奥秩父トリオ

(1998/12/13,14、山梨県北都留郡・埼玉県秩父郡)


後沢林道の終点には12月と言っても駐車スペースを見つけるのが困難なほど車が停まっている。こんな時期はさして人は居るまいと思っていたからこれは意外だった。車中で軽く朝食を済ましザックを背負いさあ出発だ。今回は同行の二人に迷惑を掛けられないな、という緊張感がありいつもとは気分が違う。なにせ日本全国の山を広く深く足跡を残しつつしかもその山頂から電波を出すと言うアクティブな御仁と、毎週末の如く50MHzの山岳移動で神奈川・奥多摩・山梨近辺の山を荒らしまわっている御仁、そのご両人と一緒なのだから。歩みは牛の如く遅く無線はといえば気合の入らぬオペーレーションの私など彼らにとっては全くのお荷物ではあるが、荷物は荷物なりに出来るだけ迷惑をかけまい、と気分だけは高揚している。ほぼ平坦な道をたどって三条の湯へ向かう。数年前に一度歩いているコースではあるが道の記憶は全く無い。向かいの山肌に立つ数棟の建物が三条の湯だが、取り囲む木々が深く建物がまるで山の中に同化しているかのような雰囲気だった。

* * * *

同じ市内に住むJI1TLL・須崎さん、それにJK1RGA・河野さんと師走の雲取山に登ろうという計画は1997年の11月も終わる頃急遽持ち上がった話だった。河野さんとはそれまでも何度か泊まりや日帰りの山をご一緒させていただき気心の知れた仲だ。須崎さんはハムフェアでお会いした以外はお互いの山岳移動で呼び合ったり、自宅からラグチューしたりという事は何度もあったが、実際に山をご一緒させていただけるとは考えた事も無かった。全国の山を闊歩するアクティブな玄人・須崎さんにこんな山の素人に付き合って頂けるとは光栄の至り。喜びと緊張だった。

ところがどうしたことか山行前日になって体調が優れない。あろうことか熱まである。風邪をこじらしたか・・。結局キャンセルの電話を両宅にいれ布団にもぐりこんだ。くやしさと申し訳無さ。お二人は何処かの山に日帰りで行きますよ、と言われていたがどうしたのだろう・・。ところで私の風邪は全くなおらず大晦日の前夜にとうとう肺炎で入院と相成り1998年の元旦は病院のベッドで迎えてしまった。元旦の朝食には小さな鯛の尾頭付きが出たが、いずれにせよ情けない新年だった。

ところがこの話は死んだわけでは無い。そこは根っから好きな連中なのだから1年後の12月にまるでそうなるのが当然のごとく計画が持ち上がった。前回は日原の奥まで林道を車でつめてオオダワから雲取山、そして七ツ石から下りるという回遊計画だったが、今回のプランはオーソドックスに後沢林道から三条の湯を経て雲取山。翌日は飛竜山まで歩いて三条の湯に下りる、というものだった。

* * * *

三条の湯からはいきおい斜面がきつくなりこちらとしてはギアを一段落として登りたいところだ。果たして須崎さんはぐいぐいと先へ行き見る間に小さくなって行く。成る程、想像していた通りだったけど改めて本当の山屋の力を見たような気がする。僕は何を隠す事も無い、こんなペースなのだから仕方あるまい。まぁ登りますか・・。勝手知ったる河野さんは私の後を歩いてくれる。恐縮ながら嬉しい限りだ。

青岩鍾乳洞への分岐を分けた辺りで道はしっかりとした尾根を越え再びトラバース気味にゆるやかに山腹を登って行く。高度を示した小さなプレートが時折現れるので現在地を把握しやすい。右手に見上げる稜線が小雲取から目指す雲取山に続く稜線だろう。まだまだ稜線は高くその分登らなくてはならない。

時折須崎さんが立ち止まってこちらを待っている姿を視線の先に捉えるが、登ってくるのを見届けると再び進んで行く。なんだか、悪いなぁ。ひょいひょいと登れるところを随分とゆっくりと歩いてくれているのだろう・・。自分の場合は独りで山に来る事が殆どだがそれはそれが気楽だから、という理由も大きい。つまりマイペースで済み相方を気にする事が無いから、と言う事だろう。のろいペースで迷惑を掛けたく無いというその心理的負担はなかなか自分の中では大きい。もっとも相手に充分その事を分かってもらえたと思えば後は余り気にならなくなる。だから初顔合わせは気になるが二度目以降なら随分と気楽になる。

(雲取山、2017m。曇った冬の空にしーんとした山頂。)

「須崎さんに申し訳無いなぁ」
「いやいや自分のペースで行けば良いんですよ・・」

そんな事を河野さんと話す。

稜線が近くなって道が大きく右手に巻き始めると雲取山からの下山者にもすれ違うようになった。稜線の三条ダルミについたのは三条の湯を出てから2時間半後だった。明るいこの草付きの小平地には12月の柔らかい日差しが満ち溢れていて、そのせいもあり地面はぬかるんでいる。冬とはいえ太陽の力はたいしたものだ。

ここまでは雪も殆ど無く歩きやすい道だったが北面に回り込んだ雲取山荘へのトラバース道に入ると様相は一転してカチカチに凍った雪が随所に現れた。須崎さんはツボ足でいとも簡単に突破していくがこちらが足元が気になりとてもそうは行かない。ソールのフリクションも利かないこんな固い雪の上をどうしてそう容易に行けるのだろう・・。後ろから河野さんが良い足場をアドバイスしてくれるがなかなかその通りには足が進まない。歩きにくく斜面の急な箇所に限って固く凍っており心臓から汗が流れてくる。入り組んだ木の根っこの間などにもたっぷり氷雪がついており緊張の連続だ。さながらゴム底でスケートリンクを歩くようなもんだ。

雲取山荘の水場につきようやくほっとする。ドラム缶にたまった冷たい水を柄杓ですくってポリタンにいれ、山荘前で昼飯とした。

しばしの休憩をはさみ雲取山への最後の急登へかかった。北斜面のここは氷雪がみっちり付いており吐く息が真っ白になる。アイゼンを履いたので難なく登って行く。ツガなどに覆われた斜面は薄暗くここが奥秩父であるという実感が湧いてきた。

雲取山山頂は誰も居ない。しーんとした白い景色の中に山頂標識がポツンと立っているのみだ。が、今宵の宿、山頂の一角の避難小屋に入ってみて驚いた。満員に近い。先行していた河野さんが二階の棚の上になんとか寝場所を確保してくれておりまずは安心。とはいえ先行者と後続者の間には無言の力関係があるようで先に小屋に入ったパーティは人数の割には大きなスペースを取っている様にも思える。特にとある男女三人組みは就寝スペース以外に酒盛りスペースをとり我が物顔にふるまっている。後続パーティは続々到着してくるがもはや佳境に入った彼らにはそれすら目に入らない。見かねた周りから彼らに注意の声が飛び交うとパーティの中の女性がヒステリックに反論した。こんなのとても見ていられない。小屋でビール片手に山の話を楽しむのがひとときが楽しみだったのに。

若い頃から山の厳しさ・マナーを叩き込まれてきた須崎さん・河野さんにしてみれば全く最近の登山者は信じられない、といったところだろうか。彼らだって個人であればきっと決して悪い人たちでは無いかもしれない。どうして固まるとこうなるのか・・。こんなつまらぬ事で自分の中ではわだかまりが残った。とはいえ、ヘッドランプの中に浮かぶ二人の顔をみているとやはり楽しい。学生時代から歩いている須崎さん、職場山岳会で鍛えた河野さん、二人は自分の知らない世界を知っている。そんな彼らの話しが山の夜だと楽しさが二倍、三倍となってくる。須崎さんは茹でモヤシを作ったりスープに卵をおとしたり、となかなか凝った夕食メニューで餅入りラーメンが定番の河野さんやいつまでたっても煮こみうどんの私とは又一味違う。さりげなくバランスよく栄養補給をしているのか、と妙に納得する。何を話したかよく覚えていない、ただ体も心も温まったのは決して食べ物のせいだけではなかった。

* * * *

(朝。一度日が昇れはあたりはあっけなく明るくなる。太陽の力は大きい。山のひだが何層も複雑に浮かび上がった。)
撮影:リコーGR1 28mmF2.8 F8AE +1/2補正、スポット測光・富士山

山の醍醐味の一つは朝にある。真っ暗な闇が黎明を迎えるときこそ山にいる素晴らしさを鳥肌が立つほど感じる。切れるような寒気の闇だがその一部がゆっくりと朱に染まってくる。眼下の山々のひだが浮かび上がってくる。闇の中から富士山が浮かび上がってくる様を凝視しているとまさに時の立つのを忘れる。今日も素晴らしい一日の始まりだ。

須崎さんが一座一座、闇の中から浮かび上がる山の名を挙げてくれる。未知の山、既知の山。憧れの山。あぁ何て山は多いんだろう・・。思わず体が震えた。湧きあがる喜びだった。

8時前と言う山の行動にしては遅い時刻に小屋を出たのは今日の行動がさして長く無い事もあった。三乗ダルミまでの急坂は雪もさして付いていない。ぬかるんでいた昨日と違い凍ったままの三乗ダルミを通過して西へ向かう。ここから飛竜権現までは4,5年前の晩秋に歩いているが壊れかけた桟道に氷がついたりしており冷や汗ものだった。さて今度はどんなものか。

狼平までは緩い登りが続き再び須崎さんは視界から消え去った。暖かなカヤトの道をたどり小さな草付きで一服すると三ツ山を巻く高度感のあるコースとなった。このあたりから桟道が連続し始めたがその床板はまだ白く堅牢そのものだ。最近掛けなおされたのだろうか、これなら心配は徒労で済みそうだ。

振り返ると雲取山は随分と小さくなり変わって前方の飛竜山がぐんと大きくなった。こちらはみっしりと針葉樹林に包まれた漆黒の山でまさに奥秩父の山と言う貫禄が漂っている。黒い山肌に一部大きなガレが見えそこに雪がついている。「あそこはアイゼンが必要ですね」と須崎さん。

北天のタルで簡単な間食を取ると道は南斜面からいよいよ飛竜山の東斜面を辿る様になった。と同時に残雪が現れる。こんな時自分ならアイゼン装着のタイミングがなかなか分からないが須崎さんは思いのほかあっさりとアイゼンを履いたので少しほっとした。

ザックザックザック、アイゼンを履いて固い雪の上を歩くと独特の感触が足に伝わる。気になっていたガレも無事通過。残雪の道をやや進むと飛竜山へという小さな看板を須崎さんが目ざとく見つけた。ためしにツガの林を分け入る様に須崎さんが踏み込んで行く。私も河野さんと続いた。道は不明瞭だが須崎さんの足跡を追えば良い。わりとあっけなく傾斜が緩むと見慣れた山梨百名山の黄色い木柱のたつ飛竜山の山頂だった。

飛竜山はすぐ下の飛竜権現までは二度来ていたが山頂を踏むのは初めてだった。その分気になっていたピークだったが静かで飾り気の無い山頂はいかにも奥秩父らしく好ましい山だ。

(飛竜山は漆黒の林の鎧に覆われている。残雪が山肌に残る。)
撮影:リコーGR1 28mmF2.8 F8AE、スポット測光・富士山

須崎さんの軽量ヘンテナをセットして三人交代で50メガの運用をする。最初のオペレートの須崎さんを猛パイルが包んだ。この季節に2000m峰からの運用だ。弱いはずが無い。めまぐるしくパイルをさばく須崎さんを前にこちらも気がはやる。二番手の河野さんはいつもの温かみのある交信で、こちらも好調に呼ばれている。自分の番。二人とも山梨県北都留郡運用だったのでそろそろ飽きられるかな、とこちらは埼玉県秩父郡で運用してみる。自作のトランシーバだがAGCの効きやVXOの安定度がいまひとつでまだまだ出来は高くはない。が自作機で2000m峰で運用できるとは満足感は高い。

気になっていた奥秩父の一峰も無事踏んだ。そこで無線もした。もう言う事は無い。満ち足りた気分とともに飛竜山を後にした。

飛竜権現まで歩き縦走路に出、ハゲ岩を往復して東へ戻る。北天ノタルまで戻り縦走路を離れると道は一気に高度を下げていく。急では無いが長い下りが続く。ちょろちょろと水の流れる沢の源頭をすぎ小さな尾根を乗っ越すとまだまだ下り坂が待っている。

須崎さんの下りのペースは素晴らしく早い。長い足をフルに使ってサッサッと全く無理も無く足を進めていくのは本当に素晴らしい。河野さんも「須崎さんは本当に足腰が強いんだねぇ」と歓声をあげる。もちろんこちらはついていくのがやっと。須崎さんのサッサッからしばらくおくれてドタドタと山を駆け下りる、いや転げ落ちる音。

須崎さんに近づいたと思ったら又離される。まるで後ろに目がついているようにつかず、はなれずの絶妙の間隔を保ちながら先行する、そんな訳で全く信じられないほどあっけなく三条の湯におりついてしまった。これは自分にしてはすごい快挙だ。

「いやー須崎さん早いですね」
「もう日が暮れるからピッチを上げてきたんですよ。うまくついて来れるように緩急つけてペースを取りました」
「いやいや、完全に須崎さんの手の中なんだ。鵜飼みたですねぇ!須崎さんは鵜匠で僕らは鵜って訳ですね。でもおかげでこんなに早く下りちゃった!」

そんな風に笑いあい三条の湯を後にした。

* * * *

何かの本で読んだが深田久弥は自身がヒマラヤにトレッキングに行った際の4人と言うパーティの人数をあげ「ヒマラヤン・カルテット」と呼んだそうだ。4人と言う,気の通い合い、かつ足りないところを補い合う仲間同士の組み合わせで登る山こそが素晴らしい、というその気持ちを「ヒマラヤン・カルテット」という言葉に表わしている、ということらしい。

今回の奥秩父の山行は確かに普段の一人で歩く山とは違う楽しさがあったように思う。山に精通した二人に山の話を聞きながら、さりげなくノウハウを教えてもらいながら、無駄話をしながら歩く山。こんな素晴らしい山なら、又来てみたい。「奥秩父カルテット」いや、そうだな、今回は3人組みだからさしずめ「奥秩父トリオ」といったところだろうか。「奥秩父トリオ、師走の雲取山を往く・・」そんな楽しいテロップを頭の中に浮かばせながら長いコンパスを活かし大股で歩く須崎さんの後姿を追う。今回は須崎さんや河野さんにしてみればちょっとしたお荷物だったかもしれない自分だが、気を悪くしてなければいいけど。それに自分がそうであるようにお二人ともきっと山を楽しまれたのだろう、そんな風にも思う。奥秩父トリオ、多いに楽し。またいつか奥秩父でも何処でも良いから、XX山トリオ、復活させましょうね・・。

見上げる山肌にわずかにあたるオレンジの日差しがみるみる赤くそして黒くなって行く。後沢の狭い谷にはもう夕闇がひたひたと迫り来ていた。

(終わり)

(本文は同人誌「山岳移動通信 山と無線35号」に掲載したものです。)



1998/12/12 林道終点9:25−三条の湯9:55/10:00−青岩分岐10:28−三条ダルミ12:26/12:35−雲取山荘13:55/14:20−雲取山15:00
1998/12/13 雲取山7:45−三条ダルミ8:00/8:07−北天ノタル10:00/12:21−飛竜山近道分岐10:45−飛竜山11:00/14:20−飛竜権現14:30−ハゲ岩往復14:45−飛竜山近道分岐14:58−北天ノタル15:13−三条の湯16:20/16:25−林道終点17:00


アマチュア無線運用の記録

雲取山 2017m
山梨県北都留郡
50MHz SSB運用、16局交信、最長距離、長野県上田市、
自作SSB/CWトランシーバ(4W)+ヘンテナ
東京、山梨、埼玉の三県の境に立つ。東京都最高峰の人気の山。比較的手軽に登れてそれでいて深山の趣もある。山頂からの展望は素晴らしい。

山頂には堅牢な避難小屋があり快適に過ごせる。無線のロケとしては関東平野が一望。言う事無しだろう。

(写真:50MHzのアンテナを立てた朝日をあびる避難小屋にて。左からJI1TLL, JK1RGA, 7M3LKF)
飛竜山 2069m
埼玉県秩父郡
50MHz SSB運用、16局交信、最長距離、茨城県猿島郡
自作SSB/CWトランシーバ(4W)+ヘンテナ
原生林に覆われた静かな山頂。主脈縦走路からわずかに北に外れて位置する山頂ゆえかひとけが余り無い。奥秩父らしく、とても素晴らしい山頂だ。雲取山同様、無線は楽しめる。

Copyright 7M3LKF, Y.Zushi, 2000/8/6


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