑って悪かったな、そんな事を感じて中央高速に乗った。

一応ブランドの山を終えた。がとにかくこなしたという感じで正直満足感は低い。やはり奥秩父はその重厚な森林を味わないとピンと来ない。小川山とつなげるとか金峰山とつなげるとかすればもっと満足度が高いのだろう、そんなことを考えた。先は長い。ゆっくり楽しもう・・。

(コース:瑞牆山荘8:25−富士見平小屋9:10−小川山分岐9:30−天鳥川9:35−瑞牆山・アマチュア無線10:40/12:45−天鳥川13:30−富士見平小屋14:05−瑞牆山荘14:25)


アマチュア無線運用の記録

瑞牆山(みずがきやま)
2230m、山梨県北巨摩郡須玉町
50MHzSSB運用、5局運用、最長距離交信:栃木県宇都宮市
設備:ミズホMX6S(1W)+デルタループアンテナ
事前に想像していたとおり50MHzで楽し見た目のロケはかなり悪いといえよう。なにせ山頂の東は標高差300mで金峰山がブロックしている。辛うじて富士山が見えるのだが・・。まぁアンテナと出力次第では楽しめるのかもしれないが。

山頂は岩場でかなりの標高差で絶壁をなしている。御座山と雰囲気が似ているが静かな分だけ御座山の方が好ましかった。

Copyright : 7M3LKF,Y.Zushi 1999/12/31


(戻る) (ホーム)