遠い路 光岳へ 

静岡県静岡市・長野県飯田市 2017/8/13-15

南アルプス南部は山が深い。畑薙湖にかかる
大吊橋が起点。ここからがひたすらの登りだ。

二十歳代後半に始めた山歩き、丹沢や雲取の縦走を経験したのち初めて登った高峰と呼ばれる山は鳳凰三山だった。南アルプスは地味な山でかつ深い。初心者の行く山ではない、そんなイメージがあり夜叉神峠から南御室小屋までの樹林帯は不安に駆られての登りだったと記憶する。翌日再び樹林の中を喘ぐとやがて灌木となり自分の足で初めて森林限界を超えることが出来た。そして目を上げると深い谷の向こう側に立つ余りにも堂々として引き締まった雄峰が私を捉えた。北岳。それは予期せぬ不意打ちであった。辛い登りと独りの不安の代償としては余りにも桁が違う贈り物であった。以来北岳は私の憧れとなり、そして鳳凰の縦走を終え無事広河原に降り立ったときに私に残ったのは縦走の満足に加え、南アルプスの静けさと重厚さに対する抗えぬ魅力であった。

翌年からは毎夏の南アルプス詣でが始まった。憧れの北岳に立ったときは思わず感動で涙が出たが、その山頂から見た間ノ岳からその先に更に延々と続く稜線と、畳み掛けるように連なりそして尽きぬ山並みを前に感じたのは畏れ以外の何物でもなかった。塩見、悪沢、赤石、そして聖。口にするだけで鳥肌が立ってしまいそうな深い山々をまるで義務であるかのように辿って行った。2001年の聖岳-茶臼岳の縦走。聖に登れた感動は無限だったがそこから光岳へ行く気力はもうなかった。茶臼のその先、光岳への縦走路はまだ果てしなく、途中易老渡へ逃れるルートはあるにせよ、最奥の光岳からその先の一般ルートはもうない、そんな長い盲腸のような縦走路だった。聖で充分、光はまたいずれ。・・・とはいえ、あまりの山深さに義務感と好奇心はいつしか萎え、そして気力・体力充実しているはずの40歳代の大半を海外転勤で過ごしたこともあり、いつしか縦走路の南端にあるこのピークは半ば諦めた山となっていた。

が、それでいいのだろうか? そう、いつしか自分も50代の半ばになり、このままでは本当に光岳は永遠に登れぬピークとなってしまう・・。今しかない、と思い直し梅雨に入ったころから漠然と光岳を意識し始めて情報収集を始めた。まずは最短コースの長野県飯田市側、易老渡ルートだが、ここへのアクセスの林道はここ例年の台風で通行状況が極めて不安定であった。最新の情報では易老渡登山口の90分ほど下流地点で一般車は通行止めという。幕営装備を背に、ただでさえきつい登りに90分の林道歩きが加わるとなると自分にはその日のうちに光小屋まで行けるのか、という不安がぬぐえない。となると静岡側からになる。2001年に下山路として歩いた、あの茶臼小屋-畑薙ダムのルートだ。あの辛い下り坂を今度は往復するのか、とは気が遠くなりそうだが、いつしか心の中に芽生えてきたファイトがそれに勝った。畑薙ダムから入り茶臼でテントを張り翌日軽荷で光岳まで快速ピストンをこなそう、と大枠を決めた。重厚な南アルプスを骨の髄まで味わえそうだ。"

* * *

何度も汗滴をぬぐって首にかけたタオルはすっかり重くなっている。それでも汗はやむことがなく目に遠慮なく入ってくる。顔を振ると滴が地面におちた。畑薙大吊橋を渡り入山してから5時間、ひたすら登るがまだ先は見えない。ウソッコ沢小屋までは沢沿いを深く詰めていくのだがその先からは容赦のない登りが続いている。あまつさえガスはますます濃くなりいつ雨つぶてが落ちても不思議ではない。横窪沢の小屋で一本立ててからどのくらい時間が経っただろう。考えるのも嫌な、そんなつづら折れが続く。畑薙から茶臼小屋までの標高差1500mというのが重く心に乗りかかる。そう、これが南アルプスなんだよ、とひとりごちてみるがそれは空しい自己弁護にしかならない。進むしかないのだ。

濃密なガスの中を登って行く。手ですくえば取れそうな水気はガスとも雨とも判別がつかない。木々の合間をそんな粒子がながれゆく。木の輪郭がにじむ。と、大きな雨つぶてが容赦なく落ちてきた。樺の段、という看板がガスの中に立っている。慌ててザックから雨具を取りだし羽織る。この調子だと下も履く必要ある。そしてザックカバー。ペースが同じく前後して登ってきた痩身の男性も大きなため息とともに雨具を羽織っている。海抜2400メートルの茶臼小屋まであと一時間程度か。雨の登りはつらい。天気予報ではこの3日は曇天続きだったのだが。

しばらく淡々と上る。立ち止まって上を仰ぐと木が倒れこんできそうな錯覚を感じる。しばらくこんな長い登りとは無縁だったのでやはり足にこたえる。雨具のフードを打つ雨音が大きい。先ほどの痩身の男性と話をする。年齢は自分と変わらないか少し上だろうか。テント縦走の大ザックで明日は光小屋へ行くという。地元静岡は清水から来たという彼は、数日早く入山した仲間と茶臼小屋で落ち合う計画らしい。つかず離れず登っていく。林相はそれでも徐々に変わってきてダケカンバが目立ってきた。と同時に黄色と紫の可憐な花々が足元を彩るようになった。もう稜線は近いのか。「茶臼小屋まであと少し」の看板を見てようやくほっとする。森林限界を抜けた。大きく尾根を回り込むと展望が開けガスの中にボーっと茶臼小屋が立ち、その周りを色とりどりのテントが飾っている。濃密なガスに風景がにじんで赤やグリーンのテントが鮮やかなボンボリのように見えた。午後12時半、海抜2450m。7時間、長い登りであった。

こんな天候にもかかわらず雛壇状に広がるテント場はほぼ満杯だった。外れにようやくスペースを見つける。土砂降りのテント設営はつらい。四隅をペグダウン。2泊するベース基地なのでしっかりと張り綱を張ってからテントの中に転がり込んだ。雨具の滴でテントの床はびしょびしょだ。首にしていたタオルでぬぐう。雨はますます激しくなり、乾いた服に着替えてホッとする。しばらくウトウトしていると雨が止んであたりが明るくなってきた。テントのジッパーを開けるとあれほど濃くまとわりついていたガスが太陽の光に溶けかかっている。晴れた。まだ15時過ぎだ。濡れたものを外に出して乾かす。先ほどの清水の男性のテントはすぐそばで、無事仲間と遭遇したようだった。

小屋でビールを調達。それに真っ赤に熟れたトマトがいかにも美味そうだ。300円とはいい値段だが手が出てしまう。テントから10mも進んだ斜面に立ってみるとスマホのアンテナが立った。さっそく天気予報を仕入れる。明日14日明後日15日は共に曇り降水確率は20%。16日は雨の予報。ただし下界の予報なのでそこまであてにはなるまい。ラインで家族に無事到着の一報を入れると妻からすぐに確認の返信が来た。絵文字の入った下界からのメールはひどくのんびりとしたものに思えて思わず笑みが出た。と、すぐに電波をロストしてしまった。ドコモとはいえ南アルプス南部ではこんな不安定さなのだろう。それにしても16年前にこの小屋でテントを張った時にはこんなギアはなかった。便利になったものだ。

先ほどの清水の男性が話しかけてきた。往復12時間はきついが天候を見て明日頑張って空荷で光岳往復に計画を変えたという。自分と同じ計画だが・・えっ、12時間?そんなに時間がかかるのだろうか?ネットで見たいくつかの記録では茶臼-光岳往復は10時間もかからぬものが多かったが。改めて手元のエアリアマップを広げてみる。1996年版の古びた地図だが、確かに、12時間、いやそれ以上かかる。急に不安になってきた。なぜ事前にエアリアマップをじっくり見なかったのだろう。往復12時間以上かかるのならこんな行程は組まなかっただろう。もう一日、光小屋で泊まる三泊四日行程にしただろう。ネット記事ではそんな記載はなかったが、良く考えればネットの投稿はえてして韋駄天的な記録が多い。玉石混合なネットの情報の海に溺れたか。ここまで来て後悔してもしかたない。

テントに横たわり考える。予定通り朝4時半に出て、ミニマムの軽ザックで臨むのだ。そうだ、中間地点の易老岳でエアリアのコースタイムを上回っていたら、また疲れが激しかったら、そこで打ち切ってテントに戻ろう、とルールを決める。夕暮れ近くなって10人程度の高壮年オバサンオジサンパーティが下りてきた。「やった無事もどってきた!光岳往復!おめでとう!」と時の声を上げている。そうか、皆さんも頑張れたのか。自分もなんとかなるだろう、そう呟いてからシュラフに潜り込んだ。

山の、テントの夜がいつもそうであるように、疲れと興奮でなかなか寝付くことが出来ない。明日の行程がいかにも気になる。12時間か。軽荷なら11時間を切るだろうか。それでも16時にはここへ戻りたい。時間勝負の行程は得意ではないが。悶々と悩んでいるといつか再びテントを雨が叩きはじめる。なるようにしかならないだろう。

登り始めて約40分でヤレヤレ峠に着く 明るく開けて横窪沢小屋に着いた。16年前ここ
で冷たいゼリーを小屋番から頂いたのだった
更に登るとガスに包まれ
雨粒の匂いがした
茶臼小屋にテントを張る。
雨もやみ青空が見えた


* * *

何度か目が覚める。朝4時で雨だったら光往復はやめよう。寝返りを打つ。再び浅く眠る。朝4時15分。雨音はしない。濡れたフライを開くと東の空が明るい。よし、これでいける。気合が入る。テントの中を片付けながらラーメンを作る。早くも昨日の清水の二人組が「お先に」と声をかけ出発していく。彼らに遅れる事10分、ヘッドランプをつけ、ぐっしょり濡れたテントを後にする。4:55だ。

朝イチの登りは体が馴染まずいつもきつい。軽い荷物だが息が上がり足も出ない。呼吸を整えながら10分程度で聖と光を結ぶ主脈縦走路に出た。左手に折れハイマツ帯をゆっくりと登っていく。アルプスらしい眺めだ。ガスの中ケルンがボーッと見える。ややピッチを上げていくと茶臼岳2604m、午前5:15。今回の行程の最高地点になる。ここで先ほどの清水の2名組に追いついた。このピークでは2001年に50メガをすでに運用しているので無線はパスだ。北アルプス・唐沢岳にいたJS1MLQと交信した懐かしの山頂だ。休むことなく先を急ぐ。

再びガスが出てきた。砂礫をジグザグに下るとすぐにダケカンバ帯となった。仁田池がすぐ左手に静かに広がっている。手にした96年版のエアリアマップによると反対側の草地は当時は幕営指定地だったようだ。また倒壊した小屋があるという古い文献もあったがそんなものはとうになく、今や「植物保護の為幕営禁止」の看板が立っているのみだ。先に進むと木道が出てあたり一面バイケイソウの群落となった。振りかえるとガスの中に聖岳が大きな体を見せている。あぁ、大好きな聖岳。久々に仰ぐことができた。自分が登った山だとその姿は容易に判別がつく。小聖を従えてスマートなクジラの背中のような尾根が印象的だ。この本州最南端の3000m峰との再会を祝うが、再びガスが出て今回聖の全容を眺めることが出来たのはこれっきりだった。ダケカンバの中を上りきると喜望峰と書かれたピーク。5:50、エアリアより30分早い。一昨日下界で買ったコンビニお握りで行動食をとる。賞味期限切れだが山では些細なことは気にならない。ここから一気に下りとなった。ガスが一瞬晴れると稜線がはるか眼下まで落ちている。あそこまで下りるのか、とがっかりする。地形図では標高差180m、この落胆は大きい。今日は無事歩ききれるか、さっきから心の中はその不安で一杯だ。長丁場なので足の疲労は極力抑えたい。でも歩かないと先に行けない。考えても仕方ない・・・。

下りきるとじめじめとした湿地帯が出てきた。ヌタ場だろう。その先もだらだらとした上り下りが続く。地形図ではここから易老岳までの標高差は50mもない。足の具合はまだ大丈夫だろう。無理して歩いているという感じもしない。マルバタケブキが咲き乱れる原を抜けると登りに転じた。

易老岳は樹林に囲まれたじめじめした冴えないピークだった。午前6:50。コースタイムを1時間縮めている。足も大丈夫だ。よし、これなら光岳が見えてきた。なんとか行けそうだ。

時間的には易老渡からの登山者が登ってくるには少し早いのだろうか。テントがポツンと張られた山頂は人けもなく静かだった。ここで大福を口にする。やや重いが腹持ちの良い行動食だ。ザックを背負うと先ほどの清水の二名連れがやってきた。彼らも頑張っている。俺もいくぞ、と気合を入れる。

ふたたび湿った樹林の中を下りはじめる。光小屋からの下山パーティともいくつかすれ違う。下りきると右手にガレ場が見えた。三吉のガレだ。一本立てたいがここは飛ばして先を急ぐ。この先は再びシダの茂る湿っぽい地形となる。トレースを大きな水たまりが遮る。仕方なく浅そうな場所を選んで踏み歩くとクチャッと足元が緩んで水たまりに泡が立った。

明るくなって三吉のガレ、覗いてみるがガレ場が深い。小広い三吉平。ここでパンを口にする。ここからの登りが往路の最後の登りになろう。休んでいると再び清水の二人組が追い付いてきた。彼らも良いペースで進んでいる。下ってきたパーテイが静高平の水場は豊富に流れている、と教えてくれた。これまで水も控えめに飲んできたがこれで遠慮なく行けるだろう。この先は沢の源頭のようなゴロタの登りとなった。しばらく喘ぐ。40分間無心で登り続けると何処からともなく沢音が聞こえてきた。傾斜が緩んで思わず快哉を口にした。

そこはお花畑にダケカンバの点在する、まるで桃源郷のような美しい原だった。潤沢に流れる沢の筋にはトリカブトの群落が瑞々しい。とうとうと流れる沢水を口にする。冷たくて、うまい。ひしゃくが置いてありありがたくゴクゴク頂く。うまい。ここが、静高平か。もう光小屋は目と鼻の先だ。ダケカンバの点在する原をさらに歩むとポーンと更に広い原に出た。センジガ原だ。このふたつの原が今回の山行のハイライトともいえた。誰もいなく寂寥感すら漂う、悲しいほど美しいこの二つの原には静謐が極限まで張りつめられておりその先に進むのは躊躇われるほどだった。

南アルプスの果てに来た、という思いが強かった。躊躇いながら先へ、木道を踏みしめる。誰も居ない、静かな桃源郷を独り進む。以前にもこんな現実離れした美しい風景を見たことがある。やはり南アルプスは上河内岳から茶臼への原だった、と記憶する。どちらも山深い南アルプスの奥地にある夢幻の地。再び灌木帯を抜けるとその先に光岳の茂みをバックに光小屋が立っていた。

光岳の山頂は小屋の裏手片道15分。此処へきて焦っても仕方がないが最後のダッシュをかける。9:17、光岳、海抜2591m。ついに久恋の頂きに立った。灌木に囲まれたその山頂は余りに地味だがそれがいかにもあの遠大な南アルプス主峰群の最後を飾る2500m峰らしい謙虚さに感じられる。来る所まで来たと思わせる静かなターミナルだ。記念に山頂の小石を拾ってポケットに入れる。登り残して16年、長い宿題だった。

ややあって単独行の女性、そして清水の二人組みもやってきた。今回ここまで歩いてこれたのは彼らのお陰も多い。単独行の場合、後続に人が居ると思うと少し心休まるのは自分だけだろうか。心の中で感謝する。

アマチュア無線開局。ポータブルゼロは飯田市移動、いつものアルインコDJ-S57にRH770とは安定感と使い勝手で一番頼れる山のパートナーだ。430MHzでCQを出すと地元静岡市駿河区、愛知県西尾市からコールがあった。未だ局数が期待できる場所ではあるが時間勝負なのでここで閉局、光小屋に戻りパンを口にする。小屋は宿泊者も出払って一息つける時間なのか、シーンとした開け放した窓から静かな空気が流れてくる。

復路も長い、と考えると長居は無用、10:05、水を飲んで小屋を後にする。ガスが出てきてイザルガ岳は諦める。静高平の水場で頭に水をかける。シャキッとする。易老岳を過ぎると希望峰までの標高差180mが今日の最後の難関だろう。この登りは辛かった。何度も休む。持ち上げる脚が重い。木の根に足をかけると滑る。歩数を数えながらずっと下を向いたまま登る。首にかけたタオルも汗で重い。

森林限界を超え茶臼岳までの砂礫を登り切る。14:22、山名標識の横に座り込んで行程を思い出す。長かった縦走路ピストンだったがこれで今日の成功は確実だった。ガスが再び谷から沸いてきて、期待していた聖岳の眺めも叶わなかった。が、決して晴れなかった今日の天候のお陰で長丁場をバテずに歩けたのかもしれなかった。吹く風が心地よく汗が引いて行く。自分が次に南アルプスを歩くとしたらいつになるのだろうか。気力・体力の続く限りはまた来たい、そう思わせる深さが南アルプスにはあるように思う。苔むした樹林帯の地味な登り、高い森林限界、爽快さとは無縁な無骨な山々。それらは苦しいものではあるものの、山に包まれていると言う感覚が大きい。こうして歩いて、久々にそれを味わい、その魅力を思い出してしまった。ハイマツ帯を雷鳥が歩いている。写真を撮ろうとしたら茂みの中に隠れてしまった。

テント場で倒木に腰掛け缶ビールで乾杯。長い行程を無事歩ききった満足感がじっくりとわいてきた。家内にラインで無事を連絡。しばらくたって清水の二人組も下りてきた。お互いの無事と成功に、思わず立ってお辞儀をする。彼らが居なかったら自分も歩ききれなかったかもしれない。単独で歩いているとはいえ人は誰しも心の中には何かのささえが必要なのではないだろうか。自分の場合は山を歩くと普段感じることのない家族への感謝やありがたさなどを改めて感じる場合が多い。今日の行程では、彼ら二人がそれに加わっていたのだろう。このルートを前後して歩く仲間が居る、自分は一人ではない、そう思うと不安感が少し減ったのは事実だった。

テントと小屋に灯がともる。長い一日の始まりだ。 くぼ地にバイケイソウの群落を見る これから辿る稜線を滝雲が覆いつくしていた
稜線はアップダウンの繰返し。光岳は、まだか 明るく開けて三吉のガレに飛び出た トリカブト咲く沢が静高平の水場だった
静高平は静かな沢音のみ。まるで別天地だった 視界が開けてセンジガ原にポーンと出た。
亀甲状土広がる原にイザルガ岳が立っていた
光小屋の向こうに目指す山頂があった。
南アルプス最奥の、静かなターミナルだった

* * *

翌朝、雨音はしない。濡れたフライを開けると空が赤い。足の筋肉を冷やさないようにタイツを履いて寝たのが正解なのか、筋肉痛は感じない。今日は下りるだけだ。

ラーメンを作っていると昨日の清水のパーティがこれから下ります、と挨拶をしてきた。こちらもテントを撤収、二日間お世話になった茶臼小屋を後にして下り始める。と、すぐに雨滴が落ちてきて合羽を羽織る。昨晩スマホで仕入れた予報では曇天だったのだが。高度を下げるにつれガスの中を歩くようになり雨ともガスとも判別のつかない中をひたすら下りるだけとなった。16年前に歩いたときも、いくつか辿った南アルプスの下りの中ではここがもっともキツかった記憶がある。まさか今回それを往復するとは思ってもいなかった。一昨日は感じなかったが途中ケモノのにおいを感じる箇所が数箇所。熊よけの鈴はついているが雨音にかき消されて意味がないだろう。大きく口笛を吹いてみる。咳払いをしてみる。

20年以上使っているゴアの雨具は今シーズンに入って急速に劣化してきた。生地の剥離やシームテープの剥がれもあり、防水性は余り期待できない。染みないうちに、今日も時間勝負か。淡々と下る。頭の蒸れが気になり時折フードを脱ぐと雨音と沢音がひときわ大きい。汗なのか染みた雨なのか、服もズボンも濡れている。ゴアとはいえやはり蒸れる。なんとか下りつづけ横窪沢の小屋で一本立てる。小屋の内部にブルーシートを敷き詰めて、濡れ鼠の登山者がゆっくり室内で休憩できるようにしている配慮が嬉しかった。

ウソッコ沢小屋からへは豪快な沢の横を歩いては高巻く。踏み板の腐った吊橋と傾きかけた鉄梯子が続く。墜ちたら沢に一直線だ。登りに転じてヤレヤレ峠。あとは最後の難関、畑薙の大吊橋を渡れば今回も無事終了だ。長くて高い、怖い吊橋だがワイヤーにつかまってゆっくり行けば大丈夫だろう。

* * *

林道を歩きながら今回の行程を反芻する。南アルプスらしい稜線までの容赦ない登りは苦しくとも味わいのあるものだった。果てしなく続く重厚な稜線とその先に待っていた静謐の原を忘れることはずっとないだろう。痺れるような充実感がある。森林限界を超えて吹く風の、その音の持つ寂寥感。一人でありながら人とのつながりを感じて歩く山。人は自分とその周りのかかわりを感じたいが為に山に登っているのかもしれない。

東海フォレストのマイクロバスが後からやってきて水溜りを跳ねないようにとゆっくりと自分を追い抜いてゆく。中にいる登山者達も一様に疲れているようだが満足の表情が見て取れる。彼らは赤石岳か、悪沢岳か、あるいは聖岳か。彼らも自分と同じく、この数日間南アルプスの重厚さを満喫したに違いない。そう思うと彼らに対しても同じ南アルプスをあるいた「仲間」という思いがわいた。

赤石温泉・白樺荘で汗を流そう、ようやくそんな現実的なことに思考が及ぶと目の前に沼平駐車場のゲートが見えてきた。いつしか雨も上がり、川霧が低く垂れ込める畑薙湖の上には重そうな雲が居座り、あの素晴らしく奥深く静かな山々を仰ぐ事は叶わなかった。

* * *

8月13日 畑薙第一ダム沼平駐車場5:30-畑薙大吊橋6:08-ヤレヤレ峠6:45/6:52-ウソッコ小屋7:55/8:05-中の段8:53/9:00−横窪峠9:30−横窪沢小屋9:40/10:00−倒木ベンチ11:20−樺の段11:50/11:55−茶臼小屋12:40

8月14日 往路 茶臼小屋4:55-茶臼岳5:15−仁田池5:30-希望峰5:50−易老岳6:50 /7:10−三吉のガレ7:30−三吉平7:50/8:00−静高平8:40/8:50−光小屋9:02−光岳9:17/9:40
復路 光小屋10:05−三吉平10:53/10:55-三吉ガレ11:20-易老岳11:53 /12:00-喜望峰13:25/13:35-仁田池14:00-茶臼岳14:22/14:30-茶臼小屋15:00

8月15日 茶臼小屋6:20-樺の段6:48-倒木ベンチ7:06−横窪沢小屋7:50/8:00-中の段8:30-ウソッコ小屋9:10/9:25−ヤレヤレ峠10:22/10:25-畑薙大吊橋10:50-畑薙第一ダム沼平駐車場11:20

(山岳移動通信「山と無線」54号 2017年8月刊 より転載)


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