ロングトレイルを歩いて - 憧れの丹沢主脈縦走

(1993/10/23, 24、神奈川県秦野市、愛甲郡、津久井郡)


1・憧れの丹沢主脈コースへ :

前回の大菩薩山行から1ケ月、秋もいよいよ深まり2000メートルを越える山はさすがにもう無理だろう、と考え今月は丹沢に行く事にした。Y氏との2人行。コースは大倉から入山して塔ノ岳、丹沢山、蛭ケ岳、姫次、焼山と縦走し西野々に下山。膨大な丹沢山塊を南北に縦断する、いわゆる丹沢主脈縦走コースだ。ガイドブックには総行程長は約27Kmとある。途中キャンプ泊をする。山歩きを始めたときから一度は歩いてみたい、と志していた、そんな憧れのコースなのだ。紅葉も期待出来そうだ。念願を果たすのだ。

しかし同時に・・、

今回の山行ほど事前に不安がよぎるものは無かった。コースはきまったものの消せぬものは寒さに対する不安であった。10月も下旬、自宅のある平地の横浜でも明け方の冷え込みは結構きつくガラス窓は水滴で曇っている、そんな朝が続いているが、これが標高1500メートルの稜線上でならどうなるのだろう。想像も出来ない。12月の冬の海岸でキャンプしたことはあるが、それは暖かい房総の海岸であった。未経験の寒さに対する恐怖、不安感は肥大化していく。明け方には氷点下を確実に越えるだろう。そんな中でのテント泊は本当に可能なのか。登山経験の浅い我々には判らない。不安感からY氏と事前に何度かの打ち合わせをする。やはりキャンプは無理だろう、との結論から山小屋泊まりに計画を変更する。しかしキャンプへの想いも絶ちがたく揺れ動く。迷う。二転三転する。結局、当初の予定どおり幕営を前提とし、厳しい寒さであれば小屋泊まりに切り替えよう、と決定。迷ったわりには簡単な結論に至ったのだ。
もうひとつ心配の種はあった。大倉尾根の急登である。急で単調な登り故通称バカ尾根、と呼ばれているらしい大倉尾根。山麓の集落、大倉から標高1490.9メートルの塔ノ岳まで一気に高度をかせぐその標高差は1200メートル。私の体力で幕営装備を入れ15kgを越すザックを担いで登れるのだろうか?

2・大倉尾根から登る。:
(竜ケ馬場から。大山が
眼下に、低かった)

ここ数日間関東地方は冬型の気圧配置で好天との事。ちょっと霞んでいるがいい天気だ。タクシー相乗りで登山口まで入る。靴紐とザックのベルトを締め直す。行こう。少しづつ体を慣らそうと、ゆっくり登る。思っていた程の急登ではないな、などと思ったのも最初だけでやがて急な階段が始まった。汗が滴り落ち息が荒くなる。酸欠の金魚よろしくあえぐ。なんて重いんだろうこの一歩、うらめしくなる。重いザックが肩に食い込む。

2人とも無言で登り続ける。苦しいが同時に指の先まで、体中の血が入れ替わったような、そんな新鮮な気分もする。老廃物だらけの濁った血液がリフレッシュされていくようだ。振り返ると一歩づつ眼下に相模平野が広がっていく。右手を見ると4月に喘ぎながら歩いた表尾根ルートが良く見える。三の塔から烏尾山へ、行者岳、新大日と峰々が連なる。春の吹雪に驚いた初めての丹沢、6ケ月前の自分が見えた。

花立まで断続的に階段が続く。階段は嫌だ。歩調に合わず歩きにくいのだ。空腹で腹に力が入らなくなってきた。視界の中に空が広がる。やっと山頂か・・・。塔ノ岳に登りついた時には完璧にバテていた。昼食だ。重いザックを放り出しへたりこんだ。

強い風があっという間に体温を奪っていく。胴振いするような寒さだ。山頂で憩う登山者達に山小屋の主人が、暗くなるので2時までには下山を開始しなさい、と告げて廻る。

今日の行程を思い、我々も鹿の群れる山頂を辞して縦走路を北に向かった。次のピークは丹沢山。山麓では見られなかった紅葉もさすがにこの辺では見事だ。西側にはユーシン渓谷への深い谷が開け目が眩む。竜ケ馬場で眼下に関東平野の広がりを眺めて、ゆるやかなアップダウンを繰り返しながら1時間40分、西日を浴びて丹沢山に着いた。

3・寒風吹きすさむキャンプ地 :

丹沢山の少し先、不動の峰に水場と東屋があり一帯が草原になっている、とのガイドの記事により、そこまで頑張る事にした。ゆるやかな笹原の斜面を登り詰めると東屋が見えた。着いた。先客のテントが数張り張ってある。草地で寝心地は良さそうだが遮蔽物がないピーク上の草原なので風が強そうだ。沈む夕日にあせりながらテントを組立て水を汲み、東屋の中で夕食にする。Y氏と乾杯。疲れきった体にビールが効く。メシを炊く。寒風が吹きつけオプティマスの青い炎が激しく揺れる。

テントに戻る。風は相変わらず強い。シュラフの中で耳をすませていると遠くでゴァーッとつむじが舞うような音がする。数秒後にはその風が吹き付けテントが激しく揺れる。吹き飛ばされないか不安だ。ペグはしっかり打った筈だ。自分を納得させる。風にのってピィーッという鹿の鳴き声が聞こえる。仲間を呼んでいるのか、悲しげな声が気になって寝つけない。

便意を催す。寒風のなか外に出て尻を出す、と思うとおっくうだ。腹圧を高めて意を決して外にでた。寒い。が、外は月明かりで青白い。月光がこんなに明るいとは。切れんばかりの夜空に星々がまたたく。

尻間を風が吹き抜ける。いい気分だ。痕跡を残さぬよう枯れ草をちぎって隠す。朝は冷えるのだろうか? 無事に朝を迎えられるのだろうか? 疎林越しに相模原あたりの街の灯が痛いばかりにちらついていた。

4・朝を迎える : 
(空が幾層にも輝いた。関東平野が浮かび上がってきた。
相模湾が輝いた。・・・朝だ。)

MINOX GTE F2.8, -1/2EV

テント地が薄く明るい。朝だ。ほぉー生きていた。良かった。慌ててシュラフの外に出る。テントのジッパーを上げるとサァーッと冷気が入り込んでくる。

まだ日は上がっておらず薄明るいだけだが素晴らしい展望に棒立ちになってしまう。昨日歩いた稜線の向こうに広い関東平野が広がる。茫洋とした太平洋。銀色に輝く相模川。河口の街は平塚か。ぽっかり突き出た江ノ島。三浦半島は思ったより小さく、そのすぐ背後に房総半島が重なる。西は真鶴岬、そして大島が手に取るように近い。後ろに重なる島は三宅島だろう。

東の空はますます明るくなってくる。地平部分からオレンジ色、そして空の藍色へと何段階もの色のグラデーションが展開される。日の出だ。

丹沢山の真後ろからポッカリと朝日が登ってきた。言葉が力を失う、そんな崇高な一瞬。すごい。また今日もめくるめく一日が始まるのだ。感謝する。

東を見る。新宿の高層ビル郡がよく見える。少し離れて池袋のサンシャインビル。かなたにつらなる連山は那須岳方面だろうか?いやいや独立した山並みなので筑波山だろう・・。

こんなに良く見えるとは思ってもいなかった。地理で学んだ通りの地形が眼下に広がっているのだ。この視界に収まっている範囲内に1000万人以上の人が生活しているのだ。それを上から眺めるのだ。気分の悪い筈はない。寒さを忘れて見渡した。

撤収にかかる。濡れたシュラフをタオルでぬぐう。拭えないので良く見てみるとそれは水滴ではなく氷のつぶであった。

5・蛭ケ岳へ :

縦走路は全面霜柱だ。東京ではもうまずは見られない立派な霜柱だ。一部朝日を浴びてぬかるみ始めている。今日は丹沢の最高峰、蛭ケ岳を行くのだ。緊張する。

不動の峰に登りつくと西側の展望が一気に広がった。富士山が飛び込んできた。不意打ちされた。力が抜けてしまった。なんて形容すべきなのだろう、その見事さ。左右に果てしなく広がる裾野。そしてその広大な裾野から一気に天を突くように盛り上がる絶頂。しかし威圧的ではない。全面に青い山中湖を従え、山頂はもうすっかり雪化粧だ。残念な事に私には富士の美しさを賛美するだけの充分な言葉がない。私達2人はただ佇むのみだった。

不動の峰から蛭ケ岳への路はまさに尾根歩きの醍醐味を感じさせてくれる素晴らしいコースだ。幾つかの小ピークを越えながら大展望の中を歩く。笹原から疎林へ、そして左右に崖が切れ落ちる細い尾根へ、刻々と変化しながら小径は蛭ケ岳に取り付く。

霜柱を踏み、ハァハァいいながら蛭ケ岳に登り着いた。山頂は霜で全面真っ白。さながら冬の光景だ。展望は丹沢随一というべきだろう、富士山は言うまでもなく南アルプスが勢揃いしている。憧れの北岳を探す、あった。甲斐駒もすぐにそれと分かる。まだ雪を被っていないのが意外だ。南アルプスの一段右奥に連なるのは北アルプスであろう。谷川岳方面まで見渡せる、との事であったが生憎分からなかった。8月に登ったずんぐりした檜洞丸が手前に鎮座している。真っ青な空、澄んだ空気。山頂の幸福をしばし味わう。

山頂の登山者は皆笑顔。去り難い山頂であった。

6・ロングトレイル :

この先縦走路は北へ続く。樹林の中に一気に降りていく。路は深い林のトレイルとなった。静かな樹林の中をサクサクと落葉を踏みしめ進む。歩みを止めると静寂。森の精が隠れていそうな静かな林。ロマンティックな逍遥。こんな路が私を酔わせる。展望の尾根路から林間の路へと変化のある展望が続くこのコース、丹沢がこんなに素晴らしいとは思ってもいなかった、とY氏。全くその通りだ。姫次で最後の富士を仰ぎ、道志方面へ尾根路を下る。長い路だ。

焼山で昼食。道志から登ってきた日帰りハイカーも多く憩う山頂だ。道志谷の展望を見ながらラーメンを作り餅を入れる。ハイカーの中年女性が湯気のたつラーメンと私の顔を交互に見ながら美味しそうね、と言う。少し恥ずかしかった。

あとは一気に下るだけ。北斜面のせいかもう夕暮れの気配漂う急坂を追われるようにひたすら降りる。1時間35分とのコースタイムを1時間15分で歩き通し、西野々の集落に出た。
バスに揺られて横浜線の橋本駅へ。良かった、大倉尾根もなんとか登れた。キャンプも無事成功した。ロングトレイルをよく歩き通した。抜群の眺めの尾根、そしてめまいを起こしそうな程の深い林。「魅せてくれた」、まさにそんな二日間だった。

いつしか眠り気づいたら橋本駅はすぐそこであった。

(終わり)


コースタイム
1993/10/23 :大倉発8:40-花立着12:15-塔ノ岳13:15/14:10-丹沢山15:50-不動の峰16:30
1993/10/24 :不動の峰8:00-蛭ケ岳9:00/9:20-姫次10:55-焼山12:40/13:30-西野々14:45

Copyright7M3LKF,Y.Zushi,2001/07/28


(戻る) (ホーム)