深遠−憧れの南アルプス南部へ、悪沢岳・赤石岳

(1998/8/1,2,3、静岡県静岡市、長野県下伊那郡)


1・深遠な南部へのいざない :

南アルプス南部はかねてから憧れていた山域だった。北岳や塩見岳から見渡したときに果てしなく広大な広がりを見せる南部の山々・・悪沢岳、赤石岳、聖岳そして光岳・・。重なり合うこれらの山々は私に深い憧憬を与えた。悪沢岳はまず名前に惹かれてしまった。いかにも一癖も二癖もありそうな名前だった。そして赤石岳は何といっても南アルプスの中核だ。標高の点では北岳を南アの盟主とすべきだろう、が、赤石岳こそは巨大な南アルプスの中央に王者の風格で君臨している。王者を、私も歩きたい。そして好きなアマチュア無線を運用するのだ・・。しかし現実は甘くない。これらのどの山に至るのにも長いアプローチが必要で、一度入ってしまったら出てこれなくなるのではないか、自分にはとても歩けないのではないか・・、そんな畏れに近い気持ちが心の中に大きかった。アプローチも長ければ稜線も長大だった。深遠な山・・。正直言って、恐かった。今年こそは悪沢へ、赤石へ行くぞという気持ちを毎年抱いたが、実際梅雨の開けるころになるとどうも気分が負けてしまっていた。気持が負けては山は無理だ。

昨夏も例外ではなかった。当初の意気込も結局萎え、同じ南アルプスでもアプローチの容易な北部の仙丈岳に登った。悪沢・赤石が無理ならせめて仙丈岳、であった。憧れの頂だったので感動はしたが、なにか悪沢・赤石・聖の影がちらつき、それらの代替で登っているのだ、手短な所でお茶を濁している・・そんな気がしてしまった。やはり、行くしかない。行くのだ。深遠な南ア南部へ。行かねばこの気持ちはおさまらない。南部への憧れはこうして確かなものになっていた。

2・七時間ひたすら登る−遠大なアプローチ :
(深遠なる山、南アルプス。
入山初日、いきなり7時間に
及ぶ原生林帯の登りが待って
いた。南ア南部アプローチは
遠大だ。ひたすら登るしかない)

幸運な事に予定よりも1時間早く臨時バスが出た。商売っ気の全く感じられないリムジンバスでの一時間、ようやく椹島まで来た。AM9:20、水を補給し今日の行程を思いやり気合を入れて歩きはじめる。今日は千枚小屋まで。コースタイムで7時間。深遠な山へのアプローチだ。果して延々と続く7時間の登りに自分は耐えられるのだろうか・・。この初日が巨大な南ア南部への大きな壁だ。焦らずにゆっくりと。

南部への登山の基地となる椹島までのアプローチは長い。横浜を前夜に出発、東名の由比PAで仮眠。細い山道をうねうね走り井川ダムをこえ3時間近く、ようやく畑薙第一ダムにつく。ここで一般車はおしまい、椹島までは東海フォレストのリムジンバスに乗換え更に1時間。

光岳からの下山者だろうか、畑薙の大吊橋を歩く登山者が豆粒のように見える。揺れる小さなバスから目をやれば青空に白い稜線が光っている。いよいよ来た。南アルプスの南部に来たぞ。憧れの悪沢岳へ、赤石岳への第一歩。武者震いがする。

南ア南部を歩くにあたっては基礎体力をつけなくては、と春頃からジョギングを始めたがやり方が悪かったのか膝に痛みを覚え中止。代りに出来るだけ毎日30分程度のウオーキングを実践してみた。こんなもの、果してどんな効果があるのか分からぬ、でも多少は効果があるのではないか・・。

小さな吊橋を渡りしばらくは息の上がる急な登りが続く。テントとシュラフ、それに3日分+αの食料、無線機などで約20kgのザックが肩に食い込む。崩壊した沢沿いのトラバース道は上方に巻き道がある。注意して通り再び高度を稼いでいく。北岳でも肩の小屋までは5時間だ。千枚小屋まで7時間の延々の登り道というのは自分にとっても初めての経験でどのようなコース配分をすればいいのか分らない。ともかく何も考えずに1時間毎に10分、という従来の歩き方でいくしかないだろう。幸いな事に臨時バスのおかげで出発が予定より1時間早い。序盤戦は疲れを残さぬよう意図してゆっくり登ろう。

ほどなく林道を横切り反対側のハシゴに取付く。ここまで1時間10分、コースタイムを1時間縮めておりびっくりする。ここからは等高線間隔も広まる。緩やかだがひたすら長い尾根にようやく取付いたのだ。傾斜は揺るくなったが樹林帯のなかをただただ登っていく。腕を組み足元を見ながら数を数えながら登る。きりのよいところで顔を上げてみるがたいして進んでおらずがっかりする。再び顔を落し数を数える。時計を見るが進みは遅々としているようだ。樹林はおおむね深くしーんとしているが時折明るい地形に出て前方が窺える。長い尾根が遥か前方に延びていき彼方に頂が見える。あれが千枚岳だろうか、あのすぐ下が今日の目的地。先は長い。

この登山道は千枚小屋近くまで延びる林道と絡み合うように延びており、先程のハシゴ部分ともうひとつ、途中2個所ほど林道をクロスする。一般車通行止めと知りながら車道を見ると思いっきりがっかりしてしまう。途中車の音が近づきよく見ると右手すぐ上をワンボックスが樹林ごしに下りていった。

原生林の中、ほぼ平坦な道と緩い登りが交互しながらじわじわと登っていく。この調子なら何とかいけるだろうか・・。しかし一気には稼がずゆっくりとそして確実に高度を稼いでゆくこの重厚なアプローチこそが南アルプスの真骨頂でもあろう・・。

清水平で昼食。ここの水は冷たくて旨い。レモンの凝縮果汁を数滴水に落して飲むと更に美味で、あまりの旨さに何杯もこころゆくまで水を堪能した。

再び、登る。さっきから深い樹林の中ただ進むだけなのでなんだか時間の経過が分からない。地図を開く。まだ先は長い。蕨段を通過。湿った小地にシダが生えている。空が少し開けている。これまでとは違いここから駒鳥の池まではメリハリのない一定の斜度の登りが延々と続いていく。これは辛い。登るにせよ登りあり、平地あり、急登あり、といった変化があった方が自分には登りやすい。こうなると一歩一歩足を自動的に運ぶしかなかった。

ジメジメと陰湿な感じのする駒鳥の池に到着、PM15:15。倒木に腰掛ける。ここまで出発してから休憩も入れてほぼ6時間。まぁ自分では頑張っている方だ。ここまでに前後していた何パーティかはすっかり私を抜いて前に行ってしまった。まぁ、いいだろう。小屋まであと1時間弱だろう・・。

歩きはじめてすぐに樹林の彼方から発動機の音が聞こえてきた。千枚小屋だ。この安心感。しかし直線距離は近いものの小屋までは沢の源頭部を巻いて左に大きくトラバースして登っていくので距離はある。見上げる上空には千枚小屋の荷揚用のケーブルが走っている。林道を辿ればこのあたりまで車で上がってこれるようだった。小屋はまだか。なかなか着かぬこのもどかしさ。じりじりと、焦る感じ。
(千枚小屋テント場にて) (ビールと夕餉作り)

パタパタと発動機の音がますます近づいてくる。人々の談笑する声が漏れてくる。午後16:15、最後の一踏ん張りで樹林が開け千枚小屋だった。

宿泊手続きを終えた登山者たちはお花畑で写真をとったり広場で酒盛したり、と皆夕食までのひとときを思い思いに過しているようだった。ビール、ビール。まだ若そうな小屋番が小さな窓からぎょろりと顔を出す。木の香がまだ漂っている新しい小屋だ。

テント場は少し進み数十メートル下がった所にあった。学生のWV部一行のドームテントのすぐ脇に良い場所がある。黄色地に朱色のフライシートの小さな我家。缶ビールをあけ湯気の上がるカレーうどんを食べるとあとは横になるだけだ。長い南ア初日だった。とにかく何とか登ってきた。7時間もひたすら登る・・、やれば、出来るもんだ。酔いも手伝い隣のテントから流れ来る笑い声を聞きながらいつしか眠りに落ちていた。


3・風に飛ばされ赤石岳へ :

遥か上空で風が渦巻いているのだろうか、凄い唸りが降ってくる。目が覚めた。テントは揺れもしないがかなたで強風が吹いているようだった。計画段階の予定では今日は赤石岳山頂の避難小屋脇でテントを張る予定だった。テントが無理なら避難小屋泊り。しかし昨日の千枚小屋の小屋番の話では椹島から畑薙に戻るリムジンバスに乗るためには山中のどこかの小屋で一泊二食付きで宿泊しないと乗れない、との話だった。予め東海フォレストに電話で聞いていた時点ではバスに空があればフリの客でも乗れる、との事だったがどうやらそれは望みが薄いようだった。だとしたら今日は荒川小屋か赤石小屋で食事付きで泊らなくてはいけない。荒川小屋だともう一日行程に時間がかかるのでパスだ。予定通り赤石岳の山頂で泊るか、少し頑張って赤石小屋までいくか、どっちにしろ今日はロングコースだ。

入山前の週間天気予報ではここ数日間の好天を約束していたので今朝は天気予報はきかなくてもいいか・・、ラジオには手を出さずに荷物一式を収納してAM5:20、テント場をあとにした。しかし今年はまだ正式な梅雨明けの宣言は聞いていない。8月に入ったからもう天候は安定しているはずだろう・・。

朝霧の中しばらく小屋の裏手のお花畑を登っていく。朝露に濡れた花々がみずみずしい。周りは徐々に重厚な樹林帯から矮小な潅木帯に移りはじめ、じきに森林限界を抜出した。
(千枚岳。ここから風と霧雨が)

風が、凄い。今朝方からのゴーァッという唸りはこれだったのだ。雨とも霧の粒子ともつかぬ細かい水滴が吹付けてくる。とりあえずゴアの上着を着け風を避けうつむきかげんに一歩一歩登っていく。ガラガラの斜面を風がおもしろいように舐めまわしていく。上体を上げると体が後ろに持っていかれる。カッパのフードが飛ばされるので頭を押える。凄いなぁ。ひどい風だ。千枚岳はいつも風が強い、とガイドブックに書いてあったっけ・・。とにかく早く千枚岳を越えなくては・・・・。ここ数日天候は悪くないはずだ。とにかくここを早く抜出そう・・。千枚岳の山頂はすこし窪地がありここは風が来ない。AM6:05、千枚岳。一息いれピーナッツや甘納豆、小魚、スルメなどを小分けに混ぜた行動食を口にする。予期せぬ風との遭遇で思ったより体力の消費が早いようだ。空腹になる前に先手、先手で食べ物を補給していこう。

空は深いねずみ色でガスが風に飛んでくる。ここからは天気さえ良ければ赤石岳や塩見岳を望む絶好のスカイラインのはずなのだが・・。ともかく、進もう。ロープの下がった短い岩場がある。視界が利かないのが幸してか高度感を感ぜずにすむ。岩稜帯を巻きながら高さを稼ぐ。短い視界の中、似たような地形をただ登る。悪沢岳はまだか・・。悪沢岳までいけば大休止しよう。そのころは天候も回復しているに違いない・・。

狭い岩礫を越え広いガラ場を登る。前後に歩く登山者も皆無言だ。しばらく進めばようやく人だかりが見えた。悪沢岳だった。AM7:30。標高3140mは本邦第六位の標高。山頂は信仰登山の名残か小さな祠が岩の影に立っている。すごい風なので皆記念写真をとるとたちどころに去っていくようだった。私はこんな中で一仕事がある。アマチュア無線・50MHzの運用だ。こんな風では大掛りなアンテナは無意味だ。ワイヤーアンテナを岩陰に這わせ身を窪地に隠した。無線機のスイッチを入れる。と関東地方と関西地方の局がどちらも同じくらいの強い信号強度で入感してくる。各エリアの信号が強力に乱れ入ってくるこの感覚は中部山岳地帯の3000m峰ならではの醍醐味だ。こちらは1Wにワイヤーダイポールアンテナという非力な設備だが何処とでも簡単に交信が出来てしまう。何局かに声をかけ今度はCQを出す。さっそく声がかかる。ローカルのJG1OPH/1だ。彼は抜群に耳が良い。移動先でローカルと話すとなにやら元気づけられる。今日は先が長い。CQを適当なところで切上げ最後にバンド内をもう一度スイープすると同じくローカルの JK1RGA/1をみつけた。 奥秩父の朝日岳に移動している。声をかけると、うわー悪沢岳からか、すごいなぁ、と感心してくれる。こちらもやっと来た憧れの南アの核心部、興奮して声が上ずっているようだった。

風に飛んでくる水滴が濃くなり濡れた前髪から滴が無線機に滴り落ちた。ブルブルッと胴震いを感じ慌ててパッキングをする。行動食を口に入れる。吹付ける水滴も猛る風も止むどころかますます激しくなってくる。ザックカバーを着け上下ともゴアで武装し直して山頂を後にした。

* * * *

ここから荒川中岳までは一度下りてから又登りかえさなくてはいけない。短い視界の中ではただ一歩一歩進むだけだ。さっきは前から吹いていた風も瞬時に真横から吹付けてくる。登山者はただそれに耐え、歩く。蟻のように、歩く。かなり高度を下げたようでどうやらここが鞍部だ。登りかえしていく。ガイドブックの写真で見た荒川中岳の光景を思い出してみる。写真ではすばらしい夏空の元スックと山頂が立ち上っていたっけ。あんな素晴らしい光景の下を歩いているはずだったのに・・どこでどう間違えたか・・。それよりも今日、こんな調子で赤石岳まで行けるのだろうか?

我慢して登っていく。荒川中岳の山頂には避難小屋がある。とりあえずそこで一服できるはずだ。これからどうするか、小屋で考えよう・・。せめてガスさえなければ励みが出るのだが。立ち止り飴などをなめてみる。飴の包装紙が飛ばされそうになる。しばらく登ると全く不意に前方が開け小屋がガスの中にボーッと立っているのが見えた。着いた。中岳山頂避難小屋だ。

扉を開けると薄暗い小屋だがじきに目が慣れた。小屋は2階建でさして大きくはないが鉄骨の頑丈そうな小屋だ。夏は小屋番常駐でビールなども売っている。カップ麺やカレー程度の食事なら用意してくれるようだった。風も雨も来ない、この安心感。フーッ。ザックを置きゴアの上着を脱ぐ。石油ストーブの前で汗とも雨粒とも分からぬ蒸気が立上る。先客は10人程度、皆今からどうしようか、と思案顔だ。その中の一人の話ではどうやら前線が本州に近づいているらしかった。しまった、今朝天気予報を聞いておけばよかった。でもここ数日天気は悪化しないはずだったが・・。正式な梅雨明けもまだで天気はいささか不安定なのかもしれなかった。今夏の天気は、どうも変だ。でも今朝天気予報を聞いていた所で果して今日はどう行動していただろうか・・・。
(中岳避難小屋。
ストーブの小屋でほっとする。)

まだAM9:15だが腹が減ったのでここで早い昼食。とにかく暖かいものが食べたい。ジフィーズの牛飯を取出し暖める。高山裏から来た登山者、私と同じように千枚から来た登山者。三伏峠を目指す者、百間洞を目指す者・・。皆、表情は暗い。さて今からどうしよう・・。 固い線はここから1時間半程度の荒川小屋で今日は停滞とするべきだろう。でもそれでは行程が一日延びてしまう。下山が遅れては家族はどう思うだろう。日ごろから下山が一日くらい遅れても心配せぬように家族には言ってあるが、それが現実となればやはり心配をかけるだろう。お守り代りに持ってきた携帯電話で連絡してみようか・・うまくつながればいいが・・・。牛飯を平らげポリタンの水を飲む。まず、家に電話してみてだめなら荒川小屋まで行ってから考えよう・・。

かっちり30分休んで自分にふんぎりをつけて外に出た。とたんにガスが逆巻き風が叩き付けてくる。携帯電話を取出してみる。駄目だ、アンテナマークが立たない。エリア圏外だ。2年前にはこの近くの三伏山からは携帯電話は使えたが・・。わずかの地形の違いでエリア圏内になったり圏外になったりするようだった。畜生、使えない電話だなぁ。しかし何という天気だろう。まったくついてないなぁ。こちらは一年越しの計画なんだぞ・・。仕方ない、先の事は荒川小屋についてから考えよう。

荒川中岳の山頂部は広くて迷いやすい。指導標を霧の中から見つけ荒川小屋へ下りる。間違って高山裏方面へ下りてしまうと大変なので少し下ってから又登りかえして指導標と方位をもう一度確認してみる。

ヨシ、これで良い。大きくガレたカール状の地形をどんどん下りていく。幸いな事に稜線を離れるとあれだけ凄かった風が嘘のように止んだ。風いや唸りは聞えるのでまだ上方で吹まくっているのだろう。風がないと雨つぶてに吹かれる事も無く安心して歩ける。ジグザグに下りていく。濃白色の霧は歩けど歩けど途切れない。ここは本来なら南アルプスきっての雄大なお花畑が広がるはずで山行前から期待していたのだが視界が利かぬガスの中ただ通過するだけだ。

ずいぶん下がるなぁと思っているうちに潅木帯に突入し眼下に荒川小屋が見えた。千枚小屋同様、ここも新築だ。古い小屋は少し下にあり、素泊り・冬季開放小屋としているらしかった。木の香がプンプン漂うロビーで何人もの登山者が今からの行動予定について相談している。若いアルバイトらしい真面目そうな小屋番も何人からも相談を持ちかけられていささか困っているようだった。さて今はAM10:45、ここから赤石岳避難小屋までは2時間40分。といってもそのうちの2時間は延々赤石岳の登りだが。今現在で今朝から5時間経っている。どうだろう・・。ここで泊れば楽だが行程は延びる。うん、まだ行ける。まだ行けるぞ。気力も体力もまだ大丈夫だ。それに家族を心配させてはならない。決めた。行くぞ。まずは赤石岳避難小屋まで。滴の落ちる軒下でフランスパンとチーズを口に入れる。水を補給して小屋を後にした。

* * * *

小屋の裏手から雨に濡れた枝を分け潅木帯をしばらく進み抜出すと再び強風のお出迎えだ。すごい風だ。真っ直ぐに進めない。身を低くして一歩一歩足を出す。これはヤバイ。赤石岳まで行けるのか。いやとにかく行こう。とにかくまずは大聖寺平まで。行くしかない。前から吹付ける風で気を抜くと体が持っていかれそうで力を込めて歩く。風に飛ばされるかのように前方から子連れパーティがやってきた。荒川小屋はすぐそこですよ、と勇気づける。でも勇気づけられたいのは実はこちらのほうだ。じきに広大な一面に出た。ここが大聖寺平のようだ。風と霧でまるで地の果てのように荒涼としている。視界が悪いと路を失いやすいので注意の場所だ。しばらく進むとガスの中から指導標が現れその足元に4、5人のパーティが何か力無く、呆けたように休んでいた。

いよいよ登りに取付いた。標高差420m、赤石岳への登り。今日最後で最大のアルバイトだ。延々と続く岩礫のコースだ。風は変らず好き放題吹いてくる。吹付ける風の音がすっかり耳にこびりついて頭がウワーンと鳴っている。時折思い出したように霧の中から人がぬっと現れすれ違う。

とても、不安だ。歩けば着くとは知っていながらも。不安だ。無事に赤石岳まで、赤石小屋まで行けるだろうか・・。視界はわずか数メートル。目の前の岩を点々と浮かび上がる赤ペンキを目当てに登っていく。気を抜くと体が風に運ばれてしまう。低く歩け。一歩一歩進め。でも誰も居ない・・。風とガスと細かい雨粒だけ・・。一歩一歩歩け。風に耐えて歩け。細かい水滴が風に乗って体にまとわりつく。風は上から、横から、下から、前から、後ろから狂ったように吹いてくる。好き放題、やりたい放題・・。もうさっきから翻弄され放しだ。これじゃまるで吹流しだ。恐い・・。大丈夫だろうか・・。家族のもとに、無事戻らねば・・。

気分転換。身をかがめて行動食を口にする。もうこの時間になるとさすがに誰にも会わない。まだ先は長いのかなぁ?いや、まだ1時間しか経ってない。登ろう。こんな風に負けてなるものか。

霧の中に丸い影。近寄ってみると雷鳥だった。悪天を恐れることなく動き回る。それでも暖をとっているのか羽根を目一杯膨らませている。

目の前に高い角度で続いていた岩礫の路も斜度が緩まってきた。しめた、小赤石の肩に着いたか?二重山稜のような窪地を通り過ぎる。ここは嘘のように風が来ない。ここで2人づれのパーティに追いついた。一安心する。回りに人がいれば安心感は全く違う。独り歩きを楽しみたい、という気持ちで一人で歩いてきたがこういう時はやはり人がいると嬉しい。独りがいいと言いながら密かに同好の士を求めているのだ。彼らと前後しながら平坦な稜線を歩く。このあたりから風は一定方向から吹いてくるようになった。西の、伊那谷方面から強烈に吹いてくるのだった。

赤石小屋へおりる大倉尾根の分岐点に着く。午後13:25。もう赤石は目の前だ。2人づれパーティは赤石の山頂は以前にもう踏んでいるのでこのまま赤石小屋に下りるという。

路は緩やかな登りでガスの中を進む。晴れていればこのあたりは聖岳やさらの奥部の山が望めるはずなのだが・・。
(ついに踏んだ
憧れの頂)

ガレを登ると不意に指導標が霧に浮かんでいる。やった!ついに着いた、憧れの頂き。赤石岳だ。ついに登った。無事に来た。南アルプスの盟主!やはり赤石岳こそは南アルプスの中核であろう・・その頂だ。狂ったように山頂標識の横で飛び跳ねる。何度も飛び跳ね赤石の山頂を踏みしめる!風雨の中「ヤッタ、やった」と大声を出す。ふと気づくと後ろにぬれねずみになった単独行がいた。彼も、笑っていた。展望はない。でもこの満足感は何だろう。朝から8時間以上、強風と霧雨の稜線をさ迷うように歩いてきた。でもとうとう着いたのだ。「やっと来ましたね!」「いやー嬉しいです」彼は又笑った・・。

さあどうしよう、今午後13:45だ。この先2、3分の避難小屋に泊まるか、それともあと2時間半頑張って赤石小屋まで行くか・・。風は西の、伊那側から吹いている。これから下りるのは東側だ。一度稜線を離れれば風は来ないはずだ。雨も樹林帯に入れば気になるまい。それに今日赤石小屋まで行き食事付きで泊まればけば明日は確実にバスに乗れる。よし、下りよう。しかしその前に大仕事、アマチュア無線運用がある。逆算しても午後14:30までに終らせれば大丈夫だろう・・。

手短にアンテナをセットし機材をセット、電源を入れる。時間がないのでバンド内ワッチもそこそこにCQを出す。長野県下伊那郡移動だ。赤石岳山頂移動、と言うのが自分でも実はとても誇らしい・・。非力な設備だがたちどころにパイルを浴びる。山に興味のある人は赤石岳、と言うとご苦労様、いいですね、とねぎらってくる。10分間で12局と交信。ロングQSOの人も居るのでこれはかなりのハイペースだ。時間に追われ一瞬の空白を見つけ無線機のスイッチを振り切るようにOFFにする。片づけながら憧れの山頂での、短時間であるがかなり濃く凝縮された無線運用の成果をかみしめた。

もうこれで思い残す事は何もない。さああとは下りるだけだ。小赤石の分岐まで戻り一気に東側へ下りはじめる。案の定稜線を離れるとすぐに風にあたらなくなった。自分のいた稜線が丁度屏風の役割をして西側から吹く風を受け止め東側は無風であった。長かった、もうこれで今日は風に悩まされる事はあるまい。あとは樹林帯に入るのでまず風はないだろう。思えば今日一日風に好き放題吹かれるままだった。風は辛い。必要以上に体力を使う・・。

地形はカールのようになっており、その底へ向けて思いっきり下がっていく。濃い霧の中、浮き石に注意する。一人、上がってきた。60歳は越えているだろうか、荷物を赤石小屋に置いてきて軽装で山頂ピストンをしに来たとの事。しばらく下りて今度は4、5人パーティが上がってきた。これは今朝椹島を出て赤石山頂避難小屋泊りらしい。カールの底部の水場は今日一日の荒天のせいもあるが豊富な水が滝のように流れていた。

ここまでかなりの急降下でさすがに足に疲れを感じてくる。しっかり締めたはずの靴紐なのだが、つま先も靴内部に当って痛くなってきた。まぁ、いいや、もう着いたようなものだ・・。行動食などを口にする。

ここからは山腹を辿る感じの高低差の少ないルートとなる。潅木が混じりはじめじきに森林帯に入った。しばらく進むと完全にガスを抜けだした。風は勿論なく、視界もきく。下界は荒天ではなかったのだ・・!

気圧の変化で耳が不愉快だ。赤石小屋へはほんのすぐと思っていたが結構あるなぁ。もう今日の行程は終った気分がしていたので殆ど水平で緩い登りなども交える長い道にがっかりする。最近手直しされたふうの桟道が何箇所か続く。殆ど高度を下げぬまま淡々と歩いていくと右手遥か下に赤い屋根が見えた。赤石小屋だった。先が見えると安心する。膝上の筋肉が痛くなってきたがあとは誤魔化しながら行こう・・。しかし長い一日だった。とにかく一日、無事に行動出来たのだ。

発動機の音が聞えて赤石小屋に出た。午後16:50時。ここでもう一度テントで泊ろうか、とも思ったが明日確実にバスに乗るには食事付で泊ってその領収書を東海フォレストに見せなければいけない。やはり今日は食事付で泊ろう。

* * * *

小屋番はどこかで見たことがあるなと考えれば数年前の雑誌「山と渓谷」の南ア特集号に出ていたのを思い出した。丁寧で落ち着いた応対に小屋についた安心感も手伝ってかとてもほっとする。宿泊者はおよそ3,40人といったところだろうか、小屋は3段の蚕棚形式で寝具は布団ではなくて清潔そうなシュラフと毛布で皆満足気だった。チェックインした順に宿泊場所が決めているのか私は蚕棚中段の端で隣には誰もいなかった。

缶ビールを買い小屋のサンダルをつかっけ外に出る。足が張って引きずるように歩く。赤石岳方面は雲ともガスとも判然としない中のようだ。細かい霧がうっすらと流れてきた。寒気を感じ小屋に戻る。大型のストーブが燃えており、ほっとする。

実は山小屋を夕食付きで泊まるのは初めての事だった。夕食はてっきり定番のカレーだろうと思っていたのだが千切りキャベツに魚フライ、串団子フライ、漬物、味噌汁それにあつあつのご飯。おひつに入ってお代り自由とは嬉しい。不便・不潔・不快と言われた南アルプスの山小屋も頑張っている。同席したパーティは今日椹島から上がってきたようで明日の天気を気にしていた。とにかく無事ここまで来たという満足感と余りのご飯の美味さに山盛り二杯もお代わりをしてしまう。そのおかげで腹が苦しくなり少し寝付けなかった・・。

4・下山:
赤石小屋の朝食。炒り玉子、
ハム、漬物、海苔、味噌汁、
そして食べ放題のご飯

下山日。昨日までの充実感と無事戻れそうだという安堵感で心が満たされる。最後に事故など起さぬようにと、気を引きしめよう、とも思う。これは日帰り、泊り山行を問わず下山時にいつも感じる気持ちだ。昨日の夕食に引続きお代り自由の朝食を摂り下山の途にかかる。天気はどんよりとしており深い霧で、昨夜は少し降ったようだった。時折水滴が落ちてくる。念のためレインウェアを来て小屋を出る。

しばらくは原生林の中のほぼ平坦な道だがやがて急な下り道となる。暑くなりレインウェアを脱ぐ。道は良く踏まれており歩きやすい。椹島から登ってくる登山者とすれ違うようになる。一人、そして又一パーティ。今朝4時半に椹島を出たとのこと。昭文社のエアリアマップには出ている林道との2個所のクロス箇所は良く分らず通り過ぎたようだ。多分廃道化しているのかもしれない。カンバやツガの林の中、かなりのつづらおれの急な下りとなる。たんたんと下りたいところだが膝上の筋肉がパンパンに張ってきて、さすがに3日目の下山はキツイ。ゆっくり行く。

林道を行く車の音が聞こえ椹島が近くなったのを思わせる。下から軽快な足取りで上がってくる人がおり誰かと思えば昨晩の赤石小屋の管理人だった。あれ、確か彼は今朝居たよな・。追い抜かれてはいない筈だが・・、それにしても赤石小屋から椹島まで往復は8時間半、それを淡々と、軽快にこなしていくのにびっくりする。ああでなくては小屋番は勤まらないのだろう。

長い3日間の締めくくりは鉄梯子だった。林道に飛び出し椹島だ。リムジンバスの乗車手続きを行い缶ビールを求める。普段はお土産などは買わないのだが、南ア南部の山名が記されたTシャツが販売されており、何か無事南アを歩ききったという満足感から何か記念のものを買いたい気分が自然と盛り上がってきた。一枚購入する。缶ビールを飲みながら回りを見まわす。下山者が三々五々やってくる。下山したての皆は一応に疲れた顔をしているが同時に長い行程を歩ききったという充実感からだろうか目は輝いてまだ頭は興奮覚めやらぬ、といった感じである。生憎と雨が降り出したが皆余り気にするふうもなく余韻を味わっているようだ。皆同じ南アルプスを歩いてきたのだ・・、私も何か皆が同志のように思え妙な連帯感を覚えた。

椹島からのリムジンバスがつき皆今から登るぞ、という意気込みを感じさせバスから下り立ってくる。まさしく、2日前の自分だ。

今思っても初日の気が遠くなるような長いアプローチをよく歩いたなぁ。折り重なるようにたたみかける原生林帯。そんな中、緩急織り交ぜながら確実に高度を稼いでいく重厚さ。悪沢岳での満足感。そして風と霧雨に吹かれまくり翻弄されながら歩いた稜線。森林限界は高く稜線をわずかに下りるだけで潅木帯が交錯する・・。再び上がれば吹きすさぶ風に小刻みに揺れるハイマツ。雨滴の中に丸まるように暖をとる雷鳥。風と霧が吹き荒れ荒涼とした大聖寺平。そんな中、赤石岳はまだか、と感じた不安、そして畏れ。そして最後は赤石岳山頂での痺れるような充実感・・。山はその深遠さを余すところなく見せてくれたような気がする。

なにかとても凝縮された感がある。わずかにこの3日間の出来事なのだ。

バスの出発時刻となった。こんな幸福な余韻に揺られながら畑薙第一ダムまでの長い林道を揺られた。往路で見たように畑薙の大吊橋を歩く登山者達も見える。彼らも南アルプスの素晴らしさを味わったのだ・・・。ありがとう南アルプス。深遠で重厚なる山々よ。そして来年も又来るよ。そんな思いをダム湖の奥に雲の中に立ち並ぶ山々に向けてつぶやいた。


* * * *

家に戻ってから改めてこの山行を振り返ってみる。幾つかの反省点があった。

−無事に戻れたから良いものの強風の稜線行には問題がなかったか?3000mの稜線を吹く風は想像以上の凄さ。
−それを生んだのは2日目の朝、天気予報を聞かなかった事も多い。日帰りならいざしらず泊り山行では毎日の天気の確認は必要。
−又歩き出しても行程の途中で停滞する事も必要。結果として留守宅に心配を掛ける事になるがそれを恐れて行動する方が危険な時もありそうだ。留守宅には予めそのことをよく理解してもらう事が必要。 等。

今年の夏は確かに天候が不安定だった。8月初旬は最も天気が安定するものだが私の入山日では長期予報は好天続きだったはずだが天候はめまぐるしく変わった。赤石小屋での夜、テレビでNHKがようやく正式な梅雨明け宣言をしていた。

(終り)

コースと標高: 

98/8/1:畑薙第一ダム8:10−(リムジンバス)−椹島9:00/9:20−林道10:30−小石下11:00−清水平12:30/13:00−蕨段13:40−展望台13:55−駒鳥池15:15/15:30−千枚小屋16:40

98/8/2:千枚小屋5:20−千枚岳6:05/6:15−悪沢岳・アマチュア無線運用7:30/8:20−荒川中岳避難小屋9:15/9:45−荒川小屋10:45/11:15−大聖寺平11:40−大倉尾根分岐13:25−赤石岳・アマチュア無線運用13:45/14:25−見晴台16:15/16:25−赤石小屋16:50

98/8/3:赤石小屋5:50−椹島9:00/10:30−(リムジンバス)−畑薙第一ダム11:20
千枚岳標高2879.8m、悪沢岳標高3141m、荒川中岳3083.2m、赤石岳標高3120m


悪沢岳 3141m、 1998/8/3、静岡県静岡市
無線機:ミズホMX6S(1W)、アンテナ:ワイヤーダイポール
交信局数、9局(50MHz、SSB)、最長距離交信、大阪府豊能郡、JF3XWM/3
3141mは本邦標高第六位。南アルプス南部の雄。

別名を東岳といい荒川三山(荒川前岳、荒川中岳、東岳)の一部という位置づけでもあるのだが、ここは悪沢岳という素敵な名前で呼びたい。わるさわ、という名前を初めて聞いた時なにやら恐そうなイメージが感じられ近寄りがたかった。

無線のロケは素晴らしい。無線機の電源を入れた途端関東から関西まで強力に電波が飛び込んでくる。これは日本アルプスの3000m峰すべてに共通した醍醐味だ。ゆっくりと腰を落ち着け運用すれば素晴らしい無線の成果が期待出来るはずだと思う。

(ガスの中の悪沢岳の山頂)
赤石岳 3120m、1998/8/3、長野県下伊那郡、静岡県静岡市
無線機:ミズホMX6S(1W)、アンテナ:ワイヤーダイポール
交信局数、12局(50MHz、SSB)、最長距離交信、茨城県行方郡、7L4VYK/1
悪沢岳に続いて本邦第七位の高峰。

居並ぶ南アルプスのジャイアンツの中で標高は決して高くはないが地理的には南アルプスの中心に位置する。まさに南アルプス南部の核心。小赤石を従えて堂々とている。そういえば南アルプスは赤石山脈、そう地図帖には載っていたっけ。

山頂まで遠かった事もあり赤石岳の山名標識で大きな満足を味わった。

(風と霧の中をひたすら歩いて山頂に着いた。感激・・)

Copyright : 7M3LKF, Y.Zushi, 1998/11/6