初めての山、初めての丹沢 

 (1993/4/10,11、神奈川県秦野市)



私が定期的な山行、ハイキングを始めるようになってからはや三年が経とうとしている。近郊の山の尾根歩きはマイペースで楽しめ、満足感の高いものだった。更に昨年開局したアマチュア無線と山歩きはは即座に結びつき、水筒や雨具をザックに入れるのと同様にいつしか50メガSSBの移動装備一式もザックの中でなくてはならない存在なっていた。山歩き山頂無線運用は地図を見ながらその計画を練る段階からして期待と幸福感、そして不安に包まれる。この路にはどんな風景が広がっているのだろう、電波の飛びそうなピークか、難路はないか、寒さは・・・。しかしここ何度か思い始めた。初めて山歩きをした時に感じた入山前の心細さ、未知の物に対する畏れ、そして山行後の達成感などが最近薄れてきたのではないかと。歩き、山頂で無線運用して下山する、その一連の過程がすっかり型にはまったのだろうか、と。これを機会に三年前、自分にとっての初めての山行を振り返ってみよう、と思った。不必要なものまで入れて膨れ上がったザック、ペースもコースの長さも分からなかった独りテントを背負っての丹沢表尾根、それは今思い出しても新鮮で充実していた。


1・丹沢をめざそう :

これといったきっかけも無いのだがここ数年前からなぜか山歩きがしたくなった。高い山の必要はない、とにかく静かで低い稜線をずっとたどっておもいっきり空気を吸いたい、そんな欲望が心の奥に根付いてきたのだ。

願いかなって数年前から妻と高尾山、道志方面へ何度か日帰りハイクに足を運ぶようになったが、もう少し歩きごたえのある所へ、眺めの良い所へ、テントでもはって日の出をみよう、と思い始めた。キャンプは好きだし。そうだ、丹沢なら自宅からも見える近さだし、もう四月で暖かいだろうし歩き応えもあるだろう、という事で早速ガイドを購入。ヤビツ峠から塔ノ岳への表尾根縦走ならば一般向けコースと書いてあるし自分にも出来そうな気がする。塔ノ岳山頂にてテント泊のうえ大倉へ下山としよう。地図上を想像でたどってみる。楽しい時間だ。

低気圧が来ない事を確認し週末、「善は急げ」とばかり独り、勇躍出かける事にした。初めての本格的山行、気分だけはすっかり本格的な山屋だった。


2・これが山登りなのか・・・ :

登山者で大賑わいの秦野駅前からヤビツ峠行きのバスに乗る。多くは高年のハイカーで、皆楽しいんだろう、狭いバスのなかおしゃべりや笑い声が満ち溢れる。独りの私もおしゃべりこそしないものの窓越しに見える丹沢山塊を目に、ブルッと身震いをする。天気上々、暖かでのびやかな尾根歩きを期待する。

ヤビツ峠のバス停から大山へ、丹沢へと皆思い思いに散って行く。私もゆっくりと表尾根縦走路の登山口を目指す。湧き水で水筒を満たし、靴紐を締め直す。いよいよだ。

今回の荷物は一人用テント、シュラフ、食糧、防寒具などで約15キロ。軽ザックでのハイキングとは具合が違うようだ。ほんとにこれで歩けるんだろうか、という自宅での危惧がはや登山口から3分後に現実となって現れる。

息が苦しい。めまいがして吐き気がする。なんでこんな大荷物しょってんだろう。厳しい。これが山登りなのか・・。山ってこんなに苦しいのか。五分もしないうちにザックを放り出し、もうバテていると人に知られたくなく、人目をさけるように路肩の石にもたれかかる。呼吸で肩が大きく上下する。心臓が口から飛び出そうだ。丹沢にはおよそ不似合いな大型ザックがうらめしい。

縦走路での最初のピーク、二ノ塔までは登り一方の道。ガイドには1時間、と書いてあったが、なにせこっちは20メートルおきの休憩だ、永遠に着かない気がする。苦しくて歩けないのだ。休むたびに石のように重いザックをかなぐり捨てる。人目なんか気にする余裕はもうない。更に悪い事に4月というのに雪がちらつきはじめた。下はあんなに好天だったのに。休む私のうえにもどんどん積もり始める。「雪山遭難」という字が頭をよぎる。もう帰ろう、塔ノ岳はおろか二ノ塔までもこれは行けそうにない。偉そうになにが本格的山屋だ。激しい後悔がよぎる。

何度休んだかわからないが、ふと頭をあげると二の塔の山頂が目の前にきた時はさすがにうれしかった。ホッとした。1時間半かかったがなんとかここまで来れた。湿気を帯びた厚い雲で展望はきかないが心臓が少しずつ落ちついてきた。 


3・吹雪の三ノ塔  :
(4月の雪に驚いた。
山肌があっという間に白くなった。)

二の塔でしばしの休息のあとすぐ目の前の次のピーク、三ノ塔を目指す。雪は相変わらず激しく、こっちも重い荷でよたよただ。

三ノ塔到着を待っていたかのように雪は強くなりだす。山頂には立派な小屋が建っており駆け込む。小屋の中は昼食をとる人で大混雑。みんな寒さでガチガチ震えながら立ったまま弁当を食べている。そりゃそうだ、ザックにつけた温度計はマイナス4度。小屋の周りはあっというまに一面の銀世界だ。 

私も冷気で氷のようになったおにぎりを食べつつ、「こんな天気じゃとてもこれ以上の縦走は無理だ、雪山の経験なんてないし。もうここから大倉へ早々と下山しよう、又、来ればいい。」とすっかり弱気になってしまう。「そうだ、ここから下りてもいいけどせっかくだから烏尾山まで行ってそこから下りよう。初心者に無理な山行は禁物だ。」そう決めて吹雪がおさまったのを見計らい、新雪を踏みしめ下山すべく烏尾山へ向かった。  

4・決断の烏尾山  :

三ノ塔から烏尾山までは長いガレ場の急降下のうえ又登りが待っている。雪で斜面は滑り易い。慎重に鎖につかまりながら降りる。降りている途中にどうしたものか雪はやみ下のほうまでさっと展望が開ける。

烏尾山山頂には小屋番のいる山小屋がある。烏尾山荘だ。三ノ塔から30分で山荘に到着。長い下りと重いザックにすっかり疲れ果てぐったりと山荘になだれこむ。足がすでにガクガクいっている。

髭面の主人は一見恐そうだったが話してみるとなんとも気さくな人柄だ。

”随分な荷だね。どこ迄行くんだ?”
”塔ノ岳です。幕営しようと思って。でもこの天気だし、ここから下山しようと思ってるんです。”
”四月で雪、なんてもビビルことはないよ。ここはまだ春じゃないし。”

主人は双眼鏡片手に登山道を行く登山者を見張っている。安全を見張っているのだ。

”あれ、さっき通り過ぎた2人ずれ、まだ見えないな、どうしたんだろう。あっいたいた、ほらあそこ登ってるだろう。見てごらん。なに丹沢は初めてか。雪はもうやむよ。こんな季節に歩けるなんて最高だね。”

 (そうかな、不安なんですけど・・。)

”あの、塔ノ岳はどれでしょうか。”
”今は雲に隠れてるけど、ほらあのピークだよ。おっ、雲が晴れたぞ。 ああいるいる、10人位かな、あの鞍部。雪で三ノ塔から下りた人は後悔してるだろうなぁ。これだから山はいいよな。せっかく来たんなら行かなくっちゃ。それがいいよ。塔ノ岳までは2時間位だな。”

大丈夫かな、不安と臆病者に思われるのは嫌だという気持ちが錯綜する。 折角ここまで来たしでもまだ先は長い。えい、いいや、行こう。半ばヤケクソ気味にザックを背負い縦走路に戻る。こんな悲壮感にみちた登山者はそうはいるまい。

”おっ、頑張るか。行ってこいよ。でもキツかったら戻ってこいよ。ここにも泊まれるし。”

嬉しかった。一見して素人とわかる私を励ましてくれるとは。よし、あと2時間だ。頑張ろう。それに何もテント泊にこだわる事はない。山小屋もあるし。発想の転換だ。志しも新たに縦走路を次なるピークへ向かった。甘いかもしれないが烏尾山荘の主人がきっと双眼鏡で見ててくれるだろう、そう思った。  


5・塔ノ岳へ :

烏尾山から塔ノ岳までは行者岳、新大日など幾つかの小ピークを越えていく。これが縦走というものか、と納得する。ちょっとしたヤセ尾根もある。短いながら絶壁(そう思った)に鎖場もある。重いザックに体が振られる。落ちたら谷底だ。慎重に、慎重に。

木ノ又大日まできたら塔ノ岳がいきなり近くに感じられた。しかし夕方は近い。行き交う登山者もはたと減り、早く着かなくてはと思う。幼い時校庭で遊んでいてふと気づくと友達もだいぶ帰ってしまい夕暮れも迫ってきた時に感じた、あの焦燥感が襲ってくる。

この急坂はきつい。足は機械の如くただ前にでているだけだ。 烏尾山から2時間20分、急坂を登りきるとモーローと歩いてきた私の前に塔ノ岳の山頂が広がった。塔ノ岳山頂には通年営業の尊仏山荘が建っている。周りに遮蔽物のない山頂は風が強く更に寒く感じる。残雪も多い。夜から朝にかけてこれからは冷える一方だ。これじゃあテントは無理だ、どんな寒さなのか見当もつかない。幕営しようという当初のプランはいとも簡単に消え、ゴトゴトと山荘の引き戸をあけた。

小屋の中は暖かく別世界だ。ホッとする。巨大なストーブがうなりをあげ、その周りに火照った顔で談笑する人々。”岳人”という言葉が頭に浮かぶ。場所を指定され小さな布団を敷いた。ウィスキーをグッと一飲みし湿っぽい布団にもぐりこんだ。ふと妻の事を考えた。

夜中に目がさめる。水滴で曇った小屋の窓をぬぐうと八王子だろうか、かなたに街の灯がちらついていた。手に届きそうで届かない、チカチカと硬く輝く明かり。それが水滴に滲む。美しさに息をのんだ。東京からいくらも離れてないのにこんな所があるなんて思ってもなかった。あんな場所で普段自分も皆も一体何をしているのだろう・・・。
(東から赤い珠が昇ってきた)

眠りは深いようで浅いのか、うとうととするうち5:30頃東のほうが赤く染まりはじめる。慌てて上着を着込み外に出る。寒い。キンキンする。すでに10数人が日の出を待っている。待つ間もなく三浦半島のかなたから赤い珠が昇ってきた。陽の光が上からではなく下からさしてきた。それにつれ関東平野のシルエットが克明になってきた。何てことだ、自分の知らない世界がここにあった。

富士山こそ見えぬが今日は昨日とは違いずっと晴れそうだ。昨日はきつかったけど何とか朝を迎えられた。すがすがしい。今日は下山のみで気が楽だ。山頂はビブラムの靴跡がそのままの形で凍っている。 



6・凍った小径を鍋割山へ :

このまま大倉尾根をまっすぐおりれば2時間で大倉だ。しかし折角ここまで登ったのにそれじゃあちょっともったいないじゃないか。ザックの中身の食糧も昨日大分減らしたし少し軽くなった気がする。もう少し歩きたいな。勝手なもんだが昨日とは大きな違いだ。我ながらおかしい。そこで鍋割山を廻ることにする。これなら1時間は更に尾根歩きが楽しめる。

金冷シの分岐を鍋割山稜へと迷わず西へ曲がる。雑木林の尾根道は静かで心なごむ。樹林越しに高く、丸い山頂が見え隠れする。蛭ケ岳だ。その山頂に至るには塔ノ岳から更に数時間は要するという。自分もいつかあんな山に登れるのだろうか。

道は静かな林の中を、尾根の上を、さしたるアップダウンもなく続いている。尾根の南側には雪もなく、北側の谷面には雪が残る。霜柱を踏む自分の音だけが朝の冷気を破る。かなた頭上からジェット機の音が低く伝わる。そしてゴォーという風の音。独りだ。こんな所に独りでいる。独りでいる喜びを感じる。

身は重いが心は軽い。快適な径を辿る事50分、北面を疎林に囲まれた鍋割山山頂に到着。心休まる山頂だ。しばしの休息。楽しかった稜線歩きももう終り。あとは本当に下がるだけだ。下界をしばし眺め下山路に入る。10分も歩かぬうちに凍っていた道はぬかるみになり、そしてじきに乾いた道になった。グングン高度を下げるのだ。鍋割山を目指し登ってくる登山者にも多くすれちがう。コンニチワ、頑張って下さい。余裕、余裕のかけ声だ。

7・春の麓 :

道は尾根から杉の植林帯へ、そして沢筋へと導かれる。そしてついに林道に出た。あとは2時間の林道歩きで大倉だ。これから山小屋に荷揚げをしようと背負子に荷物をたっぷりのせた人にあう。これがボッカさんだな、と思う。

”やぁ早いね。塔ノ岳からか。なに、ここから大倉までは楽だよ。宅急便さ。”

ひたすら長い林道を大倉へ。やった、もう山は終った。無事にここまで来た。我ながらよくやった。二ノ塔へはきつかった。雪にはどうなる事かと思った。でも烏尾山で下山しなくてよかった。あの励ましは嬉しかった。なんとか計画を達成出来た、この高揚感。凱旋将軍の気分だ。

野焼きの煙が漂う。 11:30、大倉バス停着。大倉はのどかな農村で桜が満開だ。ポカポカする。そうか、忘れていた。今は春だもんな。

帰りの小田急線。昨日悪戦苦闘した表尾根が良く見える。実は内心丹沢なんてさしてきつくないと思っていたのだが、実際行ってみると大違いだった。重い荷物のせいもあるかもしれない。が、なによりもやはり運動不足のせいは大きいだろう。しかし歩き応えがあった。結局持って行っただけで出番のなかったキャンプ用品。考えてみれば不要な装備も結構あったかもしれない。3リットルも水は要らなかったかもしれない。幕営出来なかった、後悔はある。でもいいさ、どの位の荷でどの位バテるか解ったし。又幾らでも行ける。しかしこの充実感はなんだろう・・・。

小刻みな電車の揺れが心地よい眠気を呼んだ。ふと気づけば電車は相模川の鉄橋にさしかかったところだった。

 * * * *

無事家に着いた。妻も元気だった。次は大菩薩か?雲取山か?早速ガイドブックを拡げる私に妻もあきれ顔。馬鹿につける薬はない。   

”槍ケ岳とか穂高とか、アイゼン・ピッケルのいるような山にはいっちゃダメだよ。”

あきれ果てたように妻はそう言った。

(終り)


(ヤビツ峠 10:00、二ノ塔 11:40、三ノ塔 12:10、塔ノ岳 16:50 / 7:30、鍋割山 8:20、後沢乗越 9:15、大倉 11:30、)
(各ピークの標高: 三ノ塔1205m、塔ノ岳1491m、鍋割山1273m)

(本記事は同人誌”山岳移動通信 山と無線” 25 号 - 1996/1/20 への投稿記事です。)

Copyright : 7M3LKF,1997/10/15



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