天下の秋晴れ・谷川岳、霧の流れる上越国境

(1998/9/12,13、新潟県南魚沼郡)


1・天下の秋晴れ、谷川岳:

これぞ秋晴れとでも言うかのような雲一つない素晴らしい好天に恵まれた。ロープウェイから天神平リフトを乗り継ぐ。右手に目指す谷川岳が白く光っており後方には白毛門から朝日岳の稜線が立派だ。スピーカーから陽気な音楽が流れてはいるがこんな光景にはそぐわない。リフトチェアがスピーカのついている橋桁を通り過ぎると音楽も風にながれて調子が変わる。スキー場で知られる天神平も雪がこなければなにか空虚な一画だ。

天神峠に上がれば谷川岳から万太郎、仙の倉に続く稜線が大障壁のように連なっており思わずため息の出るような出るような素晴らしい眺めだ。谷川岳は近くに見えるがあそこまで2時間はかかるという。空は青いというより黒く目が眩みそうだ。

谷川岳イコール遭難。「魔の山」というイメージが強く谷川岳という名前だけで私は恐れを感じ、自分には無縁な場所と考えていた。しかし実際にガイドブックで見てみると遭難の多くは岩登りで発生しているのであり、むしろ笹原と高層湿原の広がる一般縦走路はおだやかさと人寂しさを感じさせ自分には好ましい地域に思えた。ためしに昨秋谷川山系の西の端、平標山に出かけてみた。樹林帯を抜出した山頂一帯は笹原と池糖が広がり、その光景は丹沢や奥秩父、南アルプスなど今まで歩いた事のある山域のものとは全く違っていた。ひとけを拒否した美しさであった。が、さすがに日本海側の気候と太平洋側の気候の境目、天候はめまぐるしく変った。山頂では深い霧と強風に見まわれ視界がなくなった。遭難の多いのも肯けた。この地域は余程天候に恵まれないと安心して楽しめない。天候の落着いた秋が狙いめだった。
(天下秋晴れの下、目指す谷川岳のピーク。)
RICOH GR1 F18AE -0.5EV, ISO100 Fuji Sensia

しばらくは観光客と登山者の境目がつかない世界。街着と登山ウェアの人々が交錯しながら木道を歩く。リフトで上がってきたちょっとついでに、という感じなのだろか。熊穴沢避難小屋を過ぎるころからはさすがに街着の人は減ったがそれにしても凄い人出だ。見上げる遥か上までまるで蟻の行列のように人々が登っていく。天神尾根はゴンドラ・リフトを使えるので谷川岳にはもっとも手軽なアプローチだからだろう。それにしてもこんなに「混んでいる」山は初めてだ。

谷川連峰は標高2000mにも及ばず高度的には中級山岳という位置づけであろうが気象の厳しい国境の山だけに森林限界は低い。すぐに潅木帯を抜出しガラ場のひたすらの直登となった。天気の良さが災いしてかかなり暑い。太陽光線で首筋がじりじりと焼かれるのが分かる。路も岩場交じりで結構歩きずらい。これでは2時間かかるのも肯ける。かなり消耗したのか妙に腹が減る。何度か休止して飴やカロリーメイトなどを口に放り込む。濃い青空の下に目指すピークがあるが中々近づかない。軽快な人々に追抜かれる。

歩け歩け、歩けば着くぞ。

左手に大障壁をなしていた万太郎から仙ノ倉への稜線がだんだん低くなってきた。気づけば稜線の合間から特徴的な苗場山のピークも望見できるようになった。右手の西黒尾根を歩く登山者が肉眼でもよく見える。もうここまで来ればあと少し。 2、30人位の大パーティが下りてきてしばらくはじっと我慢の通過待ち。
(万太郎山
方面を望む)

少し登れば不意に人だかりの一角に飛出した。12:20、目の前に肩の小屋がある。山頂直下の広場だった。さすがに猛烈な人だかり。酒が入っているのか歌を歌っているパーティ、大鍋でおでん大会のパーティ、昼寝をする人、写生をする人。人だらけ。でも皆とても楽しそう。それはそうだこの天にも届きそうな秋晴れとすばらしい展望。都会のストレスなどこの世界では弾け飛ぶ。

左手にはあんなに高かった万太郎山への主脈が目と同じ高さにある。あれを辿れば去年登った平標山まで歩けるのだ。いつか行ってみたいロングコースだ・・。

肩の小屋を覗いてみる。新築の小屋は避難小屋だが快適そうだ。昼飯を食べ頂上へ、オキの耳・トマの耳へ向う。アマチュア無線をしなくてはいけない。満員のトマの耳はパスしてオキの耳へ向う。右手はすごい絶壁をなしている。無線では早速山岳移動の仲間をみつける。苗場山移動のJS1MLQ,JR1NNL。航空母艦のようなシルエットの苗場山はすぐそこにみえる。JG1OPH/1、7M1XPRなどローカルにも呼ばれる。新潟県南魚沼郡で移動すると結構パイルアップを味わえるのは昨年の平標山で経験済みだった。今日の予定は茂倉岳まで。山頂直下の避難小屋に泊まる予定なのだ。前方には一度ガクっと高度を下げて一ノ倉岳までの登りが大変そうだった。目指す茂倉岳はその更に奥にある。あれほど沢山いた人たちもいつか居なくなった。14:40、無線を切上げ先を急いだ。

2・茂倉岳へ

殆どの登山者は日帰りなのか皆肩の小屋へ方面へ戻ってしまった。一転してひとけのなくなった縦走路を北に向う。日差は相変らず強烈で肌がやけるのを感じるが日影の出来具合がやや柔らかくそこに真夏の日差との違い、秋らしさを感じさせる。

向かう尾根の左手は広い笹原でその先は谷となっている。関越自動車道のトンネルの排気塔がその底にみえる。尾根の右手はすっぱりと切れ落ちた凄惨なまでの岩場で、これの登攀で数々の遭難が発生しているのだろう。

私の少し前を行く小さなディパック一つの中年の単独行者に追いついた。彼は先程から時折現れる岩場のピークのたびに休止して美味しそうに煙草を吸いゆっくりと周りを見ている。その様がいかにも山を味わっているという感じだ。彼を追い抜き歩く。このコースは歩く人も少なく人寂しい感じだが誰か後ろに人が居る事が分かると随分安心できる。自分の場合単独で歩くことが多いがいつもどこかで同好の士を密かに求めているのかもしれない。一人の気楽さを求めているがどこかで人のつながりが欲しいのだ・・。

道は笹原と崖っぷちのまさに縁を辿っており露岩が頻繁に現れる。露岩ではコースどりに迷う。正規の登山道へ下りやすそうなコース、段差の少なさそうな箇所を選ぶ。歩きづらい。早く避難小屋に着きたい。気が焦ってしまう。
(右手に
一ノ倉の絶壁)

随分と段差のある露岩に出た。適当に目安を付け足場を選ぶ。段差が大きく腰を下ろし手をのばして下に降りる。コースを示すのかタオルが潅木に結び付けてある。足探りで下りる。おりたったところはクマザサのトンネルのようになっており、随分藪深いなぁ、と独り言をいいながら暫くすすむ。ザザーッと笹が鳴る。が、変だ。どうもおかしい。踏み跡がかなり希薄だ。しまった!間違った。でもどこで・・?タオルもあったし正しいコースのはずだが・・。ウワーンと頭の中で警鐘が鳴り響き鼓動が高まる。どうしよう・・・いやいや、わずかしか進んでいないのですぐに戻れるぞ。狭い空間で回れ右だ。ザックにクマザサが引っ掛かり後ろに引っ張られる感じ。畜生、息を止め露岩に手を掛け体を引っ張り上げる。うん、と気合いを入れ足を踏み込み岩に攀じ登る。よし戻ったぞ。岩の上に立ってみる。少し前方に進んでみる。何のことはない、岩角が擦り減った正規のコースはまっすぐ前方に延びていた。

何故間違ったんだろう・・、焦りすぎていたのか。でもあのタオルは何だったんだろう・・。ふと前方に目をやると先程の男性が遥か前方に豆粒のように小さくなっていた。「おいていかれた!」焦りと不安が高まり彼を追いかけるように先を急ぐ。いや、またミスるのはイヤだぞ。のんびりいこう・・、そう思い直して深呼吸した。

一ノ倉岳の登りは急だが露岩は少なく歩きやすい。じりじりとした太陽光線を感じながら登る。右手は一ノ倉の岩場が圧倒的な高度感で遥か下に落ち込んでいる。一歩間違えばおさらばだ。谷川岳をして魔の山たらしめる岩場。迫力にたじろいだ。飴を口にほうり込んでみる。登りついた山頂は全面をクマザサに覆われている。そんな一角にドラム缶を半分にしたような蒲鉾型の粗末な避難小屋があった。一ノ倉沢を登ったクライマーが使うのだろうか、板敷きもなくまさに避難のためのだけの小屋だ。あまり厄介にはなりたくないな。

ここから茂倉岳までは高低差もなくのんびりといける。陽もかなり傾いたが、もう安心だ。西の谷からからガスがサーッと流れてきて稜線を覆いすぐそこの茂倉岳を隠してしまう。ガスの中から指導標のシルエットが現れ茂倉岳だった。すぐそこに先程の単独行者がいた。ゆっくりと煙草を味わいながら遠くを見つめていた。

「小屋はもうすぐですか?」
「・・・この下、5分だよ・・・。」

ガスの笹原を下りていく。右手下に小屋が現れた。

3・小屋にて

茂倉岳避難小屋はまだ築4、5年だろう、ずいぶんと頑丈で清潔な小屋だった。16:15着。広い板の間に数人の先客が三々五々シュラフを広げていた。若い女性の単独行が居たのには驚いた。あぁとにかくやっと着いた。一安心。

小屋の裏の水場に下りていく。1分程度で笹原の中から水がちょろちょろと流れる水場だった。とそこにはさっきの単独行者が水を汲みながら煙草を吸っている。年は40歳半ばくらいだろうか、皺がちで日焼けした顔立ちだった。

「いい小屋ですね・・」
「・・うん・・」

「・・谷川岳からずうっと一緒でしたよね・・。さっきは岩場で道を間違えてしまいました・・。」
「・・・。・・あぁ、そうだったのか、道理でふと後ろを見てみるとあんたが居るもんで、あれ、おかしいな、どうしたんか、と思っていたんだ」

「・・岩の上を良く見れば丸くなっているからそうはコースは間違えないだろう・・」
「・・・。」
(小屋の中。夕餉の時間)

彼はぽつぽつと喋りだした。地元、長岡の住人で雪のない時期に越後の山を巡り歩いているとのことだった。今朝早く麓の土樽から茂倉新道で上がってきて小屋にザックをデポして軽装で谷川岳をピストンしていたとの由。ディパック一つだったのはそのせいだったのだ。清水峠、朝日岳、太源多山、巻機山・・、この辺りの山はかなり登っているようだった。興味のある浅草岳、守門岳について聞いてみる。これらの山はかなりポピュラーでものすごい人手との事だった。

雪が降ると溶けるまでは山には行けない、だからこの時期に登るんだよ・・。朴訥としているが確かに語るその様は、芯の太い越後人の人柄に触れているような気がして、何か温かく、嬉しかった。

水を汲み終えた彼の後、ポリタンに水を汲む。飲んでみる。冷たい。そして、美味い・・。

今宵の同宿は8人。とても快適だ。暗くなった小屋、ヘッドランプを灯し夕餉とする。オプティマスに火を入れレトルトのトン汁にうどんを入れる。体が温まるお気に入りのメニューだ。さっきの流れで冷やした缶ビールを開けうどんを食べるとあとは温かいシュラフが待っているのだった。

4・ガスの上越国境歩き
(ガスと風と笹と。
寂しさと楽しさが交錯する。)

朝4時半、誰からともなく起きヘッドランプ光が飛び交う。小屋はさすがに頑丈なだけにとても温かくシュラフが暑いくらいだった。夜半に目覚めた時は満天の星空だったが今朝は深いガスが巻いている。隣に泊まっていた40歳位の登山者が携帯テレビをつけると皆天気予報に駆けつける。今日も快晴らしい。

私は準備が遅いのか、早く出ようとは思うもののいつも遅くなってしまう。昨日から前後する長岡からの単独行者も短い挨拶をして出ていった。彼は今日蓬峠回りで土樽に戻るとの事で又何処かで会えるかもしれない。カップラーメンの朝食を食べ6:05に小屋を出た。霧が深くすぐに小屋が霞んで消えた。

茂倉岳まで登りかえしここから武能岳・蓬峠への縦走路に入る。路はチシマザサの中をぐんぐん下っていく。笹の丈は丁度膝まででそれがガスの合間を一面にうめている。朝露に濡れた笹でニッカソックスが濡れてしまう。しまった、スパッツを持ってくるべきだった。笹尾根歩きでは天候には関係なくスパッツは必需品だ。なるべく笹に触れないように足を運ぶが道は細く容赦なく笹が触れてくる。ソックスがぼってりとしてくる。

少し高度を下げるとガスの密度はうすくなりかなり視界がきくようになった。朝早いからこんな天気なのか、それとも国境の山はいつもこうなのか・・。ひとけはなく笹原の中に細く長く縦走路が延びているだけだ。それをたどる。風が北から強く吹いてきて思わず帽子を押さえた。ヒュウヒュウ・・。ガスと風と笹。それだけだ。ずいぶんと人寂しい光景だ。でもそんな中を歩くのが楽しみでもあるのだ。

武能岳までは標高1977mの茂倉岳から400m近く高度を落し、最低鞍部から再び200m近く登りかえしていく。さすがに400mの高度さは結構ありなかなか最低鞍部まで下りつかない。視界が利かないから一帯どの辺りだろう、と思う。が腕時計についた高度計から現在高度はわかるので場所の見当はつく。広げた地図がパタパタと風にめくれる。
(生き物のようにしなやかに・・。)
Digital Camera OLYMPUS C820L、
Program Auto, -1EV

と、ガスがかなり晴れ視界が延びた。前方に延びる広い笹の尾根。北から風に乗ったガスがその尾根を越えてくる。次から次へと一塊りのガスが上がってきては尾根を乗り越していく・・。生き物のように、しなやかに流れ去るガス・・。誰も、居ない。あぁ一人だ。こんな場所に独りで居るのだ。感情が高まる。

ふと振り返るとガスの合間から昨日歩いた一ノ倉岳から茂倉岳までの尾根がチシマザサの原の遥か上に広がっていた。目を右に転じれば芝倉沢の源頭部への深いガレ場が圧倒的な迫力で広がっている。

谷川岳一帯は南アルプスのような豪快さと重厚さも、奥秩父のようなしっとりとした森林の美しさもないかもしれないが、変わりに人寂しい笹原と凄絶な岩場の織り成す独特の風景がある。豪雪地帯の山はみんなこんな感じなのだろうか・・。笹原、高層湿原・・。もっともっと登りたい山が増えていく、そんな感じがする・・。

武能岳へ登りつく手前で後ろから小屋で同宿していた携帯テレビの登山者が追いついてきた。ガスは薄くなり変わりに陽射が暑い。山頂は何組かの登山者が三脚を構えてガスが完全に晴れるのを今か今か、と待っている。少し先に見覚えのある後ろ姿がある。長岡からの単独行者だった。ゆっくりと煙草を吸っている。昨日から密かに彼に何度励まされた事だろう・・。

「・・やぁ、結構早かったね」
「いやー疲れました」

歓声が上がった。ガスが晴れサーッと展望が広がったのだ。四周ぐるりと、山ばかりだ。すぐ足元から落ちる芝倉沢を隔てて前方に大きいのは白毛門だろうか。左手はるかに清水峠の送電線監視小屋と清水峠の避難小屋がよく見える。そこから朝日岳へと高まる稜線。

「・・巻機山がよく見えるね。あっちは武尊山の方だな・・」
「山ばかりですね・・」

すばらしい眺めを暫く堪能してアマチュア無線をするためにザックを開けた。ここで少し長居をする予定だ。彼も何本かの煙草を堪能したのかふと立ち上がり、では、と去っていった。あっけなかった。人の出会い・別れとはこんなさりげもないものかもしれなかった・・。お互い、名前も知らない、それぞれの長い人生の中のほんの一瞬同士がふれあうのだろう。お辞儀をして彼を見送った。

ガスはすっかり晴れた。無線を終え蓬峠へ向かう。蓬ヒュッテは笹原の前方に小さく見える。先ほどの彼が豆粒となって笹に消えた。のんびりとした気分で歩く。闊達な笹の高原だ。

(振り返るとガスの合間から昨日歩いた一ノ倉岳から茂倉岳までの尾根が
笹原の遥か上に広がっていた。)

Ricoh GR1 GR Lens 28mm F2.8, F22 AE, Fuji Sensia ASA100

蓬ヒュッテで一休み。ここは上越国境にしては珍しくテント場も用意されていた。少し考え小屋で缶ビールを買う。小屋番に土樽への道の様子を伺うと、道は良いが列車は3時半までないよ、とのことだった。土合に下りた方が便利だね・・。そんな筈はない、ちゃんと時刻表で調べてきたが13:50に越後湯沢に行く列車もあるはずだが・・。いや、それも今はないよ。話は好きでなさそうな彼からそれ以上深く聞き出せそうになかった。

まぁいいか、時刻表を信じて行ってみよう。群馬県側の土合に下りるより新潟県側の越後側の土樽に下りた方がいかにも国境尾根の縦走の締めくくりにふさわしい、そんな気持ちが強かった。最悪15:30まで待てばいいや。

土樽への道は峠のある台地を端から巻いて降りていく感じですぐに沢を横切って樹林帯の中に入っていく。登ってくるパーティにすれ違う。小沢をいくつか渡り高度を下げる。左手に稜線がぐんぐん高くなっていく。

休憩している中年の夫婦にあう。

「蓬峠まであとどれくらいですか?地図もないもんで・・」

昨年歩いた平標山でも感じたが地元新潟の人々はとてもおおらかに山を楽しんでいる気がする。地図を持たず、焦らずマイペースで山を歩いている。がつがつとピークを目指すなどせず無理せずに峠までゆっくりと楽しむ。そんな感じは東京辺りの登山者とは違うかもしれない。遠慮する私に彼らはバターボール飴やら柿の種などをいくつか手渡してくる・・。何か明るい気持ちとなった。

徒渉とまではいかないもののかなり広い沢を飛び石をみつけ渡り、渡りかえす。水量は豊富だ。もうすっかり高度を下げじきに林道にでた。

* * * *

林道歩きは長い。関越自動車道のすぐそばに出て舗装路をしばらくだらだら歩くと土樽駅に出た。無人駅だ。気になるダイヤは・・。張り紙がしてある。「先月の大雨で上越線は単線運行のためダイヤは・・・」

やはり小屋番が正しかった。今12:50だから列車まであと3時間近くか・・。少し迷う。焦っても仕方ないが3時間もすれば東京に戻っているだろう。暫く考え、タクシー会社に電話してみる。越後湯沢まで3000円程度とのこと。早く、帰ろう。

越後湯沢は数年ぶりだったが田園地帯に高層マンションが立ち並ぶ様は異様でもある。タクシーの運転手によるとバブル経済の置き土産とのことでどれも売れ残っている、とのことだった。かつては東京都湯沢町、とまで言われたのですがねぇ・・。夏が終り雪が来る前のこの季節が湯沢の一番静かな季節とのことだった。

新幹線は早い。缶ビールで気持ちよくなっているうちに1時間半で私を見なれた東京駅まで運んでくれた。天下の秋晴れと一転して深いガスを味わせてくれた谷川連峰。素晴らしい初秋の2日間の山歩きだった。

(終り)


(コースと標高: 9/12 上毛高原駅−天神平10:10−熊穴沢避難小屋10:50−肩の小屋12:20−オキの耳・アマチュア無線14:40−一ノ倉岳15:45−茂倉岳16:05−避難小屋16:15

9/13 避難小屋6:05−茂倉岳6:20−武能岳・アマチュア無線7:50/8:45−蓬峠9:50/10:20−中の休場10:55−東俣沢11:25−林道12:00−土樽駅12:50

谷川岳(オキの耳)1977m、一ノ倉岳1974m、茂倉岳1977m、武能岳1759m)


谷川岳 1977m、1998/9/12、新潟県南魚沼郡湯沢町
移動者:7M3LKF 無線機:ミズホMX6S+自作軽量8Wリニアアンプ(2SC1945使用)、アンテナ:釣竿ヘンテナ
交信局数:22局(50MHzSSB)、最長距離交信:富山県東礪波郡、JA9CHI

山頂はオキの耳(1977m)とトマの耳(1963.2m)の二つから成る双耳峰。三角点はトマの耳にあるが私は標高がわずかに高いオキの耳でアマチュア無線運用を行った。

どちらのピークも山頂は狭く人で混み合っている。一歩間違えると数百メートル奈落の底に転落をしてしまうので注意が必要だ。

電波の飛びは関東地方には強力に飛んでいく。

(一ノ倉岳への縦走路からオキの耳を望む。一ノ倉へ落ち込む壮烈な絶壁に圧倒された。)
武能岳 1759m、1998/9/13、新潟県南魚沼郡湯沢町
移動者:7M3LKF 無線機:ミズホMX6S+自作軽量8Wリニアアンプ(2SC1945使用)、アンテナ:ロータリーダイポール
交信局数:8局 (50MHzSSB)、最長距離交信:神奈川県横須賀市、JA9SCB/1

茂倉岳から蓬峠へ向かう縦走路中の一ピーク。標高は1759mと2000m近い稜線の中では決して高くない。が茂倉から縦走してくるとかなり高度を下げてから登りかえすのでやや疲れてしまった。

山頂はふつうの通過点、という感じなのであまりピークという感じはしない。無線のロケは標高が低い分谷川岳や平標山などにくらべると余り良くない。

ここでの運用では新潟県の局から結構呼ばれた。新潟の50メガのアクティビティも高い事を実感した。

(青空にカメラマン、そして釣竿ダイポール)

Copyright : 7M3LKF,YZushi 1998/10/10