木曽三川から四日市へのサイクルツーリング

 2017/12/16,17

先週の週末になりますが、三重県は四日市方面に出かけました。

社会人になって日の浅い娘が会社の研修で今年の年末まで四日市に3ヶ月ほど赴任しており、これを機会に娘のアパートに泊まりがてらサイクリング&登山と考えました。
かねてから揖斐川・長良川・木曽川の織り成す風景に興味がありました。輪中という単語を教わったのは中学校の社会科だったでしょうか。どんな地形 なのか?楽しみです。

岐阜羽島駅で自転車(ランドナー)を組み立てて南下しま す。すぐに長良川の堤防に出ます。鈴鹿の山が寒そうに屏風をなしているのが目に付きました。走っている土地は長良川と木曽側に挟まれた狭い土地 で、南下するにしたがって左右から堤防が近づいてきます。狭くなった平地には細いクリークが走り、池を結びます。ああこれが輪中か、と実感しまし た。

両河川の堤防が合流して向かって右手に長良川、左手に木曽川という雄大な風景となります。この中を走る堤防の道は車も進入禁止で自転車のみの快適 なルートです。こんなに巨大な川が左右に並ぶ風景は日本でもここだけでしょう。長良・木曽といえば小学生の頃太平洋戦争時代の日本の海軍軽巡洋艦 の名前として初めて知ったのですが、軍艦の名に恥じぬ名河川だと、あらためて感じました。この川幅の大きさは素晴らしい。

南下すると揖斐川が西から近づいてきて、木曽三川公園という名の公園がありました。揖斐川は長良・木曽に比べると小さいですが、能郷白山あたりか ら流れてくるのかと思うと風格を感じます。

予定ではここから鈴鹿山脈の南端にある 多度山403m まで自転車で登る予定でしたが、見上げる多度山はかなり高く、少し足もテンパッて来たので悩んだ末にパス。また自宅を予定より遅く出発してしまったので日没までに娘のアパートに着くかという不安もありました。

近鉄養老線を越えます。鉄っちゃんとしては車両が通過するまで粘ります。来た来た、昔ながらの小豆色一色に塗られた車両が嬉しい。本線の車両はい まはクリームと小豆の2色塗装ですが、やっぱり近鉄はこれですね。さてここから鈴鹿山脈末端の残党ともいえる丘陵地帯へ入りました。一応ここに 2.5万図にその名を記する 弁天山(海抜115m) というのをチェックしていたのでそこへ寄るようにルート変更。スマホのお陰で道に迷う事もなく丘陵 を登ります。人里離れた丘陵地がリサイクルセンターと言う名のゴミ処理場になっているのはここも同じです。フロントミドルでゆっくり登ります。

スマホの地図ロイド片手に見つけた弁天山は車道のすぐ横なのですが密薮でそのピークは特定できませんでしたが最も高そうな場所まで薮を踏み分け持参したハンディ機で430のポイント稼ぎ。すぐに地元の局に呼ばれました。多度山はいけませんでしたが、まぁこれで山と無線的にはOKとします。 こんなピークで運用した好事家は他にいるのでしょうか?

このあとは四日市まで走るのみ。ただ、ここから先に実は今回の最大の目的がありました。 それは、日本に数少なくなった営業路線の 軽便鉄道 を 見ること。旧近鉄北勢線(今は三岐鉄道)です。762ミリのレールを走る小さな車両、考えただけでワクワクします。

踏み切りで待機。レールの幅がこんなに狭いんだ。嬉しいなぁ。これまた粘ります。すると遮断機が下りて小さな車両が桑名方面からひどくのんびりと 走ってきました。感動が頂点に達しました。中学校の頃から憧れていた北勢線を見ることが出来た。残念ながら近鉄色塗装ではなく黄色の三岐鉄道色に 塗装されていますが些細なことです。目の前をゴアーっという音を発して通り過ぎました。そうか、未だに吊り掛け駆動なんだ、と妙に納得しました。

これで今回の旅は終わったようなもんです。地図を見ながら四日市の市街地に娘のアパートを見つけ、70kmの走行を終えます。久々に会う娘は元気そうです。シャワーだけ浴びてから近所の焼肉屋で飲み放題となりました。大ジョッキから酎ハイへ、相手も呑んベエだから進みます。焼肉の煙に包まれてなんだか幸福です。こいつもいつのまにか研修とはいえ家を出て独り住まいか。なんだか、うまく生活しているではないか!こいつが生まれたときのことは今でも昨日のように思い出すことが出来るけど、本当にこの20年ちょいはあっという間でした。コンビニで締めのスイーツまで買って娘のアパートへ。財布は緩みっぱなしです。

娘の部屋ではシュラフで就寝、翌日は四日市駅そばで二人で朝マック。別れて名古屋まで走ります。お前も独り住まい、仕事とも気をつけてな。まだまだ楽しい社会人なり立ての君よ、期待に満ちた明日があるのだろう、こちらを振り向かずに歩いて去って行く娘の後姿を見て、あぁこいつはいつも振り返らずに先を見ていたな、と思い出します。さてこちらも先を見なくては。心の中でさようなら、とつぶやいてペダルを踏みました。

こちらのルートは楽しみもなくただ市街地を走るのみ。間合いを取らないトラックやダンプも多く、肝を冷やします。途中渡った揖斐川はすでに長良川 と合流して、更に立派な一本の川となっていました。日本の残された清流といわれた長良川ですが、その自然を破壊するとかなり物議を呼んだ中、無理 やり建設された有名な河口堰が見えます。結局あの河口堰が出来て、長良川の自然・生態系は変わってしまったのでしょうか?国の言い分は自然は保護 できるというものだったですが、どこかで実態を知りたいと思います。

晴れているのですが西側から黒い雲が追いかけてきます。その影響で小雪がちらつく。木曽川を渡り名古屋駅に向けてひた走ります。走行45km、木曽三川の下流とその織り成す地形を堪能しました。自転車を分解し15時過ぎの新幹線で帰浜の途につきました。木曽川鉄橋から北西に見た、藤原岳でしょうか、すでに白く冠雪して、寒々とした山の姿が 頭に残りました。

離れて暮らす家族との再会をかねた旅は、少しの寂しさと、走り終えた疲労と満足の混ざるものでした。

岐阜羽島駅で輪行袋を解いた 輪中は木曽三川下流の地形。
小さな水路が幾つも流れていた。
ハンドルの進むままに任せると
旧い街道を思わせる道に導かれた。
旧近鉄塗装が嬉しい。養老線をくぐる。 762mmの小さなレールを行く小さい電車。
軽便鉄道はいつまでも自分の憧れだ
ゆったり流れる木曽側下流。これを超えて
名古屋まではまだ25キロ程度だろうか。

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